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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

『レベル・リッジ』

2024年09月15日 15時05分24秒 | 映画関係

[映画紹介]

田舎の舗装道路を自転車で疾走する黒人テリー。
耳にはイヤホンが入り、音楽を聴いているらしい。
背後から現れたパトカーが自転車に追突し、
テリーは倒れる。
警官がテリーをうつ伏せにし、手錠をかける。
横断歩道で止らなかったのと、
パトカーの追尾を無視したのだという。
所持品を調べると、
ビニール袋に3万6千ドルの現金があった。
警官は麻薬の金の疑いがあるからと押収する。
テリーは、その金はいとこの保釈金として持ってきたものだという。
それは出頭して言え、と警官は行ってしまう。

こうして、不当に所持金を奪われた男と警察との闘いが始まる。
いとこには事情があり、ギャングの大物の殺人事件の証人になったため、
州刑務所に移送されたら、ギャング団に殺されてしまうのだ。

前半は、いとこの命を守るための
警察の不当行為とテリーの闘い。
後半は裁判所で得た協力者が罠にかかったのを救うための闘いと、
警察との全面対決。

面白い。
特に、前半は、兄弟同然に育ったいとこを救うための
テリーの孤独な闘いが胸に迫る。
この手の映画は、主人公への感情移入が肝心。
その点で、及第点。

後半はやや感情移入が失せるのは、
協力者救出の経過がもどかしいのと
手段がやや強引なため。

ただ、警察の腐敗はよく描かれている。
警察は、自らの運営費を捻出するために、
民間の資産を没収して金儲けをしている。
テリーはその被害者だったのだ。

途中、テリーの正体がネットで明らかになる。
海兵隊マーシャルアーツプログラム、
徒手で戦う接近戦の戦闘システムの教官だったことが分かる。
警察は、敵にしてはいけない男を敵に回してしまったのだ。

しかも、この教官、警官を一人も殺さない。
そのポリシーで、警察とどれだけ戦えるか。
そして、腐敗をどうやって証明するか。

テリーを演ずるのはアーロン・ピエール
訓練されたマッチョな肉体と憂いを含んだまなざしが魅力的だ。
ロンドン音楽劇芸術アカデミーの卒業生で、
グローブ座で「オセロー」の舞台に立ったこともあるという。


署長を演ずるのは、ドン・ジョンソン
腐敗しきった権力者を憎々しく演ずる。

監督はジェレミー・ソルニエ。脚本も。

アメリカの田舎の警察の腐敗っぷりが半端ではない。
こんなことで市民の安全が守られるのか心配になる。

ラスト、病院に到着してからの1分38秒の長回しが見事。

Netflixで、9月6日から配信。

 


映画『マハーラージ』

2024年09月07日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

       

1832年、インドのグジャラート地方のヴァダールに生まれた
カルサンダース・ムルジー(以下、カルサン) は、
疑問に思う事柄に対しては
徹底的に質問攻めにする子どもで、
インド社会にはびこる悪習に
強い疑問と反感を抱く正義感の強い青年に育つ。
ボンベイの新聞社に就職すると、
社会悪についての告発記事を書く記者として注目されていた。
たとえば、未亡人の再婚を自由にすべき、など。

カルサンにはキショリという許嫁がいた。
キショリは信心深い女性で、
ヒンドゥー教の一宗派のヴィシュヌ派の
主管僧侶(マハーラージ)を務める、通称JJを盲信していた。
JJは「足の奉仕」と称して
信心深い若い女性に性的奉仕を強要しており、
キショリもカルサンとの結婚前に
奉仕役に選ばれ、身体をJJに差し出してしまう。


それを知ったカルサンはキショリとの縁談を破棄する。
自らの過ちを悟ったキショリは自殺してしまう。

憤ったカルサンはJJの悪行を正し、
因習を断つために行動を開始し、
そのことを記事にするが、
絶対的権力者のJJを恐れる新聞社は掲載してくれない。
そこで、カルサンは独立して新聞を創刊し、
JJの悪行を書き立てる。
JJはあの手この手で妨害するが、カルサンは負けない。
そこでJJはカルサンを名誉毀損で訴え、
莫大な、一生かけても支払えないよう賠償金を要求する。
カルサンはJJに立ち向かおうとするが、
JJの脅迫により次々に証人を失っていく。
出廷を約束していた最後の証人も奪われ、
敗色濃厚な中、JJが出廷した裁判を迎えるが・・・

以下、ネタバレになるが、
最後の瞬間、
告発する証人が現れ、
それと共に、傍聴人の中から
「私も」「私も」と証言をする女性が現れる。
声をあげた女性たちの数は30人を越える。

これ、1800年代半ばのの話。
英領時代の1862年
ボンベイ最高裁判所で争われた
マハーラージ名誉毀損事件を題材にした法廷ドラマ。
日本で言うと江戸時代末期。
セクハラの概念もなく、
まして、女性蔑視と権力者と宗教が混在したインドで、
こんな裁判があったとは。
後の「Me Too」運動を彷彿させる展開に驚いた。

カルサンは無罪となり、
逆に裁判所はJJに対する刑事告発を勧告した。
こうして、インドにおいて
宗教は司法よりも上にはないという判例が
初めて作られたという。

篇中、不可触賤民の姿も描かれるのだが、
道を「不可触賤民が行きます」と
宣言しながら歩く。
カルサンはそんなカースト制度など気にしない風だったが、
カースト制ほどおかしなものはないから、
それへの反発も描いてほしかった。

女性たちは自ら進んで宗教指導者に身体を差し出しており、
名誉なこととすら考えられていた。
宗教指導者が女性信者と性交する様子を
人々はありがたがって覗き見ていた。
というのも描かれる。
長い間の因習は、おかしいと気づかない社会を作る。
中世ヨーロッパでも、領主による「初夜権」がありましたしね。

宗教指導者による女性信者の性的搾取を糾弾する内容であるため、
2023年に完成していたものの、
ヒンドゥー教過激派の報復を恐れて映画館での公開ができずにいた。
主演のジュナイド・カーンがイスラム教徒であることも問題を複雑化した。
その後、Netflix配信権を獲得し、
配信しようとしたが、配信差し止めの訴訟が起こされ、
一旦停止となった。
しかし、グジャラート高等裁判所が配信にゴーサインを出したため、
6月21日、即日配信が行われた。

監督はシッダールト・P・マルホトラ
脚本はビプル・メータスネハ・デサイ
主演のジュナイド・カーンは、「PK」のアーミル・カーンの息子。
JJを演じたのは、ジャイディープ・アフラーワト


映画『モンキーマン』

2024年09月02日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

アメリカ、カナダ、インド、シンガポール合作映画だが、
テイストはインド映画

なにしろ、舞台は、インドにある架空の街ヤタナ市。
その地下施設にあるファイトクラブで
キッドは、猿のお面の殴られ屋、モンキーマンを演じ、
ある目的を持って金を貯めていた。
格闘技のプロモーター・タイガーは
モンキーマンに八百長試合を強いていた。

キッドは、クラブ「キングス」の雑用係として入り込み、
世話係のアルフォンソに取り入るためにファイトクラブの八百長の話を教える
キッドの言うとおりに大儲けをしたアルフォンソは、
キッドをウェイターに昇格させ、貴族向けのルームへと連れて来る。
そして、そこでキッドは、目的である汚職警察署長ラナにたどり着く。

実は、キッドの幼少期、
宗教家の導師ババ・シャクティがラナと結託して、
キッドの住んでいた人々の土地を奪い、
その際にキッドのニーラが
ラナに虐殺されていた。
その場面を目撃したキッドは
トラウマに苦しみ、
復讐のために金を貯めて情報を得、
ラナの入り浸っているクラブに侵入したのだが、
ラナと二人きりになるチャンスを得たものの、失敗してしまう
警察に追われ、瀕死の重症を負ったが、
アルファという人物に助けられ、
その寺院のコミュニティで肉体を鍛え直し、
再びラナに挑む。

ここから、クラブ「キングス」を舞台に復讐が炸裂する。
時は選挙で導師ババ・シャクティが後ろ楯となる政党が勝利した
その祝勝の場。
相手の軍団との対決で
すさまじい暴力、暴力
インド版「ジョン・ウィック」と言われるのも
うなずける華麗なる暴力描写。
それは暴力の美学さえ感じさせる。

実際、「ジョン・ウィック」のスタッフが参加。

「スラムドック$ミリオネア」の主演者デブ・パテルが初監督。
自分のアクションを自分で演出するという離れ業。
まだ粗削りだが、
随所に才能を感じられるカットが散見される。

ヒンドゥー教の神話インドの文化を巧みに取り入れ、
奥の深さを感じさせる。
猿の神「ハヌマーン」の神話がベースにある。
修行の場では、
打楽器のリズムに合わせた肉体的なトレーニングの姿が新しい。


ファイトクラブでは、実力で強敵を瞬殺し、
掛金を莫大な金額に変え、コミュニティに恩返しする。

当初は世界配信に向けて製作が進められていたが、
「ゲット・アウト」のジョーダン・ピール
「劇場で観てもらうべき作品だ」と、
自身の制作会社で買い取り、
劇場公開にこだわった。

5段階評価の「4」

TOHOシネマズ日比谷他で上映中。

 

 

 


映画『ファーザー・スチュー』

2024年08月30日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

ボクサーから司祭になったスチュアート・ロング神父の実話。
スチューはスチュアートの愛称。

アマチュアボクサーのスチュアートは、
ドクターストップがかかり、断念。
俳優を目指してハリウッドに行くが、鳴かず飛ばず。
バイト先のスーパーで一目ぼれした女性・カルメンの歓心を買うために
洗礼を受けたが、告悔室でも問題発言。
そんないい加減な男だったが、
バイクの飲酒運転で交通事故に遭って、命拾いをした時、
自分の人生を見直し、
生かされた神の意思を感じて、
司祭となって、
人々が道を見いだす手助けをする運命にあると確信する。
司祭は一生独身
結婚できなくなるカルメンも
父母も必死で止めるが、
スチュアートの決心は固い。

離婚した父はトレーラー生活をしており、
妻と共に、子どもの頃、もう一人の息子を病気で失ったことが
心の傷として残っていた。


前歴が悪くて、神学校から入学を拒否されたが、
学長を説得して、潜り込む。
身を慎み、順調に司祭への道を歩むものの、
難病である筋萎縮症を発症。
やがて歩けなくなり、
最後は自分の身の始末も出来なくなると宣告される。                「なぜですか」と泣きながら神に問いかけるスチュアート。
卒業間近、身障者では、
教会の秘跡(聖餐式や洗礼など)を
ほどこすことが出来ないのではと
危惧した教会上層部は
スチュアートへの叙階(聖職者を任命すること)をしないことを決める。
しかし・・・

いい加減な男が心を入れ替えて聖職者を目指す。
という話の表現は難しいのだが、
マーク・ウォールバーグはその変化を見事に表情だけで表した。
やっぱり、マークは素晴らしい。

両親に扮するのは、メル・ギブスンジャッキー・ ウィーヴァー


子供を一人失い、
もう一人の子が身体の自由を奪われるのを見る辛い
父母の心情をよく演じた。
神学校の学長役のマルコム・マクダウェル
スチュアートの情熱と上層部との間で悩む聖職者をうまく演ずる。
アメリカの俳優の層の厚さその巧さがつくづく分かる。
終盤、スチュアートのライバルで仲が悪かった神学生の
告悔のシーンは胸がつまる。

よくこんなに宗教的な内容を
今のハリウッドで取り上げたものだと思うが
マーク・ウォールバーグが製作に名を連ねているから、
彼の熱意が作らせたのだろう。
マークも若い頃、不良で、逮捕者の常連だったが、
家が熱心なカソリック信者だったそうだ。
そういう背景も後押ししているのかもしれない。
役作りのための肉体改造がすさまじく、
引き締まったボクサー時代と
病魔を得て腹が出て、
顔つきにも障害の出た姿をさらす。
13㎏くらい増量したようだ。
熱演だが、オスカーには縁がなかった。
メル・ギフソンも助演賞ものの味のある演技。

エンドクレジットで、
スチュアート・ロング神父の実映像が流れる。
50歳で亡くなるまで、
地域の人々の魂の救済に励んだという。

日本未公開。
Netflixで配信。

期待しないで観たが、
意外な拾い物だった。

 


映画『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』と『カプリコン・1』

2024年07月22日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

1969年のアメリカ。
宇宙開発競争でソ連に遅れを取ったアメリカは、
ケネディ大統領が提唱した
人類初の月面着陸を目指す
「アポロ計画」に全ての望みをかけていた。
しかし、プロジェクトの開始から8年が過ぎ、
失敗続きのNASA(アメリカ航空宇宙局)に、
国民の関心は薄れつつあり、
その莫大な予算が議会で問題にされていた。
その状況を打開すべく、
ニクソン大統領の側近モーは、
PRマーケティングのプロであるケリーを起用する。
ケリーは月面着陸に携わるスタッフに
そっくりな役者たちをメディアに登場させて
偽のイメージ戦略を仕掛けていくが、
NASAの発射責任者コールはそんな彼女のやり方に反発する。

いよいよアポロ11号の月面着陸の計画が進む中、
モーは万一失敗した時のために、
バックアッププランとして、
月面着陸のフェイク映像を準備するという
前代未聞の極秘ミッションをケリーに告げる。

実はケリーには秘密の過去があり、
受けざるを得ない。
ケリーの知人の監督が起用され、
NASAの構内に月面のセットが組まれ、
俳優の訓練も始まり、
撮影の準備は着々と進むが、
コールの知るところとなり、
阻止計画も密かに進行する。
やがて、モーは、
月面着陸の成功にかかわらず、
フェイク映像を使うと言いだして・・・・

アポロ11号は月に行っておらず、
月面着陸の映像はセットで撮影された偽物だ、
という都市伝説は根強く、
なにしろ当時、ソ連からも
負け惜しみのように喧伝された。
今でも陰謀説を信じている人はいる。

これを題材にした映画は、既にあり、
有名な「カプリコン・1」(ただし、火星着陸の話。 後述)、
フランス、ベルギー合作の「ムーン・ウォーカーズ」(2015)や
日本未公開の「operation Avalanche 」などがある。

なぜ同じ題材を、と思ったら、
アプローチが全く違う。
ほう、そういう方向に向かうか、
と途中から着地点が分からなくなった。

ケリーをスカーレット・ヨハンソン
コールをチャニング・テイタムが演じ、
モー役でウッディ・ハレルソンが共演するという
超一流の俳優を揃えたのも、
見どころの一つ。
監督はグレッグ・バーランティ

問題の月面着陸の場面では、
本物の映像と偽の映像のどちらが放送されているのか
分からなくなったりする。
そして、驚くようなハプニングがスタジオに起こり・・・
これはなかなか面白い。
伏線も用意されている。
もしそれが放送されていたら、
世界中びっくり仰天しただろう。
その方が歴史に残ったりして。

フェイク作戦が始まるのは、映画の半分あたりから。
それまではケリーとコールの
反発しあいながら引き合う、恋模様で進む。
この部分、もう少し短くできなかったか。

格納庫から発射台に運ばれるロケットの姿や
打ち上げの映像は臨場感たっぷり。
NASAの設備や構築物もリアル感があった。

5段階評価の「4」

拡大上映中。

なお、終盤に流れる曲「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は、
ジャズのスタンダード・ナンバー
「私を月に連れて行って」といった意味。
1954年に作詞家・作曲家のバート・ハワードによって作られた曲。
ただ、最初のタイトルは「イン・アザー・ワーズ」(「他の言葉で言えば」)。

Fly me to the moon
And let me play among the stars 
Let me see what Spring is like
On Jupiter and Mars 
in other words,hold my hand!  
in other words,darling kiss me! 

様々な歌手によって歌われ、
1956年、ジョニー・マティスがアルバムに収録する際に初めて
「Fly Me to the Moon」の題が登場した。
1963年にペギー・リーが作者を説得し、
名前変更したというエピソードがある。
日本では1963年、森山加代子が「月へ帰ろう」 、
中尾ミエが「月夜にボサノバ」 のタイトルで、
日本語詞でカバーしている。

[旧作を観る]

監督  ピーター・ハイアムズ
主演  エリオット・グールド
音楽  ジェリー・ゴールドスミス
                                        1978年公開の米英合作映画。
日本では1977年に先行公開。
私は公開時に観ているが、
今回「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」公開にあたり、再見。

「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」は月面着陸だが、
こちらは、火星着陸の話。

人類初の有人火星探査を目的とした
宇宙船カプリコン1号が打ち上げられようとしていた。
カウントダウンが始まり、発射の数分前、
ハッチが開き、
三人の乗組員に退出命令が出される。
三人は、管制スタッフや見物客などに見つからぬように
船内から連れ出されて車に乗せられ、
砂漠の真ん中にある無人の古い基地へと連れていかれる。
ロケットは無人のまま打ち上げられてしまう。

三人は計画の責任者であるケラウェイ博士から、
事情の説明を受ける。
2か月前、
カプリコン・1 の生命維持システムに決定的な不具合があることが発覚し、
当初予定していた計画の遂行が不可能となった。
しかし計画の中止は、NASAの予算が大幅に削減される契機となるため、
何としても避けねばならない。
もっと大きな理由は、
「国家の威信をかけたプロジェクトを失敗させるわけにはいかない」というものだ。
そのため、無人のままのカプリコン・1 を火星に向かわせつつ、
その事実を隠し、飛行士が乗船していたと見せかけるというものだ。

人々と科学を裏切る結果になることを嫌った飛行士達は最初は
この命令を拒否するが、
家族の安全を人質に取られ、やむなく承服する。
こうして彼らは、
火星探査や地球との通信の様子などをセットの前で撮影し、
世界に公開するという大芝居に協力することとなる。
探査機から火星に降り立つ時は、
スローモーション技術を使ったりもする。
「息子に自分が火星に行ってきたと本当に言えるか」
と彼らの苦悩は深まる。

カプリコン・1による人類初の火星着陸は、
それが捏造であると明るみに出ることもなく、
滞り無く進行していくが、
帰還船が地球への再突入のショックにより
熱遮蔽板がはがれ、破壊、炎上してしまう。
三人の飛行士は存在してはならない人間になってしまったのだ。
その報告を受けた三人は、
身の危険から逃れるために砂漠の基地から脱出を図る。
奪った飛行機で荒野に不時着した三人は、
追究を逃れるため、別々な方向に逃走していく。

これに、NASAに勤める友人から、
本計画に妙な点があると告げられていた記者が、
行方不明になった友人の後を辿りつつ、
飛行士の一人の妻を取材し、
宇宙船からの夫の発言ののヒントから、
火星着陸そのものが捏造だった疑いを持つ。

2時間ほどの映画だが、
着陸映像捏造の話は半分の1時間ほどで終わり、
後は、三人の逃避行の話になる。
記者による謎解きなどミステリー要素も加わる。

当初はNASAは協力的だったが、
途中で内容を知ってから協力を拒否した。
それは、「新幹線大爆破」(1975)で、


内容を知った当時の国鉄が協力を拒否し、
新幹線での撮影が出来なくなり、
セットを作らざるをえなかったのを想起させる。
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」では、
NASAの協力を得られたという。
それは、映画を観れば分かる。

当時のコンピューターの
文字ばかりの白黒画面が出ると、
時代の進化を感ずる。
製作当時、CGもなく、
ステディカムも存在せず、
ドローンもまだ発明されていない時代のもので、
およそ50年の間に、
カメラワークを含め、
映像技術が進化したことが改めて分かる。
今だったら、こう撮っただろうという場面が随所に登場する。
そういう意味で興味深い再見だった。