ライア-(竪琴)大好き!~Tomoko Leier Salon へようこそ♪~

ライアー(竪琴)奏者の三野友子です。ライア-や日常生活のこと、あれこれを気ままに綴ってます♪

ライアーは日本にどんなふうに広まっていったのか その3

2020年04月29日 | ライア-日記
1981年に公式?(笑)にライアーが日本に上陸し、その後もドイツ人を招いてのシュタイナーの治療教育や、幼児教育の講座が積極的に開かれていました。

その過程で、シュタイナーの治療教育や幼児教育に興味がある人たちの中で少しずつライアーを弾く方々が出てきたと推察されます。

1985年出版の「シュタイナーの幼児教育手帖」VOL3にはエドモンド・プラハトの「幼年期における音楽体験の発達」というタイトルの論文が翻訳されて掲載されていました。
エドモンド・プラハトはライアーを最初に考案したドイツ人です!この文章の中にはライアーの写真も掲載されていました。

同じく1985年出版の「シュタイナーの幼児教育手帖」VOL4には、「治療教育におけるライア」というユリ・ユリアンスの文章の翻訳が掲載されており、その中にライアーの簡単な成り立ちや、どんな楽器なのか、はてはお手入れの仕方まで書かれています。

1985年にこのような文章が日本語に翻訳されていたとは、ライアーオタクの私には、本当に驚き!なのです。
エドモンド・プラハトの文章がしっかり掲載されているのです!!!


その後、ライアーを弾く人たちのグループができてくることになります。
泉本信子さんを中心に「ライアを弾く会」ができたのは1987年のことです。

泉本信子さんは1983年に初めてライアーの事を知り、1988年に初めてドイツにズザンネ・ハインツさんのレッスンを受けに行き、その後30年以上に渡り定期的に長期にわたりドイツに滞在し、人智学のライアーの学びを深めていらっしゃいます。(今でも年に数か月はドイツに滞在なさっています!)

泉本信子さんは非常にパッションがある方で、その後ズザンネ・ハインツさんの「ライアー演奏の入門」というライアーの教則本を翻訳・出版したり、2004年には人智学のライアーを日本に広めるべく、「ライアー響会(きょうかい)」という団体を立ち上げました。

この「ライアを弾く会」に集まってライアーを弾いていらした方々は、学校の音楽の先生や幼稚園の先生などの参加が多かったようです。

また、当時はもうすでにシュタイナー教育に興味を持つお母さんも出てきていたので、そのようなお母さん方もこの会に参加していたことでしょう。
そして、定期的に発表会を開くまでになっていったそうです。

最初はどうやってライアーを弾いたらいいのか?
わけがわからない状態から、段々とライアーが弾ける人がでてきて、そういう方が指導する立場になる。ライアーを弾きたい人たちが集まって、弾ける人に先生として来てもらう、もしくはグループの中で他の人よりも弾ける人が指導する立場になる。

そうやって段々とライアーグループが日本のあちこちでできるようになってきます。

このあたりで、「いつも何度でも」の木村弓さんの影がちらっと見えてきましたよ!



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ライアーはどんなふうに日本... | トップ | 楽しいと思えることを・・・♪ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ライア-日記」カテゴリの最新記事