kyon's日誌

つれづれに・・・

協調

2002年09月30日 | 日記
今日で9月も終わりなのだなぁ。人によっては遅かったりもするだろうが、私には早く感じる時間の流れだと、近頃思う。。

昨日は太極拳の秋田県の交流大会が有り、出かけてきた。。

ここ数年は、にわかカメラマンに徹していたが、昨日は久々に私も演武する事になり、これも久しぶりに表演服を引っ張り出して身に着けた。
何だか、少しシャキッとする(笑)

交流会は、各支部のサークルや教室の生徒さんや先生が、一同に会して年に一度、日頃の練習の成果を発表する、学芸会のような場である。
日本武術連盟が、全国的に展開するイベントのようなもので、厳しい審査や採点が無いので、お祭りのような気分で皆の表演を楽しめる。

年々其々のレベルが向上してるのも分かるので、毎回楽しみな会である。
私が所属しているチームは”シルクロード”というチームであるが、A・B・Cと3組のチームを編成して出場した。
私はB組で先生と級段者がバラバラなレベルで、一度だけ当日合わせて練習しただけで本番であった。(苦笑)
まぁ、その割には、そこそこ合っていたとお褒めを頂いたから・・・一同苦笑いであった(笑)

C組は初心者のグループであるが、落ち着いた演武で中々であった。

そして、A組は55歳以上の年配者の編成となっていたが、これが実に気分がよく綺麗に強調された本番となった。ご夫婦で太極拳をしている方も加わっているし、見るからに年配者の集団なのだけれど、この日の為に沢山練習したかいがあって、会場の中にため息がもれるほど、揃っていた。

技術的な技のレベルが揃い、なおかつ集団の動きを合わせるという協調が出来ていると、本当に見る者に感動を与える事が出来る。

協調とは太極拳の中の要求の一つで、

”肢体の配合、動作の繋がり、意識・動作・呼吸、それらが密接に結合してこそ、全身の上下、内外が統一調和し、完全に整って一体になるという究極のポイントに達する云々・・”

と、指導教本には難しく書かれている。

完璧という事は太極拳には無いのかもしれないが、高いレベルを目標にして技を錬磨する意識は、やがて、人を感動まで導く力があるのだと、つくづく感じる。。

集団というのは、中々に呼吸が合わなかったりして、揃える事の難しさを感じるものだが、其々の人々が違う環境や人生観を持ちながら、同じ動きを作り出そうと努力して、それが上手くいった時は、やってる本人達にも安堵感に似た感動をもたらす。

太極拳は体をシンメトリーに使う動きがある。
利き手や利き足ばかりを使わないから、自分の体の癖や偏った動きを調整する意味で、整体にも通じると思っている。

熟練された先生は自分の骨の状態もある程度調整出来るようになるというから、大したものである。

協調性に今一つ欠ける自分を反省するには・・・年に一度のこの会はある意味で貴重かもしれない・・・(*^^*ゞ(笑)
さ~~て・・・またまた、練習だな~~(笑)


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洗濯機

2002年09月28日 | 日記
今や何処の家にも、全自動洗濯機があるようだが、アナログ人間の私は、いまだ、二層式の全手動・・(苦笑)。。

働く主婦でもないから、案外二層式で間に合っている(笑)
妙な愛着を感じるから、替えるに替えられないし、故障もしないぃ。。(笑)
そう言えば、腕時計もアナログで、インターネットの電話回線もアナログだわ(爆)

文化生活の象徴みたいに、テレビや冷蔵庫、洗濯機が当たり前にあるけれど・・・家事を簡素化して余分に出来た時間は・・・果たして、どれだけ自分の身になっているか・・・
私にかぎって言えば、、、、
ん・・・・・かなり、疑問が残る。。。(笑)

働く婦人の為には、そうした文明の利器も最大限に活用出来るのだろうが・・・
ん~~~ん・・・私の生活は決して忙しいとは言いがたい(苦笑)。。。

時には手洗いが必要な時もあるから、手動式でも充分に用が足りるのだけど・・実は楽チンするたびに、手足が退化しそうなおぞましい想像が私を脅迫するのだ(笑)・・単なる無精だという言い訳っぽいけれど・・・ポリポリ・・・(笑)

けれど、冬場は全自動と乾燥機が欲しいなぁ。。。(*^^*ゞ
北国の冬は長く、水も冷たいから、乾くのに時間も掛かるし、水洗いは体にこたえる。。。

そ、つまりは、水をいじるのが苦にならない夏場だけは、洗濯機もアナログでいいのさ(笑)

少し、水が冷たくなってきたから・・・
これからはどんどん冷たくなる水を思うと・・・えへへ・・・ちょいと、ひやみこぎ(無精)の虫がうずいてるぞ、わ・た・し。。。(*^^*ゞ
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シチュー

2002年09月27日 | 日記
いやはや、秋田は朝夕、随分と涼しいというより、さびぐ(寒い)なってきている(笑)
そこで、何故か恋しくなる鍋物。。。(笑)

秋田には三内村という山村があり、そこで採れるサトイモは本当にホクホクとこくがあって美味しいのだが・・・
気分を変えて、サトイモシチューをと思ってしまった。。。。。(笑)
失敗はその閃きが始まり・・(笑)

小麦粉と牛乳をグルングルンと混ぜて、火にかけ、バターを入れ、またまたグルングルンと焦げないように混ぜる。途中、コンソメやコショウ、塩を入れて混ぜていると・・・
ほ~~ら、ホワイトルーの出来上がり。。ここまではいつもの通り・・・(笑)

ついで、サトイモを皮付きのまま、軽くゆでておく。皮付きでゆでておけば、冷蔵庫で1週間位は持つのだ。後は必要に応じて料理に使えるので、とても便利。。ふむ、これも予定通り(笑)

玉ねぎや人参、肉などは煮てある程度柔らかくなったら、作ったホワイトルーを入れ、ブロッコリーやサトイモを入れる。
(実はここからが間違いの始まり~~~(笑))
味を見て、塩や白ワインも少々・・・弱火でコトコト・・。
おお~いいじゃん・・・と、思いきや、、、あれ~っ・・・鍋をかき混ぜてみると、妙に鍋底に焦げ目が付く。。。
う~~~~~む・・・変だなァ・・・
鍋を入れ替えて、またコトコト・・・
おやっ・・・まただぁ・・・なんでやろ~~・・・
鈍い私も気が付いた。。。(T_T)

そうだ、サトイモはぬめりがあったのだった。。
煮込むには適してないと言う事・・・何で、最初に思いつかなかったかなぁ・・・(T_T)
ったく・・・失敗だわ!

教訓・・・煮込む時にサトイモは入れない。食べる前に入れてルーをかけるべし。。。

息子がブツブツ・・・なんじゃこれっ!
”おかわり、要らない?”
”いらねーっ”
”だよなぁ・・・すまん・・・(笑)”

とほほ・・・母の面目丸つぶれ~~~(爆)(*^^*ゞ
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新聞

2002年09月26日 | 日記
我が家は読売新聞を取っているが、TOPの”編集手帳”を時々感心して読む。
まぁ、普通の家庭だから、沢山の新聞を取る必要が無く、これしかないのだけれど(笑)
他紙も幾つか取っていれば比べられるのだろうが、私は編集手帳の中に、色々な事を発見して嬉しくなったりする。。

毎日続けるのも大変なことだろうけど、その知識の豊富さ、人への愛情、世評への寸評・・・季節、事件、人間、環境、歴史、・・・などが盛り沢山なのに厭味が無く、書き手の心根が暖かく感じられるのがいいなぁ・・・と思う。。

私は絵を少しばかりかじっているので、そんなことでしか比べられないが・・・
実は絵というのも、小さな号数の絵は難しいとされている。
空間が小さい事は、描き手の思いが凝縮され、100号などの大作に引けを取らない技術と完成度がより求められるからだと・・・昔習った先生がおっしゃっていた事があった。

(号数と言ったが、油絵は一号~100号など・・と有り、一号は大体、葉書大くらいの大きさである)

描くのも、書くのも、要は同じくらいの感性が必要なのだろうなぁ・・・。

何かを感じ取る心と柔軟さ・・・無くしたくないものの一つである。。。
(*^_^*)
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手前味噌

2002年09月25日 | 日記
少しだけ、母として嬉しい発見があった。
娘の事なので、少し照れくさく、オヤバカの感もあるが・・・。

娘は高校時代にマーチングバンドのクラブに入っていた。
まぁ、紆余曲折があって、一時的に部活を退部したりもし、また、3年生のこれからという時に病を得たりして苦しんだが、どうにか復帰して何とか3年間の部活生活を通した。
それもこれも、部活の仲間や先生、クラス担任など、多くの方に支えられての事だったと、親としては感謝しているが・・。

先だって、秋休みになったからと、久しぶりに帰省し、部活時代の友人と部活を覗きに行ったのだが、夜の10時過ぎに帰ると言いながら、結局帰ったのは11時過ぎになり、父親からもひどく注意を受けた。
どうやら、部活は大会前の合宿が行われている時期らしく、後輩の練習を見ているうちに、練習を見捨てておけなくなった事情があったらしい。
私は、先輩面をして、さぞかし調子に乗っていい気になってのことだろうさ・・・とタカを括っていた。
昨日、再び、友人らと後輩の様子を見に行ったのだが、どうにか夕飯までには帰宅して、ポツポツと後輩達の様子を語ったので、フムフムと聞くとも無し聞いていた。

マーチングは、楽器を演奏しながら歩き、編隊を組替えたり、列に変化をもたせたりしながら聞かせる楽隊である。
吹奏楽の重い楽器を持ちながら独特な歩き方をし、かなりハードな運動量がある。一方、ピットと言われる、総指揮者の横で、動きながら演奏するには適さない楽器と共に楽隊に参加するパートもある。

娘の話はこうだ。
ピットのパートは、今年、急遽一人だけになった。しかし、演奏を聞いていると、ちっとも音が合わず、それだけでなく、最初の出だしから、既に音が出遅れてしまうので、演奏にならない。音符が読めるというわりに、やらせてみると実際は出来無いし、練習をするからと言うわりに、練習はしていない。
つまり、自分なりの努力をしないのに、大会には出たいという矛盾があるのだが、本人の“出たい”という意志はかなえてやらないといけないと顧問の先生が言うので、大会が三日後に迫って部員全員が焦っているのに、ピットの問題がクリアにならず、これは由々しき問題だということらしい。

それで、自分は先輩として、少しでもいいから手伝いたいし、先生や後輩からも頼まれて、引くに引けないというのだ。

話をもう少し聞くと、そのピット担当の子は、実は障害があるようにも見えるという。
言葉の障害があるようだと。しかし、何かの病気かも知れず、自分が話す言葉を理解しているようだから、普通に話したし、ましてやその事に拘る気は更々無く、特別な意識で接する事はない、と言う。

実は、娘の友人の一人には、自閉症の兄を持っている友人がいる。その事で、特別な目で見たり意識したりしない関係が、友人と娘の間には育っている。まして、自分も病を抱えているから、「死」と隣り合わせで無い限り、普通の対人関係でいいのだと言い切る。

いつもは口うるさいだけの娘だが、少しは成長したのかもしれないと、あの子を見続けてきた母として、ちょっぴり嬉しい気持ちになれた。
悩んで苦しんで病気と付き合って来た娘が、人に対しても、経験者として、差別意識を持たないように受け止められるようになったことが、母としての嬉しい発見であった。

娘は今日、自分の生活圏に戻る日なのだが、敢えて、後輩の練習にもう少し付き合い、電車の予定をずらして乗るつもりだと、朝早くに出かけた。。。
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