kyon's日誌

つれづれに・・・

訃報に

2014年04月27日 | 日記
訃報を聞いた。
ショックだった・・・
自分のチームの方ではないが、お人柄の好い方だったと記憶している。
特別に親しくさせて貰った訳でもない。
けれど幾らなんでも早過ぎるだろうと。
60歳、まだまだ沢山のことが出来る年代だったのに。
自分のチームを立ち上げて、教室を持ち、沢山の弟子に恵まれていたようで・・・あの教室はどなたが引き継がれるのだろうかと思ったりもしたが、
教室を終えた翌日に亡くなったと聞いた。
昨年から体調を崩されていたようだった。
いつも笑顔の絶えない方だった。そんなに悪い状態とは思えなかった。

前日まで教室をやってたということは、覚悟が出来ていたのかもしれないと想像した。
あっぱれないい死にかたかもしれぬと、不謹慎ながら思った。

最期をどのような形で迎えるかは、其々だろうが、抗がん剤でベッドに括りつけられているよりずっとましなのではないかと思える私は不謹慎な発言をしているかもしれない・・・と、思いつつ、
余命を切られ、手当のあてのない宣告をされた場合、私ならどうするだろうかと考えてしまった。
60歳という年を考えたら、勿体ないのである。
確かに、
日進月歩の医学の進歩を持ってすれば、何がしかの希望を医学に見いだせるかもしれないが、果して、その恩恵はどの程度、自分に可能かと私は考えてしまうのだ。
なれば、と、太く短く生きようと、果して自分は覚悟を決められるのか?

身近な人のリアルな死は、己の死を想像させてドキリとする。
いつまでもある命では無いのは確かであり、その死を向かい入れる覚悟がいつもある訳ではなく、普段は遠い世界の事に思えて暮らす日々。
けれど、人の命はなんとあっけない事かと思わずにいられない。
だからこそ一日が大切で・・・などと、世間一般的な言い方をする気が今はない。
そんな生き方は息が詰まる。
ワタシャその時に自分と向き合おう・・・俗物のワタシは一杯後悔するんだろうなぁ~
迷わずに、その時々を選んで来たのは自分な訳だし、その時は後悔なんぞしてないのだ・・・けど、一週間後にあなたの命は無いと言われたら、きっと後悔する。
あの時にこうしておけば良かった・・・とかね。

人生は何があるか分からないね・・・
人の一生も何があるのか分からない・・・
彼女の人生は幸せだったのかなぁ・・・
けれど、残したものがある・・・教室は引き継がれ、運営もきっとなされるべくしてなるだろう。
死を前向きに受け入れた彼女のあっぱれさを、ワタシなりに見たような気がする。
ご冥福を祈る・・・
コメント (4)
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