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Left to Write

司法書士 岡住貞宏の雑記帳

マスコミの存在意義

2020-04-07 20:44:04 | 世の中のこと

近頃、恒例となった総理会見。いや会見そのものではなくて、質問時間終了→もっと質問させろ!と食い下がるマスコミ→しぶしぶ応じる官邸側という図式が、恒例となりました。

本日、緊急事態宣言を受けての総理会見もそんな恒例行事となりました。「総理はこの後の日程も押してるので…」と官邸側は打ち切りたいのですが、マスコミがブーブーガーガー文句を垂れて質問をダラダラ延長させてました。

なんだかねぇ…とっても反感を覚えます。マスコミに。

何様のつもりかと。

曰く、国民の知る権利が云々。だけど、こう言ってやりたいです。

そもそもお前らロクな質問してないじゃん。

大切なことなので、大声でもう一度言います。

ロ・ク・な・質・問・し・て・な・い・だ・ろ!!!お前ら。

存在意義も疑わしい連中が偉そうな顔するんじゃない、まったく!

マスコミという「いかがわしい」機関を通さず、国民と為政者が直接質疑応答するシステムはできないものでしょうか?このあたり知恵を絞る必要がありそうです。


ネトウヨとは何か?

2020-04-07 00:19:32 | 世の中のこと

朝日新聞の記者が新型コロナ感染だそうで、お大事にして頂きたく、またご無事をお祈り致します。

ただ、それに対しネットでは「痛快ですか?」との声が多数飛び交っています。それというのも、朝日新聞の編集委員(というエライひと)がTwitterで、「あっという間に世界中を席巻し、戦争でもないのに超大国の大統領が恐れ慄く。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」とツイートしてたんだもの、やむを得ないよね。記者個人にはとばっちりでかわいそうだけど、朝日新聞社的には自業自得です。

ところが、そのようなネットの反応に対し、「アゴラ」なるメディアは「ネトウヨ、皮肉」と論評しています。

そもそも私は「ネトウヨ」という存在に疑問を抱いています。そういう一群の集団が、実在しているのでしょうか?

サヨク陣営に都合の悪いネット上の意見は「ネトウヨ」とラベリングし、無責任かつ無根拠な意見とみなして、やり過ごしている。そういう印象を受けます。言い換えれば、既存メディアに収束できない保守性の言論を、「ネトウヨ」という架空の生物のせいにしているように見えます。「あーネトウヨね、ネトウヨはしょうがねぇなぁw」と。その実、「ネトウヨ」的意見が気になって気になって仕方がないようにも見えます。

アゴラって、それほどサヨク陣営でもなかった気がするけど、まぁいいや。「ネトウヨ」なんて「ツチノコ」みたいな謎の生物を想定してる時点で信用力ゼロです。今後、いっさい信じないのが吉と思います。

朝日記者のコロナ感染に、ネトウヨ「痛快ですか?」と皮肉(アゴラ)


論理の誤り

2020-04-06 13:44:59 | 世の中のこと

論理の誤りについてはいろいろ類型化されていますが、現時点で特に目立つものを3つ紹介します。

1 早まった一般化

メディアでは一番多い誤りです。新型コロナ以上に猛威を振るっています。

「昨日、東京で子供の感染者2名が死亡した。だから新型ウイルスは子供が重篤化する特徴を持っている。」
(これは架空の情報ですよ、念のため。)

「子供の感染者2名が死亡」という事実は、「子供が重篤化する特徴を持つ」という結論を一般化して述べるためには、明らかに情報不足です。一般化が「早まって」なされている、ということです。

早まった一般化に基づく「煽り記事」は、非常に多く見られますので、注意してください。それも巧みに論理を偽装しています。

「ニューヨークの1か月前の感染者は1,000人だったのが、現在は1万人である。したがって、本日感染者1,000人を超えた東京は、1か月後感染者1万人を超えているだろう。」

この記事(これも私の創作です)にちょっと「恐い」と感じてしまった人は、用心が必要ですよ。ニューヨークの感染者の推移が東京の感染者の推移と「同じ」であるなんて、実際、何の根拠もありません。あり得ないことではない、ということは言えるかも知れませんが、それ以上の意味はありません。

2 因果関係と相関関係の混同

「都会の子供は地方の子供に比べて、テストの成績が良い傾向にある。」
(これもフェイクニュースね^^)

「都会」と「好成績」は、相関関係です。
これを因果関係と混同して「都会に住めばテストの成績が上がる」と解釈しては、間違いになります。

「新型ウイルスは、高齢者が重篤化しやすい。」

この情報も、現時点では相関関係に過ぎません。もしかしたら因果関係があるのかも知れませんが、まだ確定していません。相関関係に過ぎないこの情報を、因果関係的に断言するメディアの多いこと多いこと・・・。慎重になりましょう。

3 誤った二分法

多重債務者が、「このまま一生借金取りから逃げ続けるか、自殺するか、二つに一つしか道がない。」と言ったとします。

間違ってますよね。自己破産する、民事再生する、債権者と和解して支払う、いろんな道があるはずなのに、「二つにひとつしかない」と限定してしまっている。この手の誤りも、多く見られます。

「新型ウイルスに打ち勝つには、多くの人が感染して集団免疫をつけるか、ワクチンが完成するか、二つに一つだ。」
(フェイクニュース!)

「集団免疫」「ワクチン」いずれも有力な方法ではありますが、「二つに一つ」ということはありません。例えば、現在鋭意検討がなされているアビガンのような抗ウイルス薬が良く効くなら、免疫によらずウイルスに「打ち勝つ」ことがあるかも知れません。


マスコミに騙されないために

2020-04-06 09:26:55 | 世の中のこと
今回の新型コロナ騒動で明白になったのは、マスコミの報道にいかに「ウソ」が多いかということ。

無論、これまでもウソは多かったのですが、ウソがバレるまでに時間がかかりウヤムヤになっていることが多かったように思います。今回はマスコミが虚報を飛ばしまくってるせいか、短期間のうちに次々とウソがバレて行き、小気味いい程です。

マスコミのウソに騙されないための魔法の言葉をお教えしましょう。

記事を読んだら、「ふーん・・・でも本当かなぁ?」とつぶやくこと。これを習慣にすることです。

まずは「ふーん」と受け入れることがポイント。頭ごなしに否定すると、「否定のための否定」に陥りがちで、かえって客観的な視点が保てません。

「本当かなぁ?」とつぶやいたら、さらに重要なのは「自分の頭で考えてみる」こと。他の可能性はないのか?背景に別の事情が隠れているのではないか?論理の誤りはないのか?Google先生に聞いても、間違った報道が蔓延している状況下では、正しい情報に到達できません。

上記のうち、「論理の誤り」については、また後日書きます。


Facebookはもうゴメン

2020-04-05 14:53:06 | 世の中のこと
時は2020年(令和2年)4月、新型コロナウイルスが猛威を振るっています。

長年Facebookをやってきて、これまでもその忙しなさにウンザリすることはしばしばありました。
だけど昨今のFacebookは、デマと思い込みと、カタコトのような低俗な言説の嵐。すっかり嫌になりました。

SNSは人間をダメにする。間違いなく、そう思います。もうこれ以上、Facebookで人間の愚かさを見ていたくはないです。

というわけで、約5年も放置プレーだったブログにめでたく復帰です。

双方向のコミュニケーションである必要はない、自分の考えを残す。それだけのために書いていきます。

山中伸弥教授・ノーベル医学生理学賞受賞

2012-10-09 17:13:39 | 世の中のこと
山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた
クリエーター情報なし
講談社



 山中伸弥・京都大学教授がノーベル医学生理学賞受賞です。ここ何年か、候補者中の「大本命」と言われ続けて来ましたから当然といえば当然なのですが、本当にうれしいですね。おめでとうございます!

 日本が世界で生き残っていく道は科学技術しかないと、私は考えています。その日本にとってノーベル賞の受賞は、将来への明るい希望を見出だす思いがします。

 しかしながら、そう喜んでばかりもいられないというのもまた事実。この点については、かつてここのブログ記事(2010-10-08「ノーベル賞に思うこと」)で書きました。近年、事業仕分けなどという愚策が実施され、科学技術予算も大幅削減の憂き目に遭いました。当時、山中教授もカンカンに怒っておられました。そしてまた、ここのブログ記事(2009-11-30「科学技術と事業仕分け」)でもその愚策ぶりを攻撃しました(蚊が刺したくらいですが・・・)。

 もっと正面から、科学技術の推進を国是に据えて欲しいものです。それなくして、わが国に将来はありません。

 私自身は科学技術の発展に直接の寄与はできず、心苦しいばかりです。私のような者のことは後回しで結構なので、科学技術の推進を優先して欲しい――そう思ってすらいます。

もう、うんざりだ!

2012-06-22 02:04:45 | 世の中のこと
国家は破綻する――金融危機の800年
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日経BP社


 借金は700兆円以上。ところが収入(税収)は年42兆円程度。GDPとの関係でも2倍以上の借金を負うわが日本国(しかしGDPは国民の金であって国家の金じゃない!)。おまけに、借金は毎年まだまだスゴい勢いで増え続けています。

 誰が見ても、小学1年生が見ても、破綻寸前に見えるはず。幼稚園児並みの私の計数能力をもってしても、やっぱ破綻寸前に見えます。

 ところが大政治家さん、大学者さんが、まじめくさった顔で言います。「まだ大丈夫だ」と。まだもう少し借金できる。借金で景気を良くしてから増税すればいい。

 この20年間、「景気なんか良くならなくてもいい」と考えた人がただの一人でもいたのでしょうか?しかし景気は少しも良くなりませんでした。だとするなら、むしろ景気は当面良くならないという前提で物事を考える方が理にかなっているのでは?そう考えるのは私が馬鹿だからなのでしょうか?

 だいたい「借金で景気を良くする」という発想自体、私のような凡夫には理解不能。借金を続ければやがて「行き詰まる」のが常識なのであって、バラ色の将来とは正反対なのでは?これも私が借金について無知だからなのでしょうか?

 それでも大政治家さん、大学者さんは、厳かに言い放ちます。「増税より前にすることがある」と。

 もう、うんざりだ!

 この2~3年、さんざん甘い言葉を聞かされ続けて来ました。詐欺的な言説に騙され続けて来ました。「増税より前にすることがある」なら、なぜ今までして来なかったのか?本当は、もはやそんな「増税より前にすること」などないのでしょう?そんなものないから、できないのでしょう?財務官僚の陰謀?いい加減にしてくれ!

 増税しなければ国家財政が破綻する――今日、この言葉ほど腑に落ちる、素直な印象を受ける言葉はありません。もちろん増税が嬉しい訳はありません。しかし、これ以上詐欺師に騙さるのは、もう、うんざりだ!

 政治家であれ、学者であれ、国民を騙す甘言を弄するやつらは糾弾すべきです。日本国民も、それくらいの熱を持った方がいい。糾弾対象の政治家・学者は、ゴロゴロいるように思います。

野田総理への評価

2012-06-17 15:40:25 | 世の中のこと
消費税「増税」はいらない! 財務省が民主党に教えた財政の大嘘
クリエーター情報なし
講談社


 マニフェスト違反と罵られ、マスコミには叩かれ、自民・公明両党の修正案をほとんど丸呑みにせんばかり、それでも消費税増税だけは何としても実現しようとする野田総理。このような不人気政策を強行すれば、次の選挙で民主党は必ず大敗、彼は総理はおろか、民主党代表の座も失うことでしょう。もしかしたら政治生命を絶たれるほどの孤立に追い込まれるかも知れません。それでも消費税増税を推進する野田総理。

 そして、小沢グループなど一定の反乱分子もありますが、大勢としては野田政権の消費税増税を容認する方向にある民主党。

 政権交代以来、私ははじめて民主党政権を「偉い」と思いました。皮肉を言ってるんじゃないですよ。本当にそう思います。

 消費税増税は、野田総理・民主党政権の党利党略においてはほとんど何のメリットもない政策のはず。「どうせまたすぐ自公に政権交代するんだ。それまでは赤字国債でつないでおけばいい。増税は自公にやらせろ」。そう考えても何ら不思議ではありません。しかし、彼はそう考えませんでした。政権交代前に「どうしても必要だけどめちゃくちゃ不人気の政策」、すなわち消費税増税だけは済ませておこうと考えたようです。

 必要と信じる政策については、わが身の明日をかえりみず、何としてもやり遂げる。信念の前には孤立も恐れない。そんな「本当の政治家」の姿を見た思いです。

 もちろん、この消費税増税が真に国益に叶うものであるのか、世紀の愚策であるのか、それは歴史の審判を待たなければなりません。しかし、ここでは政策の中身の当否を言っているのではありません。政治家の姿勢のことを言っているのです。少なくとも、世論やマスコミの顔色をうかがいつつ右往左往するより、有権者の歓心を買うためだけのバラマキ政策に終始するより、はるかにマシだと思います。もし愚策だと判明したなら、直ちに改めればよろしい。

 一方で、バラ色の将来を夢見がちだった民主党政権が、ここまで増税に奮い立つとは・・・国家財政はそれほどの危機にあるのかと、ちょっと恐くなります。

生活保護制度の適切な運用を求める要望書

2012-06-08 20:32:14 | 世の中のこと
平成24年6月6日

生活保護制度の適切な運用を求める要望書

群馬県内各福祉事務所長 殿
群馬司法書士会会長
岡  住  貞  宏

 現在、人気タレントの母親が生活保護を受給していたことを契機として、生活保護制度及び制度利用者全体に対する「バッシング」というべき事態が起こっている。一連の報道は、「不正受給が横行している」、「働くより生活保護をもらった方が楽で得」などという、感情的で、生活保護の実態をおよそ把握していない表面的な議論に終始するものが多い。
 それら報道のなかには、扶養義務者による扶養が生活保護適用の前提条件であるかのように論じ、タレントの母親が生活保護を受けていたことを不正受給であるとする論評も見られる。しかしながら、現行生活保護法上、扶養は保護の要件ではない。保護の要件について定めた生活保護法4条1項が、「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる」と定めているのに対し、生活保護法4条2項は、「民法に定める扶養義務者の扶養は保護に優先して行われるものとする」と定めているのは、このことを意味する。厚生労働省も、「扶養が保護の要件であるかのごとく説明を行い、その結果、保護の申請を諦めさせるようなことがあれば、これも申請権の侵害にあたるおそれがあるので留意されたい」との通知を発出している(「生活保護法による保護の実施要領の取扱いについて」第9の2、『生活保護手帳2011年版』288頁参照)。
 加えて、夫婦間及び親の未成熟の子に対する関係を除き、直系血族及び兄弟姉妹に対する扶養義務は、「その者の社会的地位にふさわしい生活を成り立たせた上で、余裕があれば援助する義務」にすぎない。そうだとすれば、このレベルの扶養義務が存在することを前提に、なお扶養義務者による義務履行が困難であり、しかも申請者が保護の要件に該当する場合には、生活保護を受給しても違法性は存在しないのである。
 今回の事件に関連し、小宮山厚生労働大臣は、「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務」を課すという、事実上、扶養を生活保護利用の要件とする法改正を検討する考えまで示している。しかし、生活困窮者はDV被害者や虐待経験者も少なくなく、「無縁社会」と言われる現代社会において、家族との関係が希薄化・悪化・断絶している人がほとんどである。このような現実を直視することなくやみくもに上記法改正を行えば、生活保護制度の利用が著しく困難となり、餓死や孤立死などの深刻な事態が多発することも懸念される。昨今の経済状況の下、雇用情勢や他の社会保障制度を改善することなく生活保護制度のみを切り詰めれば、餓死・孤立死・自殺の多発、犯罪の増加など、深刻な社会不安をも招きかねない。
 群馬県内各福祉事務所においても、生活保護申請者に対し、「まずは扶養義務者に援助してもらいなさい」などと対応し、親族の扶養義務を口実に申請を不当に阻む運用がなされることがないよう、切に要望するものである。
以 上

生活保護騒動に思うこと

2012-05-31 22:24:31 | 世の中のこと
生活保護法的支援ハンドブック
民事法研究会


 母親が生活保護を受けていたという理由で、ある芸人さんが非難を浴びています。その芸人さんは実はかなりの収入があるとのこと。それだけの収入があり、格別の問題もなければ扶養義務を果たすべきではないか、というのが非難の趣旨です。

 確かに良いこととは言えません。形式的にはともかく、実質的には不当な受給の疑いもあります。

 なので、私もその芸人さんを擁護するつもりはありません。しかしその一方で、マスコミのバッシング報道にも違和感を感じます。違和感というより、むしろ「ああ、またいつものアレか」という感じ。空虚なセンセーショナリズムです。

 間違いなく、生活保護には「暗部」があります。ひとことで言えば、「もらうべき人がもらえず、もらうべきでない人がもらっている」ということです。今回の件は「もらうべきでない人がもらっている」ことの格好の事例なので、マスコミはむさぼるように飛びつきました。マスコミだけでなく国会議員まで喰いつきました。もう一方の「もらうべき人がもらえない」ことは、完全に無視されたままで。

 生活保護に「不正受給」は数多い。しかし「不正不支給」もまた数多いというのが、私の職務上の実感です。「不正不支給」とは言い過ぎかもしれませんが、明らかに「この人は受給できてしかるべきでないか」と思われる人が、役場の窓口で断られています。そんな事例をいくつも見ています。私たち司法書士の同行申請で受給できるようになる人も多く、それはそれで「受給できるようになって良かった」と思いますが、「それならどうして最初は断られてしまったのだろう」と、釈然としない思いもあります。

 不正受給の方だけ叩いていては片手落ち。不正不支給も問題視して欲しいものです。

 それにしても、興味本位のセンセーションはまた急速にしぼんで行くのでしょう。それはいつものこと、取り立てて驚きはしませんが、「生活保護をもらうのは悪いこと」というような誤った置き土産を残さないで欲しいと願っています。


黒く塗っておいてから黒さを批判

2012-05-17 10:51:29 | 世の中のこと
マスコミは何を伝えないか――メディア社会の賢い生き方
クリエーター情報なし
岩波書店



 今朝テレビを見ていたら、橋下大阪市長が市職員の「入れ墨」のことで記者会見していました。橋下市長はこう言ってました。発言の一部ですが、なるべく正確に記載します。

 「懲戒免職がだめでも分限っていうこともあり得るんじゃないかって思ってますが、まあそこは法的にいろいろ考えればいろんな人事の配置で、えー対処しなきゃいけないんでしょうね。」

 この発言を受けて、テレビ番組では「橋下市長は職員の分限免職にも言及して入れ墨職員への対処を検討している」と取りまとめ、「辞めさせるなんて行き過ぎだ」という街の声と、有名弁護士の「分限免職は法的に難しいのではないか」というコメントを紹介。さらにコメンテイターのタレント弁護士が、「入れ墨を理由に分限免職なんて法律的には許されません。こういう問題では配置転換等がせいぜいですよ」とのご意見を開陳しました。

 ここで私は橋下市長の姿勢や公務員の入れ墨の当否について云々するつもりはありません。注目したいのはマスコミの姿勢です。

 橋下市長が言っているのは、「分限免職も可能性としてはあり得ると思っているが、法的なことを考えると問題も大きいので、職員の配置転換等で対処すべきなのだろう」ということです。文字では伝わりませんが、声の調子やニュアンスもそんな感じでした。疑問な方はYoutube等でご確認ください。

 それに対してテレビ番組。「分限免職は行き過ぎだ」「分限免職は法的に難しい」って・・・橋下市長もそう言ってんじゃん。タレント弁護士氏「配置転換がせいぜいですよ」って・・・だから橋下市長も配置転換で対処するって言ってんじゃんか。元凶は、冒頭で「橋下市長は入れ墨職員を分限免職にするつもりだ」と印象付けていること。印象操作はこのようにして行うというお手本ですね。マスコミの常套手段ですが、もういいかげんにして欲しいもんです。

 はじめに黒く塗っておいてから、その黒さを批判する――そんなマスコミは要りません。このブログでもすでに繰り返しマスコミを批判していますが、打つ手ナシ。どうにもならないですね。


橋下徹大阪市長と維新塾

2012-04-10 11:47:30 | 世の中のこと
体制維新――大阪都 (文春新書)
クリエーター情報なし
文藝春秋


――いま「我が世の春」を謳歌する小沢幹事長と民主党。来年の年末も、同じ勢いのままでいられるのでしょうか?3年後は?5年後は?誰にも分からないことです。――

 これは2009年の年末、私がこのブログで書いた記事の一節です。その後の小沢さんと民主党の人気凋落、両者に対する批判の激しさは、なにも私が解説するまでもないでしょう。

 いま大変な勢いの橋下徹さんと維新塾。どうか気を付けて頂きたいと思います。上り調子のときは神とまで持ち上げ、ひとたび落ちればゴキブリのようにぶっ叩く――これがわが国のマスコミとわが国民の不変の習性です。これまで何人もの人々がその餌食となって来ました。人生を大きく狂わせてしまった人さえいます。3年後、5年後の批判の激しさを見越して、政治活動にあたって欲しいと願っています。

 さて、私は生来のへそまがりですから、橋下さんが調子のいい今こそ、彼に対する批判をしておきたいと思います。

 まず第一に、彼の主張する政治改革は、あまりに急激すぎるように思います。たとえそれが悪い制度であれ、急激な改革は大きなひずみを生み、不満分子の爆発を引き起こします。反動でより悪い結果をもたらすこともあります。爆発と反動を繰り返したフランス革命を、いまは志向するときではありません。
 現代の政治は漸進主義であるべきです。マックス・ウェーバーは、政治とは「堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり抜いていく作業」であると言いました。いまの政治家は、このような「くり抜き作業」ができていません。やり始めても、すぐにやめて(やめさせられて)しまいます。「じわっじわっ」と、少しずつ政治改革を進めて行って欲しいものです。

 第二に、どうして大阪府知事、大阪市長なのでしょう。国政を志向するなら、きちんとその舞台に出て来て欲しいと思います。自らはそこに出ず、TV・マスコミ的な発信力を通じて外から国政をコントロールしようとする姿勢は、疑問を禁じざるを得ません。もっとも、それにコントロールされつつある既存政党も、はなはだみっともない話ではありますが・・・。彼の主張する政治改革は、ほとんど国政レベルの対応が必要なものです。だとするなら、正々堂々と国政の場でその実現を目指すべきです。そうでなければ、その主張は欺瞞です。「地方の時代」とかなんとか、あやふやなイメージだけで彼の姿勢を論じ、その欺瞞性を批判をしないマスコミの責任も大きいものがあります(ま、いまさらマスコミに何も期待してませんけどね・・・)。

 第三に、維新塾のこと。政治は数こそが力ですから、広く同志を求めるのはいいでしょう。しかし、この同志、ホントに大丈夫なのでしょうか。単なる「流行りモノ」に終わってしまわないのでしょうか。「○○チルドレン」とか「○○ガールズ」とか、急ごしらえの質の低い政治家にはもはや心底辟易しています。それらの二の舞にならないことを、切に願っています。

東日本大震災から一年の節目における会長声明

2012-03-13 13:32:34 | 世の中のこと
東日本大震災から一年の節目における会長声明


平成24年3月11日
群馬司法書士会会長 岡住貞宏

 東日本大震災の発生から一年が経過した。
 直近の報道によれば、被災地において震災及び津波によって生じた「がれき」の処理は、いまだ全体の5%しか完了していないという。この事態に象徴されるとおり、被災地及び被災者の抱える問題は、いまだ多くが手つかずのままであり、解決にはほど遠い状況にある。
 被災地において法律家が取り組むべき課題も、また、その多くは手つかずのまま放置されている。とりわけ、福島第一原子力発電所の事故に関しては、損害賠償が遅々として進まず、被害者は困窮し、いら立っている。避難区域内の土地・建物等財物に対する賠償などは、その金額が膨大なものとなることが見込まれるためか、国及び東京電力ともに、あえてその言及を避けているように思われる節もある。さらに、このまま未解決の状況が長引けば、やがて損害賠償請求権が時効消滅する事態も考えられ、被害者救済の観点からは、由々しき事態が生じかねない。
 当会は、法律家である司法書士の団体として、震災発生以来、被災地におけるさまざまな法的問題に対処すべく、労力を傾注して来た。群馬県内に避難して来た被災者に対する避難所巡回相談、被災現地で開催された各種相談会への相談員の派遣、「被災者支援ホットライン」(祝日を除く月曜日~金曜日)による電話相談、そして被災地の法的問題を伝える情報誌「群馬司法書士新聞震災対策特別号」の発行と福島県内仮設住宅への巡回配布などである。特に「群馬司法書士新聞震災対策特別号」は、平成23年4月10日発行の第1号から始め、ほぼ1月に1回の発行頻度にてすでに第10号を発行し、通算で6万部(第10号のみで8000部)以上を被災者に対し無償配布した。
 これらの活動を実施するため、当会はのべ700名以上の人員を投入した。そして、言うまでもないことであるが、それらはすべて被災地・被災者に一切の負担をかけることのない無償の活動として行なって来たものである。
 司法書士は、「国民の権利の保護に寄与する」(司法書士法1条)ことをその制度目的とする。また、司法書士は、登記・供託・訴訟等の法的手続において、独占業務を認められた職業である。このような制度目的及び職業の性質にかんがみれば、国民の権利が危殆に瀕し、さまざまな法的手続を必要とする大震災後の現状において、被災地・被災者の法的救援に向けた活動を行うことは、司法書士の制度上の責務であり、職業上の義務であるというべきである。
 当会は被災地に所在の司法書士会ではないが、司法書士の責務及び職業上の義務に照らし、被災者のおかれた現状をとうてい座視して過ごすことができない。当会は、かつて阪神淡路大震災に際しても積極果敢な活動を展開した。現在の当会が行なっている活動は、その誇るべき伝統を踏襲することでもある。
 上述のとおり、いまだ法律家の取り組むべき課題は山積している。それらに目を背けることはできない。当会は、司法書士の責務及び職業上の義務を強く自覚し、これら課題の解決に向けたなお一層の努力を、被災者と共に続けて行く所存である。
 東日本大震災から一年の節目に、今後も被災地・被災者の法的救援に向けた活動を継続して行くことの決意を明確にするため、この声明をする。
以 上


駄獣の群

2012-02-26 23:03:44 | 世の中のこと
与謝野晶子とその時代―女性解放と歌人の人生
入江春行
新日本出版社



今朝の読売新聞コラムに紹介されていた詩です。あまりに世相を反映していたので全文紹介。



「駄獣の群」

ああ、此国の

怖るべく且つ醜き

議会の心理を知らずして

衆議院の建物を見上ぐる勿れ。

禍なるかな、此処に入る者は悉く変性す。

たとへば悪貨の多き国に入れば

大英国の金貨も

七日にて鑢にて削り取られ

其正しき目方を減ずる如く、一たび此門を跨げば

良心と、徳と、理性との平衡を失はずして

人は此処に在り難し。

見よ、此処は最も無智なる、

最も悖徳なる、はた最も卑劣無作法なる

野人本位を以て

人の価価を

最も粗悪に平均する処なり。

此処に在る者は

民衆を代表せずして

私党を樹て、

人類の愛を思はずして

動物的利己を計り、

公論の代りに

私語と怒号と罵声とを交換す。

此処にして彼等の勝つは

固より正義にも、聡明にも

大胆にも、雄弁にもあらず、

唯だ彼等互に

阿附し、

模倣し、

妥協し、屈従して、

政権と黄金とを荷ふ

多数の駄獣と

みづから変性するにあり。

彼等を選挙したるは誰か、

彼等を寛容しつつあるのは誰か。

此国の憲法は

彼等を逐ふ力無し、

まして選挙権なき

われわれ大多数の

貧しき平民の力にては……

かくしつつ、年毎に、

われわれの正義と愛、われわれの血と汗、われわれの自由と幸福は

最も醜き

彼等駄獣の群に

寝藁の如く踏みにじらるる……



世相を反映?

実はこの詩、1915年(大正4年)に与謝野晶子が読売新聞紙上に掲載したものです。

政治家の「駄獣ぶり」は、それから100年が経とうとする今日でもちっとも変ってません。

いやしかし、もっと考えなければならないのは「彼等を選挙したるは誰か、/彼等を寛容しつつあるのは誰か。」の一節。

「まして選挙権なき/われわれ大多数の/貧しき平民の力にては……」などという時代は、とっくの昔に終わっているはずなんですがね……

日本人全員、この詩を大声で朗読し、猛省しなければならないようですよ!



なにかが・・・

2011-04-02 00:04:17 | 世の中のこと
喪の途上にて―大事故遺族の悲哀の研究
クリエーター情報なし
岩波書店


 未曽有の大災害に直面し、日本中、なにかが変です。

 被災地でなくても、なにか調子が狂っています。

 ある者は思考停止し、ある者は過剰な反応を示し、またある者は保身に走る――

 非常時、人の本質が現れます。メッキははがれ、地金が見えてきます。

 自分のなすべきことを見失わず、ぶれず、曲がらず、一心に努めて行きたいと、改めて思います。