kyon's日誌

つれづれに・・・

五分の魂で

2013年05月27日 | 日記
80歳でエベレストを目指して成功した三浦氏。
おめでとう。

80歳で介護状態になる人、80歳で家族を失う人、80歳で・・・と、
80代も様々な生き方があるものだ。
良くも悪くも80代は老いとの戦いに於いて個人差があり過ぎる年代だろうと。

何故か思い出す。
パニック映画の部類になるかな?
船が沈むその時に、私はもう駄目だから置いて行けと言った老人、
そうじゃない、支えるから生きようと励ます元気な牧師役のジーン・ハックマンの生命力。
そうして老人は助かり、最後にハックマンは生きられる可能性が見えたところで死んでしまう。
主役が死んでしまう・・・
正義も死んでしまう・・・
その印象が強烈だった「ポセイドン・アドベンチャー」。
ショックでねぇ・・・暫く考え込んでしまった記憶がある。

正義は勝つ。愛は勝つ。当然のように思っていたから、そんな事はあり得ないとどうしても納得いかない。
今、いまはそれもアリかなぁ・・なんて、少しばかり後ろ向きな事も思う(笑)

三浦氏は諦めなければ、80歳でも90歳でも夢は叶うとコメントした。
そうすると人生は益々面白くなる・・・。
ふむ。
そうだろう。
成し遂げた人にしか言えない言葉だ。
成し遂げる為にどれだけの努力と気力・体力を保ち続ける訓練をした事か・・・
それはしかし、誰にでも出来る事とは、わたし的には思えない。

其々の夢でいいだろうさ。
今日は出来ない一歩、明日は二歩歩けたら凄いじゃないか。
何もエベレストまで行かんでもいいさ。総ての80代が行ける訳じゃない。
批判をしているのではないが、ちょっと斜めの見方をしている。
出来ない人が無理をしてはいけない。
出来ないなりのやり方があり、生き方がある。
けれど後ろ向きな訳じゃない。
人生を諦めている訳でもない。
日々葛藤して前に進もうとしてる”形”が違うだけだ。

出来る人は出来ない人の気持ちを慮れない癖がある。
強い自分を信じて生きて来て、その中での成功も失敗もあろうが、先ずは己に自信がある。
何があっても、ちゃんといつも前を向いてやり遂げて来た自分を認めている自信。
弱い自分は許せない。解せない。
もっとやれるはずだと思い込める強さ・・・

けれど、そういう勝ち組だけが人の生き方ではない。
地面を張っていても、弱くても、自分を捨てない覚悟こそが人としての価値なのじゃないか?
一寸の虫にも五分の魂・・・
虫は嫌いだが、
あの小さき命達は死を恐れずに淡々と自分を全うしている。
そこにこそ学びたい。

あぁ・・やっぱり、偏屈か自分・・(笑)
ま、今更だね(^^ゞ

追伸・・・
今日の夕方からまた実家です・・・またちょっとお休み~
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通夜話と昔話

2013年05月26日 | 日記
定かではないが、7、8人の兄妹の末っ子に当たる母はついに一人だけ残されることになった。
母の最後の姉が89歳で亡くなった知らせが届いた。それが20日。

23日の夜になると、母は思い出すように亡くなった姉の事を話し始めた。
この世で親も兄弟も亡くなってしまったというのに、
何だか悪口のような悪たれをつく。
しょうもないなぁ~と思いながら縫物をしながら聞く。

悲しいとか悔しいとか、そういう感情はあるのかもしれぬが、そういう感傷的な話にはならない。
既に叔母が寝たきりで誰の存在も認識しないくらいになってしまっていたのはだいぶ前から知っていて、いつ逝くともしれぬと覚悟は出来ていたのかもしれない。

何故か、あの時は・・・・云々。。。。
可笑しかった事や腹立たしかった事など、ピンキリの話だけなのだ。
だから、話が途中から可笑しくて笑ってしまったりもする。
死者に対してまぁ~憎まれ口ばかり(笑)いいのかいね?(笑)
80も過ぎたりすると、こんな風にオモシロオカシク話せるようになるんだろうか?

戦争時代の姉の事、父親の事、近所の小父の事、戦死した兄の事、兄嫁の人格の素晴らしきこと、母親の仁徳・・・嘆き・・・しぐさ。
その頃に生きてた頃がシンクロするんだな・・・
実に実に興味深くオモシロい。
オモシロいとか可笑しいとか言ったりしたら失礼なのかもしれないが、
だって何だか笑えたりするんだもの・・・(^_^;)

姉の思い出と他の家族との思い出が交錯するんだなぁ・・・っつうか、繋がるんだねぇ。
母は戦死した兄の事を沢山話してた。
そしていつの間にか涙ぐんだりしてる。
妙な話だが、
姉の死を通して、その向こうで生きていた幼い自分がイキイキと蘇るのだろう。
そうして自分の長く生きてる人生を重ねて感情が噴き出すのだろう。
そっか、ついにあれも逝ったか・・・などと時々合いの手のように会話に出てくる。
幾ら喧嘩をしても、幾ら姉キ風を吹かれても、
とにかく怒られないように、嫌われぬようにと気遣う末っ子の気質をバンバン出して話す。
へぇ~・・・母にはそんな気質があったのかぁ~・・・何だか別人みたいだ(笑)

むかぁ~しむかし・・・と、昔語りを聞いているような気分になる。
戦死した兄の長男が早くに亡くなった時、母と能代に居たもう一人の母の姉を連れて今は亡くなった姉の元に行った事がある。
私は婆二人を引率する世話役だった。
あの頃一人暮らしをしていた叔母だった。
生き残り姉妹が三人、夜遅くまであれこれお喋りして、あ~オモシロいね~と言い合ってた。
翌日はお葬式なのに・・・お喋りが止まらなくてさ~
いつまでたっても寝ないでよもやま話。ホントに女三人寄ればカシマシイのである。
私は引率者だから妙に蚊帳の外でさ・・・話には入れない(笑)

あれが叔母に会った最後だろうか・・・10年も前の話だ。
その時の叔母が呆れるように引率して行った私に笑い掛けていた。
呆れる姉妹ださ。可笑しいべ?と。
母の実家で数年過ごした私が小学1年の頃、叔母の家に時々遊びに行ったりした。
私にも思い出はそれなりに残っているんだけどさ。

いつか、いつか私と妹もそんな風に笑い合う時が来るのだろうかねぇ・・・しかし、私には妹しか居ないなぁ~・・・妹には子はいないし・・・
う~~ん・・・
さて、妹が先か私が先か・・・昔々のよもやま話・・・笑える通夜の土産話の一つでも残しておかねば悪いかなぁ~・・・なんて(^^ゞ

で、翌日、何だか昨夜は眠れなかったな~、そう言えば昨日は通夜だったなぁ~と母。
あら、私・・・な~んかザワザワして眠れなかったんだよねぇ。
ん?カタカタ風も無いのに音がしてたね。私も変だと思ってたと妹。

この女三人カシマシイ親子の母の結論・・・
あぁ、来たんだな。

げ・・・来てたんかぃ・・・こぇぇ~~(^^ゞ
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古い成績表

2013年05月21日 | 日記
思い出せば可笑しかったな。

古い手提げ金庫から家の図面やら登記書類やらが出てきて、
それを探してたから、まぁ、必要なものはあったね~という事になった。
そこまでは良かった。
もう一つ、何だかあの書類が・・・と母は探しはじめていたが、これがどうしても金庫から見つけられない。一度見た記憶があるのだと言うが、なんでだべ?!
な~してここに入ってないんだべ?
ふむ。。。
どれどれ、
一体何が金庫の中にあるってぇ~・・・(笑)
あらら、妙なものを見つけたぞぃ・・・・
ねぇ、これ、通信簿?
「んっ?!」
母のテンションが突然上がる(笑)
「わぁ~~ダメダメ。それはダメ~~~」
慌てて私から取り上げて、しげしげと眺めて・・・ぷっ!あぃやぁ~・・・恥ずがしごど・・・
やっぱり なげねば(捨てなきゃ)やづがね(ダメだ)・・・

ほぉ~、そんなに恥ずかしいもんだったんか?そぉ~っと覗く。
ふぅ~ん・・・優・良・可の評価だぁ~・・へぇ。
なんでまぁ、こんな古いものを取って置くんかねぇ~・・
かれこれ、70年以上も前の青春かぁ~?(笑)
金庫に仕舞うほどのもんだったん?

確か、割と優等生でとか、級長さんだったとか、戦争時代は居ない男衆の代わりに駅長さんまでさせられてとか・・・何だか珍しい話を時々聞かされたんだったっけ(笑)
・・・の、成績表かぁ(笑)
ま、確かに「優」の評価が多かったけどね・・・「可」も一つあったな~(笑)
算術・・これは、血か?・・・やっぱ・・血・・だ(^_^;)
私も数学系が全くの苦手。妙なところで「血統書?」を認識。。。。

そしたら、なんと、げげ・・・な~んしてこんなものが!
私の高校の時の通知表まで!(@_@)!
ダメダメ・・・これは声も出さずにそぉ~っと懐へ。。。。
ここのくず箱には捨てられないぞ・・・
持って帰って粉々にして捨ててやるっ!
母のばかぁ~~!
内心、そんなこんなに慌てて平常心を無くしてしもた・・・

母・・・こんなもん、役にも立たん・・・(あったりめぇ~じゃぃ(笑))
捨てる。。。(そだそだ。)

けど、久々の母の笑い声・・・人間、やっぱ笑えないとなっ(^^ゞ
と思いつ、私は冷や汗たら~り・・・。。。
あ~~・・・ヤバ。。。。
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居場所とご縁

2013年05月20日 | 日記
うすらボンヤリな天気だ。
空もボケてんのかね?
な~んだ・・・私と同じか・・・(笑)
家に戻るとどこかしら気が抜けてるからなぁ~(^^ゞ
いや、人間、どっかで気が抜けないと困るさぁ~ね(笑)
立派な家でもない安普請のポンコツ・・・けれどこれが身の丈だ。
妙にホッともするんださ~(笑)

自分の居場所というのは必ず何処かにあるようだ。
ホッとするとか、気が抜けるとか、居心地がいいとか。
野生動物の巣穴・・・みたいな感覚。人もある意味野生動物(笑)
社会を構成してそのルールに従って生きてはいるけど、ま、基本は同じだな~。

自分の身の回りのものがそこにあるべくしてあるのがいいのかな~?
自分達の生活臭が漂っているからかなぁ~?
見なれた風景が安心を誘うのかなぁ~?

思えば、生まれた所でずっと暮らしている訳でもないのにねぇ・・・

自分は青森の弘前市・・・それもかなり山奥で生まれた。
母が能代に居付いて、私もそこで9年ぐらいかな?住んだ。
東京に4年居て、秋田市に38年も居る。
つまり、親と暮らす年数よりも長い時間を秋田で過ごして来た訳だ。
女はいずれは嫁に行くのだから親元を離れても仕方ないのかもしれないが、
ひとつ場所に長い年数を暮らすというご縁も、何だか不思議だね(笑)
絶対にここに住みたいとか思っていた訳でもなく、
住む場所なんか何処だっていいじゃん・・・みたいに思っていたのにさ(笑)
自分に都合の良い場所ってぇ訳でもないのだけど(笑)

結局、「人」なんだろうねぇ・・・そう思っていた。
人とのご縁、友人との繋がりなど、
そこを離れたくない環境が、長い時間の間にどこかで出来上がってしまうのかもしれない。

で、長く暮らした訳でもない場所にまた戻る事もあるのだというご縁をオモシロいものだなぁと感じている(笑)
つまり、能代からは自分は出たつもりでいたし、もう、ご縁も親の事でしか行かないだろうなんて思っていた訳だけど、
へぇ~、
またこうして親元に通うとなると、たかだか9年しか住んでいない場所に再びのご縁か・・・
でも、そこでの友人らはもう居ない訳で、町自体もすっかり風景が変わってしまっていて、
何丁目がどうのと聞かれても、最早分からない(笑)

人とのご縁だけじゃなく、
う~~ん・・・「場所」とのご縁というのもあるのかもねぇ・・・
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母の憂鬱

2013年05月19日 | 日記
ちょっとゴネテみたい。

母はやっぱりディサービスに行きたくないと一週2回を休んだ。
病院に行く日と重なった事もあったが、体がだるくて9時に迎えが来る時までに間に合わせられないと言う。
行っても自分で過ごすようなゆっくりしたフリータイムが無いのも億劫らしい。
血圧測って脈を測って風呂に入れられ、お昼を食べたら昼寝2時間、ゲームなどをやらされてその後マイクロバスでドライブして、おやつをちょびっと食べてお茶を一杯、3時半には帰り仕度。
夕方4時半過ぎには帰って来る。

何処かで見たようなスケジュール。
あぁ、幼稚園だ・・・
違うのは3~5歳児の若い細胞と80年以上生きた老細胞・・・か。
認知症を患っているなら、このシステムやタイムスケジュールは誠に良く出来たプランだ。
脳の活性化やリハビリには効果もあるのだろうよ。

しかし、思ったより母はボケてはいない。
生活感覚も金の勘定も出来る。
確かにモノ忘れは多くなった。けれど、年代相応だ。
ちゃんと話を聞く力もある。迷惑を掛けたくないという感情も羞恥心もある。
困った人には手を差し伸べてやりたいという意識も高い。
人と会う時の身だしなみを整えようとする気持ちも生きてる。
不自由ながらも工夫が出来る。
頭で思うように体が付いて行けない苛立ちはあるのだけれど。

こういう頭がある程度しっかりしている老人にはディサービスの画一的なやり方は意に合わないのは当然だろうと思うのだ。
私が母の立場でも面白くはない。
しかし、そうだそうだと分かってばかりいても家族には大変になるのだけれど。

亭主が採って来たフキの皮むきをそれぐらいは出来るぞ~と手伝ってくれる。
これが実に正確で上手い。タケノコの皮むきなども嬉々としてやってくれる。
自分が食卓の手伝いが出来るとか、役に立つとか、ホントに嬉しそうなのだ。
急いで何かをしようとしても出来ないけれど、
お喋りをしながらそういう単純だけど経験が生きる作業は寧ろ楽しいのだ。

ディサービスには一派一絡げの思想しか無い。
時間通りに決まった事を淡々とこなして時間が来たら送り届けて。
建設的な生き方が出来ない。
けれど、それが家族の為になるのだとしたら・・・と、どこかで諦めが生じて我慢していく・・・同じ事を毎度やらされて、ストレスも増え、段々体が頼りなくなるとボケが出て来て・・・結局、特別養護施設などに入れられて・・・お決まりのように、80年も90年も人として生きて来た大人が、「人」を失っていくのか・・・と想像してセツナイ。
その「人」を救う手立ての一つがディサービスではなかったのか?

ここ何度か母との時間を過ごすことで、私は母の今までの生活や考え方などを垣間見る機会が多くあった。
自分が母の元に通う為には必要だと思っていたディサービス。週に一日二日は安全に人の目が届く範囲に居てくれるのは私が安心する。孤立してしまわない環境が必要だと感じたからだ。
ボケない為のプログラムや体の機能訓練や・・・
総て、私の安心したい勝手な思い込みだ。
それを話すと分かると言ってくれる母だ。

9時のお迎えは10時コースとか、午後からコースとか・・・
少しは楽しさや喜べる軽作業のようなことがさせてあげられないものか・・・
眠る時には個室のような別部屋が無いものか・・・
お風呂も朝で無く帰り際とか・・・

何だか、色々考えさせられるなぁ・・・。。。。
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