kyon's日誌

つれづれに・・・

外出

2016年01月23日 | 日記
仕事の事もあって能代に迎えに来るというので亭主を待った。
う~むむむ・・・と途中の道路にハラハラし、ようよう帰宅出来たが実は心臓が幾つあっても足りん・・・っつう感じもあった(^_^;)
いや、そんなに危ない運転はしないのだけれど、何しろ、ワタシャ雪道のアイスバーンを走る車には出来るだけ乗りたくない・・・
自分の亭主の運転を何気に信頼出来ないっつうのも如何なものか?!(苦笑)
我ながら・・・なんと肝っ玉の小さな事よ・・・ハハハ~ってね(^^ゞ
ま、今アナタと心中してる訳にはイカナイのだよ、亭主君よ・・・と口にはしないが
若干、複雑な気分ではあった。

しかし、亭主は幾つまで運転をするのだろう?・・・何だかそんな事もふと考えたりもした。65歳以上の運転免許を、何時返上するかというのは、老後の生活圏の見直しが必要になる訳で、我が家のように、目にも心にも悪くない環境下で暮らす老世帯・・
車の無い生活は大変な不自由も隣り合わせでもある・・・
それなりの生活は出来るだろうが、何しろ車は便利ゆえ、何かと足が無い不自由はタマランかもしれない・・・いや、ワタシではなく、運転者の亭主がタマランだろうとおもうのである。
運転免許も無いワタシは諦めが早い(笑)が、ちょいと複雑な気分にはなった。

つまり、老後という生活の仕方は、やはり自由気ままに自分達が動ける・・・事がとても重要な位置を占める条件となるのだなぁ・・・。

病院に連れて行く母は、痛いのはと、四の五の文句も言いながら、時間に迎えに行くと病室ではなく、既に玄関前の待合室でデンと待機し、「遅い」などと言うのは、やはり「外出」が例え治療の痛さを妄想してムッとしつつも、実は嬉しいのだ・・・ということだ。
で、どこぞでお昼でも食べようかと言うと、運転者の妹は一度自宅に戻ると、なれば、母はワタシが家で何かを見繕って・・・となり、ご飯は炊いてないので麺類ではダメかい?と言うと、何としてもお粥がいいと。
結局、妹にはスーパーに寄って貰ってご飯だけのパックを買い、家でお粥・・(笑)、こんなこともあろうかと出掛ける前にカボチャを煮ておいたのや、シメサバのお刺身・・・鯖好きの母は殊のほか喜び、食欲も十分あり。
妹が病院に送る時もまた迎えに来ると言ったのを母は当たり前のように頷くが、ワタシはタクシーで良いからと伝えると、母はややムッとしてるが、却下(笑)
路上はアイスバーンである・・・運転者は神経を使う・・・疲れる・・

とまぁ、細かいことを言えばキリは無いのだが、
母の言動はわがままに感じるけれど、じ~っと病院の箱の中で暮らす母には、「外出」は自由の極みなのだろうね・・・
自分一人では歩けないのだから、はたから見れば決して自由気ままではない。
それでも娑婆の開放感のような空気は痛切に嬉しいのだろう。
当たり前のように気ままに動けたり過ごせる時間がどれだけありがたいのか、何時まで続くのか・・・
それはいつか訪れるワタシにも切実な未来ではあるのだ・・・。
コメント (4)
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