倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

青木島遊園地廃止問題 ~長野市の説明に欠落しているもの~

2023-01-28 | 日記

今や大きな社会問題にもなっている、長野市の「青木島遊園地」の廃止問題。

去る23日に「青木島遊園地の存続を願う地元住民有志の会」が発足したことが契機となったように、関係するところで さまざまな動きがあり、改めて社会の注目を集めることとなっています。

このブログでも既にお伝えしているとおり、今回の遊園地廃止の決定プロセスにおいては 何ともいえない「釈然としない感」が満ち満ちており、経過を追えば追うほど「何で?」と思わざるを得ない事項が連なることとなっています。

この〝何ともいえない釈然としない感覚〟は、おそらく多くの読者みなさんも同じではないでしょうか?

 

これまでもレポートしているとおり、長野市は 遊園地廃止に向けて「6つの理由」を掲げ「だから廃止します」として結論づけようとしています。

しかし、その廃止理由には かなりの無理があり…何というか、合わないピースを無理矢理押し込んで完成させようとするジグソーパズルのようです。

 

 

 

そう、ほかでもない多くの市民は、市行政が無理矢理完成させようとしているジグソーパズル(=遊園地廃止)について「どう見てもピースが合っていない!」と指摘せざるを得ない状況になっているのです。

前掲の「(廃止に向けた)6つの理由」についても、先日のブログで簡単に触れたとおり その理由は何とも拙(つたな)く説得力に乏しいものであり、それをもって 市民の方々が「ヨシ、分かった!」と、首を縦に振ることにはならないことは ご案内のとおりです。

 

そのうえで 今回の案件には、物事の根本的な視点が欠落していると言わざるを得ないところであり、もしかしたら それが「釈然としない感」の大元(おおもと)になっているのでは…とも思わされるのです。

 

今の長野市の論法の中に欠落している点。

第一に それは「子どものためにどうすべきか」との〝基本的な視点〟が欠落しているのです。

そのそも あの遊園地は、地元住民の方々が「子どもたちのために」という思いで設置したものです。ところが、一連の問題が生じた際には そこのところ(子どもたちのために)の視点を置き去りに話しを進めようとしていることに、(私を含め)多くの市民が「釈然としない」思いを抱かされているのではないか…と考えます。

長野市が掲げる「6つの廃止理由」は、あくまで〝大人のケンカ〟をどう片つけるかに腐心した末の無理矢理の結論であり、そこに「子どものためにどうすることが最善か」の議論は存在しません。

クレームを寄せた住民への〝対処療法〟は、子どもを黙らせる・遊ぶ子どもの数を制限する・ひいては 遊園地から子どもを引き上げ、建物内に押し込める 等々、物事の解決のために 全て〝子どもを犠牲にして〟その場を凌(しの)いできただけなのです。

この 本末転倒の論法に、私たちは大きな違和感(釈然としない感)を禁じ得ないところです。

 

第二には、市民(近隣住民)への説明不足…もっといえば〝説明の回避〟という点です。

前掲のとおり、この遊園地は 近隣住民の要望によって設置された施設であり、設置の際には事前の住民説明が行なわれたと聞き及んでいます。

ところが です。

今回の降って沸いた「遊園地を廃止します」の決定の際には、そこ(廃止)に向けた事前の説明会が開かれた形跡は無く、いわば〝後出しジャンケン〟のようなのです。

このことについて市は「区長さんとの話し合いを行なった」と説明(言い訳)をするところですが、代表者(区長さんら)と話したから それで全ての市民への説明に代えるというのは、あまりに乱暴な話し。もっと言えば「遊園地を造るときは全員集めておいて、廃止のときは一部住民の承諾で済ますのはオカシイ」と言えるのではないかと思います。

さらに言えば、市は「説明」の対象の範疇(はんちゅう)に、主たる利用者である「子どもたち」を含めていないこと…もしかしたら これこそが、市の行動が「釈然としない」最大の理由ではないかとも思われるところです。

 

 

ところで、一連の問題が表面化して以降 荻原長野市長は「住民の方々の声を聞きたい」と再三に亘り発言していました。

そのうえで 12月議会終了後に「現地を訪れる」との報が入ってきたことから、私を含め関係者は 少なからず期待を抱いたものでした。

ところが、です。

今回の件で 荻原長野市長が最初に足を運んだのは、なぜか 同じ青木島でも「小学校」だったのです。

なんで、小学校?

本来 市長が行くべき先は、問題の渦中にある「児童センター」や「保育園」ではなかったでしょうか。

 

 

そこで、職員・さらに〝主役〟である子どもの声に耳を傾けることが 先ずすべきことではなかったのでは。

 

 

 

また、市長は「区長会などと意見交換を行ないたい」と、記者会見などの公(おおやけ)の場で述べていました

 

 

 

私たち関係者は、市長が いつ区長会に足を運ぶのか・そこで何が語られるのかを大きな関心をもって その日を「待って」いました。

ところが、です。

後の情報で、荻原市長は 去る25日、いわば〝電撃訪問〟の形で(周囲に)予告することなく更北区を訪れ、そこで区長さんらと話しをつけてきてしまったそうなのです。

事前の「行きます!」とのアドバルーンは高く上げておきながら、実際の来訪は いわば頬っ被り(ほっかむり)をしてナイショで行なう…何だか裏をかかれた感の私たちは「何だかなァ…」と 至極残念に感じたものでした。

 

そのうえで、翌日の新聞には 市が「住民説明会」を行なうことが報じられました。

で 私たちは、当然 市長が(説明会に)出席すると思っており、その前提で記事を追ってゆくと…

 

 

 

あろうことか 所管の公園緑地課は、市長の出席について「答えられない」としていたのでした。

この記事を見て「残念」と思ったのは、私だけではないでしょう。

 

 

 

なぜ 市(市長)は、そんな〝様子見〟のようなことをするのでしょうか。

本当に、遊園地の廃止について 一点の曇りも無いとすれば、市長自身が住民説明会に出席して 堂々と廃止を明言すればイイじゃないですか。

 

それが 直ちにできない。もしかして「雲行きが良ければ出るし、悪ければ出ない」というのか。

それは まるで「勝てそうな試合なら出場するし、負けそうなら出ない。」との日和見主義に他ならず、あざといエントリー判断と言わざるを得ません。

たしか荻原市長は オリンピック金メダリスト。スポーツマンシップを極めた人ではなかったか。

そんな氏が、市民と直接向き合う場に「出るか出ないか答えられない」とは…残念というか 情けないとまで言いたくなるところです。

かういう私も、少なからず「アスリート出身」の荻原市長に期待を寄せる面があり…イヤ 今でも期待している者の一人です。

ところが、そんな華麗な経歴を経ての今回の成り行きには 何というか私の期待に水を差されたような顛末になっており、残念でならないところなのです。

 

 

・・・・・・。

今回の「青木島遊園地廃止問題」は、長野市が「子ども」に向き合う姿勢を問われることとなっています。

これまでの荻原市政は、市長が就任後のさまざまな場面で 自身が4人の子どもの父親であることを口にしており、市長選の公約でも「子育て支援」を強調し、新型コロナの影響を受けた子育て世帯への独自の給付金支給・10月には福祉医療費給付金制度の見直しも市社会福祉審議会に諮問するなどし、そして、各部署にまたがっていた子育てに関するさまざまな相談にワンストップで対応する こども総合支援センター「あのえっと」を設置するなど、子育て支援に力を入れ それなりの評価を得てきました。

 

 

 

しかし…これは非常に残念ながら、今回「青木島遊園地」を廃止に追い込むことで、これまでの「子育て環境重視」の荻原市政の評価は 大きく下落することになってしまうでしょう。

いくら詭弁(きべん)を弄(ろう)してみても「子どもの居場所を奪った市(市長)だよね…」の〝黒歴史〟は消すことはできず、事(こと)ある毎にそのマイナスイメージが付きまとい〝そういう目〟で見られ続けることは必至であると言わざるを得ないところです。

 

繰り返せば、今回の「青木島遊園地廃止問題」において、長野市(市長)は いちばん肝心な部分を置き去りにして話しを進めようとしている。

でも、今ならまだ間に合うのです。その身にかかろうとしている汚名を 今なら払拭することができる。

さきに発足した「青木島遊園地の存続を願う地元住民有志の会」は、決して施策の転覆を狙うクーデター組織ではなく、それどころか 課題の円満解決を願いながら住民の総意に基づき(存続に向けた)純粋な活動を行なっておられるのです。

市(市長)は、今こそ これら純粋な団体と胸襟を開いて意見を交わし、共に「子どもたちのため」を共通理念に(一緒に)歩む道を選ぶこと。その英断で 皆が上げた拳をおろすことができる、そのことに気づいてほしいと願うばかりであります。

 

荻原長野市政の「未来ある子どもに向き合う真の姿勢」が問われています。

 

 


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