変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




『共感』 を得るのって、難しい。

仕事でもそうだけど、創作の世界では特に。

究極のARTって、音楽なのかな。
それもメロディだけのやつ。

人間のコミュニケーションは、言葉への依存度が極めて高い。
それは創作の分野でも例外ではなく、歌なら歌詞があるし、漫画
にも言葉が使われる。メロディと絵画や彫刻は例外なのだと思う。

しかし、これらも分類できる。
人間の五感において、視覚の重要度は抜きん出ている。
目で見るということは、人間として直接的であり、優勢な感覚器へ
訴えることなのだ。

だから、メロディって凄い。
劣勢感覚器である聴覚だけに訴え、更に言葉を全く介さない。

視点を逆転させると、小説や詩などといった創作は、視覚に言葉を
訴える分野なので、ある意味ではとても人間的だ。
人間ならでは、と云えよう。

じゃ、人間って何だ?
これは途方も無い議題なので深追いしないけど、『思考』とか『意思』
の持ち主という側面がある。 そして、それは多様性を持つ。
生物の世界において、多様性は宿命である。
多様性を否定していたら、生物は遥か昔に絶滅していたことだろう。
だから、人間としての特質も多様化を免れない。

なんてね。

多様化された思考と意思に基づき、価値観も千差万別となる。
一つのテーゼは複数の側面から評価・吟味され、極端な場合は真逆
の結論を同時に有する。

それでも尚、多くに受け入れられ、多くの共感を得る物語がある。

天才の成せる技か。
あるいは、果たして人の感性とは本質的に多様なのか、という疑問。

今週はちょっと暇だったんで、
かような屁理屈を並べてみました。

とある秀作を読んでて思ったんだ。
視覚と言葉を使いながら、それは読む者の五感全てに訴えていた。
読者の経験に応じて変化するのだろうけど、凄いことだ。
本当は、情報は少ない方がいい。
足りない部分は、受け取り側にとって最適な状態が補足されるから。

多くを語らずって奴ですね。
寡黙が創り出すイメージの洪水。

ムリだ。

関西人だもん。

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