kyon's日誌

つれづれに・・・

見る側

2014年08月31日 | 日記
能代に行っている間に、味のある俳優さんが亡くなったとニュースで知った。
えっ!?
ちょっとショックであった。
彼は俳優であり、画家でもあった。
知的で癖のある役どころを表現するのが巧かった・・・という感じがしてるが。
役者さんや芸能人には絵を描く方が結構居るのだけど、ワタシは彼の絵が好きであった。
米倉斉加年氏・・・、遅ればせながらご冥福を祈る。
静かで冷たく、何かを見抜いている感覚で・・・いや、個人的な主観だからね(笑)

好きなエッセイスト、と言っていいのか分からないが、佐野洋子さんも本業は絵本作家である。
ホントは佐野さんの絵は好きではないのだが、見ないっ!と思うと、つい振り向いてしまう(笑)
佐野さんの絵はハッキリ言って美しいと思って眺められない(笑)
どちらかというと、やだなぁ~・・・と思ったりする。
そこに「素」の裸があるからだ。
美しいとは思えない裸体が無造作に描かれている気がするからだ。
けど、こわごわ、また見たいのである。
飾りが無い無垢の人がそこに漂う感覚が、ワタシを刺す気がするが、心惹かれる。
ワタシには絶対に描けない絵だ。

斉加年氏の絵は、先ずは美しいと思って見れる。心地良いのだ。
けれど、その目は冷たい冷静な目なのだ。だから、段々う~むと唸りたくなる。
心があれこれざわめくのである。揺れるのである。
でも、ぱっと見、美しいから、ずっとそこに居たい気になる。
で、何故か気持ちも鎮まる気がする。

自分の中の甘さが指摘されるような絵を心地良く思える・・・これは習性のようなものかもしれない。
その冷徹な視線が自分の中に欲しいからだ。
決定的に欠けてる視線なのだ。
そのアマちゃん的性格が悪いとは特別思ってはいないのだけどさ(笑)

仏像の顔が好きで、これも同じ理由なのかもしれない。
何を考えてるのか分からぬ、それでいて何かを射るような、ただ優しい・・・は、無い(笑)
けれど、その中に何かがあるのだ・・・と思えて、見てしまう。
仏像の姿形も時代に寄って変わる。時代が求める顔も時代と共に変わる。

絵は見る側の気持ちが反映する。
描く側には、多分、特別に意味を持たせようと思ってはいないのだろうと思う。
心の奥底から湧き出る何かがたまたま形にしたらそうなる・・・出来たものは既に作者から離れる。
見る側だけの感傷に過ぎない。
本質的に価値は無いのだ。
タダ描きたいだけなんだ・・・と、思ったりする。

それでも、見ていたい絵というのもある・・・ね(^^ゞ
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身支度

2014年08月30日 | 日記
手前ミソのようだが、母は出掛けると言っては身支度が長い。
長いのは化粧をする訳ではなく、下着から着替えるからで、それもヨロケながらだから時間が掛かる(笑)
その様子があまり可笑しいので、あははは・・・と、笑うと真剣な顔で、
「可笑しく見えるだろうが、これでも必死なんだよ」と。
「んだね、分かるけど、手伝ったら何も出来なくなるべ~?ガンバレ~」と、やり返すような冷たい娘である。
フウフウ言いながら、これはここに結ぶんだと、膝にホカロンを付けて、その上からタオルで結ぶ。
背中にもホカロンをたすき掛けに背負う。
外気温は25~27度っつうに・・・家の中はもう少し暖かいのに・・・。

で、少なくなった髪をとかし、ワタシがあげた喉を温めるはずのネックウォーマーを帽子代わりに頭に付ける(笑)
ちょっと見、元気な婆ちゃんに仕上がる(笑)
で、どうだ?オカシイか?・・・と、聞く。
なんも。OKだす。

出掛ける前はこんな風に、重ね着するものを吟味して、動き難そうなものは避ける。
色合いもどうなのかと考える。
髪もとかして、それなりに身を整えようとする。
医者に行く時は特に気を使うようだ。

例え、何処に出掛けようが、出掛ける前には、見苦しくないようにと思うらしい。
診察前になると、また髪を気にしたりして、バッグの中から櫛なんぞも出てくる。
「どうだ?これでいいか?」と真面目な顔で聞く。
うんうんと言いながら、カバンに櫛も入れてるんかい?・・・と感心する(笑)
化粧こそしないが、色白だから、七難隠すのである、何もそこまで・・・などと思うが(笑)

仏壇に祈りを捧げに行く時も、同様で、身支度は忘れない。
身なりを整える・・・これだけはきちんとしようとするのが分かる。
家の周りの雑草が目立ち始めると気になる。
我慢が出来なくなるようで、それで少しやり過ぎて寝込んだりする。

一人で暮らしているせいかとも思ったが、多分そうではない。
何処にも行かぬ時は、ダラシナク老人っぽく、どうでもいいような寝姿のまま・・・(笑)

どうやら、昔の人にはそういう意識が高かったような気がするのだ・・
先輩諸氏の親の話などを聞いても、皆そうらしい。
その意識の高さは徹底している気がする。

親たちの世代の時代には、それが普通の感覚だったんだろうと思われる。
キレイだったりお洒落だったり流行りのモノを着る訳では無いが、
小奇麗にする身支度、身の始末を忘れない時代だったのだろう。

今の時代に、それがそのまま本当に生きてるのかと思うと、ワタシ的には薄れている気がしてる。
先ず持って、自分の中にそういう意識が足りない。
自分を整える・・・ということをきちんとして来た世代なのだろうなぁと、それだけはいつも感心する。
見習うべき親の姿勢の一つだろうと、あらためて思ったことだった(#^.^#)

お洒落心を忘れない女の心得として・・・ボケない為にも・・・(笑)
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忍忍の糖尿病

2014年08月29日 | 日記
1871年(明治4年)の今日、「秋田県の日」だったんですって。
ち~っとも知らないで秋田に住んで、かれこれ40年・・・(笑)
公共施設を無料開放してたんだって知ってたらねぇ・・・と、今更、遅し。
宣伝・・・足りないわさ・・・何処もガラ空きだったって・・・勿体ない~なぁ~(^_^;)

さて、明け方、能代では激しい雨が降ったけど、その後は晴れ。
道中は冷房の効き過ぎじゃね?っつう、足元だけ寒いバスだった(笑)
足首が冷えちゃったわいな・・・。

で、いつものように朝から掛かり付け病院に2週間分の薬を貰いに。
ただ、水曜日に着いた時から頭が痛いと言ってた母、
夢見も悪いとかで、何でか死んだ親兄弟の夢を見てたと言ってた。
で、血糖値を検査したら250もあったとか・・・
血圧も120-70で、母にしては低め・・それで頭痛が続いたらしいと分かった。
で、何が悪いか、・・・母は母なりに考えた。
甘いものを食べ過ぎた・・・(ほぉ・・)
しょっぱいのも食べたなぁ・・(ふむふむ・・・)

で、ワタシの観察・・・
お粥しか食べなかった母がここ一ヶ月位はフツウにご飯を茶碗一杯食べていた。
アイスモナカを、寝る前に頻繁に食べてた。
他にも間食が多く、ちょいちょい何かをつまんでる。それも甘い物が多い。
少し涼しくなったせいか、水分も少なめ・・・熱中症気味かしら・・と気にはなっていた。
勿論、佃煮なんぞのしょっぱい物も少し多めじゃない?っつう感じで食べてたし、
野菜も入れ歯が必要だと面倒がり、あまり食べたがらなかった。

糖尿病には余り宜しくない食生活を、一人の時はズルズルとしてしまうようなんだなぁ・・・
医師に、駄目だ駄目だ、これじゃ薬を変えなきゃならないよ、間食はダメです!・・・
母はしっかり納得して神妙。

でまぁ、内科の帰りの途中、「整形と眼科も行くのであった」・・・と思い出したようで・・(^_^;)、
「どうする?このまま引き返す?」
「ん~・・・いや、整形にはこのズボンじゃ行けない。」(へっ?なぬ?)
「んじゃ、ワタシの帰る時に一緒にまた出直そうか?」
「んん。でも、帰りは何とすべ?」
「タクシーで帰んなさいな(笑)」「んだな」
という訳で、そのまま一旦帰り、やにわに母はズボンの履き替えをし始めた。
膝に注射をして貰う為には、確かにねぇ~(笑)、二枚も重ねて、たくし上げられないわな。
あっちにつかまり、こっちにヨロけてやっと履き直す。
さぁまた行こうかという姿勢で、張り切ってる。
確かに行ける時間はあったけどね、
「準備も出来たし、お昼を食べて、ワタシが帰る時なんだから、少し休みなされ」と、寝せた(笑)
一気に動き過ぎて、ワタシが帰った後に倒れられても困る~(笑)

整形と眼科は、バスステーションのお隣。
で、病院の午後の診察は2時からだし・・
はじめてのパターンではあったが、ワタシがバスステーションに行く時間でいい訳で(笑)
チンタラチンタラとカートを押してまた病院に向かった(笑)

整形で暫し待ち、母が呼ばれたところで、丁度ワタシはバス時間。
お隣のバスステーションに行くべく、母と「ごきげんよう~」と別れた。

昼ごはんから、ちょっとセーブしようという姿勢と意識があったから、
母はまた我慢の食事に戻るような決意をしていた。
「糖尿病は一生だもんな~・・・」と、独り言を言っていたっけ。

実は甘い物もしょっぱい物も大好きなのだ・・・
我慢は辛いだろうが、まぁ、これで少し加減をしてくれるでしょ(笑)

病は困る。コントロールが必要なのに、つい忘れる。怠る。
手の手術あとは、キレイにくっついていたけどなぁ・・・
物理的な傷口はいつかはそこそこ治るのにね・・(^_^;)
年を取ると、我慢が・・・やや苦手になるようだ。
ワタシも・・・心しておこうっと(^^ゞ
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涼し過ぎる朝

2014年08月27日 | 日記
18度の朝だ・・・この時期にこの気温は、急に、さびぃ(笑)
秋の虫が朝から鳴いてる。
やっぱり秋だすなぁ・・・久々の青空が高いものね・・

昨日は散歩友と盛り上がった。
彼女はコミセン祭りとやらでお疲れ気味だったから、公園歩きは中止して駅の周りでウロウロしつつ(笑)
お互い、会うけれど、疲れてる時は長く歩くのも無理はしない。
何でまぁ、毎週あれこれ話すことがこんなにあるかねぇ~なんて、笑い合う。
何年もね~・・・と、ホントに可笑しいねぇ、と。
さも無いことから、本の話題や人としてどうかという話まで、話題は色々・・
戯言が多い訳だけど、気兼ねなく話せて笑い飛ばされて、溜まった疲れもそこそこ消化される。

で、彼女がいい具合に前向きになっているなぁと感じた。
「与えられた場所で咲きなさい」
何処かの誰かが言ってた言葉だけど、まさしくその準備が出来つつあるように感じた。

丁度、先だって読み終えた「星火瞬く」葉室麟・著のイメージがワタシの中に浮かんだ。
「オランダ宿の娘」はシーボルト事件が下地だった。
そのシーボルトが本国に戻って結婚し、まだ14歳の我が子を連れて、再び日本にやって来た。
その子の語り口で、彼が出遭った人々や日本の幕末に向かう異国の状況を見て感じて・・・という話。

若い頃に出遭った人や言葉で、人はその後の人生の指針が決まったりするきっかけになる事がある・・と、感慨深く読んだところだったのよねぇ。
インパクトの強さ、カルチャーショック、発想の転換、その時のその言葉が、その人となりが・・・って、
思えば結構ある。人生経験の少ないワタシにだってあるからさ(笑)

それらの「きっかけ」は、その時にはそんなに大きな意味や指針とはならないだろうが、
後から、いつかしらジャブのように効いていたんだと気が付く。
その為に無駄とも思えるような準備をしていたのだなぁ~と気が付く。
後は踏みだすだけなのだ・・・

今まさに、彼女の中の発想は、その感じだなぁと。
いいじゃんいいじゃん・・・ワタシよりも、本来はずっとアクティブな方なのだ。
きっといい方向に向かうだろうと予想された。

で、自分は今は溜めの時期なのだなぁと思っている。
次の何かがあるかどうかは分からぬが、向かう為の待ち時間で、準備の時だろう・・・と。
いや、進めないかもしれないが、正直な話、自分を維持させる口実にはなっている(笑)
特別なことを思いあぐんでいる訳じゃない。
この先のワタシの中では思考停止している部分も含めて、漠然とそんな風に思っているだけだ(笑)
理屈は無い、タダ茫洋としてるだけだ(笑)
ひょっとしたら、心が折れない工夫とも言える(笑)

ちょっと涼し過ぎる朝、これからヘルパーです(^^ゞ
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忘れる・・に

2014年08月26日 | 日記
涼しいのです。朝なのに窓を開けなくていいのです。
まだ、8月だよねぇ?季節は夏だよねぇ?・・・と、天に問いたい・・(笑)

さて、それはさておき、
ひょいとミニコミ誌の中に見つけたコラムに大笑いしてしまった。
「忘れっぽい人は失敗にくじけないのです」

なるほど、と思ったのは、多分、ワタシも忘れっぽいからだとは思っているが、懲りない性分がそこから発しているかと妙に合点してしまったのだ。
母がホンの少し前に言った事を忘れて、そんな話は今聞いたばかりだと、何度も同じ話をしなければならない事を思い出したからだ(笑)

コラムの主は、あるハートインクリニック・・・の院長らしいから、
いわゆる精神科の医師なんでしょう・・・さすがに言うことが的を得ている。

「説得せず、失敗を怒らず、興奮には食べ物などで気分転換を」と、認知症に対応するミニ演劇をした一座がいたらしい。締めはドンパン節で終わって拍手喝采だったとか。そのミニ演劇についての話だったが。

なるほどぉ~・・・と。
そう言えば、母を怒ることがないなぁ・・・
出来がいいから怒らないのではない。
怒っても仕方が無いと、はなっから諦めてるからで、
今更、85にもなった老人の意識を正そうとか、変えようなんザ、まぁ無理無理。
出来る訳が無いと、分かったような気になっていた。
聞かれれば答える・・・これしかない訳で、出来るだけ本人の意志を尊重して(失敗を含む)、
後は他愛の無いお喋りをなるたけ無視せずに聞き流す・・・
しかし、これ、
シャワーのように喋られ続けると、少々忍耐の尾も切れ切れになる訳で、
時々これに閉口し・・微妙なストレスになってきてるのは自分でも気が付いてる。
たかだか二泊三日のヘルパー生活でも感じるのだから、
24時間×365日の介護者はストレスの大きさもタダものではあるまいと推察する。

ネットニュースの中に、世界の85人の富豪が、世界の35億人分の富を保有している・・とやら・・
いや、世界の富と言われるものがどの位かを知る訳ではないが(笑)、、
その85人の富豪が、世界の、迷えるヒツジ化していく老人対策に、その富を使ってくれたらなぁ~・・などと、
マタマタ、アホなことを妄想したりしてしまうのである。

まぁ、今日言った事も、1週間後には忘れてる・・・
忘れる頻度がまだ年相応だろうと楽観するも、
ほんまに大丈夫か?とも、訝るお年頃でもある(^_^;)
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