月のmailbox

詩或いは雑記等/小林貞秋発信。

失くしたもの、リターンズ

2007-12-08 22:36:52 | Weblog


毎年寒さが始まる季節になると、手袋を買う。そうして決まったように、使い始めてそれほど経たないうちに、どちらか一方を失くしてしまう。失くするのは、こちらだけのことではないようだ。路上によく落ちている。そうした手袋。
非常に慎重になっている。昨年、またその前の年。絶対に失くさないようにと注意をしていた記憶がある。そうして失くしているわけだから、今年、それを思いつつもどこか自信が持てなかったのも仕方がなかったんだろうな。今までが、今までなのだから。だがしかし、失くさないようにと心がけていながら、手元から消えてしまうのは、結局は不注意ということになるとしても、なぜなんだろうと問いかけてみたくなるようではあるね。
それで、今年も一昨日、家に戻った時に気づいたことに、左手の手袋がない。自転車で帰ってきたのである。前のカゴにバッグや買ったものの袋、手袋は使わずにそこに入れておいたはず。カゴの中のものを家の中に持って入る時に、気づいていない。失くしているとは思っていないわけである。そうして、ないことに気づいた。仕方ないな、と思う。でも、気になる。簡単にあきらめることもないかな。思って、引き返してみることにした。だいたいあの辺り、と思えるところに。店に入った、ずっと先のスーパー。そのあたりが可能性のある場所。それよりもっと先の経路については、距離がひろがりすぎるし、考えられない。ともかく引き返してみた。だが、結局は無駄足だった。
残ったのは右の手袋。右利きだから、都合が良い。左手は必要に応じてポケットに入れればいい。当分はそれで良いだろうと思っていた。また買うのは、シャクという思い。どうせ、また失くするんだから、と。
昨日の朝のことである。歩いて出かけていた。失くした手袋のことなどは全く頭になかったが、方向としては前日も通った場所。広い道路沿いの歩道。家からは15分ほど来ている。前日、探しに戻った場所あたりからは遙かに離れている。
道脇に低く立った、枯れ木の細い幹のようなものの上に、黒っぽいものが見えるのである。寄って手にとってみると、前日失くした自分の手袋。そこでカゴから落ちたというわけ。考えられない位置。全く意識になかったということだね。お手あげ、のこと。どなたか、拾ってそこ置いてくれた方に感謝をしないといけないということでありました。
失くしたはずのものが、また自分の手にあるということ。それは不思議な感覚のともなうもの。無いはずのものが、またある。運命の不思議のようなもの。たとえば、途切れたはずの相手との交わりのことなども、そう。本当は、もう無かったはずのものだったりする、だが相手とそこにまたいる。不思議な思いのする心持になることでは、同じでしょう。などということも感じさせられ、思わされた今回。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クロフネの子「ユキチャン」... | トップ | 詩-Space あなたに »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事