倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

知的障がい者支援、その目的は

2023-01-09 | 日記

ブレーンのMくんと話す機会がありました。

話題は「知的障がい者支援」に端を発する、この頃の行政(政治)の在り方についてです。

その「素材」として、ここのところ連載が続いている 県内主要地方紙の連載記事「ふつうって何ですか? 発達障害と社会」が話題となりました。

この連載記事については、これまでも このブログで触れさせていただいておりますが、飯田市の放課後デイサービス施設(障がいのあるお子さんや発達に特性のあるお子さんが、放課後や夏休みなどに利用できる福祉サービス)で為(な)されていた 利用者児童に対する〝心理的虐待〟について、元職員さんが告発したことを受けて(記者が)取材を重ねているものであり、記事を通じて 虐待の実態・施設(法人)ならびに飯田市や長野県の対応ぶりなどが いわば炙(あぶ)り出しとなり、連載が進むことで 然(しか)るべき(記者の)論調が展開されると期待しているところです。

 

 

 

ところが…連載自体は進んでいるのですが、その内容は、さまざまな人(発達障がいを持つ人)が登場しては さまざまな不条理に直面する「体験談」が列挙されるだけで、何というか 話しのオチが見出せないままに(今のところ)推移しており、読者である我々は 何ともいえないストレスを抱えるようになっています。

 

例えば、連載のキッカケともなった放課後デイでの心理的虐待について 元職員さんの証言に基づき虐待の内容を記(しる)したうえで 飯田市ならびに長野県に照会し、その事実を認めさせると同時に 飯田市においては市(市長)をも動かし、虐待の見直しを検討させるなどの成果を挙げてきたものでした。

 

 

 

が…このような成果が評された次の連載では、今度は保護者の証言を得た末に あたかも施設による虐待(または過度な厳しい指導)について、それを いわば〝必要悪〟として容認するような論調に「記者の筆」が変わってきており、その蛇行ぶりに われわれ読者は戸惑いすら覚えています。

 

 

 

その後は、特集の場は 学校現場に移ったり、取材対象が他の施設の女子に変わったりしながら さまざまな(虐待に関する)出来事や当事者心理が綴(つづ)られています。

この特集はまだまだ続くでありましょうから 私たちは引き続き記事に注目し、願わくは(この記者による)何らか含蓄(がんちく)のある 読者が「なるほど」と唸(うな)るような結論を導き出してくれることを期待したいと、Mくんとも一致したところです。

 

 

そのうえで Mくんは、独自の視点…というか、これこそが結論と思えることを ポツリと口に出していました。

「この取材内容は 決して間違ってはいない。虐待の事実・それに対する行政の対応、全てが「現実」であり、われわれ読者は それを真実として受け止めなければならない。」

「でもね。」そのうえで Mくんは続けます。

「本当の問題は、未成年でいる期間の虐待(=人権軽視)じゃない。彼ら(発達障がい者)の人権が本当に軽視されるのは 彼ら・彼女らが大人になってからなんだ。」

「たとえ発達障がいを持っていても、保護者や周囲に保護(庇護)されているうちはまだイイ。でも、彼ら・彼女らが成人して社会に出て働いてみても、今の給与(工賃)は 時給たったの100円だ。これで食っていけるワケが無いし、こんな薄給で留め置かれていいること自体が 最大の虐待、いわば〝社会的虐待〟じゃないか。」

「もっと言えば「就労支援」の名目で通う施設では、本来の就労支援が行なわれていない実態があるばかりか、施設の職員自体が 真に彼ら・彼女らの将来(自立)を願って支援してるのでは無く (就労支援の形式を取ることで)国からの補助金を得て、利用者さんを 自分たち(施設・施設職員)の存続のための〝食いぶち〟にしている実態もあり、これこそが構造的な障がい者の虐待じゃないか。」

「だから、この特集記事の内容は まあいいんだ。それより、この記者が そこまで踏み込んで筆を執ることができるか…そこに注目だね。」と言っていました。

 

 

回の〝特集〟は、こと知的障がい者支援に関することでありますが、このように 課題の本質に叶う(課題)対応をすべき者が実際にはそれを為し得ていない実態は 他のさまざまな行政施策にも見られるところであり、為政者の「課題への向き合い方」が問われていると申せます。

単なる〝事なかれ主義〟や、上からの指示を待つ〝指示待ち症候群(=言われたこと以外はやらないのが美徳との考え)〟さらには、上司の意向が変われば自らも簡単に変わる〝カメレオン体質〟など、何か問題が表(おもて)に出る毎(ごと)に、かかる多様な課題が見えてくることも 由々しきことと申せましょう。

 

 

ときに、今回 飯田市の件をキッカケに またも明らかになった障がい者支援に関する問題・課題は、私たちが思う以上に根深く 複雑なものとなっています。

そんな中、どこに〝目的〟を見出すべきか。

私も含めて、今後 考えるべき大きな課題となっています。

 

 

ちなみに〝新聞効果〟の第二報として、飯田市(市長)が この放課後デイの事案のうち2件を虐待と認定したことが報じられました。

「ペンの力」が行政を動かした成果といえるでしょう。

 

 

 

ただ その中で、飯田市長が「再発防止に向けた指導を行ない、現在は改善していると承知している。」と答えていますが、これは、どこ(誰)から言質(げんち)を取ったものでありましょうか。

この「改善した」が、利用者さんの所感として得られたのならOKですが、もし 虐待を行なった側(施設側)からの「改善しました」の報告を鵜呑みにしているとすれば それは了(りょう)とすべきではないでしょう。

この記者が、そこ(利用者への確認)まで行なったかどうか…この記事からは そこまで読み取れないのです。