報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

減少する新聞購読

2006年04月22日 14時30分34秒 | ■メディア・リテラシー
昨日、○○新聞の営業担当者が購読依頼にやってきた。
もうかなり以前から新聞は購読していない。
うちは新聞を読まないので、と断ったら、
「一年間無料にしますので、ひとつよろしくお願いします」
という返事が返って来た。

一年間無料・・・
いったい○○新聞は何を考えているのか。
それとも、いまはどこでもそうなのか?
ということで、あちらは勧誘、こちらはインタビューとして話しが進んだ。

「購読数は落ちてるんですか?」
「この地域一体は、急激に減っておるんですよ。ひとつよろしく」
この営業担当者は、本社から直々に派遣されてきたらしい。こうしたベテランをわざわざ本社から派遣してくるというのは、○○新聞も相当危機感を持っているのだろう。

やはり、インターネットの普及が、急速に新聞の必要性を縮小しているようだ。同時に、五大紙の紙面の特色のない画一性がさらに新聞を魅力のないものにしている。横並び一線の内容でしかなく、読まれなくなって当然なのだ。営業担当者もおおむね同意した。

以前も書いたが、俗に○○新聞は”左”だとか△△新聞は”右”だとか言われるが、それはそのように色分けして読者層を分けあっているにすぎない。なぜそのような色分けが必要かと言えば、本当に国民に必要なことを各紙が書けば、競争が生じるからだ。たいていの市場に存在する競争を新聞業界には持ち込みたくないのだ。

右だの左だのというのは、競争を避けるための、棲み分けであり、暗黙の談合のようなものだ。右も左も存在しない。五大紙はすべて無用の長物なのだ。本当に国民に必要な情報を、新聞は絶対に書かないと断言してもよい。

「たいていのご家庭が、テレビ欄とチラシがあればいいんです」
それが営業としての実感のようだ。
僕もそうだと思う。
中身がないのだから、それ以外に何か新聞の価値があるだろうか。
読者が政治欄や経済欄を欲していないのではない。
内容のない新聞紙面にうんざりしているのだ。

「国民に必要なことをきちんと書けば、必ず読まれます」
「うちは、ましな方だと思うんですけど」
「いいえ、大衆紙の方がよほど頑張ってると思います」

紙面には、どうでもいいようなことしか載っていないので、結局、無料購読とか景品でしか、購読者を獲得できない。何とも寂しい新聞大国だ。

新聞には一片の期待も寄せていない。要は、権力の下請け業者でしかない。はやく消えるべきだと思っている。しかし、いくら読者が減っても、権力にすがって生き延びる道を用意してもらうのかもしれない。