![]() | 世論〈上〉 (岩波文庫) |
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岩波書店 |
![]() | 世論 (下) (岩波文庫) |
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岩波書店 |
群馬県の、その後の状況です。
相変わらず、ガソリンスタンドには長蛇の列です。いや、相変わらず、ではなく、もっとひどくなっています。売り切れのため、開店しているガソリンスタンドがごく少なく、開いているスタンドには1km以上も車列が連なっています。
さて、そこまでして確保したいガソリン、どれほど待っても手に入れたいガソリンなのですから、街には自動車がさぞかしたくさん走っているに違いないと思っていたのですが……なんと道路はガラ空き、普段の3分の1くらいしか交通量がありません。
もちろん、大事なガソリンをキープしようと、多くの人が自動車の使用を一時控えているせいなんでしょうが……だったら、最初から控えればいいんじゃないですか!?少しの間、自動車を使わなくても事足りるのであれば、どうして最初からそうしないんですか!?
仕事、介護、医療等でどうしても自動車を使わなければならない人もいるんですよ。そういう人達のために、ガソリンを残しておいてあげませんか?
交通量は異様に少ないのに、ただ給油のためだけに渋滞している――なんて、おかしいことだとは思いませんか?
「すぐ、絶対に必要というわけじゃないけど、念のため給油しておく」というのだったら、やめてください。
お願いします。
![]() | 災害救援 (岩波新書) |
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岩波書店 |
悪夢のような大震災が起こってしまいました。マスコミ報道等で被災地の惨状に接し、心が痛いです。
私の住む群馬県では、相当に揺れはしましたが、幸いなことに被害と言えるほどのものはないようです。
しかし、その群馬県で、現在、ガソリンスタンドは長蛇の列、ガソリンの売り切れ続出。スーパーやコンビニには、食料品や飲料、トイレットペーパー、ティッシュペーパーなどを買い求める人々が殺到し、著しい品薄状態が続いています。
このブログを読んで下さる方へお願いです。
そんな買い占め行為はやめてください!そのような行為に加担しないでください!
群馬県は被災地ではありません。普段どおりの生活を続ける分には、つまり余計なものまで買い込み、溜め込むということをしない限りは、燃料や食料品、日用品が欠乏することなど、あり得ないはずです。
それなのに、どうして長蛇の列が?どうして品薄状態に?
正直なところ、「みなが並んでいるから自分も、みなが買い込んでいるから自分も」という群集心理でしかないでしょう。厳しいことを言います。愚かなことです!
群馬県に来た商品が、買い占めさえしなければ被災地に回る、という訳でないのはもちろんです。けれども、「群馬県で商品が不足している」という誤った情報が出回れば、「早急に群馬県の商品不足を解消しなければ」という誤った流れも生じかねません。そんなことになれば、結果的に被災地への供給物資が、その分だけ減ってしまうのです。少なくとも、そのような誤った商品不足の情報は、この非常時、混乱に拍車をかけることになると容易に想像できませんか?
繰り返しますが、群馬県は被災地ではありません。落ち着いて、平静な生活を続けるべきです。そして、被災地の救援のため自分にいったい何ができるのか、真剣に考えるときだと思います。
![]() | ヤミ金融の手口 (宝島社文庫) |
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宝島社 |
本日、日本貸金業協会(東京都港区)が、「貸金業法の完全施行後の影響等に関するアンケート調査」の結果を発表しました。
このアンケートによると、「現在ヤミ金から借入がある」と回答した人は約2%、「過去にヤミ金から借入したことがある」と回答した人は5%という結果が出ています。さらに、「今後ヤミ金から借入する可能性がある」と回答した人は、20%もいるとのことです。
貸金業の規制を厳しくすると、ヤミ金に流れる人が増加し、問題がより大きくなる――というのが、貸金業者サイドのかねてからの主張。日本貸金業協会は、「それ見たことか!」と言わんばかりなんでしょうかねぇ。無論、ストレートにそんなコメントは出ていませんが、マスコミ報道ではそのような雰囲気が漂っています。
このアンケート結果は、確かにセンセーショナルではありますが・・・ちょっと待って。少し冷静に眺めてみましょう。
問題とすべきは、「貸金業の規制を厳しくすること」と「ヤミ金に流れる人の増加」との間の、相関関係・因果関係の有無です。もともと(貸金業の規制強化前から)、ヤミ金被害は存在していました。それが増えているのか、減っているのかです。
こういう肝心の情報を、貸金業協会は流していませんので、別のソースから。11月6日付の東京新聞は、次のように伝えています。まず、司法書士や被害者で作る「全国ヤミ金対策会議」は、貸金業の規制強化後も「ヤミ金についての相談は横ばいの状態」と報告。東京三弁護士会が設置する法律相談センターでも、ヤミ金関係の相談は増えていないと言います。また、名古屋消費生活センターも、ヤミ金に関する相談が「増えている印象はありません」とのことです。
私の事務所の印象も、やっぱり同じですね。改正貸金業法の完全施行後、「業者がこれ以上貸してくれなくなっちゃったので」という人の、債務整理の相談は若干増えていますが、「ヤミ金に手を出してしまいました」という相談は、まったく増えていません。群馬司法書士会の相談センターでも、このところヤミ金相談が増えているという傾向は特にありません。
そもそも皆さん、ヤミ金被害が一番激しかったのはいつのことかご存知ですか?平成14年前後のことです。この時期のヤミ金被害件数は、現在とはまったく比較にならないほど多く、「爆発的」ともいうべき勢いで被害が生じていました。さて、その平成14年頃、貸金業に対する大きな規制強化はあったのでしょうか?何もありゃしません。むしろ、サラ金業者が「わが世の春」を謳歌していた頃であり、言い換えれば、サラ金業者がバンバン貸していた頃なのです。
このような事情から考えると、貸金業の規制とヤミ金の増加との間に、大きな相関関係や因果関係はない、というのが正解のようです。それはなぜか?実は、はっきりした理由があって、「ヤミ金の本質は金融でなく、恐喝だ」ということに尽きます。ただ、この点は語り出すと長くなるので、また別の機会に。
ともあれ、「貸金業の規制を厳しくすると、ヤミ金に流れる人が増加し、問題がより大きくなる」という貸金業者サイドの主張――これには続きがあり、「だから貸金業の規制を緩和し、高金利を合法化しろ」ということなのですが――は、やっぱちょっと無理があるんじゃないかな。
むしろヤミ金という「犯罪者」の存在をもテコにして、業界利益の拡大を図ろうとしているように聞こえます。何ともイヤらしい感じです

![]() | YouTubeはなぜ成功したのか |
室田 泰弘 | |
東洋経済新報社 |
尖閣諸島の中国漁船衝突事件に関するビデオ映像が、関係者とみられる人の手によってYouTubeで公開される事態となりました。
このような形でこのような映像を公開することが良いことであるのか悪いことであるのか、その法的・政治的な是非については、いろいろな論者がいろいろな主張を繰り広げていますので、いまさら私が蛇足を加える必要もないでしょう。ただ、個人的な感傷のこととして言うならば、痛快な心地がいたしております。
それにしてもインターネット時代における「情報」というものの威力を、まざまざと見せつけた事件ではあります。同時に、「悪事千里を走る」というインターネット時代とはうらはらに古風な格言も、また思い起こされたりします。
この映像を、どうして政府は自ら公開できなかったのでしょうねぇ?外交上の配慮?しかし映像は、客観的事実の問題でしょう。そりゃ主観的な主張については、「モノには言い方」ってものがあるでしょうから、いろいろ配慮も必要なんでしょうが・・・客観的な事実を糊塗してまでしなければならない「配慮」って、いったい何なのでしょう?
あくまでもマスコミ報道を通じて受ける印象ですが、中国側の態度は、表面上は相変わらず強気のように見えますが、映像公開を機に、明らかに「動揺」や「戸惑い」も感じられるようになりました。これが「事実」の持つ重みなんじゃないでしょうかねぇ?政府もこのことから何事かを学んで欲しいもんです。
![]() | 河川工学 |
高橋 裕 | |
東京大学出版会 |
「国家百年の計」という言葉があります。
国の遠い将来までも見すえた遠大な計画――というような意味です。
江戸時代以前、利根川は現在の銚子河口ではなく、東京湾に注ぎこんでいたのを知っていますか?一説によれば、昔の利根川は「暴れ川」でしばしば氾濫を起こし、流域に甚大な被害を及ぼしていたので、江戸を洪水から守ろうと、利根川を「東遷」し太平洋へ注ぎこむようにしたとのことです。この東遷事業は1594年に始まり、一応の完成を見たのが1654年。60年をかけた大事業でした。
また江戸時代以前、現在の日比谷~有楽町のあたりは海だったのを知っていますか?日比谷という地名は、「日比谷入江」という入江の名に由来しています。江戸時代初期の埋め立て工事により、陸地となりました。
さらに江戸時代、東京(江戸)は世界でも類を見ない上水道が完備された大都市であったことを知っていますか?神田上水・玉川上水の整備事業によって、便利かつ安全な上水道網が江戸市中に張り巡らされるに至りました。
江戸時代の全期間を通じて、徳川幕府はこれら都市整備事業に力を注ぎました。このような下地があってこそ、現在の東京の繁栄があると言っても過言ではありません。徳川家が果たして現在の日本の繁栄を思い描いていたかどうか――それは分かりませんが、江戸の、ひいてはわが国の繁栄を願って、都市整備に力を注いだのは間違いのないことでしょう。
このような先を見すえた計画を指して、「国家百年の計」というのでしょうね。
外国に目を向けると、もっとスケールの大きな話があります。
みなさん「万里の長城」は知っていますね。北方騎馬民族による中国への絶え間ない侵略を防ぐために建設されたものです。この建設に最初に着手したのは秦の始皇帝であるといわれますから、紀元前3世紀頃の話、現在の形で完成したのは明代ですので、14世紀以降。実に1600年以上もの年月をかけて完成した大プロジェクトです。無論、ずーっと工事を続けていた訳ではないでしょうし、始皇帝の造った長城は明代のものと場所も仕様も違うようですので、連続性のある構築物ではありませんが、その「理念」は一貫して受け継がれて来たものと言って良いでしょう。
「国家百年の計」どころか「国家千年の計」を立て、ついにそれを完成させたのです。頭の下がる思いです。
さてさて、前置きが長くなりました。言いたいのは「現在の日本」のことです。事業仕分けのことです。
「200年に一度の河川氾濫」にも耐えうるスーパー堤防の建設事業は、「スーパー無駄遣い」との烙印を押され、廃止が決定されました。
曰く――
「このままのペースで行くと完成は400年後。意味がない」
「建設途中で水害が起きたら防災効果は期待できない」
「200年に一度しかない災害に備えて巨費を投じるのはいかがなものか」
スーパー堤防の整備は、1987年河川審議会超過洪水対策小委員会の答申を契機として決定されました。「超過洪水」とは、文字どおり「普通でない洪水」ってこと。超過洪水対策の切り札は、やはりスーパー堤防なのです。それで、江戸川・荒川下流域など、いわゆる「海抜0メートル地帯」で人口の極めて多い地域、言い換えれば超過洪水が起きたら甚大な被害を生ずるであろう地域の治水事業として、その整備が決定されました。当時の河川審議会の委員さんは、当然のことながら、河川工学・治水事業の専門家の方々です。
このスーパー堤防、本当に要らないのでしょうか?この整備事業を止めることは、「国家百年の計」として、後世に恥じることのない決定なんでしょうか?
専門家の言うことが絶対に正しいとは思いません。「専門バカ」という言葉もあるくらいで、専門家であるがゆえに視野狭窄に陥っていることもあるでしょう。しかし河川工学・治水事業の専門家がじっくり検討して整備を推進した事業を、たった何分か、何十分かの議論で、他の専門家の意見も聴かず、ひっくり返してしまって本当にいいのでしょうか?それで本当に間違いのない決定が下せるのでしょうか?
事業仕分けで有名となった女性議員は、今回もキャンキャン吠え立てるような声で担当者を質問攻めにしていましたが……そんなもん議論の前に自分で調べとけよ(怒)。前提知識すら持っていなきゃ議論にならんだろが。
「このままのペースで行くと完成は400年後。意味がない」
だったら予算をもっと増やして完成を早めるという選択肢はないんですか?
「建設途中で水害が起きたら防災効果は期待できない」
上記と同じく、完成を早めたらどうですか?
「200年に一度しかない災害に備えて巨費を投じるのはいかがなものか」
大洪水に見舞われて家や家族を失った人々に、「これは200年に一度の災害だからガマンしてね。洪水を防ぐより、洪水が起こった後で被害補償する方が安上がりだからね」と言うつもりでしょうか?
どんなに費用がかかったって、やっぱり治水は、防災は大切なことです。いまの自分たちだけの問題ではありません。子孫にとっても重要なことです。「財政が苦しい中、100年前の先祖が頑張ってくれたから、いまこうして安心して住める」という国づくりを目指したいですよね。私たちもいま、先祖の努力があってこそ安心して暮らしていられるのですから。
「どうしてもスーパー堤防を推進せよ!スーパー堤防じゃなきゃダメ!」と言ってるんじゃないですよ。そりゃ予算の都合もあるでしょう。妥協的に、もう少し堤防の規格を下げることを考えなければならないかも知れません。堤防整備は一時ストップしても、他にお金を回さなければならない事態もあり得るでしょう。
でもね、国として治水・防災をどう図るのかは、しっかり考えとかなきゃならんでしょうが。それこそ、「国家百年の計」を立てなければならんでしょうが。スーパー堤防はやめる、それはそれで仕方ないとして、それに代わる治水・防災事業は、どう実現して行くのですか。スーパー堤防をやめて、あとは放ったらかし、それでオシマイですか。
事業仕分けは、最初に結論ありき。ただ「廃止する」「縮小する」ことしか考えていないようです。スーパー堤防廃止「後」の治水・防災計画については、一顧だにされることもなく、ただひたすらに「廃止」だけが決まりました。
「廃止・縮小」して生み出したお金を、今度はどこに持って行くつもりなんでしょうか?また子ども手当みたいにばらまく?こんなのもはや「国」ではありません。「国」の体をなしていません。何の将来的展望、公共的視点も持てないなら、いっそのこと「国」自体を止めたらいかがでしょう?「無駄遣い」は1円もなくなりますよ。
「スーパー堤防はスーパー無駄遣いということで廃止」と、ひとり悦に入った顔で宣言した議員さん。私はあなたの下品なニヤケ顔を一生忘れないでしょう。日本中で洪水が起こるたびに、その顔を思い出すことでしょう。
それを聞いて「アハハハ」と馬鹿笑いを上げていた周囲の人々。あなた方が洪水の心配のない高台にお住まいになっていることを、切に祈ります。私はぜんぜん笑えなかった。こんな国になってしまったことが、日本にこんな国会議員しかいないことが、悲しくて悲しくて、泣いてしまいそうでした。
九州・耶馬溪にある「青の洞門」はご存知でしょうか。次のような物語が残されています。
――旅の僧・禅海は、山国川に面しそそり立つ競秀峰の裾にやって来た。ここは断崖絶壁を這うように渡らねばならぬ道の難所。これまでに何人もの村人が足を滑らせ命を落とした。禅海は競秀峰を貫く洞門(トンネル)を掘り抜く覚悟、この同門が抜ければどれだけ人々が助かることかと、岩壁にたった一本のノミを打ち続ける。「あんな小さなノミで洞門を掘り抜くなど、何百年かかることか」と、村人は禅海を狂人扱い。そんな声に耳も貸さず、禅海はノミをふるう。やがて一年が経ち、二年経ち、十年が経ち、洞門を一尺また一尺と掘り進むにつれて、村人の中からも禅海を手助けする者が現れる。それが一人二人と増えて行き、ついには村人総出で洞門を掘り進む。そして三十年の歳月をかけ、ついに洞門を掘り抜くことができた。以後、競秀峰で命を落とす者はいなくなった――
このような美しい物語は、もはやこの先、この日本で生まれることはないでしょう。いつ掘り抜くことができるのか分からない洞門より、目先のカネ・カネ・カネ……400年先の幸せを図ることは、「スーパー無駄遣い」でしかないのですから。
![]() | 私は無実です 検察と闘った厚労省官僚村木厚子の445日今西憲之,週刊朝日取材班朝日新聞出版このアイテムの詳細を見る |
このひとつ前の記事の「郵便不正事件」について、主任を務めた大阪地検特捜部の検事が逮捕される事態になりました。
容疑は、証拠品のフロッピーディスクの「更新日時」を改ざんしたというもの。逮捕された検事は「誤って書き換えてしまった」として、改ざんの事実は認めるものの、故意は否定しているそうです。
「更新日時」の改ざんて、どうやるの?
パソコンの内部時計をわざわざ変更したうえでフロッピーディスクを更新する?あるいは、更新日時変更ソフト(そんなものあるの?なければ自分で作成して)で改ざんする?いずれにせよ、そりゃまさしく「故意」というものではないかなぁ……
もしこの改ざんが事実だったら、そうまでして検察はいったい何をしたかったのでしょうか?謎は深まるばかりです。
![]() | マスゴミ崩壊~さらばレガシーメディア~三橋 貴明扶桑社このアイテムの詳細を見る |
いわゆる郵便不正事件(障害者団体の郵便割引制度を悪用したアレです)で、「偽証明書」を作成したとの疑いで起訴された厚生労働省元局長・村木厚子さんに、無罪判決が言い渡されました。
検察が証拠請求した調書が次々と却下され、無罪はほとんど確実視されていましたが、ようやく判決を得てさぞかしホッとされていることでしょう。
ところで……あれ?誰だったっけ???
「堕ちた女性キャリアの星」とか言って、村木さんを犯人と決めつけてたのは?自分がさかんに言い触らしていたことをもう忘れちゃったのかな?
そりゃ人間、誰でも間違いはあるでしょう。だけど間違えたときには、きちんと謝る!しっかり大きな声で謝る!それしかないでしょう。
で、謝ったの?これから謝るの?ちゃんと謝らないから、何度も何度も同じ間違いを繰り返してんじゃないの?
どうなんですか?マスコミの皆さん。あなた方に言ってるんですよ。
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民主党の党首選たけなわです。
聞くところによると議会政治先進国イギリスでは、与党の党首交代は原則として行わない不文律があるとのこと。その真偽のほどは知りませんが、国民的な感覚からすると「首相代えたいなら総選挙しろよ」と思いますので、そのような不文律があってもおかしくない(というか、あって欲しい)ものです。
ところで、新聞等での世論調査の結果に反し、ネット上の人気投票では小沢さんの方が菅さんより人気が高いケースが相次いでいると、複数のメディアが伝えています。この現象には高名な評論家たちも戸惑いを隠せず、「マスコミによる反・小沢報道に、国民は嫌気がさしている結果なのでは?」などとコメントしている方が多いようです。
あははは

どうしてネット上での人気が国民の意見をそのまま反映しているなどと、素直に信じ込んじゃうんでしょうねぇ?お人好しにも程があります。ネット上の人気投票に「無作為性」が担保されていると、本気で思っているのでしょうか?ちょっと思いを巡らせれば、その結果を信じていいかどうか分かりそうなものですが。
現在、Yahooみんなの政治を見れば、「アバターなし、初投稿」の投稿者が不自然なまでに小沢さんを持ち上げ、菅さんをこき下ろしていますよ。「アバターなし、初投稿」の意味ですって?これもほんのちょっと考えれば分かるはずです。
まぁ投稿の文章だけ見ても、真実を語っているのか、何らかの「工作」なのか、だいたい判断できるモンですが……以前から○ちゃんねる等で鍛えてきたネット・オヤジには、ですがね

![]() | 寝ながら学べる構造主義 (文春新書)内田 樹文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
出版界で、いま売れっ子(という言い方自体、怒られてしまうかも知れませんが…)の学者・内田樹さんが、ご自身のブログで「ウチダバブルの崩壊」を宣言し、話題になっています。
事実関係を簡単に整理すると、まずはブックファースト川越店の店長・遠藤晋さんが、ご自身のブログで、茂木健一郎さん・勝間和代さん・池上彰さんなどの「超多作ぶり」を「バブル」と捉え、批判的な意見を述べました。その意見を内田樹さんが支持し、単に支持するだけにとどまらず、自ら「ウチダバブルの崩壊」を宣言。具体的には、「ゲラは編集者のみなさんの手元には、ご期待の期日までには決して届かないであろう」と明言したのです(なんと大胆な

ここで私ごときが何ぞモノを述べるのは、はなはだセンエツではありますが、一読書人の率直な感想として言わせていただくなら、やっぱり遠藤店長さんの意見に賛成ですねぇ。一度売れると、同じ著者からほぼ同じ内容の「焼き直し」本が次から次へと出版される現状には、ちょっと悲しいものを感じます。
茂木さん、勝間さん、池上さん、そして内田先生。私はこの方々の作品の愛読者です。みなさん素晴らしい著作を出されますね。それだけに、じっくりと腰を据えて、いい作品を書いて欲しいと願っています。
![]() | 死刑廃止論団藤 重光有斐閣このアイテムの詳細を見る |
死刑廃止論者として知られる千葉景子法務大臣が、突如として2名の死刑囚に対する死刑を執行しました。
「在任中、死刑執行はしない」と、ほとんど明言せんばかりだったのに、いったいどうしたことなのでしょうか?昨日(平成22年7月27日)も、同様の記者会見をしたばかりでした。
私は死刑制度の存続に賛成する意見を持っています。しかし、死刑廃止を訴える方々の主張も理解できないではありません。むしろ、死刑廃止論に一定の敬意をさえ抱いています。
それだけに、今回の千葉大臣の「変節」は理解に苦しみ、いささか失望いたしました。どんな理由があって死刑廃止の信念を曲げたというのでしょうか?信念は、そんなに簡単に曲げられるものなのでしょうか?それとも、もともとその程度の信念だったのでしょうか?
「死刑執行は法務大臣に課せられた義務。行なって当然。行なわないのがむしろ違法」というのは、死刑存続論者の常套句です。私も通常はこの意見に与しています。しかしながら、今回に限っては素直にそう言えません。
一部では、参院選で落選したにも関わらず大臣に留任したことで強い批判を浴びている千葉大臣が、世論におもねり、人気取りのため、節を屈してかねて批判の多かった「死刑不執行」を改めた、との見方もされています。
まさか、一国の法務大臣ともあろう方が、そんな……よもや、そのようなことはないと信じております。けれども、万が一にもそのような思惑があったとするならば、許し難い事態です。
私を含め死刑存続論者も、決して人の命を軽く考えている訳ではありません。「厳粛な刑罰」としての、国権による「究極の秩序維持手段」としての死刑制度を支持しているのです。したがって、「世論におもねり、人気取りのため」に執行される死刑など、到底容認できません。いったい死刑囚の命を何だと思っているのでしょうか?死刑存続論者が「死刑囚の人命尊重」を訴えるのは大いなる矛盾ですが、そう叫ばずにはいられません。死刑囚の命は「人気取りの道具」ではないのですから。
そもそも、死刑制度の是非は政治的問題ではなく、法学的・哲学的問題であると、私は思っています。つまり、多数決で決すべき問題ではなく、何が「正しい」のかを理性的に追及すべき問題だということです。そのような性質の問題について、世論の赴くままに迎合し、もって支持率回復をはかるなど、言語道断というより外はありません。
もっとも、繰り返しますが、よもや千葉大臣はそんなことを考えてはいないと信じています。そう信じたいです。
それにしても不可解。千葉法務大臣は不可解な死刑執行をしたものです。
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ちょっと前から、三宅雪子衆議院議員の国会での転倒が騒動となっております。
三宅さんは、わが高崎市を中核とする群馬第4選挙区から出馬の衆議院議員(選挙区落選、比例復活)。議員になられる前はあまり群馬と縁がなかったようですが、いまや地元議員と言ってよいでしょう。
まずはお怪我の具合は大丈夫でしょうか?一日も早くご快癒なさいますようお見舞い申し上げます。
しかしながら・・・
「誰かに背中を押されて転倒した」との由、その言い分はもうムリでしょう。これだけはっきり映像が残っていては。
三宅さんが転倒したのは、これは紛れもない事実。でも、その転倒と、自民党・甘利議員とが無関係であるというのも、もはや議論や検討の余地もないファイナルアンサーというべきです。
さて、そのうえで・・・
「民主党も自民党もこんな瑣末な問題に関わっていないで、重要な政治課題に早く取り組むべきだ」などと、コメンテイター的な、「いい子ちゃん」な意見を言うつもりはありません。
やっぱり甘利さんに謝罪すべきでしょう、今回の件は。
三宅さんの人間としての、民主党の政党としての、器が問われていますよ。
きちんと謝罪し、しかるべき咎めまたは非難を受けたうえで、その後にしっかりと政治課題に取り組んでください。
失地回復の道は、それしかないと思います。
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製品問題に揺れるトヨタ自動車。豊田章男社長は米議会の公聴会に自ら出席し、謝罪と釈明をしました。
私は自動車に乗るようになって以来、一貫してトヨタ・ユーザーであり、また同社の微小なる株主でもあります。「強いトヨタ」の復活を大いに期待しております。
評価は二分されているようですが、豊田章男社長のソフトながら堂々とした物腰、淀みない答弁ぶり。さすがは経済大国ニッポンを代表する会社の社長であると、実に感心いたしました。イライラと感情的な質問をぶつける米議員たちが、よほど小人物に見えました。
――経済は一流、政治は三流。
わが国を評するこの言葉、やはり正鵠を射たものです。
だって、想像してみてください。あの公聴会のあの場に、鳩山首相が出席して釈明しているその姿を……
薄ら寒い気分になるのは、私だけでしょうか?
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さて、今年も大詰めとなりました。
今年もまた、善いことも悪いこともたくさんありました……表面的には。
しかし、「善い」と思ったことが本当に善いことだったのでしょうか。あるいは、「悪い」と思ったことがいつまでも悪いことであり続けるのでしょうか。
例えば、いま私の主要な業務となっているサラ金業者に対する過払金返還請求。この過払金返還のため全国のサラ金業者は青息吐息、一部上場の大手業者でも倒産寸前にまで追い込まれています。しかしほんの5~6年前まで、当のサラ金業者が「我が世の春」を謳歌していたのです。世間は不況に苦しみ、多重債務者の急増が社会問題化する中、ひとりこの業界だけは過去最高益を更新し続けていました。
このことを振り返ってみると、世の移り変わりに無常を覚えずにはいられません。いま過払金返還請求が業務として好調であるとしても、そこに慢心してはイカンなぁと思います。
いま「我が世の春」を謳歌する小沢幹事長と民主党。来年の年末も、同じ勢いのままでいられるのでしょうか?3年後は?5年後は?誰にも分からないことです。
言い古された言葉かも知れませんが、「人間万事塞翁が馬」。喜びも悲しみも、額面通りに受け取ってはいけないのかも知れません。虚無的な、シニカルな気持ちで言っているのではありません。ひたむきな、謙虚な心構えとして、そうあらねばならないと思っています。
みなさま今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
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今年もクリスマスですね

クリスマスは何の日かというと、なんとイエス・キリスト降誕の日だったのです!
……「そんなのお前に言われなくても分かっとる」と、口を尖んがらかして不服そうなアナタ、あなた、貴方。
ホントーですかぁ?と言いたい。
それじゃあ、お聞きします。
今年のクリスマスを迎えるにあたって、あるいは昨年のクリスマスを振り返っても結構です。あなたはイエス・キリストのことをたった一度でも思い出しましたか?
私の独自調査(つまり身近な人に聞いたということ)によると、9割以上の日本人は、クリスマスにただの一度も、一秒たりとも、イエス様のことを思い出してはいないようです。
別に私はキリスト教徒ではありませんが、これじゃあんまりイエス様がかわいそうです。
クリスマスは、ケーキの日でもプレゼントの日でもパーティーの日でもありません。サンタクロースですら本来、主役ではありません。ましてや若い男女が………やめておきましょう

そんなわけで皆さん、今年のクリスマスはせめて心の中だけでもイエス様に祝福を。
憎まれ口をたたきましたが、「クリスマスの商業化」は日本特有の現象ではなく、キリスト教徒が圧倒的に多い欧米諸国でも深い悩みとなっているそうです。