[書籍紹介]
村上春樹の新作。
といっても、ごく初期に「文学界」に発表した中編、
「街と、その不確かな壁」(1980年)の書き改めだという。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(1985年)
を経て、この作品に至るその経緯は、
「あとがき」に書いてある。
その中編は、書籍化されていないので、
今となっては比較することはできないが、
なにしろ、この新刊本、655ページもある大長編なので、
前と比較することなく、
単独の新作と受け止めて読んでいいのではないか。
本書は三部構成。
第1部は、「ぼく」という17歳の高校生と
1歳年下の女子高校生との恋愛物語。
それと交互に、「壁」に閉ざされた架空の「街」での
「私」の生活が描かれる。
その街の住人には影がなく、
人の出入りもない。
屈強な門衛が出入りを管理しており、
どこからか現れた主人公
(どうやら、17歳の高校生が四十代になった男らしい)
は街に迎えを入れられ、
その代わり、視力が弱くされ、影と分離される。
男のその街での役割は、
図書館で夢を読む仕事。
そこには本は一冊もなく、
棚に並んだ夢を取り出しては、読むのだ。
図書館は少女に管理されており、
(どうやら、その少女は、あの16歳の少女のようなのだが、
男はそうは認識していない)
男は「夢読み」をした後、
少女を宿舎に送り届けるをのを日課にしている。
街の人々の生活は平穏だが、好奇心を持たない人たちだ。
一角獣の群れが住み着いており、
毎日移動し、
季節の変わり目に交尾し、冬には凍死もする。
次第に分かって来るのは、
その架空の街は、17歳と16歳の高校生が
共同で作り上げた想像上の街で、
そこの住人は、現実の人間の「影」のような存在だという。
その逆かもしれない。
「わたしの実体は──本物のわたしは──ずっと遠くの街で、
まったく別の生活を送っている」
二つの話が交互に展開し、
現実の話の方では、
少年の前から少女は消え失せ、
街の話の方では、
主人公は自分の影と共に脱出しようとするが、
影だけを脱出させて、自分はこの街に残ることを決断する。
二つの交互の話の意図が分からないので、
時々眠くなった。
第2部は、
意に反して、いつのまにか街から帰還していた主人公(40代)の男の話。
長年勤めていた会社を退社し、
福島県の山間部にある図書館の館長募集に応募して、
移住してきた主人公の日常を描く。
図書館は元町営だったが、
廃止される憂き目に遭った時、
造り酒屋の経営者の手によって引き継がれ、
事実上の個人図書館として成り立っている。
主人公は、元の館長である子易(こやす)辰也という人物と面接し、
就任後も、子易の助言を受けている。
館員は、司書の添田という中年女性の他、パートの女性たち。
さほど忙しくも難しくもない仕事だが、
主人公は満足し、その町での生活に落ち着いていく。
という第2部の話だが、
これは面白く、全く眠くならなかった。
ページを繰る手が止まらない。
やがて、子易の家庭での事情が明らかになり、
子易の存在そのものの抱えている、ある秘密も明らかになる。
初めて主人公が図書館に面接に訪れた時の
添田の不思議な対応の理由も明らかになる。
その後、図書館に通って来る特殊能力を持った男の子、
イエロー・サブマリンのパーカーを着た少年との関わり、
コーヒーショップを営むバツ1女性との関わりなど。
そして、ある事件が起こり、
第1部の「街」とつながってくる。
第3部は、再び「街」に戻り、
主人公と男の子の関係が描かれ、
「夢読み」が継承され、
ラストにつながる。
いつもながらの村上ワールド。
第2部の展開には酔った。
読んでいて芳醇な気持ちになるのはなぜかな、
と思ったら、
主人公と子易との交流、
主人公と添田との交流、
主人公と男の子との交流、
主人公のバツ1女性との交流が
あまりに彩り良く、香り高いことが上げられる。
こうした関係性を描けるところが村上文学の真骨頂で、
結果として、豊かな読書体験を味わうことになる。
また、様々な小説や音楽がちりばめられているのも、
感性を豊かにさせてくれる。
「今ではない今、此処(ここ)ではない此処」
という私好みの題材にも惹かれる。
イエロー・サブマリンの少年の頭脳の中に蓄積される
読書体験が「究極の個人図書館」と呼ばれるのは面白い。
主人公が16歳の女子高校生を失った後、
さしたる恋愛体験もなく過ごしたことについて、
子易はこう言う。
「あなたは人生のもっとも初期の段階において、
あなたにとって最良の相手と巡り会われたのです。
巡り会ってしまった、
と申すべきなのでしょうか」
なるほど、そいうこともあるかもしれない。
分類すれば、ファンタジーに属する作品で、
よく考えてみれば、不明な点ばかりだが、
読書人の目と頭を楽しませてくれるに十分な内容の作品だった。