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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

辰巳の森緑道公園と葛西臨海公園

2025年04月05日 23時00分00秒 | 名所めぐり

昨日は天気が良く暖かく、
桜日和なので、観にでかけました。

去年買った電動アシスト自転車で、


まず旧江戸川を渡り、


次に荒川を渡り、


湾岸道路沿いに走って、

ここへ。

辰巳の森緑道公園

これは、十二支の広場。兎辰巳・・・と12の彫像。

桜並木。

近所の人はいいですね。

屋台のお店が出ています。

こういう商売の人は、
どんな風に登録して権利を持っているのでしょうか。

値段から見て、かなりの儲けだと思いますが。

さて、帰り道、葛西臨海公園に寄ってみると、

ここにも桜並木がありました。

二、三日雨が続きましたが、
満開を待っていたかのように、
晴となりました。

屋台も。

ここにある展望施設、クリスタルビュー

おしあわせに。

上からの眺め。

遠く、舞浜のホテル群。

中には展示も。

カフェもあります。

おまけ。

私の団地の中庭の桜

毎年、浦安市内で一番早く咲きます。

 


築地場外市場

2025年03月28日 23時00分00秒 | 名所めぐり

築地本願寺から出て、
築地場外市場へ。

この四つ角。

築地は既に市場機能を持っていませんので、
「場外」という表現はおかしいですが、
伝統に従い、場外市場といいます。


鮮魚店、青果店、飲食店など
約400店舗以上の店がひしめきあっています。


朝の時間帯は業務用の仕入れで賑わい、
その後一般の買い物客や
食事を楽しむ観光客で賑わっています。

様々な海産物を味わえる場所として、
外国人にも伝わり、
来日外国人が集まります。

築地は地名のとおり海を埋め立てあらたに築いた土地です。
1675年(明暦三年)、
明暦の大火後の復興計画で、
隅田川河口部にあたるこの一帯が開発されて武家地となります。
横山町辺にあった本願寺も同大火で被災して築地に移ってきました。
本願寺の再建にあたっては
佃の門徒たちが海を埋めて土地を築いたと伝えられています。

江戸時代の築地は大半が武家地で、
大名の別荘地である中屋敷や下屋敷が多くつくられ、
下級武士の邸宅も分布しています。

現在の築地市場にあたる場所は
寛政の改革を断行した時の老中松平定信の下屋敷でした。

1923年(大正12年)の関東大震災の後、
震災で焼失した
日本橋魚河岸が移転してきたことが町を大きく変えました。

野菜も売っています。

乾きものも。

包丁も。

フルーツも沢山。

カニの足。

タコも。

帰国してから、美味い物を食べたと報告するのでしょう。

噂が噂を呼んで、東京のグルメ街となりました。

 


築地本願寺

2025年03月20日 23時00分00秒 | 名所めぐり

マニラの旅のブログが終わりましたので、
名所めぐり、グルメめぐりに戻ります。

築地駅に行きました。

そのすぐそばにあるのが、
築地本願寺(つきじほんがんじ)。

浄土真宗本願寺派の寺院で、
京都市にある西本願寺の直轄寺院。

江戸時代の1617年に、
西本願寺の別院として
浅草御門南の横山町に建立。
しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。
江戸幕府による区画整理のため
旧地への再建が許されず、
その代替地として八丁堀沖の海上が下付されました。
そこで佃島の門徒が中心となり、
本堂再建のために
海を埋め立てて土地を築き、
(この埋め立て工事が地名築地の由来)
1679年に再建。
1923年9月1日の関東大震災では、
地震による倒壊は免れましたが、
すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。

関東大震災で失われた旧本堂の復旧事業として
現在の本堂が1934年に竣工。
設計者は伊東忠太
古代インド様式をモチーフとしており、
当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、
大理石彫刻がふんだんに用いられています。
重要文化財に指定されています。

浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、
正式名が従前の「本願寺築地別院」 から
「築地本願寺」 になりました。

著名な人物の葬儀が宗派を問わず多く執り行われています。

本堂

本尊を安置する中央部と北翼部(向かって左)、


南翼部(同右)からなります。

左右には、狛犬ではなく、獅子像

後ろから。


大階段を上がると「広間」と称する横長の前室を経て外陣があり、
その奥が本尊を安置する内陣

本尊は聖徳太子手彫と伝承される阿弥陀如来立像

右側の間。

左側の間。

内側から外を見ると。

北翼部は1階に説教所と小会議室(現・聞法ホールと控室)、
2 階に議場(現・講堂)などが。

説話会場。

南翼部は1 階に重役室、食堂等(現・寺務所等)があり、
2 階はおもに事務室(現・礼拝堂等)にあてられています。

南の伝道会館。

インド、西洋、イスラム、日本などの
異なるモチーフを融合させた独自の様式を示すとともに、
礼拝、説教、会議、事務など、
仏教寺院のさまざまな機能を1棟で果たせるような
合理的な設計になっており、
伊東忠太の代表作の一つです。

これは、

合同墓所。

南門からの光景。

 


豊洲千客万来

2025年01月16日 23時00分00秒 | 名所めぐり

昨日のこと。
ゆりかもめの、この駅で降りて、

ここへ。

「豊洲 千客万来」です。

豊洲市場に併設された商業施設。
「千客万来」(せんきゃくばんらい)とは、
多数の客が入れかわり立ちかわり来て、絶え間がないこと

昨年の2月1日開業
当初は2018年度の開業が計画されていましたが、
東京都から業務委託されていた運営事業者の撤退や
豊洲市場の移転時期の延期、
更に新型コロナウィルスの影響や、
物価高による建築費の高騰なども影響し、
計画より5年遅れてのオープンとなりました。

混んでるようなので、遠慮していましたが、
1周年近く経って、ようやく来訪

北西の海に面する部分に建つ9階建の「温浴棟」と、
南東に建つ3階建の「食楽棟」で構成されています。

市場前駅とは、歩道橋を通じて
直接連結されており、
ここが入口。

門から入った2階が一番のにぎわいの「豊洲目抜き大通り」
江戸の町並みの再現がコンセプト。
インバウンドに喜ばれそう。

うなぎや寿司など、
江戸時代から日本人に愛されてきた食の名店を集約した飲食店街。
全国から本格・本物の食を届ける約70店舗が集結。

豊洲市場併設なので、
海鮮のメニューが多い。

ここは、「時の鐘」

10時、12時、15時、18時、21時を鐘で知らせます。
川越市の「時の鐘」を模した建造物。

芝居小屋風建物。

中のオブジェ。

一番奥にある温浴棟は、
地上9階、地下1階。


中は、24時間営業の温泉施設「東京豊洲万葉倶楽部」


日帰り温泉と共に宿泊施設も備えています。
湯河原や箱根湯本の温泉を
タンクローリーで運んでいます。
江戸時代に熱海・湯河原・箱根の湯が江戸に運ばれて
徳川将軍家などに献湯されていた歴史の現代版です。

360度パノラマビューの
東京湾の風景を眺めながら、
湯浴みができる露天風呂をはじめ、


屋上の展望足湯庭園やリラックスルーム、

お食事処や家族風呂など充実の館内施設で、
一日中ゆったりと過ごせます。

入場料は3850円
深夜料金3000円を追加すれば、
6850円で、朝まで滞在することが出来ます。
入館料には
館内着・バスタオル・フェイスタオルの貸出が含まれているので、
手ぶらでも可能。

宿泊(69室)は、朝食付きで12500円(和室)、


洋室は14800円と16500円。

6時から9時の朝風呂のみでは、2200円。              
大浴場、サウナ、岩盤浴、マッサージ、リラクゼーション、漫画コーナーも完備。

8階には、無料で入れる足湯があります。

ここからの景色。

「食楽棟」に戻って、


2階豊洲目抜き大通りの隣の屋内施設「目利き横丁」は、


通路の両脇に店舗がズラリと並んでいます。

仲卸が目利きした新鮮な食材や珍味を
カウンターで食べられる店舗がそろいます。

導線が2階中心なので、

1階「豊洲江戸前通り」は、ご覧のとおり。

ここにお客を呼び込む方法が必要です

3階はフードコート「よりどり町屋」


座って食事が出来ます。

当日の最終目的地は、ここ。


内容は次の「グルメめぐり」で。


西新井大師

2025年01月08日 23時00分00秒 | 名所めぐり

新年最初の名所めぐりは、西新井大師

ここに行くには、東武線の西新井

大師線に乗り換えなければなりません。

大師線は西新井から延びた一駅だけの支線

上板橋までもっと伸ばす計画だったようですが、
関東大震災などがあって、一駅で断念。

昭和6年に、約1キロのみの路線で開業。

2両編成のワンマンカーです。

中の様子。

単線です。

西新井を32分に発った電車が
2分間の走行で大師前に着き、
2分停車した後に36分にターン。
38分に西新井に着いたら、
4分後の42分に大師前に向けて出発。
この10分ごとの繰り返しです。

すぐに終点が近づきました。

大師前駅に到着

なかなか立派な駅舎です。

駅内に医院があります。

西新井駅でSUICAで精算しているので、
ここは無人駅

昔、一度だけ来たことがありますが、
その時は、表参道をちらっと通っただけ。

表参道では、草だんごが有名。

唐辛子屋も。

表参道を通り抜けると、

山門です。


江戸後期の建立。
両脇に金剛力士像が守ります。


足立区指定文化財。

更に参道を抜けると、


大本堂

真言宗豊山派の寺で、西新井大師の通称で知られていますが、
正式には、五智山遍照院總持寺(ごちさんへんじょういんそうじじ)といいます。
古くから「関東の高野山」とも呼ばれています。

天長3年(826 年)、空海(弘法大師)が関東巡錫(じゅんしゃく)の折、
当所に立ち寄った際、観音菩薩の霊託を聞き、
悪疫流行に悩む村人たちを救わんと、
御自ら十一面観音像とご自身の像をお彫りになり、
観音像を本尊に、ご自身の像を
枯れ井戸に安置して二十一日間の護摩祈願をおこないました。
すると清らかな水が湧き、
病はたちどころに平癒したと伝えられます。
その井戸がお堂の西側にあったことから
「西新井」の地名ができたと伝えられております。

川崎大師などと共に「関東三大師」の一つに数えられ、
正月には初詣の参拝客で賑わいます。

江戸時代中期に建立された本堂は、
昭和41年(1966年)、火災により焼亡しましたが、
本尊は難を逃れ、
昭和46年(1971年)に再建され現在に至っています。
堂内には十一面観音(秘仏)、
空海自刻と伝える弘法大師像(秘仏)の他、
四天王像・阿弥陀三尊像(旧三匝堂安置)を祀っており、
護摩祈祷が毎日行われています。
また、毎年10月の第一土曜日には、
北斎会として、紙本着色弘法大師修法図が公開されます。
縦150cm×横240cmの大作で、
現存する葛飾北斎の最大級の肉筆画。
弘法大師空海が祈祷をしている様子が描かれています。

上からの眺め。

これが境内の全図。

巡ってみましょう。

まず、参道の屋台。

こんなものまで。


塩地蔵

江戸時代からいぼ取りに霊験ありと伝えられており、
塩をいただき、その功徳があるときには、倍の塩を供えるのだといいます。

鐘楼堂

大晦日の深夜零時から新年を迎える鐘の音が響きます。

水洗い地蔵

十種の福徳が授かり特に寿命長遠の功徳があるとされております。

三匝堂(さんそうどう)

一匝に八十八体大師像、二匝に十三佛、三匝に五智如来と二十五菩薩を祀っています。
足立区指定文化財。


仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、
右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、
三匝堂といわれます。
都内に残る唯一の栄螺堂です。
栄螺堂(さざえどう、さざいどう)は、
江戸時代後期の東北から関東地方にかけて見られた
特異な建築様式の仏堂。
堂内は螺旋構造の回廊となっており、
順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され、
堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっています。
古くは登ることができましたが、現在は内部非公開。
螺旋構造や外観が巻貝のサザエに似ていることから、
通称で「栄螺堂」や「さざえ堂」などと呼ばれます。              
水子地蔵

水子供養が行われます。

不動堂

関東三十六不動霊場の二十六番札所です。

四国八十八箇所お砂踏み霊場

厄除弘法大師のご利益と観音慈悲の功徳を一時に与えて下さる礼拝所。

福寿地蔵


                                        弘法大師立像

お大師様がお四国を行脚された時のお姿です。

稚児大師像

お大師様の幼少の頃のお姿です。
子育て、学業成就のご利益をいただくことが出来ます。

                                    十三重宝塔

恵果阿閤梨より受け継がれた仏舎利一粒が納められています。

弁天堂

七福神の一人・弁財天を祀っています。 

権現堂

当山建立の折、地鎮のため権現様を祀ったことに始まります。

如意輪堂(女人堂)

如意輪観音を祀っております。
女性の諸願成就に霊験があります。                                         奥の院

高野山奥の院を江戸後期に勧請したもので弘法大師を祀ります。

出世稲荷

五穀豊穣の神 稲荷明神を祀っています。

書院

各種行事、団体参詣の為の広間です。 

東門

平成26年落慶。

牡丹園

4月中旬から下旬には、
約100種2500株のボタンが咲きます。

ここは、

光明殿

法事等の仏事はここで行われます。