「余白の創作ことわざ」の第7回です。
急ぐ時でも墨を磨れ いそぐときでも すみをすれ
<意味>
(墨を硯で磨るのは時間のかかるものだが、) 時間的に切迫した状況下にあっても、墨を磨らなければならない時には墨を磨れ。 どうしてもやらねばならないことは、たとえ時間がなくても慌てずうろたえず、あきらめず、心を静めてやってみろ。 意外にできてしまうものだ。
<さらに一言>
わたしが小学生のときのことです。 冬休みが終わり、三学期の始まる日の朝のことでした。
前夜遅くまでかかって書いた書き初めの宿題の、清書した分がなくなっていたのです。
状況を詳しく覚えていないのですが、前の晩わたしが間違って捨ててしまったか、朝、母が書き損じと思い捨ててしまったかのどちらかでしょう。
登校しなければならない時間が迫っていました。
オロオロとうろたえ、泣き叫ぶわたしを見て、母はこう言いました。
「今、やんなさい」
そして硯に水を注ぐと、墨を磨り始めたのです。
なんとか書き上げたわたしの “涙入り書き初め” を、母はすぐ炭火で乾かしてくれました。
宿題は、間に合ったのです。
その後の社会生活の中で、このような時間切迫の場面に何度も出くわしました。そんな時わたしはこの ‘書き初め事件’ のことをよく思い出したものです。
それが教訓となってその都度冷静に対処できたかというと、そうでもありませんが・・・。
<もう一言>
今小学校では、かなり以前から書道の時間に硯で墨を磨ることはやっていないそうです。 時間も無いので墨汁を使うとのこと。
わたしのこの ‘墨を磨れ’ という 「創作ことわざ」 は、今の子供たちや若い人にとっては実感のないものであるかもしれません。
筆で文字を書くことだけでなく、心を静め時間をかけて硯で墨を磨ることも、‘書道教育’ の重要部分を成すのではとわたしは考えますが、いかがでしょうか。