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地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

純潔

2011-07-18 11:33:57 | 今日のみことば
ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、
あなたがたの思いが汚されて、
キリストに対する真心と純潔とから
それてしまうのではないかと心配しています。


『コリントの信徒への手紙二』 / 11章 3節



子供たちを育てていく中で、最も難しい時期が思春期です。
子供たちは皆、王子様であり王女様です。
思春期はあらゆることを自己中心に考える時期なので、
父母の言葉に無条件に反発するものです。

そういう時こそ彼らを理解してやらなければ、
うっかりするととても悪い道にはまり込んでしまいます。

反対に、いくら些細なことでも、
自分と心が通じると思えばとてもうれしくなります。

秋の日、葉っぱがすっかり落ちた柿の木から、
熟した柿がぽたっと落ちるのを見ただけでも、
うれしくて笑います。

何だか分からないのですが、
自分の心に届くものがあるので喜ぶのです。

なぜそうなるのかと言えば、
神が人間をそのように創造したからです。
神様から創造された人間の本性がそうなっています。


思春期に愛の感情に包まれてしまうと、
世の中を見る目が曇って判断力を
失ってしまいかねません。

思春期の少女と少年が会って話しをすれば、
胸が高鳴りますが、そのようなとき、
その心を神の基準に合わせなければ
必ず悪の世界に染まるようになります。

体―肉欲―を制御する手段がなくなってしまうからです。


心の目と体の目が一つになって動きます。
愛の鼻を持てば、それまで嫌っていたにおいも好きになり、
それまで嫌っていた味も好きになります。

夜通し愛の話を聞きたくなるし、
愛する人にはしきりに触れてみたいと思うようになります。

思春期になると、心と体の細胞はすべての門を開こうとし、
愛を喜んで迎え入れたくなります。

愛には幸福感が伴いますが、だからといって、
―しめた!―とばかりに無条件にその門に駆け込むと、
大変なことになってしまいます。

まだ、門を開くには時を待たなければなりません。
時が来て初めて愛の門を開くことができます。
時を知り、愛と性を正しく用いることを知るべきです。

父母は、思春期の子供たちにこのようなことを
正確に教えなければなりません。

愛は神に似ていく過程であって、
世の中で蔓延[まんえん]しているような
自分勝手に楽しむものではありません。