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空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『秘色の契り』

2025年02月23日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

2012年、オール讀物新人賞を受賞し、
2015年、受賞作を含む短編集「宇喜多の捨て嫁」で
直木賞候補になった木下昌輝
4度目の直木賞候補作。

徳島蜂須賀藩二十五万七千石は、
後継者問題を抱えていた。
先代藩主が子をもうけずに病死し、
末期養子を迎えないと、
藩が改易となってしまうからだ。

末期養子・・・武家の当主で嗣子のない者が
       事故・急病などで死に瀕した場合に、
       家の断絶を防ぐため緊急に縁組された養子。

藩の五家老の評定のやり方に不満を持った
物頭の柏木忠兵衛は、江戸に赴き、
秋田藩主の弟・佐竹岩五郎を次代の藩主に迎える。
第十代藩主となった岩五郎=蜂須賀重喜(しげよし)は、
儒学や囲碁、茶道、戯画などに通じていたが、
政(まつりごと)には興味がないと宣言する。
しかし、忠兵衛や林藤九郎、樋口内蔵助、寺沢式部たち中堅家臣団は、
家老たちの専横に抗して、
藩主の直仕置(直接政治)による藩政改革をめざした。
それを成し遂げるには、
五家老を退けねばならぬだけでなく、
ようやく腰を上げた蜂須賀重喜の改革案は、
斬新すぎて、身分制度を根底からくつがえすもので、
藩を二分しかねず、
忠兵衛たちは、早すぎると戸惑う。

須賀藩は三十万両もの借金を抱えていた。
藩を存続するには、
特産品の藍の流通形態を変えなければならず、
それは、商人との軋轢を伴うものだった。
藍の流通は大阪商人ににぎられていて、
利益は薄く、藍玉の生産農家は
苦しい生活を強いられていた。
藩改革は藍の問題と密接につながる。

それまでの藩主は、
家老たちに政治を任せっきり。
家格に縛られている藩は改革しがたい。
忠兵衛たちの目指す藩改革は成し遂げられるか、
藍流通の改革は成功するか、
二つの改革を巡って、
藩主、五家老、若手たちの確執は続く。

重喜は言う。
「改革で大切なのは、人の心よ。
 どんなに正しい法度であっても、
 人の心がついてこなければ意味がない」と。

なにやら、現代日本の政治改革につながるような内容で、
示唆するところは大きい。
改革には、守旧派の抵抗が必定。
今の体制で利を得ている者は反対する。
「今のままが一番いい」のだからだ。
現状の日本の政治を見ても、
利権を守ろうとする人々との闘争がどうしても必要になる。

しかも当時は藩と家を守ることが最優先される社会構造で、
家格によって藩の役職も世襲されていた時代だ。
下級武士の能力が発揮されるには、
明治維新まで待たねばならない。

政治には関わらないと行っていた重喜が
次第に改革に目覚め、
若手たちよりも先に行ってしまうなど、
面白い展開もある。

当時、「主君押し込め」というものがあった。
主君が家臣たちと対立した結果、
座敷牢に押し込められ、
新藩主と交代させられる。
その危険もある。

副題に「阿波宝暦明和の変」とあるように、
江戸中期、宝歴3年(1753年)から、
明和6年(1769年)に起こった、
徳島県蜂須賀藩を舞台に、
藩政改革に挑む若い家臣たちと、
彼らとともに闘った藩主となった養子の物語。
現代的である。

題名の「秘色(ひそく)の契り」とは、
柏木忠兵衛たちが
藍で染めた手拭いで誓いを結んだこと。
何だか誤解を生みそうな題名だが。

 


小説『あかんべえ』

2025年02月15日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

賄い屋の高田屋の七兵衛は、
念願の料理屋の出店を
弟子の太一郎に託す。
深川の良い場所に
貸し店舗を見つけ、
「ふね屋」の名前で店を出す。
初の客として迎えた雑穀問屋の宴席で
とんでもない事態が起こる。
抜き身の刀が現れて人々に切りつけて来たのだ。
宴席は阿鼻叫喚の場となり、
ふね屋の将来に黒雲が立ち込める。

その騒動の背景を知っている人物がいた。
太一郎と多恵の一人娘・12歳のおりんだ。
おりんには、この建物に住み着いている
5人の幽霊が見えていたのだ。
抜き身の刀を振り回すおどろ髪、
それを叱りつける美形の剣士・玄之介、
美しく艶っぽい姐さんのおみつ、
腕利きの按摩である笑い坊、
おりんの姿を見るたび「あかんべえ」をしてくる女の子・お梅。
おりんは大病で生死を彷徨い、
三途の川まで行ったことがあり、
その結果、お化けが見えるようになってしまったのだ。

次第に真相が見えて来た。
そのあたりは、昔、寺が建っていたところで、
料理屋の場所は元は墓場。
30年前にある事件が寺で起こり、
その時に成仏できなかった5人の幽霊が住み着いていたのだ。
5人全員の姿はおりんにしか見えないが、
いろいろわけがある人物には、
ある特定の幽霊が見える。

こうして、おりんによって、
30年前の惨劇と
5人が幽霊になって留まっているわけが次第に明らかになってくる・・・

という話が、実にていねいに、
手を抜かずに、
しかも、宮部みゆき独特の
暖かいまなざしで描かれる。

お化けが見える人は、お化けと同じ心のしこりを持っており、
ふね屋に集った人々の心のしこりが様々な形で現れ、
思いがけない出来事が襲ってくる展開も見事。
人間の心に巣食う闇が人間関係を狂わせる。

最後に成仏した5人の幽霊の
去り際も情感たっぷり。

それにしても長い
文庫本上下2巻で、計700ページ弱。
これだけの長さを読み続けられる、
宮部みゆきの筆力がすごい。

この長大な話、
2023年、劇団前進座で上演された。

 


短編集『本所深川ふしぎ草紙』

2025年02月08日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

宮部みゆきの初期短編集。
1991年発刊。
吉川英治文学新人賞受賞作

錦糸町駅前の人形焼きの店「山田や」の包み紙に
「本所七不思議」の絵が描いてあり、
それに触発され、七不思議をテーマに七つの短編が生まれたもの。
「片葉の芦」「送り提灯」「置いてけ堀」
「落葉なしの椎」「馬鹿囃子」
「足洗い屋敷」「消えずの行灯」
どれも江戸の市井の女性の哀歓をつづる、
宮部みゆきらしい優しさに満ちた短編ばかりだ。
不思議を扱っているが、怪談ではない
各篇を貫く人物として、
回向院の茂七が初登場。

「片葉の芦」

近江屋藤兵衛がおいはぎにあって殺された。
普段から藤兵衛と折り合いの悪かった
娘のお美津が下手人だという噂が流れたが、
蕎麦屋の彦次は、そんなことはないと思う。
というのは、食うや食わずの頃、
お美津の温情に救われた経験があるからだった。
それは彦次の中での希望であり、あこがれでもあった。
やがて、お美津の嫌疑は晴れるのだが、
久しぶりに会ったお美津が
とうの昔に自分のことなど忘れていたことを知る。
男の純情と女の現実との落差がほろ苦い。

「送り提灯」

お嬢さんの恋のために、
変わって願掛けを頼まれたおりん。
真夜中に回向院に行って、小石を一つ取ってくる。
危険なことだが、
ある時から、自分の後を守るかのように、
提灯が付いて来ることに気づく。
おりんは、それはお嬢さんに懸想している
手代の清助ではないかと思うが・・・

「馬鹿囃子」

茂七親分のところに時々訪ねて来る若い娘・お吉。
自分が人を殺めた話をしにやって来るのだが、
実はそれは全部作り話なのだ。
たまたまその告白の場に居合わせたおとしは不思議に思う。
聞いてみると、お吉は男に捨てられて、
狂ってしまったのだという。
そこへ、娘の顔を切りつける事件が起きて・・・

「足洗い屋敷」

おみよの父が、妻を失ってから初めて恋をして、
お静をめとる。
美しい義母を得ておみよは嬉しかったが、
やがて、家に不審なことが起こり始めて・・・
義母への思慕が
おかしな形で裏切られる。

「消えずの行灯」

おゆうに不思議な話が持ち込まれる。
娘が行方不明になって、
狂ってしまったある店のおかみと、
娘のふりをして一緒に住む仕事だ。
娘が生きていれば、おゆうと同じ歳まわりなのだ。
既に何人かの前例があるという。
一緒に住み始めたおゆうは、
ある時、夫婦の秘密を知ってしまう・・・

「置いてけ堀」「落葉なしの椎」は省略。

 


小説『スピノザの診察室』

2025年01月30日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

「神様のカルテ」シリーズで
累計340万部のベストセラーを出した夏川草介の医療小説。
スピノザとは、オランダの哲学者、
バールーフ・デ・スピノザ(1632年- 1677年)のこと。
この小説は、大変哲学的である。

京都の原田病院で働く内科医・雄町(おまち)哲郎が主人公。
「マチ先生」と呼ばれている。
かつては大学病院で数々の難手術を成功させ、
将来を嘱望された凄腕医師だったが、
三十代の後半に差し掛かった時、
最愛の妹が若くしてこの世を去り、
一人残された甥の龍之介の世話をするために、
大学の医局を去って地域病院にその職を得た。
外科医2人、内科医2人の小さな病院だ。
医局を去る時、引き留める教授を激怒させ、
今でも大学には顔を出せない。

往診では、哲郎は自転車で行く。
在宅で死を迎えることを望む、末期患者ばかりを見ている。
アル中で食道静脈瘤が破裂して吐血した患者の世話もする。
この患者は治療費を払えないが、
生活保護を受けるのは、いやだという。
哲郎は言う。
「あなたが血を吐くたびに呼び出される
私や看護師たちの身にもなってください。
人の世話にはならないと言っていることと、
ずいぶんな矛盾です」
「そら仕方ないわ」
「仕方ない?」
「先生は、ろくでもない患者に見込まれたんや。
諦めて下さい」
「先生は、俺が初めてここに運ばれてきたときに、
怒りもせんと、説教もせんと、
ただ一言、『大丈夫や』と言うてくれた。
そんな先生は初めてですわ」
そして、こう言う。
「このままにしといてくれへんか、先生」
彼の死後、期限の切れた免許証に書かれていた文字は・・・

妹に死なれ、残された小学生の甥を世話するために大学病院をやめたが、
そのことで甥の龍之介はこう言う。
「マチ先生は、あのまま大学で研究を続けていたら、
もっと出世して偉くなっていたんでしょう?」
言われた哲郎は、こう返す。
「確かに、肩書は立派になったかもしれないがね。
しかしその場合、お前の人生はどうなるんだろうかと、
私は考えたんだ。
私はその時純粋に、
独りになったお前を放置して、
自分が愉快な人生を歩めるものだろうかと自問したんだ。
答えは難しいものじゃなかった。
お前が辛い目にあっているのに、
素知らぬ顔で幸せな人生を送るという世界は、
私の中には成立しない。
お前が笑顔で生活していけることは、
私にとってとても大切なことなんだ。
そういう私なりの哲学にしたがって、
お前を引き受けたわけだ」
そして、こう附け加える。
「地位も名誉も金銭も、
それが単独で人間を幸福にしてくれるわけじゃない。
人間はね、一人で幸福になれる生き物ではないんだよ」

龍之介が将来何になりたいか、という対話で、
政治家になりたいとは思わない、
政治家は、なんか悪いことばかりしているイメージだから、
と言うのに対して、哲郎が言う言葉。

「それはこの国特有の問題だよ。
国によっては、子供の将来の夢のトップに
政治家が来ることだって珍しくないんだ。
私はその方がはるかに健全な社会だと思うね。
この国だって昔からろくでもない政治家ばかりだったわけじゃない。
政治にかかわる人たちの器がすっかり小さくなってしまったのは、
政治の問題というよりは、
マスメディアの品性と、
国民の知性の問題だと私は思っている。
新聞や雑誌の紙面は、
否定的で攻撃的な言葉であふれかえっているだろう。
何をやっても批判と非難ばかりをぶつけられる世界に、
まともな神経の持ち主なら、
足を踏み込もうとは思わないわけさ」

大学病院時代、一緒に働いた花垣(はながき)辰雄が、
自分の医局の5年目の新人・南茉莉を送り込んで来る。
始め戸惑っていた南だが、
急変した患者の原因を見事に見抜いた哲郎に驚いたのをはじめ、
哲郎の日常に沢山のことを学ぶ。

哲郎は南に語る。

「病気が治ることが幸福だという考えでは、
どうしても行き詰まることがある。
つまり病気が治らない人はみんな不幸のままなのかとね。
治らない病気の人や、
寿命が限られている人が、
幸せに日々を過ごすことはできないのかと」
「たとえ病気が治らなくても、
仮に残された時間が短くても、
人は幸せに過ごすことができる。
できるはずだ、というのが私なりの哲学でね。
そのために自分ができることは何かと、
私はずっと考え続けているんだ」

精神科医から内科医に転身した秋鹿(あきしか)淳之介は語る。

「生きてさえいれば、いずれいいことがある。
よくそんな言葉を耳にします。
もちろん大多数の人にとっては事実かもしれません。
けれどもそうでない人も確かにいるのです。
生きていることそのものが地獄のような人々。
たとえば、寝たきりの母親の介護に疲れ切って
心中を図った老いた息子。
夫の家庭内暴力に怯えながら生活をする妻。
毎日のように親から性暴力を受けている少女・・・
以前にいた職場(精神科)で、
僕は狂気の瀬戸際に立つ人々をたくさん見てきました。
いえ、実際に狂気に呑まれた人も目にしました。
もう死んでもいいんだよ、
そう言ってあげたくなるような人々です。
毎日をただ懸命に生きている人が、
生きることが地獄だと感じている人の世界を
理解する必要はないし、
もとより無理な話でしょう。
健康な若者に、癌患者の苦しみ恐怖を
理解できないことと同じです。
狂気も死も、
普通の人々にとっては縁のない世界だ。
けれども・・・
医師はそうではない。
私は狂気の果てを見て、
そこから逃げ出してきた人間です。
それなのに逃げ出した先では、
あなた(哲郎)のような医師が、淡々と死と向き合っている。
狂気も死も、人間という存在が成立する
ぎりぎりの外線に漂う宇宙ですよ。
迂闊に近づけば、戻って来れなくなる。
いや、戻って来る意味さえ見失います。
勇気はいくらあっても足りません」

花垣の台詞。
「世の中の医者ってのは、
心の中に二種類の人格を抱えているんだ。
科学者と哲学者という二種類だ。
どんな医者でも
この二つの領域を行ったり来たりしながら働いている。
人によって比重は違うし、
大半が凡庸な中道派だがね。
哲学の方向に振り切れた医者は、
現場じゃ使い物にならない。
せいぜい教会でお祈りするか、
現場から遠くはなれた書斎で小説でも書いているだろうさ。
マチが尋常じゃないのは、
一流の科学者でありながら、
哲学者としても凡庸でない点だ。
そういう医者を俺は見たことがない」

哲郎は南に対して言う。

「私は、医療というものに、大した期待も希望も持っていないんだ。
医者がこんなことを言ってはいけないのかもしれないが、
医療の力なんて、本当にわずかなものだと思っている。
人間はどうしようもなく儚い生き物で、
世界はどこまでも無慈悲で冷酷だ。
そのことを、
私は妹を看取ったときに
いやというほど思い知らされた。
だからといって、無力感にとらわれてもいけない。
それを教えてくれたのも妹だ。
世界にはどうにもならないことが
山のようにあふれているけれど、
それでもできることはあるんだってね。
人は無力な存在だから、
互いに手を取り合わないと、
たちまち無慈悲な世界に飲み込まれてしまう。
手を取り合っても、
世界を変えられるわけではないけれど、
少しだけ景色は変わる。
真っ暗な闇の中につかの間、
小さな明かりがともるんだ。
その明かりは、
きっと同じように
暗闇で震えでいる誰かを勇気づけてくれる。
そんな風にして生み出されたささやかな勇気と安心のことを、
人は『幸せ』と呼ぶんじゃないだろうか」

引用ばかりになってしまったが、
引用したくなるほど
語られている内容は深い
その深さをしみじみと味わう小説だった。

著者は現職の医師。
だからこそ語られる哲学。

著者はこのように言っている。

医療が題材ですが「奇跡」は起きません。
腹黒い教授たちの権力闘争もないし、
医者が「帰ってこい! 」と絶叫しながら心臓マッサージをすることもない。
しかし、奇跡や陰謀や絶叫よりもはるかに大切なことを、
書ける限り書き記しました。
今は、先の見えない苦しい時代です。
けれど苦しいからといって、怒声を上げ、
拳を振り回せば道が開けるというものでもないでしょう。
少なくとも私の心に残る患者たちは、
そして現場を支える心ある医師たちは、
困難に対してそういう戦い方を選びませんでした。
彼らの選んだ方法はもっとシンプルなものです。
すなわち、勇気と誇りと優しさを持つこと、
そして、どんな時にも希望を忘れないこと。
本書を通じて、そんな人々の姿が少しでも伝われば、
これに勝る喜びはありません。

映画化が決まっている。

主人公・雄町哲郎は大の甘党。
作中に登場する、京都の老舗菓子店の銘菓
物語のいろどりとなっている。

矢来餅 

                                    

阿闍梨餅

長五郎餅

緑寿庵 金平糖


小説『なんで死体がスタジオに!?』

2025年01月26日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

「ノウイットオール あなただけが知っている」で
松本清張賞を受賞した森バジルによる書下ろしミステリー。

特別番組「ゴシップ人狼」。
出演者たちが持ち寄ったリアルゴシップについて語りながら、
紛れ込んでいる嘘つきを推理する、というトーク番組。
季節ごとの改変期に放送される人気特番で、
今回は生放送だ。

しかし、番組のメインとなるはずの
大物俳優・勇崎恭吾が入りの時間を過ぎてもやって来ない。
どこにいるかも分からず、
電話にも出ない。
ポンコツプロデューサーの幸良涙花(こうらるいか)は困り果てていた。
このまま勇崎が現れなければ、
番組の進行を変えざるを得ない。
その旨、司会者や出演者には伝えたが、
幸良とADの次郎丸夕弥は、
スタジオの隅にある箱の中に勇崎の死体を発見してしまう。
上司に報告すれば、
番組は放送中止となるだろう。
しかし、ダメプロデューサーの幸良は
会社から「次がダメなら制作を外す」と告知されている。
その上、犯人らしい人物からのメッセージで、
番組を止めないことを命令されており、
背くとスタジオの照明に仕掛けた爆弾が破裂するという。
だから、とにかく勇崎がいないまま、
番組は始めなければならない。
生放送まであと20分。
幸良は特番を乗り切れるのか!? 
そして、この事件の犯人は?

という生放送という時間的制約の中で行なわれる犯人捜し。

7つの章で成り立っているが、
各章の題名が
この番組には刺激の強い表現が含まれています。
内容を一部変更してお送りします。
個人の感想です。
良い子は決して真似しないでください。
気になる答えはCMのあと!
ここでゲストから素敵なおしらせです!
など、よく使われるフレーズが付けられている。

プロデューサーの幸良、
出演者6人のうちギャルタレントの京極バンビと
一発屋芸人・仁礼左馬(にれいさま) の
三人の視点で描かれる。
もう一人、番組の視聴者甲斐朝奈(あさな)の視点もあるのだが、
ここには仕掛けがあった。

実際の番組名も出て来る。
「ゴシップなんて九割が誇張か情報不足。
六人いたら五人は嘘つきな人狼。
そのくらいの目を持ってくれよ、
テレビの前のみんな」
というメッセージも含まれている。

最後の大きな仕掛けは意表をつくもので、
ほーと、感心した。