倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

軽井沢スキーバス事故から7年・青木湖の事故から48年・犀川の事故から38年…鎮魂と内省の日

2023-01-16 | 日記

多くの若者らを乗せたスキーバスが路外に転落し、重大な事故結果を招いてしまった「軽井沢スキーバス転落事故」から 1月15日で7年を迎えました。

その日には、現地で遺族などが「安全運行を誓う集い」を行なったことなどが報じられました。

 

 

 

先ずは 彼(か)の重大事故から はや7年が経過したのか…その時間経過の早さを実感すると同時に、この間(前後)においても 観光バスなどの複数(多数)の人が乗車する乗り合いバスによる事故が後を絶たないことに 忸怩たる思いを新たにいたすところであります。

 

この事故は、ベテランとは言い難い 経験の浅いドライバーがハンドルを握り、しかも当日は 高速道からルート変更を余儀なくされたバスが高低差の大きい碓氷峠を走行する中、下り坂を走行中にスピード制御が効(き)かなくなり路外に転落したもので、いわば不幸な原因が重なり合って起きてしまった事故といえるでしょう。

 

さらに言えば、この事故に限らず 近年に起きるバス事故の要因として、2000年に断行された「規制緩和」の悪しき影響があることが否めないことが 識者の間でも述べられています。

 

 

 

貸切バスなど自動車運送業に課せられていた需給調整規制・運賃や料金といった価格の規制の緩和に伴い 多くの事業者の参入が起き、結果 競争が激化し、価格競争と同時に コストカットのための人員削減等により、限られた(経験の浅い)人員による無理な運行スケジュールに伴う事故が発生するとの〝負のスパイラル〟に陥ることとなってしまいました。

 

 

 

しかし 国(政府)は、このように(業界にとっても)厳しい状況になったにも関わらず、運行基準等を事前に見直さず「何かあったら規制しよう」との〝事後規制強化〟に取り組みを留(とど)めており、そのことも 事故が間断なく起きる要因になっているとも言われています。

 

 

 

このことは、さきの福島での「出会い頭の衝突・炎上事故」とも共通…「何かあった後に対応する」との 行政の〝後手後手対応〟を示していると言わざるを得ません。

 

[参考]軽井沢スキーバス事故を受けた対策について/国土交通省

           ↓

https://www.mlit.go.jp/common/001170252.pdf

 

 

 

また この事故をはじめ、多くの乗客を乗せた(重量のある)バスが特に下り坂で制御不能に陥ることが少なからずあることから そこには運転手の技量の未熟さが指摘されており、エンジンブレーキや排気ブレーキなど「フットブレーキに頼らない減速方法」を活用していたのか否かも 事故の要因として取り沙汰されています。

 

実は かくいう私も、過去に「下り坂」で怖い思いをしたことがあるのです。

まだ20代の頃 クルマを買い換える際に、それまでマニュアル一辺倒だったものをオートマ車に変え 確か志賀高原にドライブに行った帰り道。

丸池あたりから クルマは下り坂を快調に走っていたのですが、いくつかのカーブをこなしているうちに ブレーキペダルを踏んでも 何だかフワフワした感じ…いくら踏んでも減速できなくなってきたのです。

そのときはアセッたの何の💦 幸い〝暴走〟とまでゆかないうちにサイドブレーキをメ一杯引いたところでようやく停車、路肩に止めて安堵の溜息(ためいき)をついたものでした。

 

そうです。その現象は 自動車教習所でも習った「ペーパーロック現象」だったのです。

「ペーパーロック現象」とは、特に下り坂でフットブレーキに頼った減速を続けるうちに 加熱によってブレーキホース内に気泡が生じ、それが悪しき間衝(かんしょう)となって(ブレーキペダルの)踏み込みがブレーキパットに伝わらなくなる現象です。

 

 

 

当時〝オートマ初心者〟だった私は、後に「オートマでもローレンジにシフトダウンしてエンジンブレーキを活用しろ」を教えられたものですが、普通自動車でも下り坂で起きる〝制御不能状態〟が、多くの乗客を乗せた大型バスで起こった際には 最悪の結果を招くことにつながることは自明でありましょう。

 

かかる軽井沢スキーバス事故においても、警察の捜査によって 乗員の勤務体系・ツアー会社とバス会社の委託内容・申請していた経路と異なるルート選択など 企画運営会社側の不備が明らかになり、検証の場を司法(裁判)に移して争議されるところですが、いずれにしても もはや失われた生命は戻ることはありません。

 

 

長野県内におけるバス事故といえば、昭和50年の「青木湖スキーバス事故」から48年が経過、

 

 

 

昭和60年に起きた「犀川スキーバス事故」から38年が経過するなどしていますが、いずれも事故が繰り返されていることは残念に尽きないところです。

 

 

 

 

・・・・・・。

私自身、過去に重大な失態により運転免許を失うこととなった経験をもつ者として、それ(免許)を失ったが故に 現代社会における自動車運転の必要性と、(私は幸い事故は起こさなかったものの)万が一の際の事(こと)の重大性を再認識し、改めて内省の意を強くいたすところです。

社会生活に欠かせない自動車運転。便利な移動手段として活用される(バスなどの)乗り合い車両。

さまざまな価値感のうえに立って、それ故に 法令遵守と事故の無い環境構築が求められていることを再認識するところです。

 

 


〝椅子引きイタズラ〟にある「したモンは忘れるが、された人は深い傷を負う」事実 

2023-01-16 | 日記

ネットの記事に「人が座ろうとした時にふざけて椅子を引く行為がいかに危険か」旨の複数の記事を目にしました。

この記事に触れ、私も子ども時代の痛い思い出が蘇(よみがえ)り 記事に甚(いた)く共感すると同時に「他人(ひと)にする行為」について「加害した方(ほう)は忘れるけど、された側は忘れないし 何より深い傷が残る」ことを再認識したものでした。

もとより そんなしょーもないイタズラによって、大きなケガを負ったり 一生を左右しかねないような大きな後遺症が出ることがあることから、改めて啓発する必要があることを 併せ再認識しました

 

 

 

 

記事は、中学生の息子(Aくん)をもつ母親(Bさん)の投稿が引用されていました。

学校での休み時間中、Aくんが椅子に座ろうと無警戒のまま腰を下げ始めたタイミングで 後ろにいた生徒(C)が急に椅子を引いたことから、Aくんは まともに床に尻もちをつくことになってしまいました。

そのときは、周囲の生徒に笑われるなどして 逆に自分が恥ずかしい思いをしたとのことでしたが、重大な問題は それから1年以上が経過してから起きた(発症した)そうです。

ある頃からAくんは 疲れやすい・頭痛がするなどの体調不良に陥ったことから専門医を受診したところ「脳脊髄液減少症」との診断が下されました。

「脳脊髄液減少症」とは、脳から出ている「硬膜」や「くも膜」の内側にある「脳脊髄液」が 外からの強い衝撃によって漏れ出して健康な状態以下の量にまで減ってしまうと、頭痛・疲れ・体のしびれ・聴力障害・記憶障害など、実に多岐に亘る症状につながるものです。

 

 

 

ただ この(脳脊髄液減少症による)症状は、症状が出現までに非常に長い期間を要することから「この事故が原因」と即座に断定できない難しさがあり、今回のケースも〝椅子引きイタズラ〟のせいだと断定し切れない面もあり、被害生徒と家族は 半ば泣き寝入りを余儀なくされているそうなのです。

 

今回の(記事の)ケースは、診断に時間がかかり いわば有耶無耶(うやむや)になってしまったものですが、例えば 椅子引きイタズラのせいで肘や手首を骨折するなど直ちにケガにつながったときには、加害生徒(の家族)が被害生徒に損害賠償を支払う義務が生じることにもなり、何より そんなしょーもないイタズラのせいで 生徒間の人間関係がおかしくなってしまうことは不幸としか言いようがありません。

 

かくいう私も、かかる〝椅子引きイタズラ〟に遭ったものの一人です。

中学校のとき、クラスのがーたく(乱暴者)の標的になった私は 休み時間にそれ(椅子引き)をやられました。

そのときは、座ろうとする動作の中で異変に気づいた私は机の縁(へり)につかまり まともに尻もちをつくのは回避できましたが、机の中身を床にぶち撒けることとなり、やはり周囲に笑われ非常に気まずい思いをしたものでした。

その瞬間は、周囲はたいがい笑うのものです。それも〝被害者〟に対して。

 

 

今回の投稿記事は、被害生徒が「脳脊髄液減少症」に陥り 今も難儀な後遺症に苦しめられているというものであり、加害生徒の行為は 許し難いものです。

しかし、概して「(イタズラを)したモン」は忘れるのです。被害生徒が後遺症に苦しんでいるのに。

百歩譲って、加害生徒が それを覚えていても、そっち(加害生徒)には後遺症が残るワケでもなく、実質的に苦しむのは被害者側の方なのです。

 

また、このような ケガなどの〝物理的被害〟の他にも、例えばイジメや暴言・虐待などによる「心の傷」を負わせたときも然り…やった方(ほう)は いわば言いっ放し、相手が その後どれだけ(心が)傷つくかなど考えもせず、やがて忘れるのです。

しかし、された方は 忘れたくても忘れることなどできません。

そのうえで 心に傷を負いながら生きてゆかなけれならないのです。

こんな理不尽がありましょうか。

 

例え話しに「満員電車のハイヒール」があります。

通勤時の満員電車。車体が緩やかなカーブで揺れた際 乗っていた美貌の乗客がよろけ、履いている15cmのピンヒールの踵(かかと)が 傍らに立つサラリーマンの足の甲を踏んづけました。

「痛い!」と激痛にあえぐサラリーマン、でも件(くだん)の女性は「あら、ごめんなさい。」とサラリと一言。

彼女は次の駅で颯爽(さっそう)と下車してゆきました。

で、その女は 他人の足を踏みつけて痛い思いをさせたことなど、やがてキレイサッパリ忘れることでしょう。

でも 踏まれたサラリーマンの足の痛みは消えないのです。

 

 

ヒトの社会の中で 半ば公然と為(な)されるイタズラ・イジメ・虐待は、社会にとって不必要な行為の最たるもの、そんなことをしても誰にも評価されないし、みんなが不幸になるだけの蛮行でしかありません。

で、その特徴は(タイトルのとおり)「したモンは忘れるが、された人は深い傷を負う」

こんな理不尽は許せん!と 記事を書きながらも憤りを禁じ得ないところでありました。

 

なお このこと(椅子引イタズラは絶対やってはいけないこと)は、新学期に児童生徒に指導すべきことを各学校に通達するよう 教育委員会に申し伝えることといたします。