トンネルの暗闇と暗闇の合間を縫って、列車の窓から鮮やかに飛び込んでくる海景色。
すぐ近くに在るのに どこか遠い。移動が多かった先週~週明けにかけ、そんな海景色を方々で見た。
お盆の一寸前に実家へ。夏に帰るのは数年ぶり。
玄関には、雨上がりの甘露を湛えた淡い紫のムクゲ。
足元には、ハート型をしたリーフの裏が血脈のように紅いシュウカイドウ。
まだ実の蒼いナンテンには、主翔った後の空蝉。
その頭上から降り注ぐ ドルビーサラウンドな蝉時雨。
庭には満開のサルスベリ。幼児期、この木によじ登ろうとしていたというお転婆伝もある。
家には母が庭からとってきたりしてささっと活けた花々があちこちに。
大仰に活けこむのではなく、手近な花瓶への気ままな投げ入れ。母娘、やることが似ています。
お墓参りに持っていった蓮の残り。お墓って、しっかり掃除すると随分きれいになるんですね。
お正月のblogにも書いたけど、実家には両親の書棚が方々にあり、どこでも古書店状態。
今回は、あまりにぼろぼろになっている本は思い切って整理したいという母を手伝った。
しかし父が若かりし頃の本は宝の山。見れば見るほど「おおっ」という本を見つけてしまうのだ。
重森三玲の「庭こころとかたち」なんて灯台下暗しもいいところ。なんで今まで気づかなかったの?
そんなわけで、今回はこんな本たちを十数冊連れて帰ってきた。
ついでに、膨大な数の父のビデオコレクションも場所をとるので三分の一ほど処分した。
いくら懐かしいといっても、ベータじゃ仕方がないし、もう父が逝って7年も経つし。
心の中で父に「もういいよね?もしよかったら、キジバトの声でも鳴らして合図して」と
呟いたところ、間髪入れず庭から「クウクウククーク」という長閑なキジバトの鳴き声がして驚いた。
ふと庭を見ると、キジバトの姿は見えなかったが、
植えた時には小枝みたいだったというトチノキが、真昼の炎天下にすっくとそびえていた。
☆
実家から帰ってきてほどなく、今度は打ち合わせで神戸へ。日帰りの予定だったけど、
春に行った時と同じく 前泊して束の間の神戸散策を愉しんだ。
今回訪れたのは、芦屋。お盆ということもあり、商店街は軒並みお休みで人影もまばらだったけど、
芦屋川の畔では家族で水浴びしたり、BBQしたり、魚獲りしたりという長閑な光景が散見された。
灼熱の太陽が照りつける白昼、芦屋駅から芦屋川沿いに「ライト坂」と呼ばれる急坂を
日傘を片手にふうふう登っていくと、こんもりした緑の高台に、F.L.ライトが設計した
「ヨドコウ迎賓館」が見えてくる。たっぷりした大谷石の量感と、幾何学的なディテールは
まさに、ザ・ライトな外観。内部は写真撮影不可だったのでお見せできないのが残念だが、
端正さと自然の野趣を見事に融和させた空間美は、天才のしわざ。
大正末期に山邑家の別荘として建てられたこの邸宅は、戦後に淀川製鋼所の所有となり、
‘80年代に創建時の状態に大規模修復された。日本に現存する完璧な形のライト建築は
ここと目白の自由学園明日館だけというから、かなり貴重な存在といえる。
葉を象ったという緑青が印象的な窓の銅板も、
仏壇金物細工専門の京都の職人に復元させたのだとか。
そこから坂を下り、芦屋界隈を循環する乗り合いバスで、「芦屋市 谷崎潤一郎記念館」へ。
日本橋生まれでハイカラ趣味の江戸っ子・谷崎潤一郎は、関東大震災で関西に逃れたのを機に
芦屋をはじめとする関西に定住するようになった。記念館には、関西最後の住まいとなった
京都・下鴨の邸宅の庭を模した日本庭園があり、中の展示も非常に濃密なものだった。
「谷崎が愛した猫と犬」という特設展をちょうど併設しており、谷崎の猫崇拝ぶりを、
『猫と庄造と二人のをんな』をはじめとする作品を例につぶさに検証していて実に興味深かった。
『痴人の愛』のナオミも まさしく猫の化身だし、文豪を猫で斬ると また違う世界が見えてくる。
(余談ながら、内外の猫文学を採り上げた心理学者 河合隼雄の『猫だましい』でも、
「とろかし猫」という章で『猫と庄造と~』を徹底分析していて非常に面白い)
お土産に、谷崎作品の挿絵ポストカードを買ってきた。『蓼喰ふ蟲』は小出楢重、『鍵』は棟方志功、
『猫と庄造と二人のをんな』は安井曽太郎、新潮文庫の谷崎シリーズのカバーは加山叉造などなど
なんとも贅沢な面々。私が谷崎に夢中になったのは高校時代だが、家にあった筑摩文学全集に
こんな美しい挿絵はついていなかった。谷崎、久々に読み返してみよう。
夕刻には元町に向かい、旧居留地の散策へ。。が、ホテルでうっかりうとうとしてしまい
(部屋になぜかこじゃれたマッサージチェアがあり、肩を揉まれている間に睡魔に襲われたのだ)
慌てて外に出ると ちょうど夕暮れのライトアップが始まったいい頃あいだった。
日が落ちるにつれ雑雑としたものが夕闇に消され、
ローマやパリの街なかを闊歩しているような錯覚さえおぼえた。
ヴォーリズ設計の旧居留地38番館をはじめ 点在する近代西洋建築にはブティックやレストランが
建物の美観を損ねることなく佇んでおり、街並み全体の美意識の高さは想像以上だった。
この旧居留地といい、ライトのヨドコウ迎賓館といい、4月末に訪れた北野異人館街といい、
近代遺産を大切に修復保存している所には、何かとてもまろやかな気が流れていて心地よい。
旧居留地から南西にそれて南京町に入ると、風景は一変。中華街になる。
南京町は春にもながれさんに連れていってもらったが、夜はまた一段とお祭のように華々しかった。
居留地に住めなかった華僑の雑居地 南京町と、居留地から山手に流れた異人の街 北野。
旧居留地を挟んだ町と街のプロフィールが、あちこち練り歩いてみてようやく腑に落ちてきた。
翌朝は眠い目をこすりつつ、打ち合わせのあるハーバーランド方面へ少し早めに向かい、
明治期に建てられたガス灯や赤煉瓦倉庫が並ぶ埠頭をゆるっと散策。
ヨコハマにも似ているけど、シドニーの街の断片が不意に脳裏によみがえった。
埠頭の側には川崎重工のドックがあり、AFRICA云々と書かれた船が停泊していた。
この炎天の下ではたらくおじさんたちは大変だなあと眺めているうち…、誰一人として
微動だにしてはおらず、人形であることに気づいた! 誰ですか、この悪戯者は?(笑)
↑はたらくおじさん人形
でもって、ハーバーランドの遊歩道にはなぜかレイをかぶったプレスリー像が。
ネットで調べたら、実はこれ、このお盆直前に閉店した原宿のお店から連れて来られた模様。
その日、打ち合わせが終わったのは新幹線の最終間近。帰りの車内でカメラマンの方と
お弁当を食べながらMOON RIDERSの話で盛り上がり、あっという間に東京に着いた。
お盆明けの今週はいろいろ動き始めて慌しいし、相変わらず蒸し暑いけど
夏はしずかにしずかに終息へと滑り出している気がする。
すぐ近くに在るのに どこか遠い。移動が多かった先週~週明けにかけ、そんな海景色を方々で見た。
お盆の一寸前に実家へ。夏に帰るのは数年ぶり。
玄関には、雨上がりの甘露を湛えた淡い紫のムクゲ。
足元には、ハート型をしたリーフの裏が血脈のように紅いシュウカイドウ。
まだ実の蒼いナンテンには、主翔った後の空蝉。
その頭上から降り注ぐ ドルビーサラウンドな蝉時雨。
庭には満開のサルスベリ。幼児期、この木によじ登ろうとしていたというお転婆伝もある。
家には母が庭からとってきたりしてささっと活けた花々があちこちに。
大仰に活けこむのではなく、手近な花瓶への気ままな投げ入れ。母娘、やることが似ています。
お墓参りに持っていった蓮の残り。お墓って、しっかり掃除すると随分きれいになるんですね。
お正月のblogにも書いたけど、実家には両親の書棚が方々にあり、どこでも古書店状態。
今回は、あまりにぼろぼろになっている本は思い切って整理したいという母を手伝った。
しかし父が若かりし頃の本は宝の山。見れば見るほど「おおっ」という本を見つけてしまうのだ。
重森三玲の「庭こころとかたち」なんて灯台下暗しもいいところ。なんで今まで気づかなかったの?
そんなわけで、今回はこんな本たちを十数冊連れて帰ってきた。
ついでに、膨大な数の父のビデオコレクションも場所をとるので三分の一ほど処分した。
いくら懐かしいといっても、ベータじゃ仕方がないし、もう父が逝って7年も経つし。
心の中で父に「もういいよね?もしよかったら、キジバトの声でも鳴らして合図して」と
呟いたところ、間髪入れず庭から「クウクウククーク」という長閑なキジバトの鳴き声がして驚いた。
ふと庭を見ると、キジバトの姿は見えなかったが、
植えた時には小枝みたいだったというトチノキが、真昼の炎天下にすっくとそびえていた。
☆
実家から帰ってきてほどなく、今度は打ち合わせで神戸へ。日帰りの予定だったけど、
春に行った時と同じく 前泊して束の間の神戸散策を愉しんだ。
今回訪れたのは、芦屋。お盆ということもあり、商店街は軒並みお休みで人影もまばらだったけど、
芦屋川の畔では家族で水浴びしたり、BBQしたり、魚獲りしたりという長閑な光景が散見された。
灼熱の太陽が照りつける白昼、芦屋駅から芦屋川沿いに「ライト坂」と呼ばれる急坂を
日傘を片手にふうふう登っていくと、こんもりした緑の高台に、F.L.ライトが設計した
「ヨドコウ迎賓館」が見えてくる。たっぷりした大谷石の量感と、幾何学的なディテールは
まさに、ザ・ライトな外観。内部は写真撮影不可だったのでお見せできないのが残念だが、
端正さと自然の野趣を見事に融和させた空間美は、天才のしわざ。
大正末期に山邑家の別荘として建てられたこの邸宅は、戦後に淀川製鋼所の所有となり、
‘80年代に創建時の状態に大規模修復された。日本に現存する完璧な形のライト建築は
ここと目白の自由学園明日館だけというから、かなり貴重な存在といえる。
葉を象ったという緑青が印象的な窓の銅板も、
仏壇金物細工専門の京都の職人に復元させたのだとか。
そこから坂を下り、芦屋界隈を循環する乗り合いバスで、「芦屋市 谷崎潤一郎記念館」へ。
日本橋生まれでハイカラ趣味の江戸っ子・谷崎潤一郎は、関東大震災で関西に逃れたのを機に
芦屋をはじめとする関西に定住するようになった。記念館には、関西最後の住まいとなった
京都・下鴨の邸宅の庭を模した日本庭園があり、中の展示も非常に濃密なものだった。
「谷崎が愛した猫と犬」という特設展をちょうど併設しており、谷崎の猫崇拝ぶりを、
『猫と庄造と二人のをんな』をはじめとする作品を例につぶさに検証していて実に興味深かった。
『痴人の愛』のナオミも まさしく猫の化身だし、文豪を猫で斬ると また違う世界が見えてくる。
(余談ながら、内外の猫文学を採り上げた心理学者 河合隼雄の『猫だましい』でも、
「とろかし猫」という章で『猫と庄造と~』を徹底分析していて非常に面白い)
お土産に、谷崎作品の挿絵ポストカードを買ってきた。『蓼喰ふ蟲』は小出楢重、『鍵』は棟方志功、
『猫と庄造と二人のをんな』は安井曽太郎、新潮文庫の谷崎シリーズのカバーは加山叉造などなど
なんとも贅沢な面々。私が谷崎に夢中になったのは高校時代だが、家にあった筑摩文学全集に
こんな美しい挿絵はついていなかった。谷崎、久々に読み返してみよう。
夕刻には元町に向かい、旧居留地の散策へ。。が、ホテルでうっかりうとうとしてしまい
(部屋になぜかこじゃれたマッサージチェアがあり、肩を揉まれている間に睡魔に襲われたのだ)
慌てて外に出ると ちょうど夕暮れのライトアップが始まったいい頃あいだった。
日が落ちるにつれ雑雑としたものが夕闇に消され、
ローマやパリの街なかを闊歩しているような錯覚さえおぼえた。
ヴォーリズ設計の旧居留地38番館をはじめ 点在する近代西洋建築にはブティックやレストランが
建物の美観を損ねることなく佇んでおり、街並み全体の美意識の高さは想像以上だった。
この旧居留地といい、ライトのヨドコウ迎賓館といい、4月末に訪れた北野異人館街といい、
近代遺産を大切に修復保存している所には、何かとてもまろやかな気が流れていて心地よい。
旧居留地から南西にそれて南京町に入ると、風景は一変。中華街になる。
南京町は春にもながれさんに連れていってもらったが、夜はまた一段とお祭のように華々しかった。
居留地に住めなかった華僑の雑居地 南京町と、居留地から山手に流れた異人の街 北野。
旧居留地を挟んだ町と街のプロフィールが、あちこち練り歩いてみてようやく腑に落ちてきた。
翌朝は眠い目をこすりつつ、打ち合わせのあるハーバーランド方面へ少し早めに向かい、
明治期に建てられたガス灯や赤煉瓦倉庫が並ぶ埠頭をゆるっと散策。
ヨコハマにも似ているけど、シドニーの街の断片が不意に脳裏によみがえった。
埠頭の側には川崎重工のドックがあり、AFRICA云々と書かれた船が停泊していた。
この炎天の下ではたらくおじさんたちは大変だなあと眺めているうち…、誰一人として
微動だにしてはおらず、人形であることに気づいた! 誰ですか、この悪戯者は?(笑)
↑はたらくおじさん人形
でもって、ハーバーランドの遊歩道にはなぜかレイをかぶったプレスリー像が。
ネットで調べたら、実はこれ、このお盆直前に閉店した原宿のお店から連れて来られた模様。
その日、打ち合わせが終わったのは新幹線の最終間近。帰りの車内でカメラマンの方と
お弁当を食べながらMOON RIDERSの話で盛り上がり、あっという間に東京に着いた。
お盆明けの今週はいろいろ動き始めて慌しいし、相変わらず蒸し暑いけど
夏はしずかにしずかに終息へと滑り出している気がする。