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空飛ぶ自由人・2

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蛇窪神社

2025年06月20日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日、大井町線の↓この駅で降りて、

商店街を通り、

ここへ。

蛇窪神社

登記上の宗教法人名称は天祖神社(てんそじんじゃ)ですが、
蛇窪神社が通称表記されています。

鎌倉時代の文永8年(1271年)、
北条重時の五男・時千代が仏門に入り法圓上人となって、
大森に厳正寺を開き、
その家臣が蛇窪(現在の当地付近の名称)に住み着きました。

50年ほど過ぎた元亨2年(1322年)、
武蔵の国一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至と見らた時、
厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、
この危機を救うため、
厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる
古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。
その結果、大雨が降り注ぎ、大危機を免れることができました。
それに感激した時千代の旧臣らが
神社を勧進し祀ったのが始まりであるといいます。

白蛇縁起については、次のような話が伝わっています。
天祖神社の社殿の左横に清水が湧き出る洗い場があり、
そこに白蛇が住んでいました。
時移り、洗い場がなくなり、
やむなく白蛇は現在の戸越公園の池に移り住むようになりました。
ある時、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ、
「一日も早くもとの住みかに帰してほしい」と懇願しました。
森谷氏はこの話を宮司に伝えて、
白蛇をもとに戻すよう願い出ました。
宮司は池を掘り、池の中央に小島を設け、
その中の石窟に石祠を造って白蛇を祠ることにしました。
白蛇を迎える日の夜、雷鳴とともに大風が立ち起こったといいます。

戦後昭和29年に、お社は現在地に移され、
上屋や辨天池なども造営されました。
令和3年4月1日、御鎮座七百年を記念し、
氏子崇敬者の御浄財によって、
石窟・社殿・辨天池・白龍の滝が立て替えられ、
銭洗を新たに造りました。

一粒万倍の石像。

この鳥居の先は、

法蜜稲荷社

                             700年前の雨乞いが成就した証として、
111本の提灯を点灯。

願掛け水掛宝珠。

運玉投げ。

満願岩の穴へ運玉を投げ入れます。

社殿

主祭神は天照大神

蛇窪龍神社

撫で白蛇

白蛇様の夫婦で、大きい方が女性。
脱皮する蛇のように
再生・気力の復活・開運を願う。

銭回し

白蛇種銭を石臼の金杯の上に乗せ、

石臼を時計回りに3回回す。

ザルに白蛇種銭と自身の種銭を入れ、
水鉢の中に浸して清める。

辨財天社に奉納。

清めた白蛇種銭はお財布に納め、
自身の種銭は自宅に保管する。

辨天池・白龍の滝・龍神の玉

昔、白蛇が住んでいた場所に掘った井戸。

今の駅名は「戸越公園」ですが、その前は「蛇窪」といいました。

商店街もおヘビ様。

 

 

 



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