(Image source: amazon)
『やさしくキスをして』(2004年 監督:ケン・ローチ)の激甘タイトルを見て、どれだけ甘いかちょっと見てみようじゃないの、と思って借りてみた。
[あらすじ]
場所は、スコットランド・グラスゴー。カトリックの高校で音楽教師をするアイルランド女性ロシーン(エヴァ・バーシッスル)は、パキスタン移民二世の女子生徒タハラの兄カシム(アッタ・ヤクブ)と出会い恋に落ちる。しかし、敬虔なイスラム教徒の家庭に育ったカシムは、これまで両親が敷いたレールに乗り生きてきたため、どこか家族の絆やイスラム教徒のコミュニティという呪縛から逃れたいと感じていた。一方、ロシーンは、カシムと同棲していることが教会の司教の勘気に触れ、高校を追い出されることになる。カシムには親が決めた婚約者がおり、それを知ったロシーンとぶつかる。
イスラム教徒とカトリック教徒という宗教的な対峙 。西欧と非西欧の人種的・文化的受容度のギャップ
。家族・コミュニティの呪縛
。
男女間では、これらの要素がきわだって障害となるということは、理解しやすい。自分が立っている、生きている世界は一体どこなのだろうかと、この主人公2人の悩みは、シンプルだけどユニバーサル(世界共通)なのではないかとふと思った。
自分の生息地はここからここまでと境界線をひいて、その中で生きることの方が容易いではないか。ところが、やはり人間はどこかで境界線をひきたくないと思っている。ひとたび境界線をひいてしまうと、境界線の向こうにあるものが見えなくなったり、聞こえなくなったりすることが怖いから 。
いみじくも、映画の冒頭でタハラが他の生徒達の前でスピーチを行っている場面で、「偏見を脱ぎ捨てよう」と語りかけている。(タハラもまた、親の敷くレールを逸脱して、自分の道を歩もうとする。)これが、この作品を端的にあらわしているように思う。偏見とは単純に差別をさすのではなくて、「こうでなくてはならない」、「こうあるべき」、「こうすべき」、「こうに決まってる」という固定観念に固執することではないだろうか。
で、激甘だったかというと・・・ どうかな・・・
情事シーン
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