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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

マニラの旅・その10 青空市場

2025年03月03日 23時00分00秒 | 旅行関係

日本では、道端でモノを売る光景というのは、
最近では、まず見られませんが、
マニラの街は、道端で沢山モノを売っています。
とにかく、隙間があれば、モノを並べて売ります。

ホテルから駅までの道。

高架鉄道の駅への通路。

ぎっしり店が並びます。

下に降りると、

高架鉄道下の道路は、ご覧のとおり。

道路使用許可は取っているのでしょうか。

毎日同じ場所に同じ店が出ますから、
ちゃんと縄張りが確立しているらしい。

それとも、ヤクザが仕切っているのでしょうか。

お店を縫うようにバイクやトライシクルが走ります。

市場はあるのですが、

衣料品と雑貨が中心らしく、

その外はこのカオス。

1袋135円。

売れるのかと心配しますが、
売れなかったらやめるはずなので、
生活が成り立つくらいは売れるのでしょう。

食べ物の屋台も。

町を歩いていて見かけた光景。

どう見ても貧しい。

すぐ向こうは近代的なビル。

目を下に転ずれば、トタン屋根。

バスケをする子供たち。

豊かな高層ビルと貧しい家々。

これが象徴的な一枚。

 

 

 

 


マニラの旅・その9 ハッピーランド

2025年02月28日 23時00分00秒 | 旅行関係

昨日の続き。

スモーキー・マウンテンからジープニーに乗って、

5分ほど移動したところに、
ハッピーランドがあります。

アジア最大のスラム街
タガログ語で「ハピラン」(Hapilan )は捨てる、という意味で、
それをもじって「ハッピーランド」(Happy Land)と名付けられました。

今回、マニラに来て驚いたのは、
著しい経済的発展で、
日本顔負けの規模のモールや


高層マンションが立ち並び、
何十億ドルもの資金が投資され、
空を背景にクレーンがそびえ立って、


建設ラッシュが続いています。

しかし、その経済的発展に取り残されたのが、
ハッピーランドのような、
貧困地区

ここに2万人の人が住んでいます。

ここは商店街。

生鮮食料品を含め、
あらゆる日常生活に必要なものが売られています。

一方、ゴミは相変わらず持ち込まれ、

景観を汚しますが、誰も気にしていません。

日中からビリヤードを楽しむ人々。


一応、ちゃんと娯楽はあるんですね。

これはパグパグと言って、

ファストフード店から出て来た食べ残しを集めて
水洗いし、味付けして、油で揚げたもの。


1袋10ペソ(27円)程度で売られています。

前にYouTube で観た時、
特殊な例だろうと思っていましたが、
町のあちこちで売られていたので驚かされました。
主にチキンの食べ残しで、
残った肉と骨をかじります。

普通の食堂もあります。

「昭和」というより、「戦後」の感じ。
日本は戦後復興で立ち直り、
1960年代の高度成長期に、
みんなで豊かになりましたが、
フィリピンでは、
上流の繁栄が、
今だ下流には及んでいないようです。
格差を肌で感じます。

ボランティアが子供の世話をしています。

ある人の話では、
夫の仕事は見つからず、学校に通わせ、
家族全員を食べさせるためのお金は、
ひと月に4500ペソ(約12150円)しか
稼ぐことができないといいます。
一日150ペソ(400円)。
部屋代は大体月1500ペソ(4千円)。
トイレなし、電気は先払い式。水は購入。

ガスはプロパン。

小さいのも売られています。

しかし、人々は思いのほか楽しそうで、
子供たちは路上で遊び、
インターネットカフェで楽しむ人、
食堂で笑いあう人々・・
金銭的に余裕のない生活であっても、
人々はその中でも幸せに生きているようです。

先にあげたYouTube でも
インタビューされた住民は「幸福だ」と言っていました。
外の世界を知らないからだろうか、
とも思いましたが、
一家が仲良く一緒に暮らしていれば、幸せなのは確か。
日本のように、
立派なマンションに住んでいても、
家族バラバラなら、幸福とは言えないでしょう。

ただ、衛生環境が悪いのは確かで、
細い道は野良犬の糞や、
ゴミ、残飯などが散らかり悪臭とハエが群がり、
とても衛生的とは言えません。


感染症や栄養失調で亡くなる住人も多いといいます。
乳児死亡率は、日本と比較すると、13倍も高い。

学校に行けない子供も多く、
将来を考えると、やはり希望はうかがえません。

公立学校は無料ですが、
学用品や制服を買うお金がなかったり、
子供も労働力として働かされるケースもあり、
日本のように、皆が学校に通えるわけではない。

フィリピンでは、高校や大学を出ていないと
安い賃金の肉体労働か、日雇いの仕事しかありつけない。
その日暮らしのこの地区の人々にとって、
子供を学校に通わせるのは難しく、
子供も仕事や生活の手助けに駆り出さざるを得ない。
そして、貧困層の子供が大人になり、
不安定な安い労働として生きていくことになる。
貧困はこうして連鎖していく・・・。

こうした貧困問題に対して、
政府は特に有効な方策は立てられない。
なにしろ、数が多すぎる。

改善策は明快で、
産業を興し、雇用を増やすこと。
しかし、まだ日本のような高度成長時代は来ていないようです。

お金があっても幸せでないのは当然ですが、
お金がないために生ずる不幸は
何としても無くしたい。

生まれる国は選べない。

この現状を見ると、
日本での暮らしがどれほど恵まれたものかが、分かります。
日本人の不幸は、
自分たちが幸福であることを自覚できないこと、
だと言います。


マニラの旅・その8 スモーキー・マウンテン

2025年02月27日 23時00分00秒 | 旅行関係

マニラ5日目は、
今回の旅のハイライトとも言える
スモーキー・マウンテン


旅行は、その地でしか見れないものを見る、
というのが楽しみの一つですが、
これこそ、マニラでしか見られない光景

スモーキー・マウンテンは、
かつては海岸線に面した一漁村でしたが、
1954年にゴミの投棄場になりました。
不法投棄ではなく、
公共が集めたゴミの正式な棄て場所。
マニラ首都圏で出たゴミが大量に運び込まれ、
山となりました。

スモーキー・マウンテンという名前は、
捨てられたゴミが自然発火してくすぶり、

煙が立ち上っていることから、
そう名付けられました。

その棄てられたゴミの中から
リサイクルできるものを拾い
それらを換金してわずかな日銭を稼ぐ貧民
(スカベンジャーと呼ばれる)が住み着き、
急速にスラム化しました。

その中には子どもも沢山おり、


1980年代から
フィリピンの貧困の象徴として
世界に報道されるようになりました。

↓は、有名な写真らしい。

政府は国のイメージが損なわれると、閉鎖を決断し、
1994年、ごみ捨て場の利用が停止され、
翌1995年に、住民を強制退去の上、
閉鎖されました。

今では別の場所がゴミの投棄場所となり、
「スモーキーバレー」と呼ばれています。
そこは立ち入り禁止です。

住民は強制退去の代償として公共住宅をあてがわれましたが、
一部の住民は別の処分場周辺に移住し、
従来通りのスカベンジャーとしての生活を続けているそうです。
つまり、それしか金を稼ぐ方法が見つからないのです。
現在も「第2のスモーキーマウンテン」と呼ばれる場所が存在し、
そこでは以前と変わらない状況が続いているといいます。

ホテルのロビーでガイドさんと待ち合わせ、合流。
マニラ在住10年のKさん

 ガイド料は8400円。日本で予約しました。
オーストラリアのパースから来た
日本人父娘と一緒です。二人だと追加料金3000円。

Grabタクシーで現地に向かいます。

この地区は「トンド地区」と呼ばれ、
そこに行ったというと、
フィリピンの方からさえ、
「えっ、どうして、そんなところに?」
と驚かれるそうです。

タクシーを降りて、下のような場所に。
「これがスモーキーマウンテンです」
と山のような場所を示します。

閉鎖した政府は土をかけて覆い、
草が生えて、山のように。

つまり、ここは、
スモーキーマウンテン」と言うべきところ。
日本だったら、「夢の島」に当たります。

周辺はやはりゴミが持ち込まれており、


そこからペットボトルを選別して、
生計を立てている人たちがいます。

売っているのは、ゴミの中から発掘したもの?

山を登ります。

ゴミ山だった残滓が見られます。

そのゴミ山の上に住む人たちがいます。

簡単な作りの住居。

不法占拠なので、
郵便は届きませんが、
Amazonの配達はされるそうです。

電気は来ていますが、
ガスはプロパン。
このホースのようなものは、生活用水。

食用ではないので、
飲み水はタンクで運びます。

その水で煮炊き。

ベッドのスプリングを活用。

お菓子など、食べ物を売るお店もあり、


ゲーム用のパソコンも、

カラオケもあります。

これは何でしょう?

これ、WiFiの装置。
コインを入れると、数分間、
周辺数メートルでWiFiが使えます。

集会場もあり、

キリスト教会による
フードサービスもあるそうです。

子供たちも沢山暮らしています。

これは闘鶏用の飼育しているオス鶏。

人間、どこででも暮らしていけるのですね。

この後は、ハッピーランドへ。

 


マニラの旅・その7 食事あれこれ

2025年02月25日 23時00分00秒 | 旅行関係

食事の話をします。

私は、個人旅行の場合、
地元の人が行く店に行って、
地元の人が食べるものをいただくようにしています。
その方が安いし、探究にもなる。

そこで、まず、初日、ホテルに荷物を置いた後、
ホテル近くの↓ここへ。

                                                                      ジョリビー(Jollibee)は、フィリピンのファーストフードチェーン店。
創業は1975年で、
あのマクドナルドもかなわないほど、
フィリピンの国中に浸透していて、
どこにでもあります。


古い2006年のデータで、
フィリピンに1287店、
フィリピン以外の諸外国に161店舗を構えています。
まだ日本には進出していません。

蜜蜂をイメージしたマスコット。

マクドナルドを超える人気を保持している理由は、
地元の食文化に根ざしたメニュー展開にあるといいます。


メニューはハンバーガーとフライドチキンがメインで、
それ以外にライスやスパゲッティなどを扱っています。
フィリピン人好みの甘い味付けや、
フライドチキンと主食であるご飯を添えたセットメニューが人気です。

そこで、一番人気のスパゲティとチキンのセットを注文。

219ペソ(590円)。

出て来たのが、これ。


赤いのは、トマトケチャップではなく、
バナナで作られた「バナナケチャップ」を使用しているため、
やや甘めの味付けです。

食べてみると・・・

ん?

何、これ。

おいしくない。

スパゲッティは細く、歯ごたえがなく、春雨のよう。
チキンはジューシーというより、
水っぽい。

これが一番人気?

日本のように、食後の皿などを
自分で片づける文化はないようです。

翌日の夕食は、
これも大きなチェーン店の中華。

暑いので、スープ麺ではなく、
やきそばを注文。95ペソ(260円)。

え?

まずい。
一番上に表示されているのだから、メインのメニューなのに。

ホテルの朝食。

ビュッフェではなく、
このメニューの中から選択。

これが、ソーセージセット。

ごはんは型で盛られ、
これが、おいしくない

主食の米が、この炊き方?
日本人は世界で一番おいしいご飯を食べているのかもしれない。


懲りたので、翌日は米を避けてパンにしましたが、
これがパサパサボソボソ


飲み物と一緒でないと、飲み込めません。

ミンドロ島でのホテルの朝食のパンも
同じでしたから、

フィリピンでは、この食パンが標準らしい。


日本のやわらかい食パンを食べたら、何と言うのでしょうか。

他の日のホテルの朝食。

フロアが違い、いつもと違う感じ。

果物は追加料金。

結局、同じ。

なぜかコーヒーだけはうまかった。

食事がまずいという話を、
日本人ガイド(スモーキーマウンテンを案内してくれた、
在フィリピン10年の日本人ガイドのKさん) にしますと、
「フィリピン人の味覚は、アメリカ人並ですよ」
と、アメリカにとばっちり。

昼食に食べたケッタッキー・フライドチキンの

サンドに付いてきたのは、
生姜味のジュース。

シロップを加えて飲みます。160ペソ(430円)。
不思議な食感。

別の日、モールのちゃんとしたレストランで食べたレチョン


豚の丸焼きをぶつ切りにしたもので、
皮と肉が合わさっておいしそう。

一事前調査で一番期待していた食べ物ですが、
こんなものが出て来ました。

とんかつ用の豚肉の切り身を
油で揚げたようです。
これが、硬い。
パサパサボソボソで、
これも飲み物で流し込まないとと飲み込めません。

飲み物付きで550ペソ(1500円)。

最後に空港の制限区域のレストランで

食べたチキンのセットも、
パサパサのボソボソで、
やはり飲み物と一緒でないと飲み込めません。

でも、これがトップメニュー。

飲み物込みで410ペソ(1100円)。

どうやら、フィリピンの人は、
パサパサのボソボソに抵抗感はないようです。

ミンドロ島のレストランで食べた

海鮮の串焼き。


飲み物込みで420ペソ(1130円)。                      これが今回の旅行で一番おいしかった。

ミンドロ島での夕食は町に出かけて、↓この店で、

チキンを。飲み物込みで105ペソ(280円)と、地元価格。

で、結局は、日本食
PITXで食べた
丸亀うどん


おにぎりと天ぷらと飲み物を付けて494ペソ(1330円)。

うどんは日本同様、太目で、
味は日本より濃い感じ。

そして、三越のフードコートで食べた
さぼてんのカツ丼

やっぱりうまい。


飲み物込みで410ペソ(1110円)。
これは日本の味でした。
                                       
たとえば、外国人が日本の国民食の牛丼を「まずい」と言ったら、
不愉快になるように、
他の国の国民が喜んで食べているものを
けなすのは心苦しいですが、
「だし」という繊細なうま味で育った日本人の舌には、
合わなかったのがフィリピンのソウルフードでした。

帰国後、体重を測ったら、2kg減っていました。

 

 


マニラの旅・その6 オカダマニラ

2025年02月22日 23時00分00秒 | 旅行関係

バスターミナルPITXから湾に向かって歩き、

途中、このような光景を沢山見ました。

マンション建設ラッシュのようです。


見えて来ました。
オカダマニラ

高級カジノホテル、IR施設。
ユニバーサルエンターテインメント会長の岡田和生氏が創業。
ホテル、カジノ、レストラン、ショップ、
その他ナイトクラブ、フィットネスクラブ、スパ等を備えています。

2017年3月にグランドオープン。

入ってすぐに、
鳥居のようなものが。

全体図。

ここは、レスラン、ショッピングゾーン。

レストラン41、ショッピング75。

館内は、豪華絢爛

敷地中央にある池は、

6時からオープン。

子供用のスポーツ施設も。

庭園も立派ですが、
人がいません。

 

海につながっています。

ここからマニラ湾の夕日が見られるはず。

ホテルのフロント。


客室数993室。

オープン時の賑わい↓に比べ、

意外に空いているな、
と思っていて、
カジノに入ると、
その賑わいにびっくり。

カジノ内は撮影禁止なので、
ネットから拝借。

カジノテーブル500、
スロットマシン3000、
見たところ、ルーレットとバカラが多く、
ブラックジャックは見かけませんでした。

夕刻から夜のオカダマニラ。

噴水ショーは、
ラスベガスのベラージオ、
ドバイのブルジュ・ハリファのものが有名ですが、
マニラにも出来たというので、観に来ました。

6時から1時間ごとに開催。

始まりました。

2曲で6分間。

オペラ「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」も。

ポップスもあります。

帰り際、配車のお兄さんに、
「勝ったか?」と訊かれましたが、
カジノはやっていません。