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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

東京大神宮

2024年10月04日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日、飯田橋から徒歩で5分ほど、


商店街を通って、


森のように見えて来た場所。


ここ。


東京大神宮

これが鳥居で、


階段を登って境内へ。

これが本殿

江戸時代、伊勢神宮への参拝は人々の生涯かけての願いでした。
明治の新国家が誕生した際、
明治天皇のご裁断を仰ぎ、
東京における伊勢神宮の遥拝殿として
明治13年に創建されたのが、この神宮。

最初日比谷の地に鎮座していたことから、
世に「日比谷大神宮」と称されていました。
関東大震災後の昭和3年に現在地に移ってからは
「飯田橋大神宮」と呼ばれ、
戦後は社名を「東京大神宮」と改め今日に至り、
「東京のお伊勢さま」と称され親しまれています。
昭和62年、多くの方にご参拝いただけるように
本殿東北の地から神門東の現在地に奉遷しました。

伊勢神宮(内宮と外宮)の御祭神である
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と
豊受大神(とようけのおおかみ)、
さらに倭比賣命(やまとひめのみこと)
を奉斎しています。

稲を栽培しているようです。

この水はどこから湧いて来るのでしょうか。

近くに山もないのに。

末社の飯富(いいとみ)稲荷神社


日比谷大神宮の昔から境内社として奉斎されている稲荷神社です。


「飯富」の名が示すように


衣食住の神、商売繁昌・家業繁栄の神として広く崇敬されております。

この建物は、

結婚式場。

天地万物の生成化育つまり結びの働きを司る
造化の三神があわせ祀られていることから、
縁結びに御利益のある神社としても知られ、
良縁を願う人たちのご参拝も多い。

現在広く行われている神前結婚式は、
東京大神宮の創始によるものだそうで、
今も神前において伝統的な結婚の儀式を守り伝えています。

婚活を始める女性たちが多く参拝し、
スズランの形をした「縁結び鈴蘭守り」や
恋愛のアドバイスを記した「恋みくじ」などを頒布しています。

境内のハートマークの装飾(猪目)や

ご神木の画像を待ち受けにすると、
恋愛成就の効果があると言われています。

                                        ところで、神宮、神社、大社といった呼び名(社号)には、
どんな違いがあるのでしょうか。

神宮と呼ばれるのは、
そこに祀られている神(祭神:さいじん) が、
皇室の祖先など皇族と縁の深い神社です。
たとえば皇祖をお祀りしている神社には霧島神宮や鹿児島神宮、
天皇をお祀りしている神社には平安神宮や明治神宮などがあります。
現在神宮を名乗る神社は25社あり、
単に“神宮”と呼ぶときは、
皇室の祖先とされる天照大神(あまてらすおおみかみ) をお祀りする
伊勢神宮を示す正式名称として用いられます」
神宮の中でも、伊勢神宮は別格の存在なのです。

(みや、ぐう) という社号がつく神社は、
神宮と同じように皇族と縁が深く、
おもに親王(天皇家の男子) を祭神にしています。
また、歴史上の要人を祀る神社にも使われる社号です。
後者の代表格に、徳川家康を祀った東照宮、
学問の神である菅原道真を祀った天満宮があります。

大社(たいしゃ) は元来、
大国主命(おおくにぬしのみこと) を祀る島根県の出雲大社でしたが、
戦後、社号の再整備がなされた際、
同名の神社をまとめる役目を担う歴史ある神社として、
奈良県の春日大社や長野県の諏訪大社など、
いくつかの神社に社の社号が与えられました。

全国の神社は、
別格の存在である伊勢神宮以外を、
氏神神社(うじがみじんじゃ) と
崇敬神社(すうけいじんじゃ) に大別できます。
氏神神社は、居住する地域の氏神様をお祀りする神社です。
周辺の地域に居住して信仰する人々を氏子(うじこ) と称します。
崇敬神社は、氏神神社のような地縁や血縁ではなく、
個人の特別な信仰によって祀られている神社です。
この神社を信仰する人々を崇敬者と呼び、
神社の維持や教化のために崇敬会などといった組織が設けられています。

東京にある神社の中でも、
特に高い格式を有している
日枝神社、明治神宮、靖國神社、大國魂神社、東京大神宮は、
「東京五社」と呼ばれています。

「大神宮」は伊勢神宮の出張機関というもので、
東京大神宮の特別な社号です。

 


貨幣博物館

2024年09月14日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日、日本橋まで出かけ、

ここ↓へ。貨幣博物館

場所は、ここ↓。

日本銀行本店に隣接し、
日本銀行金融研究所内の2階フロアに設置。
1982年(昭和57年)に
日本銀行創立100周年を記念して設置され、
1985年(昭和60年)11月に開館。

入場料は無料

この展示品は、

ストロボで撮ると、

こう変身。

入口付近。

映像で貨幣の歴史を見ます。

館内は写真撮影禁止なので、
ネットの写真から拝借。


館内には古代から現在に至るまでの「日本の貨幣史」
世界の貨幣・紙幣を紹介する「さまざまな貨幣」
および「テーマ展示コーナー」からなります。
発掘された貨幣や、軍票、記念硬貨などが
順路毎に約3000点が展示されています。

 

 

古代
物々交換から物品貨幣へ
わが国における貨幣発行の開始

中世
中国銭の使用

近世
江戸時代幣制の芽生え
独自の幣制の成立
幣制の安定と動揺

近現代
明治初期の幣制混乱
円の誕生
日本銀行の成立
金本位制度から管理通貨制度へ

さまざまな貨幣
海外の貨幣・紙幣など 

                                                                     

いただいた印刷物。

すぐ側に日本橋三越があるので、
行ってみました。

本館は初めて。

ここを通ると、

見えて来たのが、天女像。

横から。

後ろから。

4階から。

正面から。

見下ろす。

高級な店。

地下の食品売場も高級な店ばかり。

地下鉄への通路。

駅の名前の通り、直結しています。

 


しながわ水族館

2024年09月10日 23時00分00秒 | 名所めぐり

東海七福神の最後、磐井神社を訪れた後、
第一京浜沿いに歩いて、

ここへ。

しながわ水族館

JR品川駅側にある
アクアパーク品川とは別の施設です。
ここの最寄り駅は大森海岸。

これは、しながわ区民公園の入口で、

水族館は、その南端にあります。

ここが入口。

シルバーは1200円。

1991年10月19日オープン。

事業主体は品川区で、
管理運営は㈱サンシャインエンタプライズ。

品川区民や通勤者には割引制度があります。

530種、約13000匹の海の生き物がいます。

「水族館」って、よく考えると、妙な名前だと思いませんか?
「動物園」「植物園」はいいとしても、
「水族」とは。
ちなみに、「海水浴」というのも、
妙な言葉だと常々思っていました。

1階の「海面フロア」では
東京湾の魚や生物などを展示、

地下1階の「海底フロア」では


巨大なトンネル水槽を通ることができます。

世界一大きいタカアシガニ

クラゲのコーナー。

変わった生き物ですね。

タコが

管をくぐり抜けます。

これは、

葉っぱに乗せたエサを水中から水鉄砲のように狙い落とす。

腹ごしらえで、外へ。

軽食コーナー。

ショーのスケジュール。

イルカショー

あまりうまく撮れなかったので、拝借した写真。

どうやって教え込むのでしょうね。

尾びれを振って、バイバイ。

トンネル水槽での水中ショー

ダイバーが餌をあげます。

これも、拝借した写真を。

小さな水族館ですが、
平日にもかかわらず、
家族連れで一杯でした。

 

 


東海七福神

2024年09月06日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日、東京十社の最後の品川神社を訪れた時、


↓のようなものがありました。

東海七福神巡り発祥の地と。

北品川から大森まで約4.5㎞、
旧東海道に点在する「東海七福神」。
昭和7年(1932)に
品川をはじめとする周辺町村を編入した
大東京市の発足を記念し、
品川の繁栄を願って発足したもの。
品川宿から鈴ヶ森に至る旧東海道沿いの
7つの寺社を巡る七福神霊場。

品川神社:大黒天
養願寺:布袋尊
一心寺:寿老人
荏原神社:恵比須
品川寺:毘沙門天
天祖諏訪神社:福禄寿
磐井神社:弁財天

以上の4社3寺で構成されています。

品川神社

既に十社めぐりで紹介済みですが、
福徳円満で財宝をもたらす大願成就の神、
大黒天をお祀りしています。

養願寺

正安元年(1299)創建の天台宗のお寺。
寛容で福寿・財宝をもたらす神、
布袋尊をお祀りしています。


本尊の虚空蔵菩薩が有名で
「品川虚空蔵」と呼ばれています。

一心寺

安政2年(1855)創建の真言宗智山派のお寺。
延命・長寿と福徳をもたらす神、
寿老人をお祀りしています。


ご本尊は成田山の分身である不動明王。

荏原神社

和同2年(709 )創建の古い寺。
愛情と智慧を授け、富貴開運をもたらす
恵比寿神をお祀りしています。

以上の4つの寺社は、
新馬場駅から徒歩圏内にあり、


品川神社に参拝した際、巡りました。

残りの3寺社は、別な日に訪問。

青物横丁駅

旧東海道を通って、

品川寺(ほんせんじ)

大同年間(806 ~10)開創と伝えられる、真言宗醍醐派の寺院。
品川区で最も古い寺で、
「品川」の地名の由来となりました。
開運厄除けと財宝をもたらす神、
毘沙門天をお祀りしています。

入口にある大きな銅造地蔵菩薩坐像
宝永5年(1708年)に造られた、「江戸六地蔵」の第一番。


東京都指定文化財で、
国指定の重要文化財。

これが山門。

境内。

樹齢600年と伝えられる大イチョウ

太閤秀吉の枝垂桜

本堂

                               
梵鐘

明暦3年(1657年)の銘があり、
徳川幕府第四代将軍徳川家綱の寄進とされます。
幕末に海外へ流出し、
パリ万博(1867年)・ウィーン万博(1873年)に展示されたと伝えられていますが、
その後所在不明となっていたのを、
大正8年(1919年)、文部省学芸部長が
スイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることを発見。
返還交渉により、
ジュネーヴ市議会は鐘を日本へ戻すことに同意し、
昭和5年(1930年)、同市の好意により品川寺に返還されました。
その際、返礼として品川寺から美術館へ石灯籠が贈られています。


そこで、この鐘は、「洋行帰りの鐘」と呼ばれています。

神変大菩薩( 役の行者石造) 。

弘法大師修行像

指定文化財・十三重塔

指定文化財・弁天堂

七福神石造が一そろいあります。

2つ隣の立会川駅に移動。

ここには、坂本龍馬像があります。

↓このようないわれ。

立会川

昔、鈴ケ森刑場へ送られる罪人を
その親族や関係者が見送る(立ち会う)場所であることから
そう呼ばれました。
(異説あり)

天祖諏訪神社

天祖神社の創建は1100~1190年頃、
諏訪神社は江戸時代初期、
寛永8年(1631年)以前の創建と伝わっており、
昭和40年に合祀されました。
財宝と人望と出世をもたらす神、
福禄寿をお祀りしています。

ケヤキの巨木。

一つ隣の駅へ。

磐井神社

平安時代後期編纂の「延喜式」などにも記載されている古社。

愛情と智慧を授け、富貴開運をもたらす神、
弁財天をお祀りしています。


社殿の左、池の中に弁天島があり、
ここに琵琶を持つ弁財天が祀られています。

外に出ている品川神社の大黒天と荏原神社の恵比寿以外は
屋内に祀られており、通常は見ることが出来ません。
掲載した写真はネットから拝借したもの。

正月、元旦から成人の日までは、
東海七福神初詣という行事があり、
拝むことが出来ます。


品川神社

2024年08月20日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日は、京浜急行の、ここ↓へ。

東京十社の、最後、品川神社に訪問するためです。

ここが正面。

双龍鳥居といい、
左の柱に昇り龍、

右の柱に降り龍が彫刻されています。

 長い階段。                                                                                                                                                   


小高い丘の上に作られたことが分かります。

上から見たところ。                                                                                                 

                                                                                                                                                

途中左側にあるこの階段を登ると、

                                                                                                  富士塚品川富士)に行けます。 

                                        

明治2年(1869)から5年(1872)にかけての築造。
この富士塚に登ることで
本物の富士山に登ったのと同じ御利益があるとする
「富士信仰」に基づくものです。

品川区指定有形民俗文化財

都内の富士塚では最大の高さ約15mあり、

                                                 
こんな急階段を登ると、

頂上。                                                                                                                                                                                                 

                                                 

第一京浜道路を見下ろします。

                                                 

上から見た境内。 

                                       

毎年7月上旬には山開きの神事が行われています。                                                                                  

登りとは異なるルートで下山すると、

                                                 

富士山を神体山として祀る神社、浅間神社の脇に出ます。                                                                                                                                                                            

                                                 

                                                                                                                                               

浅間神社から見上げた品川富士の景観。

                                                 

「ぶじかえる」の石像。

                                                 
平成に入ってから奉納された石像で、
「富士+かえる→ぶじかえる(無事帰る)」という言葉遊びから、
交通の安全を守ってくれるとされています。

正面にある石造りの鳥居。

                                                 

都内では上野東照宮に次いで二番目に古いものです。                                         

                                                                                                                                                                                                                                       

境内には、いろいろながあります。                                                                                                  

                                                                               

庖丁塚。                                                                                                 
使い古した包丁、調理された生き物たちを慰霊するためのもの。                                                                                           調理をなりわいにする人々が多かった、
宿場町としての歴史を感じさせてくれます。

                                                 正面の本殿

                                        今からおよそ800年程前の平安時代末期の文治3年(1187)に、
源頼朝が安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座洲崎神社)の
天比理乃※(口偏に羊)命を当地にお迎えして
海上交通安全祈願成就を祈られたのが創始。

慶長5年(1600)、徳川家康
関ヶ原の戦いへ出陣の際に参拝し戦勝を祈願され、
その後、祈願成就の御礼として仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納。

寛永14年(1637)三代将軍徳川家光により                                              
東海寺が建立された際、その鎮守と定められ、
徳川将軍家の庇護を受けました。

老朽化が進み、
昭和39年(1964)、現在の社殿が再建されました。
そして、令和2年(2020)に天皇陛下の御即位を奉祝し、
「御大典記念事業」として、御社殿の修復を行いました。

宝物殿                                                                                                                  

                                                 

不規則な公開日程で、
閉まっていましたが、
徳川家康公が奉納した天下一嘗の面などが収められています。

神楽殿

                                          手水舎(てみずや)。                                            

                                                 

水盤の向こう側に河童の像が 。           

                                                 
「水かけかっぱ」と呼ばれるもので、
水難除け・無病息災を願って、奉納されたもの。

                                                                                                  

右側にある阿那稲荷神社 。 

                                                                                                                                                                                                    

                                                                                                                                                                                                    

この鳥居は右下に続き、                                                                                                                                      

                                             小さな社に。

                                                                                                 社名と並んで、「一粒萬倍」の文字があるのは、                                                                                             

                                                 
ここには、一粒萬倍の泉があり、                                                                                               
掲示には、「米は一粒の種より萬倍の稲穂となる」、
「家門・家業の繁栄を願い、印鑑や銭にこの霊水を注ぐが吉」と、
金運アップがご利益のよう。

                                                                                                         確か、板垣退助墓所があるはずだと

本殿の裏側に回ると、板垣家の墓所が。

                                                 
元々神社とは別なものでしたが、
地理的な関係で神社を通らなければ行けません。

これがお墓。                                                 

                                                                                                 

「板垣死すとも自由は死なず」の碑

                                                 

明治15年(1882 年)4月6日、
岐阜で遊説中に暴漢に襲われ負傷した際、
板垣が口にした「板垣死すとも自由は死せず」を記念するもの。
板垣は、この時を含め、5回暗殺未遂事件に遭っています。

懐かしい百円札。

戦前には50銭札にも。

                                                 

想像以上に大きな神社でした。

これで、「東京十社巡り」は、終了。

                                                

東京十社は、
明治元年(1868)、明治天皇が
新都・東京の安寧と国家の繁栄を御祈願されるために、
都内の十の神社を「准勅祭神社」と定めら、
御勅使が参拝し、祈願をされた場所。