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Left to Write

司法書士 岡住貞宏の雑記帳

政権交代に向けて(頑張れ!立憲民主党)

2021-10-05 14:03:43 | 世の中のこと

 総選挙も間もなくですが、私はわりと真剣に政権交代が起きて欲しいと思っています。政権交代というと思い出すのは、やはり2009年に(旧)民主党政権が誕生したときのこと。日本人にとってほとんどトラウマのような経験でありますが、それでもやっぱり政権交代はあった方がいい。失敗を繰り返して徐々に改善していくのは政治の世界も同じです。グズグズダラダラと現政権与党の支配が続くのより、なんぼかマシだと思います。ダラダラしてたら改善の機会も失われるというものです。

 そして現在の日本において、政権交代の主役と考えられるのは立憲民主党w僕らの立憲民主党(爆)みんな大好き立憲民主党(失神)

 どうにも頼りないので、立憲民主党の問題点を指摘し、もって党勢回復の参考にして頂ければと思います。もっとも私が指摘するのは、もっぱら「表面的」なことです。だって立憲民主党についてそんなに深いことなんか知らねーし、『枝野ビジョン』(文春新書)読んでも政策的には自民党と大差ねーし。いや、むしろいいんですよ、「革命を目指す」みたいな大差あったら政権交代なんて任せられませんからね。表面的にこのへん直した方がいいんじゃねーの知らんけど、ということを3点ほど指摘します。

 

1クチのきき方が悪過ぎ

 テレビのニュース等を観ていると、ときどきチョー不遜な物言いをする政治家が出てきます。ルシファーのごとき傲岸さをもって、「自民党などすぐに滅びるであろう!」と力強く断定を下します。

 んんっ!この大魔王様は誰だ!?とよく見れば、枝野サンや福山サンじゃあーりませんか。支持率5%の巨大政党wの大幹部様でありました。

 まぁ別にどんな口のきき方したって「好きにしろい」としか思いませんが、でも嫌われるよね、身の丈に合っていないビッグマウスは。少し前によく言われた「KY」とか「イタい人」とか、そういう印象しか受けません。

 無理にへりくだれと言うつもりはありませんが、普通に話せないんですかね?ごくフツーに。妙にリキんでいて余裕がなくて不快感がいっぱい。静かに、論理的に話せば国民にも通じると思うんですけどね。

 

2自民党のことを気にし過ぎ

 野党ということの性質上、発言の多くが与党批判になるのは仕方ないと思うんですが、それにしても自民党のことばかり言ってますよね。特にアベさんのこと。もうとっくに首相辞めたんですがね。むしろこれだけ気にするのは、逆に自民党大好き、アベさんLOVEなんじゃないかとさえ思います。好きな子にやたらちょっかい出すアレです。

 発言の半分は与党批判・政権批判に充てるとして、もう半分は自党の政治観とか政策提言とか、そういうののアピールに充てた方がいいんじゃないの?共産党との協力関係は、あんたたちの支持者でさえ不安・不信に思ってるよ。よく説明したら。ちょっと前に「政権発足後、初閣議で直ちに決定する事項」というのを出しましたが・・・う~ん・・・もう少しよく考えてから、濃い内容を発信しようよ。

 

3「仲間」しか見てない

 上記1及び2も、結局はこの第3点目に収束するのかも知れませんが、立憲民主党は自分たちの「仲間」しか見ていない、仲間に向けてしかモノを言っていないように感じます。「自民党は滅びる」「ワー!」「アベノミクスは完全に失敗だ」「ワー!」歓声を上げているのは立憲民主党の支持者だけ、他の多くの人たちは白けています。

 ここはよく考えてください、本当に重要なことです。

 現状、どんなことがあっても与党に投票しない「反・与党票」は立憲民主党の支持者を含めて投票者の20%くらいはいるでしょう。いや20%はちょっと甘いかも、でも15%くらいは間違いなくいると思います。一方、どんなことがあっても与党に投票する「与党票」は投票者の30%くらい。こちらも少々辛く見ても25%は間違いなくいると思います。残りは無党派層、場合によって投票先を変える人たちですが、しかしこの無党派層も完全な「無色」じゃないんですよ。恐らく、濃淡はあれ、無党派層もだいたい30:20の割合で与党:反与党の色が付いている訳です。で、全体として与党60:反与党40とか、そういう割合に落ち着く。

 立憲民主党は選挙に勝とうとしたら、いま与党に投票している人たちに投票してもらわなければなりません。確固たる「与党票」はどんなに訴えかけても与党に投票するんですから、鍵を握るのは「通常は与党に投票する無党派層」ということになります。この層の支持がなければ(与党の支持から引き剥がさなければ)絶対に、永遠に選挙に勝つことなんてできやしません。

 気を付けなければならないのは、この層の人たちは「実際に与党に投票していた(投票したことのある)」人たちだということ。例えば枝野サンが「自民党はバカだ」と言う。仲間である反・与党票の人たちは「ワー!」と歓声を上げて大喜びする。だけど、メインターゲットとする無党派・与党支持層はどうですか?「あー自民党はバカなんだぁ、投票するのやめよう」と思いますか?思わないでしょう。「バカな自民党に投票したお前らもバカ」と言われているように感じて、嫌な気分になるだけではないですか?

 つまり、仲間内の心地よい喝采ばかりを求めて、政治の本当の目的を見失ってやいませんか?ということ。国民の幅広い支持を受ける政党が与党となるのです。だとしたら幅広い支持を受けられるような言葉を発しなければ。幅広い支持を受けられる態度を取らなければ。仲間の顔色ばかり窺っていても仕方ないでしょう。いまは仲間でないけれど、仲間になって欲しい人をこそ見るべきです。そのことが分からないと、繰り返しますが、絶対に選挙になんか勝てないですよ。

 

 いかがでしょうか?多少なりとも参考になりましたでしょうか、立憲民主党の皆さん。私は真面目にアドバイスしているつもりです。おちょくってる気持ちは全くありませんので、悪しからずご了解ください。なーんて、多少おちょくってますね(笑)誠にスイマセン。でも、特に上記3は真実を含んでいると思うよ。

 罪滅ぼしに『枝野ビジョン』のリンク貼っときます。

 

 

 

 


高齢化社会と「若返り」

2021-10-03 20:12:08 | 考えたこと

 現在のわが国は高齢化社会です。私が指摘するまでもありませんが。

 現在の平均寿命は男82歳、女87歳を超えています。平均寿命とは、今年オギャーと生まれた赤ん坊の平均余命ということなので、若くして亡くなってしまう人々の統計をも含んだ数字です。何が言いたいかというと、例えば、今年70歳の男の平均「余命」は、平均寿命82歳から70歳を引いた12年ではなく、実は16年。女では20年。70歳まで無事に生きて来た人々は平均寿命を超え、男86歳女90歳までフツーに生きるってことです。超高齢化社会です。

 一方で、この超高齢化社会においても、いや超高齢化社会だからこそ(?)、「若返り(の必要性)」ということが声高に叫ばれることがあります。

 例えば、先日行われた総裁選に伴い、自民党四役も一新されるに至りました。この党四役の平均年齢は60数歳、いちばん若い福田達夫総務会長でも54歳だそうで、「これで若返りと言えるのか?」という批判が、主に野党筋から出ています。

 しかしどうなんでしょうね?高齢化社会では社会構成員の平均年齢も当然上へシフトして行く訳で、日本という国全体の政治指導者の平均年齢が60代というのは、高齢との批判を受けるべきなのでしょうか。

 知恵や経験、また人格の円熟が求められる政治の世界では、60~70歳くらいがむしろ一番「脂の乗った」時期ではないでしょうか。政治指導者があまり若くても不安を覚えます。政治に限らず、一定の知的労働においては同様に60~70歳くらいが総合的な能力のピークとなるのではないでしょうか。否、いわゆる肉体労働の分野においてさえ、テクノロジーの進歩により高齢は問題にならなくなりつつあります。

 昭和の終わり頃、日本人の平均寿命は男75歳、女82歳くらいでした。この時代において「70代は引退すべき」という意見は分からなくもありませんでしたが、それをそのまま現代に持ち越すとしたら、あまりに思考が粗雑です。この間、大学進学率も大幅に上昇し(昭和63年31%、令和2年56%)、人々が「社会に出る年齢」も高くなっています。指導者層の高年齢化は、むしろ理にかなっているとさえ言えます。

 さらに言えば、健康な現代人が60歳やそこらで年寄りヅラして引退モードに入るなんて、それこそ責められるべき態度だと思います。だって、労働人口が減少して困っているのでしょう?だったら、もっと高年齢まで働かなきゃ。労働者も企業も、社会全体で覚悟を決めて、今より高年齢まで働くように制度をデザインし直すべきです。現在の60歳再雇用制度のような、高年齢労働者の給与を下げるための「割引券」みたいな制度ではなく、根本的な制度改革が必要です。当然、年金制度の改革も必要となるでしょう。

 私が子供の頃、70歳の男性はとっても「おじいちゃん」に見えました。現在では70歳くらいではまだ若々しい人が多いですね。それだけ健康寿命が延びているということで喜ばしいことだと思いますが、そうであるなら、労働年齢も相応に伸ばさなければ。若い女性の前では「オレもまだまだ若いぜ」と言い、働く場面では「もう年だから」なんて、そんな都合良くはいかないぞう!

 明治維新の元勲と呼ばれる人たちは20代から30代の人が多く、現代の政治家と比較して「今はジジイが云々」という主張も見たことがあります。だけど、明治初年の日本人の平均寿命って40歳代ですぜ(笑)それと比較するのは現実離れしていると思います。

 

注)加齢による心身への影響は人によって差異があり、早期のリタイアを選択せざるを得ない方がいることを否定するものではありませんし、無論、そのような方を責める趣旨ではありません。念のため付記いたします。


日本のコンプレックス

2021-09-01 17:44:11 | 世の中のこと

 

―― 貴族がどうのこうのと言っていたが、(貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解)或る新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴の知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。太宰などお殺せなさいますの? 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり。(太宰治『如是我聞』より)

 

 『如是我聞』は太宰の死の直前の作品。小説ではなくエッセイ、というか、わめき散らした抗議文という趣の文章です。凄まじい悪口雑言のオンパレードですが、さすがの切れ味を持っています。抗議の相手方は、主に志賀直哉。もっとも、「既存の文学界」や「国土を焼き尽くした敗戦によっても毫も変わらない日本社会」が真の相手方なのであって、志賀はそのチンケな代表選手に過ぎないのかも知れません。

 さて本日、私が指摘したいのは、「貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解」という一節。この不可解さは太宰の死から70年以上を経た今日においても、依然として解消されていません。

 

 小室圭氏と秋篠宮眞子内親王の結婚が年内にも執り行われるとの報道がなされました。今の日本において新型コロナウイルスを除き、この小室圭氏ほど悪し様に罵られている対象はありません。ほとんど常軌を逸しているとしか思えないバッシングに晒されています。

 「日本国民として大切な皇族の結婚について関心を持つのは当然のこと。小室氏はこれほど問題のある人物なのだから、批判されるのも無理はない」。マスコミの代弁する「国民の声」は、こんなところでしょうか。しかし冷静に考えてください。「これほど問題のある」という「これほど」とは、どれほどなのでしょうか?

 

 はっきり「トラブル」として認識されているのは、小室氏の母が元婚約者なる人物から400万円を借り、それが未返済であると言われる問題。バッシングはこの問題を契機に炎上しました。

 しかしながら、

①小室氏の母は、「借りたのではなく贈与を受けた」と主張しています。一方は「貸した」と言い、一方は「もらった」と言う。どちらが真実なのかは、無論、当事者の主張だけでは確定できません。ところが「国民の声」においては、根拠のひとつもなく「貸した」で確定、逆に小室氏の母の主張は何の根拠もなく「嘘」であると確定しています。

②当事者の主張で確定できないものなら、他の事情・状況も斟酌して見るのが妥当な態度でしょう。借用書等の契約書は最初から作っていないとのこと。消費貸借契約の成立の要件である「返還の約定」も、元婚約者による「返してもらうつもりだった」という一方的な主張しかありません。「国民の声」の中には、「400万円もの大金をただ差し上げるなんて、常識的にあり得ない」という意見もあるようです。しかし、小室氏の母は婚約者だったのでしょう?婚約者の優秀な一人息子の学費に充てるお金だったのでしょう?お金に余裕さえあれば、そのような贈与も普通にあり得ることではないでしょうか。むしろ、「400万円もの大金を、単純に『あげる』のではなく『貸す』という意思を明確に持っていたのにも関わらず、契約書すら取り交わさない」ことの方が、常識的にはあり得ないことのように感じます。

③元婚約者は、小室氏側に対し、これまで返還の請求もせず、裁判等の債権回収手続きも取ったことがないようです。小室圭氏が眞子内親王と婚約した後になって、にわかに「実は大金を貸したことがある」との主張が浮上してきました。

 

 以上の状況をごく普通に考えるならば、やはり小室氏の母は「もらった」のであり、「借りた」とは言えないのではないでしょうか。つまり、元婚約者の主張にこそ無理があり、小室氏側は一種の「言いがかり」を付けられている状況ではないですか?私は一応法律家の端くれですから、上記①~③には法律的な観点も含まれています。しかし繰り返しますが、法律は別問題として一般常識に基づき「ごく普通に」考えても、同じような結論にたどり着くのではないでしょうか。

 

 百歩を譲って、仮に400万円は真に借りたものでその未返済がトラブルなのだとしても、それは小室氏の母と元婚約者の問題であり、小室圭氏本人の問題ではありません。そもそも元婚約者が「貸した」とする当時、小室圭氏は未成年者です。一人では契約もできません。親の因果が子に報い、とでも言うつもりでしょうか。あまりに前時代的な考えではないですか。もし本当に、親の不始末で子が苦しめられているとするのなら、小室圭氏は同情をされこそすれ、批判されるべき対象ではないでしょう。

 

 そして、この400万円の問題以外に、「これほどある」と言われなければならない小室氏の問題って、いったい何なのでしょうか。私の見る限り(マスコミ等の報道の限り)、すべて根拠のない憶測です。出所も明らかでない噂や伝聞ばかりです。誰かきちんとした根拠をもって、まともに「問題なるもの」を指摘できますか?中には小室氏の亡くなった父上について、口に出すのも憚られるような酷い憶測も存在します。「アンタそんなこと言って、虚偽であった場合に責任取れるのか?」と追及したくなるような内容です。

 

 どうしてこうなってしまうのでしょうか?太宰の言うとおり、まさに不可解。結婚相手が眞子内親王というだけのことで、数多くの人々がイキリ立ち、正気を失っているように見えます。

 

 「ヤキモチ。いいとしをして、恥ずかしいね。」

 

 再び太宰の言葉を借りるなら、これに尽きるでしょう。皇室から妻を迎える小室圭氏に気も狂わんばかりの嫉妬をし、イキリ立っている。誠にいい歳をして、恥ずかしいことです。あなたは大丈夫ですか?もともと皇族が誰と結婚しようが、あなたみたいな成金の奴(やっこ)の知るところではありませんよ。いや私が言ってるんじゃないですよ、太宰がそう言うんです(笑)太宰が悪いんですよ、太宰めー。

 

 結局、皇族・皇室は、いまなお日本のコンプレックスの対象なのでしょう。ここでコンプレックスとは本来の意味で使っており、単なる「劣等感」という意味ではありません。愛憎入り交じった複雑な心理というような意味です。例えば有名人や芸能人などにも、われわれはコンプレックスを感じることがあります。一方で羨ましく、他方で反感を覚えるようなアンビバレンツな状態です。それの激しく強烈なものを、皇族・皇室に感じる。だから小室圭氏を無我夢中でバッシングしてしまう(皇室へのバッシングはタブーなので)。それがわが国、わが国民に深く根差したコンプレックスだということです。個人的には、あまり気分の良いものではないと感じます。魂の自立ができてないから、そんなコンプレックスを抱えちまうんだ。そう思います。

 

 前にこのブログでも触れましたが、日本語ネイティブでありながらスカラーシップを受けてJ.D.を卒業し、アメリカの弁護士資格を取った(まだ発表前ですが、まず合格でしょう)小室圭氏。この努力は並大抵のものではなかったはず。また、その才能にも素晴らしいものがあるのでしょう。婚約発表当時、法律事務所職員(パラリーガル)という職業も、ひとつのバッシング対象でした。それを自らの努力と才能で見事にはねのけて見せました。

 また、ほとんど全国民を敵に回しながら一人の女への愛を貫き、最後には彼女を連れてアメリカへと飛び去る小室圭氏。ある報道では、皇籍離脱一時金も辞退するのではないかと言われています。下衆な成金国民どもの「財産目当て」という勘繰りを尻目に、です。

 いや、カッコいいよね。私は心からカッコいいと思います。男として尊敬します。ずっと年下だけどね(笑)いい歳をして私なんか情けないもんです、まったく。

 

 若い二人の幸福を心から祈ります。二人が幸せになることこそが、狂ったように小室氏を罵った日本国民への最大の報復となることでしょう。

 

【2022.4.15補記】

 どうやら圭さん、2度目の司法試験に落ちたらしいです。ちょっとカッコ悪い(^^;;

 その限り(「カッコいい」という論評の限り)において、若干前言撤回します。しかし、お二人の幸せをお祈りしていること、狂ったようなバッシングに勤しむ日本国民を下衆の極みであると思うことは、何ら変わりありません。もう一度、気合い入れて頑張れ!圭さん。


甲子園とホームアドバンテージ

2021-08-24 17:21:02 | 世の中のこと

 今年の高校野球は雨にたたられ、延期に次ぐ延期。コールドゲーム、ノーゲームなど関係者や選手にとって酷な事態も生じています。10年くらい前、われらが母校が出場(春)した年も天候不順で、母校の当初の試合予定日は雨で中止、翌日は試合開始となったものの降雨ノーゲーム、さらにその翌日ようやく試合ができたのでした。

 大会運営者の苦労や苦悩はよく分かりますし、天候が相手ですから、仕方ないと言えばそれまでなのですが……しかし工夫の余地はないものでしょうか?

 天候の影響を受けないのは、やはりドーム球場ですよね。いまや全国にいくつもあるのですから、毎年全国持ち回りで開催したらどうでしょう?甲子園球場にはこれまでの歴史があり、特別な思い入れがあるのは理解できます。しかし、高校野球の歴史はこれからも「作られ続けて行く」もの。ここらで全国のドーム球場を舞台に、新たな歴史を刻み始めるのもいいのではないでしょうか。

 東京オリンピックでは日本選手が大活躍でした。よく言われるのはホームアドバンテージ。日本を「本拠地」とする選手たちは、東京において、他国の選手よりも力を発揮する――そういうことは確かにあると思います。今回のオリンピックは無観客でしたが、応援する人の多さもホームアドバンテージに関係してくることでしょう。

 そのように考えると、「全国持ち回り案」はやっぱり良いことだと感じます。だって甲子園球場に固定では、兵庫県・大阪府の学校が常にホームアドバンテージを持ってしまうことになりますから。選手も応援も、両府県からは非常に行きやすいですよね。持ち回りで、今年は北海道、翌年は九州、次は東北…という方法は、全国の高校野球関係者にとって、かなりありがたい話なのではないでしょうか。

 再び母校の話で恐縮ですが、2回にわたる雨天順延により、生徒の応援団は相当の苦行を強いられたようです。群馬県と甲子園では「中止になったからちょっと帰る」という訳にはいきません。OBでも仕事を休んで3日間「居続け」をした猛者がいたとか。まぁOBの方は喜んでそうしてたので別にいいんですけどね(笑)


FACTFULNESS(ファクトフルネス)

2021-08-14 13:25:43 | 本の紹介

 

 少し前にベストセラーになった本です。そう、新型コロナウイルスの蔓延前に。

 著者はお医者さん(医学博士)でしかも公衆衛生学が専門であるため、現在のコロナの状況を示すような、まるで「予言」していたかのような記述が多いです。

 ちょっと長くなりますが、一部を引用。

 

<引用はじめ>

 ワクチンを例にあげよう。恐ろしい病気から守ってくれる予防接種を、自分の子供に受けさせない親がいる。みんな、良い教育を受けた人たちだ。にもかかわらず、「批判的思考」という錦の御旗のもとにとんでもない間違いをおかしている。わたしは、物事を批判的に考えることが大好きだし、「本当かな?」と疑うことも大事だと思っている。しかし大前提として、動かぬ証拠があれば、それをないがしろにしてはいけない。

 もしあなたが仮に、麻しん(はしか)の予防接種を子供に受けさせたくないと思うなら、次の2つのことを守ってほしい。

 まず、麻しんにかかった子供が亡くなるとき、どんなふうに亡くなるかを知っておこう。麻しんにかかった子供の多くは回復するが、いまだに発病してからの治療法はない。最高の対症療法を行っても、1000人のうちひとりか2人が亡くなってしまう。

 次に、「どんな証拠を見せられたら、わたしの考えが変わるだろう?」と自分に聞いてみよう。「どんな証拠を見せられても、ワクチンに対する考え方は変わらない」と思うだろうか? もしそうだとしたら、それは批判的思考とは言えない。証拠を無視したら、批判的思考は成り立たないからだ。ワクチンを疑う際に役立った批判的思考が、いつの間にか役立たずになっていないだろうか?

<「第4章 恐怖本能」より・引用おわり>

 

 先日、あるメーリングリストで「ワクチン接種は慎重に、自分を大事に」という意見が回ってきました。そのこと自体はいいでしょう、意見が様々なのは当然でしょうから。しかし、その人が貼り付けてきた根拠(しかも他人から「回ってきた情報」の「転送」だという)のあまりに愚かな内容に、絶句。ご自身でもその根拠の信憑性を、多少なりとも調べてみましたか?せめて元の情報に当たりましたか?いやいや調べる以前に、どうしてその愚論の方を(ワクチンよりも)信用できると思ったのでしょうか?判断の決め手は何なんですか?

 メーリングリストからは即刻脱退しました。新型コロナに関するFacebook上の愚かな投稿に辟易して離れてしまったのに、メーリングリストでこんなヨタが飛び込んでくるのではたまったものではありません。

 ずいぶん売れた本なのだけどな。ひとつの流行語にもなったはずです、FACTFULNESS。

 しかし新型コロナのこの世の中、この本の主張に反してFACTLESSNESSに満ち溢れています。

 

(追記)

 新型コロナのこの時代、著者のハンス・ロスリング氏はどのような意見を言っておられるのだろうかと思い、調べてみたら、2017年にお亡くなりになっているとのこと。誠に残念なことです。


スマホ脳

2021-08-03 10:29:49 | 本の紹介

 

 スマホの危険性を説いたこの本、大変に売れているようです。スマホだけでなくSNSの危険性も強調しています。

 私も思い当たるフシがあります。いや「フシがある」どころじゃなく、思い当たり過ぎてフシブシが痛いほどです。①集中力が落ちた、②根気がなくなった、③長い文章を読むのが億劫になった、これらはやっぱりスマホやSNSが強く影響しているのではないかと。より直接的に、④眼がますます悪くなったのは、間違いなくスマホが元凶だと思います。⑤クソな記事や投稿が飛び込んできてムカつく、精神衛生上良くないのは、SNSの罪業ですな。

 著者はお医者さんで、かなりの権威ある方のようです。知らんけど。しかし、様々なデータを次々に突き付けてスマホ・SNSの危険性を説くこの本には、説得力があります。データではなくエピソードですが、「ジョブスもビル・ゲイツも、わが子にスマホを持たせなかった、あるいは厳しく制限した」という話は衝撃的ですらあります。

 早速ながら私もスマホを制限し始めました。1日の使用時間は1時間に制限(スクリーンタイム利用)。使っていい機能・アプリは、電話、メッセージ(SMS)、テザリング、バーコード決済、カレンダー、アラーム、Lineのみ。Lineも使いたくないんですが、これが主な連絡手段の人もいるので仕方なく。SNSやゲームはスマホで全廃。電子メールチェックやWebでの調べものはPCで。Kindleは専用端末で。

 始めてみたところ誠に快適ですが、思わぬ副作用が。携帯を忘れて出かけてしまうのです(笑)。これもスマホにやられつちまつたスマホ脳のせいだろうと、諦め気味なのであります。

 


予想していたとおりではありますが

2021-07-09 14:47:49 | 考えたこと

 予想していたとおりではありますが、東京オリンピックの無観客が決まると、人々は「落胆」「選手がかわいそう」「開催意義に疑問」と。観客上限1万人にあんだけ反対し、口汚く罵ってたのにね。

 マスコミも平常運転。愚民を煽り、社会を混乱させることが仕事だと思ってやがる。「無観客でも私たちマスコミが充実したオリンピック報道・放映をします。まかせておいてください!」くらい言えないもんかね。ま、そんな気の利いたコト言える訳ないな、あのバ〇やつら。

 右を向いても批判、左を向いても批判。自分の望むとおりに進まないと少しのガマンもできない駄々っ子ばかり。昔から駄々っ子はいたんだろうけど、最近は拡声器を使って駄々をこねるのでやかましくて仕方ない。WebとかSNSとかいう名の拡声器です。

 このブログでも何度か同じようなこと言って来ましたが、もう空しくなってきたよ。愚民によってこの国は、世界は、滅びてしまうのだろうな。


辞書かネット検索か

2021-07-07 16:28:05 | 考えたこと

 スマホを使うようになってから(ここ12~13年くらい?)、辞書はネット検索で代替し、紙のものを使わなくなっていました。ですが、昨今話題の『スマホ脳』やらネット依存やらのことを知るにつけ、「やっぱりスマホばかりいじってちゃダメだなぁ」と、あえて紙(書籍)の辞書を使ってみることにしました。

 ところが自慢じゃないんですが(エッヘン)、現在の年齢まで言葉の蓄積を重ねて来ると、「これどういう意味だろ?」と調べる言葉は辞書にも載っていないということがしばしばあります。無論、広辞苑など引けば出て来るんですが、卓上の新明解国語辞典ではダメです。逆に言えば、新明解レベルの言葉ならほぼ全部分かります(エヘンエヘン)。いやいやいや、自慢じゃな(しつこい)

 今読んでる幸田露伴だと新明解ではまるで歯が立ちません。そうすると、やっぱりネット検索かなぁ・・・

 以前読んだ新聞記事では、「スマホだとついメールやSNSのチェックをしたりゲームに流れたりしてしまうので、敢えて電子辞書を使っている」という人のことが紹介されていました。なるほど一理ありますが、ネット検索には電子辞書にはない利点もあります。例えば、露伴先生に出て来る「綫」という字、読み方が分からなくても「糸へん 戈(ほこ) 戈(ほこ)」と検索窓に入力すれば一発です。電子辞書ではさすがに無理だよね、この方法。

 広辞苑は重いし電子辞書は高いし、だけどスマホ脳は恐いしで、どうしたら良いのか決めかねています。


選択的な別姓

2021-07-05 16:59:56 | 世の中のこと

 親の離婚及び再婚により、私は実の母(親権者)と「親子別姓」でした。小さい頃(2歳くらい?)からずっとそうでしたし、今でもそうです。

 それでどうだったか?それをどう思っていたか?夫婦別姓を選択した場合の子供はそれで「困る」と言われるように、親と姓が違うことで困っていたのか?サダヒロ少年はっ!

 ぜーんぜん(笑)

 物心ついた時からそういうモンだったので、そういうモンだという以外、なーんも思いませんでした。

 

 「でも他の家と違うじゃないか?」

 そうだよ、他の家と違うよ。違ったって別にいいじゃないか。なんか問題あんのか。

 

 「それは親の怠慢だ。親子同姓にする方法はあったはずだ」

 あったと思うよ。今こういう仕事してるんだもの、良く知ってるよ。でもサダヒロ少年は「岡住」という姓に愛着を持っていたので、途中で母の姓に変えると言われたら、すんげー嫌だっただろうな。大反対したと思うよ。戸籍名が変わっても学校では「岡住」と名乗り続けていたかも知れない。同姓を強制しないでくれて、むしろ親には感謝している。それを怠慢というんかね?

 

 「でも親子別姓が嫌な子供だってたくさんいるはずだ」

 そりゃそうだろうね。それだからこその「選択的別姓」なんじゃねん(笑)嫌なら同姓にすればいいじゃん。私みたいに別姓がいいなら、そうすればいいじゃん。

 

 近ごろまた議論の盛んな選択的夫婦別姓の参考事例として、親子別姓の私の例を紹介しました。ま、あくまでも私の事例です。みんながそうだ(親子別姓でも平気)とは言いません。ただ、選択的別姓なら別に誰も傷付けないんじゃないかなぁ。別姓反対の人は「他人が別姓だと俺が傷付く」とでもいうつもりなんかいね?すいませんねぇ傷付けちまって。

 ただまぁ、歴史がどうの家族の絆がどうの大上段なこと言わなくたっていいと思うけどな、経験的に。夫婦別姓にムキになって反対してる人がいるけど、何なんだろね?一回別姓やってみりゃ分かるよ。

 


大御心?

2021-06-25 18:01:11 | 世の中のこと

 むかし天皇は御簾の奥にいて、やたらな者には顔を見せなかったし、声も聞かせなかった。

 で、直接話をすることのできる高位の臣が「これが帝の御意じゃ、しかと受けてたもれ」と天皇の意思を伝える。と言っても、ほかに誰も聞いてないんだもの、それが天皇の本当の言葉かどうかも分かりゃしねぇ。

 ちょうど大河ドラマ「晴天を衝け」でもやってるじゃん。慶喜が孝明天皇に拝謁する。御簾の向こうに天皇がいるのだけれど、顔も見えない、声も(よく)聞えない。左右に居流れる公家たちは勝手に「攘夷が御意じゃ!」と威張りまくる。しかし賢き孝明帝は、時々「御簾を上げよ」「人払いせよ」と命じ、公家は驚く、慶喜は畏れ多く平伏する。で、天皇は直接自らの言葉で慶喜に話しかける。

 帝の威を借る公家が現代でも居るとは思わなかった(嗤)バッカじゃねーの。

 だいたいさぁ、こういうのって「天皇の政治利用」ってやつなんじゃねん?なんで文句言わないの?共産党、アカヒ新聞。

 日本国の主権者たる国民様「陛下の大御心を蔑ろにするなんて許せないっ!」

 やめとけやめとけ、なーにが急に「陛下」だ。都合の良いときばかり呼ぶんじゃない。


ちったぁ落ち着け

2021-06-23 15:37:10 | 世の中のこと

 オリンピック会場での酒類販売の件ですが、最初にこれを報じたのは共同通信で、下記ニュースでした。

2021/6/22  0:57配信

 東京五輪・パラリンピック組織委員会が会場で観客への酒類の販売を認める方向で調整していることが21日、関係者の話で分かった。新型コロナウイルス感染症対策のため、時間帯などに制限を設けるとみられる。

 

 ところが、「一転して」見送る方向になったと、その日の夜になって同じ共同通信が伝えました。

2021/6/22  22:01配信

 東京五輪・パラリンピック組織委員会は22日、会場での酒類の販売を一転して見送る方針を固めた。販売を認める方向で検討したが、新型コロナウイルス感染防止の観点から断念へと転じた。

 

 最初の報道、「関係者の話で」って、誰のことだよ関係者?記者の脳内の小人さんではなく実在の人物?こんなヨタ話、真偽の確認のしようがないじゃないか。

 最初の記事こそが共同通信の飛ばしで、夜になってゴマかした、という可能性はないの?いつもマスゴミマスゴミと批判している皆さんどうなの?今回ばかりは共同の記事丸呑み?酒だけに。

 

 そりゃ組織委員会としては、酒類の販売を認めることも禁止することも、両方の可能性を検討して決定することでしょう。その際に、スポンサーの権利(もともと酒を売る前提での契約)のことを考慮する必要もあるでしょう。一方、当のスポンサーは、内心「ビール売れるといいなー」と思いつつも、表面的には「コメントする立場にない」とクールな顔するしかないでしょう。

 で、そんなこんなで最終的に組織委員会としては酒類販売を不可と決めた、ということ。この最終決定がすべてなんじゃないの?他の可能性は思ってもいかん、検討してもいかん、口に出してもいかん、なんて、どこの中国・北朝鮮だよ。

 今回もまた、組織委員会はクソだ丸川さんはバカだアサヒは不買だと、大騒ぎしとりますなぁカシコき国民の皆さん。

 ちったぁ落ち着いたらどうですい?Let’s Enjoy Olympics.

 

 ちなみに私個人の意見としても、酒類販売は反対ですよ。スポーツと酒って相反する事柄なんじゃないかな?酒なんか飲んだら健康に悪いよ。


原則と例外

2021-06-22 10:38:44 | 世の中のこと

 オリンピックは開催するのが原則、中止は例外。日本は自ら手を挙げて、オリンピック開催を引き受けることを国際的に約束した。その約束を「破る」という例外を取るためは、相当の強い理由が必要。

 飲食店の営業は自由なのが原則、制限するのは例外。憲法は営業の自由を保障していると言われる。憲法上の保障に反する制限を取るためには、相当の強い理由が必要。制限に対する補償の有無多寡も、ひとつの判断要素であろう。

 重要なことは、オリンピックも営業制限も、「YesかNoか」が対等でどちらかを自由に制約なく選ぶものではない、ということ。はじめから原則・例外の重みの違いがある(無論、原則が重い)。今回、例外の対処を取るならば、その理由が相当であるかを厳しく吟味しなければならない。簡単なことではない。

 短絡的な批判を招くと嫌なので強調しておくが、すべて「原則が重い、原則どおりにすべきだ」と主張しているのではない。もとより、例外はあり得る。ただ、例外を選択するならその理由がきちんと問われなければならないと言っている。

 さらに誤解を招くと嫌なので付け加えるならば、

「オリンピックを原則どおりやるなら、飲食店の営業も原則どおり自由にすべき」

とは言ってないし、

「飲食店の営業は例外的に制限されたのだから、オリンピックも例外的に中止すべき」

とも言ってない。

 オリンピックの開催と飲食店の営業は別のことだ(関連性はあるにしても)。

 「学校の運動会が中止になったのだから、オリンピックも中止にすべき」

 憤りは理解するが、あまりに飛躍した考えであるのは言うまでもない。こういう声を正面切って報道するのも、いかがなものかと思う。


内閣不信任案と解散と総選挙

2021-06-16 14:13:38 | 世の中のこと

 野党が提出した内閣不信任案を受けて、与党筋が「解散だ」と言ったのが悪いとかどうとか。

 なーにを言っとるんだ、解散当然じゃないか。与党を解散・総選挙に「追い込む」ためにこそ不信任案出すんだろが。

 コロナ禍の最中に選挙なんて・・・という批判があるとかどうとか。

 なーーーにを言っとるんだ、選挙は民主主義の根幹、民意を示す最高の手段。政府のコロナ対策が気に食わないなら、オリンピックが気に入らないなら、それこそ「即刻、選挙せよ!」だろが。

 昨今、政治の基本が滅茶苦茶になっている気がする。与党も悪くないとは言わないが、元凶は間違いなく野党とマスコミ。総選挙しない限りずっと野党のままだ、それでいいのか?

 ああ、そもそも政権なんか取りたくないのか?責任のない立場で口先の批判だけして高給もらってたいのか?それじゃしょうがないねぇ(嘲笑

 今回もオリンピックを控えて「政権はすぐさま総選挙に打って出ないだろう」という見込みの下に不信任出してんだもんな臆病者。恥を知れ。


床屋が苦手

2021-06-09 11:22:04 | 考えたこと

 男性にはそういう人が比較的多いのではないかと思いますが、床屋が苦手です。子供の頃から床屋嫌いで、「髪の毛なんて原始人みたいに伸ばしたままでもいいんじゃねぇか?」と思っていました。いまではさすがに髪が伸びてくると「うっとうしいな、切りたいな」とは思いますが、いざ床屋に行こうとすると憂鬱になります。

 その原因はどこにあるのか、考えてみました。

 

1「注文」の仕方が分からない

 床屋に行くと、「今日はどうしますか?」と聞かれますよね。何て答えたらいいんでしょう?まずこれが分かりません。

 私としてはテキトーに短くしてくれりゃそれでいいんですが、「どうでもいいです、テキトーで」と言うのも相手の仕事を軽んじているような気がして、「ええ、まぁその・・・短く」と何とも要領を得ない注文になります。五分刈りとかパンチパーマとか、明確なスタイルであれば注文しやすいんですけどね。いまのこの髪型、何ていう呼び方をしたらいいのか分かりません。現状を見て、床屋の方で適宜仕上がりを類推してくれないもんだろうかと思っています。

 「耳にかからないようにしますか?」というのもよく聞かれるんですが・・・え?だっていま現在、耳にかかってないですよね私の髪?床屋さん目線で見るとかかっているのかな?だいたい耳ってタテ7㎝ヨコ3㎝くらいあるじゃないですか?「耳にかかる」って、耳のどの部分に髪がどの程度かかることを言うのでしょう?

 「刈り上げますか?」これも謎の言葉です。刈り上げの定義ってどんなんでしょう?言葉としてはよく聞くものですが、正確なところを知りません。バリカンでうんと短くするってこと?うんと短くして欲しいけど、バリカンは嫌だな。だから「刈り上げて」いいとも悪いとも判断つかず、回答に窮することになります。

 床屋に行く前から「今日は何て言おうか」考えて、それだけで少し気が重くなります。

 

2おしゃべりは止めて欲しい

 床屋によりますが、とってもおしゃべりな人がいますよね。退屈させないようにサービス精神でそうしているのかも知れません。私は、おしゃべりは止めて欲しいです。初めから終わりまでムッと黙っていてくれた方がありがたいです。

 ただ、この点は人によって評価が異なるでしょう。無口な床屋は嫌だという人もいるかも知れません。

 

3眠いのに眠れない

 何もせずじっと座って髪を切ってもらっていると、眠くなりますよね。ですが、眠ってしまって首カックンになると床屋さんも切りにくいでしょうから、眠らないよう努力することになります。これが辛い時も多いです。上記の「おしゃべり」は、お客さんを眠らせないようにするための床屋戦略なのかも知れませんね。だけど、その肝心のおしゃべりが嫌いとなると打つ手ナシです。本を読んでいられたらいいんですが、私は眼が悪いのでダメです。髪を切るときは当然眼鏡を外してますから。

 子供の頃は(も?)落ち着いてじっと座っているのが大の苦手で、チョロチョロ動くため床屋がキレて、「もう帰れ!」とトラ刈りのまま帰されたことがあります(笑)それでも料金は全額取られました(爆笑)

 床屋の時間を、退屈せず、眠くならず、有意義に過ごす方法ってないもんですかね?発想の転換で、逆に「眠っていても大丈夫」な方法はないもんでしょうか?寝ている間に髪を切ってくれると。そういう床屋があったら、絶対そこに行くだろうなぁ。

 

 ・・・と、グズグズくだらないことを書いているのはそう、いま、髪が伸びていてそろそろ床屋に行かなければならないから。あーメンドクサイなぁ・・・いっそスキンヘッドにしつちまつたら、どうだろう?

 嘘だからね〇〇君、仲間に引き込まないでね(笑)

 

(リンクは本文と関係ありません)

 


風情

2021-06-07 13:18:18 | 考えたこと

 お風呂の給湯器があるじゃないですか、自動のヤツ。で、お風呂が熱いとき、水を注入する機能があるでしょ?お湯じゃなく水。

 最近給湯器を変えたのですが、あの注水機能(のボタン)、もとの古い機械では「さし水」だったんですけど、新しい機種では「たし水」になっていました。いやボタンは(老眼で)よく見えないんでしばらく気付かなかったんですが、「お湯張りをします」とか「追い炊きをします」とか機械が喋るのを聞いていたら「タシミズをします」と。「え?サシミズじゃないの?」とボタンをよく見たら、確かに「たし水」と書いてありました。

 「さし水」の方が、なんか風情のある感じがしませんか?シュンシュン音を立てている茶釜に柄杓一杯の水を「差す」と、スッと音が消え静寂が訪れる。そんな感じ。水を足すから「たし水」。そりゃそうだけどさそのとおりだけどさ、当たり前すぎてつまらない。

 と、激しくどうでもいいことでした(^^)こんな駄文にお時間を取らせてスイマセン。