kyon's日誌

つれづれに・・・

秋月記

2014年04月06日 | 日記
「山は山であることに迷わぬ。雲は雲であることを疑わぬ。ひとだけが、おのれであることを迷い、疑う。それゆえ、風景を見ると心が落ち着くのだ」
・・・・・・・・・・・・・
「間小四郎、おのれがおのれであることにためらうな。悪人と呼ばれたら、悪人であることを楽しめ。それが、お前の役目なのだ」・・・・・・

「秋月記」(葉室麟・著)の中で、語られる一文を抜粋させて戴いた。
いや、秀逸。。。。
借金だらけの小さな藩が抱える財政事情とお家事情の中で、見込んだ若者らに託す為に仕掛けた罠、いや、罠といえるかどうかは別として、己を捨てて藩の立つ瀬を求めた元家老が言う台詞である。
作家の筆に迷いなく、何だかストンと腑に落ちる。
主人公の目線が静かだ。
その目線と覚悟が伝わるので、読み手も静かな気持ちで受けられる。

葉室麟作品にちょっとはまっていて・・・(^^ゞ
ある意味、階級的に弱者ではあるが、その生き方に筋が通っていて、凛としている、清廉な人柄と信念を持っている、・・・そんな人が主人公。
歴史上の表に名前を連ねるような人物ではない・・・何故かそこに魅かれる。
まだ数冊程度の読み方では足りないだろうが。(^^ゞ
エラそうには言えないけどね。

狭い枠の中で恐々として生きねばならぬような武家の社会。上下関係に羽交い絞めにされているような、階級社会・・・その中で、ほど良くソツ無く人生を全うしようとする人々は、そのままワタシらのような気ままな庶民よりも窮屈なはずだが、中には自分の信義を貫いて凛として生きた人も居たのだ。
そうでなければカナシすぎるだろう。

ある集団の枠の中の規則や規律は窮屈で不自由なものだけど・・・
制限や規制の中でこそ、人は姿勢を正せるのであり、自分なりの信念や生き方も見出せるのかもしれない・・・
不自由であることは案外、自由なのかもしれない。

人間力というものがあるのなら、それを捨てない生き方を選ぶ方がいいじゃないか・・・なんだかそんな風にも言われている気がする。

さて、こうして好き勝手にあれこれホザける今はホントに幸せなことなんだなぁとあらためて思ったりする・・・生活が苦しいぞとか、下がり続ける年金に腹立つとか、あれもこれも不満や愚痴を言えばキリの無い庶民。喘ぐような狭い時代なれど、ま、どうにか生きてるさぁ~ね・・・(^_^;)

で、
断られ続けた母の元に、今日から行って来るべぇ(^^ゞ
コメント (8)
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