報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

自由という檻

2006年04月27日 23時09分45秒 | ■メディア・リテラシー
SF作家レイ・ブラッドベリは、代表作『華氏451』で、書籍の所持や講読を禁止する未来社会を描いた。未来版焚書だ。そこでは文字は一切禁じられ、情報はラジオとテレビから供給され、国民は洗脳支配される。しかし、そんな未来社会の中で、人々は文字の持つ価値に目覚め、人間性を取り戻していく。

『華氏451』は1953年に書かれ、1966年にフランソワ・トリュフォーによって映画化された。マイケル・ムーア監督の『華氏911』というタイトルもここから来ている。

国家による洗脳社会は、1953年にすでにSF作家レイ・ブラッドベリによってほぼ予言されていたということだ。ただ、『華氏451』のメイン・プロットである”焚書”は、現代社会ではありえない。

焚書が成功した事例は歴史上ない。それは不可能だ。見るな、と言われれば、人間かえって見たくなるものだ。禁止されれば、それに挑戦するのが、人間の基本的な特性だ。焚書などというのは、始皇帝の時代ですでに非現実的な政策だったといっていいだろう。

現代社会は、焚書などという紀元前的な稚拙な手段は使わない。もっと高度で緻密だ。禁止や抑圧に対して、人間は必ず抵抗する。ならば、禁止も抑圧もしないのが、もっとも高度な束縛方法だ。

大規模な情報管理を行い、かつ自由でオープンな社会を演出するのが現代版『華氏451』だ。禁止も抑圧もされていないのだから、抵抗する者はいない。誰も自分たちがコントロールされているなどとは感じない。しかし、徹底した情報管理と、物質的豊かさによる、ゆるやかなソフト・コントロールの世界なのだ。

われわれは、SFさえ越えた世界に住んでいる。
自由で豊かだと思った世界が、実は檻なのだ。