Addicted To Who Or What?

引っ越しました~
by lotusruby

TIFF 『王の男』

2006-10-22 02:56:16 | K-Movie Notes


PIFFまでに100本達成するはずだった K-Movie。カウントダウンでひとりで盛り上がってる。98本目のK-Movieは『王の男』。3月にソウルに行った時、字幕なくても見ればよかったと後悔した作品。ようやく、TIFF@六本木(渋谷でも・・・)に登場。

イ・ジュンイク監督とイ・ジュンギssi の舞台挨拶つき。この2人名前が似すぎて、ウケた・・・

イ・ジュンギssi のファンというのが、日本人はもちろん、韓国から、そして香港から駆けつけていてビックリ。「きゃ~」との黄色い声につつまれ、会場の雰囲気と映画のイメージがなーんか違うなぁと引いてしまった。自分がイ・ジュンギssi のファンじゃないからこんなこと言ってるけど、これって、Brian のイベントでもファンじゃない人から見ると、まったくおバカな風景にうつっていることがいまさらながらよーくわかった。気をつけようっと・・・

この作品、決して男色映画ではない。芸人コンギルを演じたイ・ジュンギssi によると、「女性のような男性でなくて、中性的な男性を演じた」という表現が面白かった。ご本人は声も低くて、背も高いし男っぽい感じなので、ちょっとびっくり。自分の勝手なイメージで、女形みたいな俳優を想像していたのだけど、全然違う。若いのにかなり演技力があるってことだよね

今さらここであらすじは書くまでもない。時代は、李朝朝鮮時代に暴君と呼ばれた燕山王の時代。一体誰が主役なのかな・・・芸人魂で一旗あげたいチャンセン(カン・ウソン)、チャンセンの相棒コンギル(イ・ジュンギ)、そして燕山王(チョン・ジニョン)。芸を通して結ばれるチャンセンとコンギルの深い絆、コンギルの妖艶さ・繊細さ、燕山王の孤独。これが三つ巴になってストーリーは展開する。宮中でチャンセンたち何か演目を披露するたびに、宮中は血の海になる。

実は、私はこの映画がまだ消化できていない。自分で勝手に解釈を難しくしているせいかもしれない。なぜかとても切なくて涙が出てきてしまったのだけど、どうして涙が出たのかわからない。

ただ俳優たちの演技はすばらしく、出演者の表情の撮り方が上手い。そして、音楽がいい。12月に公開されたらもう一度見ようと思っている。消化不良なので・・・。字幕が現代語調で少しがっかり。字幕だけ読んだら現代劇なのではないかと思うほどだけど、字数制限の厳しさなのか。

宮廷と大衆芸人とのかかわり。これは個人的にとてもひっかかった。本当に芸人を宮中に抱えていたのだろうか。身分の低い賎民と宮廷のかかわりというのは、歴史を紐解く上でとても興味深い視点。身分制度の元では、低い身分の階層と高貴な身分の階層はかかわらないはずなのに、賎民と呼ばれる社会の底辺でさまよう人々が、実は宮廷や社会を動かす力を持っていたのではないかという歴史の視点。

日本の中世史や西洋の中世史
でもこの視点がよく取り上げらており、個人的には学生時代とりあげた研究テーマだったので、李朝朝鮮にも同様のケースがあったのであれば面白いなぁ、なんて思った 。


19th TIFF開幕 ~ 『クブラドール』

2006-10-22 01:57:41 | Cinema な時間


21日(土)、第19回東京国際映画祭開幕!
毎年、PIFFに引き続いて開催されるTIFF。今年も会場は六本木ヒルズと渋谷Bunkamura。

今年もいろいろ見たい映画はあるのだけど、見たいからといって全部見られるわけもなく、自分のテーマとしてはやっぱりアジア映画。

さっそくのぞいたのが、フィリピン映画『クブラドール』
この映画を選んだ特別な理由はない。『王の男』の前についで1本見ておこうかなぁと気楽な気持ちで。そしてこれにはティーチインがついているので製作者の話が聞けると面白いと思ったから。

    (Image source: tiff)

クブラドールとは、Bet Collecter、つまり賭け事の賭け金収集屋のこと。舞台はフィリピンのスラム街。フエテンと呼ばれるナンバーゲーム(数字を当てる)の違法賭博の賭け金を街の人々から集めて胴元から手数料をもらって生計をたてるクブラドールのアメリタという女性をめぐるスラム街の人々を描いた作品。

このフエテンはフィリピンの社会問題になっていて、違法にもかかわらず、胴元が国会議員だったり、アロヨ大統領の親族がこれに関わっていて追求されている。

本当のスラム街で撮影されたということで、社会派ドキュメンタリー作品だとばかり思ったら、ちゃんと役者が演じている「ドキュメンタリードラマ」。狭くて汚くて、薄暗い路地裏でひしめき合うように暮らす貧しい人々。警察の目を盗んで賭け事に興じる。賭けごとでしか儲けることができないからだ。フィリピンの現代社会、貧困層の日々の生活をそのまま映し出している。

フィリピンの貧困層の暮らしというものは、私たちが考える貧しさとはあまりにもギャップがありすぎる貧しさである。アメリタは軍人だった若い息子を亡くしている。そんな哀しみも癒されることないまま、そして、そこで生活するしか選択肢のない人生をなかば諦めているようにも見える。スラム街の誰かが死ねば、共に涙して埋葬のための寄付金集めに奔走したりする心の余裕・優しさ・純粋さも持っているのだけど、この人たちに希望はあるのだろうか?? と生活という不条理な現実に切なさがあふれていた

ティーチインに参加したこの作品の脚本家ラルストン・ホエール氏は、このスラム街に住む人々がみな抜け出したいと思っている世界を忠実に描いたという。こういう作品は内容的に自国でも受け入れてもらえないし興行的にも難しい作品だが、海外の映画祭を通じて、経験してもらえば嬉しいと語っていた。

アジア映画といえば、韓国映画と香港映画、たまに中国映画ぐらいしか見ていない。東南アジアの国々でも映画が製作されていることは知っているけど、なかなか見ることはない。こういう映画祭でしか味わえないものかな