昨日は、遅くなってからの到着で江城客運站も閉まっていた。
午前中に今度の移動先のモンラー行きのバスを調べるのに客運站に行って
色々聞いた。
窓口のお姉さんは、優しくて丁寧に教えてくれた。
その上昨年8月の第一刷「江城ハミ族イ族自治県旅遊地図」を無料でだしてくれた。
おお、今まで地図がなかったので江城でもあきらめていたのだがこれは嬉しい。
でもよく見てみると無料でもらっておいてなんだが、いまいちパっとしない。
随分たくさん観光地があるように写真が掲載されているがどこをどう
通って行くのか解らない曖昧な地図(?)だ。
その観光地のうちのひとつを差して窓口のお姉さんに聞いたらメモ張に「江城、
温泉、座整董車、二官寨」と書いてくれた。
なんのことやらさっぱりわからなかったが「シェシェ」とか言ってその場を
離れた。
この後この時書いてもらった「二官寨」の三文字が悪魔からの誘いだったこと
が判明する。
町をふらふらと歩いて市場をみたりいいホテルはないかと探していたのだがお腹
もすいて食堂で昼食をとったあとで宿に帰るために歩いていたら「二官寨」
と書いてあるミニバンを発見した。
なんとなくニヤけた感じの迷彩服を着たおじさんは、私が日本人だと言うと親指
をたててニコッとしている。
「片道12元だ」というのでそんなに遠くないだろうとそのおじさんのミニバンに
乗り込んだ。
運転席の隣のは、子どもが2人重なって乗っている。
その後ろが夫と私、それに中年のおばさんの3人。後部座席が若い男女が2人、
それに50才くらいの男性と総勢9名だ。
町を少し離れたら雲行きじゃない、道の様子がおかしい。
前を走っている車がすざましい土埃を上げている。その土埃(ほこり)によって
迷彩服のおじさんのミニバンも視界ゼロだ。
志賀高原あたりで秋になると濃霧注意報が発令されて身動きできない状態に
なったことがあった。
それでも相手の霧は、なんの害もない。
こんなすさまじい土埃は、生まれて初めて遭遇する未知の経験だ。
窓を閉めたくらいでは、土埃はどこからともなく進入してくる。
100mくらいでその区間が終わるのならまだ許せる。
この赤土の埃が永遠につづくのだ。
挙句の果てに、大型トラックが粘土質の場所で泥にはまって身動きできない状態に
なっている。
暑いのに今回は急なことだったので水も持ってきていない。
ここで待たされること40分以上だ。
中国人は、忍耐強い。誰も文句ひとつ言わないで見学している。
大型のブルドーザーがきてそのトラックを押し出してようやく道路が開いた。
でもこれで終わった訳ではないのだ。この赤土の埃に巻かれた状態は、
永遠に続く。
最後に少し舗装道路になったがわずか12元のバス区間なのに「二官寨」に到着した
のは15時を過ぎていた。
12時50分に発したのだから到着まで2時間以上かかったことになる。
降ろされた二官寨はなにもないところだった。
すぐそばにあった商店で水を買ってうがいをしてそしてその水を一気飲みした。
地獄は、これでおしまいではないのだ。
普通に考えても帰り道がある。空を飛んで帰るわけにはいかないのだ。
これで帰りの車でもないと悲惨なことになる。
あせって村の人に聞いたら上のほうの道に出て待っていろというので暑いなか歩
いていたら若いカップルが江城行きのバスを待っていたのでホッとした。
江城行きのミニバンが来たので乗り込んだらさっきの迷彩服のおじさんだった。
おじさんは、さっき降ろされた二官まで下りて行ってまた客を拾った。
今回は、運転席の隣に若い女性が2人乗せられた。
そのすぐ後ろは、私と夫それに男性が2人の四人、後部座席には男性が3人で定員
オーバーの10人だ。
ぎゅうぎゅう詰めで小さくなって乗っていたがなんとも乗り心地が悪い。
同じ道を帰るのかと思ったら、今度は急ごしらえの農道だ。
急斜面に無理矢理ブルドーザーが入って切り込みをいれただけのような道路で、
全く斜面の処理もしていないし切り崩した土は下に落ちるにまかせている。
少し車輪がはずれただけで崖下に転げ落ちるのは目に見えるようだ。
赤土の土埃の中を走るのとこの急ごしらえの農道のどっちが地獄に近いかと
聞かれてもどっちも同じだと答えるしかない恐怖の道路だ。
15時20分に二官寨を出発した(二官寨」では水を飲んで上の道路まで歩いただけで
わずか20分の滞在だ)ミニバンは、江城に着いたのは17時30分で帰りも2時間少しの
恐怖の時間がつづいたのだ。
江城では、一生忘れることの出来ない経験をした。
ただ「この恐怖」はさらなる続きがあったのだ。
午前中に今度の移動先のモンラー行きのバスを調べるのに客運站に行って
色々聞いた。
窓口のお姉さんは、優しくて丁寧に教えてくれた。
その上昨年8月の第一刷「江城ハミ族イ族自治県旅遊地図」を無料でだしてくれた。
おお、今まで地図がなかったので江城でもあきらめていたのだがこれは嬉しい。
でもよく見てみると無料でもらっておいてなんだが、いまいちパっとしない。
随分たくさん観光地があるように写真が掲載されているがどこをどう
通って行くのか解らない曖昧な地図(?)だ。
その観光地のうちのひとつを差して窓口のお姉さんに聞いたらメモ張に「江城、
温泉、座整董車、二官寨」と書いてくれた。
なんのことやらさっぱりわからなかったが「シェシェ」とか言ってその場を
離れた。
この後この時書いてもらった「二官寨」の三文字が悪魔からの誘いだったこと
が判明する。
町をふらふらと歩いて市場をみたりいいホテルはないかと探していたのだがお腹
もすいて食堂で昼食をとったあとで宿に帰るために歩いていたら「二官寨」
と書いてあるミニバンを発見した。
なんとなくニヤけた感じの迷彩服を着たおじさんは、私が日本人だと言うと親指
をたててニコッとしている。
「片道12元だ」というのでそんなに遠くないだろうとそのおじさんのミニバンに
乗り込んだ。
運転席の隣のは、子どもが2人重なって乗っている。
その後ろが夫と私、それに中年のおばさんの3人。後部座席が若い男女が2人、
それに50才くらいの男性と総勢9名だ。
町を少し離れたら雲行きじゃない、道の様子がおかしい。
前を走っている車がすざましい土埃を上げている。その土埃(ほこり)によって
迷彩服のおじさんのミニバンも視界ゼロだ。
志賀高原あたりで秋になると濃霧注意報が発令されて身動きできない状態に
なったことがあった。
それでも相手の霧は、なんの害もない。
こんなすさまじい土埃は、生まれて初めて遭遇する未知の経験だ。
窓を閉めたくらいでは、土埃はどこからともなく進入してくる。
100mくらいでその区間が終わるのならまだ許せる。
この赤土の埃が永遠につづくのだ。
挙句の果てに、大型トラックが粘土質の場所で泥にはまって身動きできない状態に
なっている。
暑いのに今回は急なことだったので水も持ってきていない。
ここで待たされること40分以上だ。
中国人は、忍耐強い。誰も文句ひとつ言わないで見学している。
大型のブルドーザーがきてそのトラックを押し出してようやく道路が開いた。
でもこれで終わった訳ではないのだ。この赤土の埃に巻かれた状態は、
永遠に続く。
最後に少し舗装道路になったがわずか12元のバス区間なのに「二官寨」に到着した
のは15時を過ぎていた。
12時50分に発したのだから到着まで2時間以上かかったことになる。
降ろされた二官寨はなにもないところだった。
すぐそばにあった商店で水を買ってうがいをしてそしてその水を一気飲みした。
地獄は、これでおしまいではないのだ。
普通に考えても帰り道がある。空を飛んで帰るわけにはいかないのだ。
これで帰りの車でもないと悲惨なことになる。
あせって村の人に聞いたら上のほうの道に出て待っていろというので暑いなか歩
いていたら若いカップルが江城行きのバスを待っていたのでホッとした。
江城行きのミニバンが来たので乗り込んだらさっきの迷彩服のおじさんだった。
おじさんは、さっき降ろされた二官まで下りて行ってまた客を拾った。
今回は、運転席の隣に若い女性が2人乗せられた。
そのすぐ後ろは、私と夫それに男性が2人の四人、後部座席には男性が3人で定員
オーバーの10人だ。
ぎゅうぎゅう詰めで小さくなって乗っていたがなんとも乗り心地が悪い。
同じ道を帰るのかと思ったら、今度は急ごしらえの農道だ。
急斜面に無理矢理ブルドーザーが入って切り込みをいれただけのような道路で、
全く斜面の処理もしていないし切り崩した土は下に落ちるにまかせている。
少し車輪がはずれただけで崖下に転げ落ちるのは目に見えるようだ。
赤土の土埃の中を走るのとこの急ごしらえの農道のどっちが地獄に近いかと
聞かれてもどっちも同じだと答えるしかない恐怖の道路だ。
15時20分に二官寨を出発した(二官寨」では水を飲んで上の道路まで歩いただけで
わずか20分の滞在だ)ミニバンは、江城に着いたのは17時30分で帰りも2時間少しの
恐怖の時間がつづいたのだ。
江城では、一生忘れることの出来ない経験をした。
ただ「この恐怖」はさらなる続きがあったのだ。