[旧作を観る]
山田洋次監督、高倉健主演による
1977年の映画。
公開当時観ているが、
今回再見するきっかけになったのは、
産経新聞の武田鉄也ロングインタビュー。
これは、
各界の著名人に対する単独インタビューを
1か月間にわたって掲載するもので、
30日分あるから、
他のインタビューでは出て来ないような詳しい話が聞ける。
武田鉄也インタビューも、父親に関する話、母親についての話、
高校時代、「海援隊」結成、当時の音楽事情、
「母に捧げるバラード」のヒット、
金八先生への出演などの興味深い話の中に、
「幸福の黄色いハンカチ」出演の時の逸話が出て来る。
突然の抜擢で、映画作りの右も左も分からず、
カチンコが鳴ったら演技をするということさえ知らず、
始めのうちスタッフから馬鹿にされていたが、
やがて、山田監督の目の色が変わる。
既存の俳優にはない、
意表をつく新鮮で自然な演技に驚かされたのだ。
「監督は、君しか観ていない」と高倉健に嫉妬されるほどに。
ある時(柔道をしてガニマタになった、と蟹の足を持って言うところ)、
武田の演技に山田監督が吹き出し、
その音が録音が拾ってしまい、
撮り直しになったという。
この時、録音の人が
「役者に失礼だ、謝れ」と言って、
山田監督が謝罪したという。
「巨匠」になる前の46歳の時。
監督より技術者の方が偉い時代があったんだね。
というインタビューを観て、
どんな映画だったかな、
とツタヤディスカスで借りて再見。
あらすじは今更説明するまでもないが、
北海道旅行をする、いきずりの男女に
刑務所を出所したばかりの男が合流。
その男が別れた妻に
「もしまだ一人暮らしで、
俺のことを待っててくれているなら、
鯉のぼりの竿に黄色いハンカチをぶら下げてくれ。
もしそれがなかったら、
俺はそのまま引き返して、
二度と夕張にはに現れない」
というハガキを出したという、
男の話を聞いて、
あとずさりする男を励まして、
夕張に向かう三人。
家の側まで来て、
満艦飾の黄色いハンカチを発見し、
家に向かう男と、迎える妻。
軽薄な若い男女は、
初めて人生の重さに触れたのだ。
泣いた。
1977年当時、私はまだ30歳の若造。
人生の重さなど、まだ知らなかった。
それから40年以上過ぎて、
人の絆、夫婦の愛の深さ、人生の味わいを
感じられる年齢になっていたようだ。
高倉健が抜群にいい。
私は任侠映画が好みではなかったので、
全く観ていない。
その健さんの、男の哀愁を漂わせた演技の素晴らしさ。
そして、妻役の倍賞千恵子は、
この人以外、この役をやれる人はいないだろうと思わせる。
そして、当時売り出し中の桃井かおりと、
全くの新人、武田鉄也の新鮮な演技。
原作は、1971年に「ニューヨーク・ポスト」紙に掲載された
ピート・ハミルのコラム「Going Home」。
同じ題材でドーンの歌った「幸福の黄色いリボン」がある。
山田監督は製作にあたりピート・ハミル側と交渉したが、
代理人によると、ハミルは
日本の電気製品がアメリカ市場を荒らしているとして
日本に好意を持っておらず、
作品の上映は日本国内限定で
海外に出すことは絶対に認めないとの
厳しい条件つきで承認を得た。
封切り後、高い評価を得て
いくつかの賞を受賞したことから
配給の松竹は海外への輸出を考え、
ハミルに認めてもらうため
山田監督がニューヨークに出向いて映写会を開いた。
字幕もなく通訳が要点を説明するだけだったが、
鑑賞したハミルは「ビューティフル」と称賛し
喜んで輸出に賛成したという。
というのは、Wikipediaからの情報。
他にもWikipediaには、
「男はつらいよ」撮影の合間に、
倍賞千恵子が、「幸せの黄色いリボン」を口ずさんでいて、
それを聞いて監督が質問して
歌の内容を教えてもらったのがきっかけだった、とか、
ラストシーンでハンカチが風になびくシーンは、
大型扇風機を準備して撮影に挑んだが良い絵が撮れず、
3~4日かけて自然の風を待ち、撮影を行った、とか、
刑務所から出てきたばかりの高倉健が、
食堂でビールを飲み干し、
ラーメンをむさぼるように食べる場面では、
高倉は実際に2日間何も食べずに、
この撮影に臨んだ、とか、
当初若い女性役は山口百恵を想定していたが、
スケジュールの調整がうまく行かず、
出演を断られたため桃井かおりに決まった、とか、
撮影秘話が沢山掲載されている。
このDVDには
公開の25年後の2002年、
夫婦の家とハンカチを夕張市が保存している
「幸福のハンカチ 想い出ひろば」を
山田監督が訪れた時のインタビューを収録、
その中でも、いくつか撮影秘話が紹介されている。
撮影当時、武田は仮免中で、
運転が恐ろしくヘタだったので、
ロングで撮る場合は、
背格好などが似た小道具スタッフが鬘を付け運転したという。
(武田が実際に運転免許を取得したのは、
およそ20年後の1996年8月だった。)
DVDには、映画の中で夕張市内を車が走るシーンと
同じ場面を連動させて、
25年後の夕張の街を写す。
映画の中では家があったところは、
今は家もなく、
炭鉱の街の衰退を表している。
勇作(高倉)と光江(倍賞)の再会シーンは、
近づいていく勇作に気づいた光江が
涙目で勇作をみつめるのが、
唯一の寄りのカットで、
後は終始ロングの映像。
二人は見つめ合い、
勇作がハンカチを見上げ、光江がうつむいて泣きだし、
勇作がその肩を押して家の中に入っていく、
絶妙なカット割だが、
ここの場面で、欧米の観客は、フフフと笑うという。
欧米人なら、抱擁し、キスするところを、ただ、見つめ合うだけ。
日本人って、こうなのね、という笑いだ。
英国でこの映画を観たインドネシアの監督が、
同じアジア人として、
よく分かる。
インドネシア人も、映画と同じ反応だ、
と言ったという、山田監督の話。
なお、Wikipediaには、
編集担当者の
「やはり、ここで観客が一番観たいのは、
ずっと待っていた妻の顔なのでは」
という意見を聞き入れ、
倍賞のアップのワンカットのためだけに、
倍賞と少数の撮影スタッフだけで夕張での追加ロケを行った、
という話が紹介されている。
当時、山田監督は年に2本「男はつらいよ」を撮っており、
お盆映画と正月映画の合間に
この「幸福の黄色いハンカチ」を撮った苦労話も
インタビューで語っている。
「この作品でやり残したことはありますか」
という質問に対して、
ラストの武田と桃井のキスシーンは、
もうちょっと別な撮り方はできなかったか、
とあげている。
私もそう思う。
あそこは、桃井が武田の肩に頭を乗せるだけで十分だと思う。
映画は、1977年10月1日に公開され、
第1回日本アカデミー賞をはじめ、
その年の映画賞で、
作品賞、監督賞、脚本賞、
主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞を
文字通り、総ナメ。
この作品をきっかけに
武田鉄也は俳優はしても大成した。
1981年、タイで、
2008年、アメリカでリメイクされている。
テレビドラマにもなった。
「男はつらいよ」以外、
山田監督は苦手の私だが、
本作は、名作と呼んでいいと思う。