風の吹くまま

気の向くままに

化粧水

2014-05-28 13:21:48 | Weblog




もうあれから(?)一年が過ぎて今年もドクダミの季節がやってきた。ドクダミを摘んできて洗って軽く水を切るところまで終わった。梅酒用の瓶にドクダミの葉っぱだけを入れて果実酒用の35%のホワイトリカーで漬け込んで一年寝かせて出来上がりだ。化粧水の瓶にドクダミの葉を取り除いて黄金色の液体になったドクダミ酒を入れてそこにオリーブオイルを数滴たらすとあら不思議シミ知らずの高級化粧水(?)の出来上がりだ。

こうしてこの人気の化粧水のフアンはあの猫好きのすぐ下の妹ひとりだけというのも不思議だがこのドクダミ化粧水がなくなると申し訳なさそうに高級化粧水またお願いねと妹は言うのでやっぱりこれは高級化粧水だとその度に自慢してこれいいでしょと言いながら渡す。

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笑わないで

2014-05-23 17:01:58 | Weblog
それにしても人間の思い込みはどうなっているのかこうなってみるとどうしてそう考えたのか自分でもよくわからない。そう考えたというのは片山被告は誤認逮捕に違いないなどと思って弁護士が開いた記者会見の動画等を見ていた。冤罪という言葉に反応して全く面識もない片山被告の今となってはふてぶてしいニンマリと笑っている様子をこんな気の弱そうな人が犯人なんて有り得ないのだから即刻釈放してほしいと思っていた自分の幼稚さが情けない。片山被告の前に本当に誤認逮捕された人にも申し訳なく思う。

人間の心はどうしてこんなことが起こるのだろうか。何でもかんでも隠し立てできないありとあらゆることが一瞬にして広がってしまうネット社会でこの不思議な事件も自分の身近なことと感じていたのではないのにいつのまにか世の中の片山被告は誤認逮捕などという空気を作ることに自分も加担していたのだ。この件で自分から発信したことは一度もないがこれが世の中を騒がせる大きな事件だったから自分の間違いに気付くことができたが身近なところで思い違いをしていることはないか。

流されない心はないと思うがこんなことがあると何に流されてこんなふうに考えてしまったのかしばらくは答えが出そうもない。



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髪を切った

2014-05-19 14:47:26 | Weblog


人に会うからと髪をカットしてきた。あのサランラップのCMに出てくる小さい女の子の髪型あれでいいんですけどまあちびまるこちゃんの髪型ですよねと言ったら火垂るの墓の名前忘れたけどあの女の子の髪型でいいんですねと言われた。いつものようにすっかり切り終わるまで目を閉じてうつらうつらとしていた。人に頭を預けて(?)髪を切ってもらうことはこれ以上の幸せはないと思うくらい気持ちいい。家に戻って火垂るの墓の画像を検索したらはあこれこれというくらい女の子と同じくらいの短さなので夏に向かってとてもさっぱりした夏頭になって嬉しい。

そしてあなたの幸せは何ですかとか題名に問い掛けられてもひとさまにとっては全く興味のない私今日髪切ったんですとか言うしかない。もう20年近くも前に出版されている本だが近所でおきた殺人事件をきっかけに様々な人間関係が書かれていておもしろい。人間は一人一人全く違う考え方で生きている。あの人は嫌いだとかこの人はいい人だという基準は人それぞれでそれぞれがそれぞれの個性を認め合って生きていたら人間関係の摩擦はそんなにおきないと思うがあの人嫌いと思ったら顔を見るのも嫌になるのが人間だ。神様や仏様のようになにもかも穏やかに許すわけにはいかないがそんなのもいいんじゃないとか思いながら暮らしてみることにする。長くもない人生の最優先課題はいい気分で暮らすことだ。
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感想はそれぞれ

2014-05-15 13:04:55 | Weblog




有吉佐和子さんがなくなられてもう随分時間が経過しているが図書館で手にした華岡清洲の妻を読んだ。読み終わる頃になって前に一回読んでいたことに気づいた。於継(おつぎ)と加恵(かえ)か。姑に仕えた経験を一度もしないで今日まできているのでもしこんな状況があったら一日で逃げ出してしまう根性なしだが夫の実験台になって死んでしまうかもしれない薬を飲み干すことなど私にはできない。義母より妻の自分に強い薬を調合した夫に義母に勝ったと思う心もちなど現実にあるのだろうか。それにしても面白いので一気に読んでしまった。

本を読んだ感想文が一冊の本になっている。角田光代さんのように読書が好きだと言う人に読んでもらって感想文を書いてもらった人はうらやましい。今の世の中同じ屋根の下で暮らしている人間の考えていることですらはいはいそうですかもうその先はわかったので黙って静かにしていてねと思うことが多いのに生まれてからこの方全く話をしたこともない人の書いた本に共感したり泣いたりできるは感性すごい。角田光代さんが読んだ本の中から何冊か選んで読んでみたいが同じように感じられなかったらどうしようとか思ってしまうのと角田光代さんが読んだ感想を読んでもう読んでしまったような気になった。

それにしても角田光代さんがこの本の中で佐野洋子さんの本を四冊も取り上げているのはどうしてだろう。偶然だが取り上げられた四冊の本は内容は忘れたが全部読んでいた。
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まな板

2014-05-14 12:58:22 | Weblog


母の日ではない今日になって母用のまな板が届いた。忘れられていたことを自慢したのになんだ忘れていなかったのか。ダイソーで100円で買ったお湯をかけるとふにゃりと曲がるようなまな板を随分長い間使っていたのでありがたく使わせてもらうことにする。それにしても主婦は毎日使うまな板をちょっと使いにくいなあと思いながらまだ使えるとか思っていつまでも捨てないのだから健気なものだ。あらゆる場面で健気なので例えばお皿とかもちょっとやそっとでは割れたりしないので割れてもいないのににもったいないとか言っているうちに人生の大半が終わってしまう。娘からもらったまな板をきっかけに他でも健気に暮らしていることはないかちょっと点検する必要がある。皿の一枚や二枚新しくしたからと言って誰からも文句言われないのだからそろそろ取り替えたらどうですか私。

娘ありがとう。孫一号二号は4月から保育園に元気で通っているようなので良かった。
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思い出さない子ども

2014-05-12 18:54:51 | Weblog
花屋さんの前であれこれ品定めしている人が大勢いた。猫が食べる草を買いたいと猫好きの妹とスーパーに併設されている花屋さんに寄った母の日だった昨日の事だ。猫が食べる草なんてその辺に生えている草じゃダメなのと内心思ったが車で迎えにきてもらっている身分なので余計なことは言わないで黙って回りを見渡していた時の光景だ。自慢だが母の日に母に母の日用の贈り物をしたことなどただの一度もない。どうしてそんなことが自慢になるかと言うと親なんて子が親のことを思い出すこともなく親以外のことで忙しく動き回っていることがどれ程ありがたいことかそんな親の気持ちを汲んで思い出す事もなく暮らしていた私は随分親孝行だったのだと親のいなくなった今になって自分の親孝行を自慢しているのだ。そうして昨日の母の日に子の誰一人としてとか言っても二人しかいないがその二人ともおめでとうの言葉ひとつない親孝行の子だったのでとても良かった。
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贅沢な暮らし

2014-05-06 18:09:21 | Weblog


それにしても(?)2013年4月24日初版ということはほぼ一年前に発行された本なのでその時点で電気代が一ヶ月500円で暮らす日本人のアズマカナコさんは1979年生まれでまだ35歳くらいだ。そんな若い人が電気製品のほとんどない中で暮らしてそれが贅沢な毎日だと言うのだから驚きだ。真似したらできるような気もしてくるが冷蔵庫も洗濯機もエアコンもない中でいくら随分昔に生まれて貧しい事には慣れている身にも火鉢で暖をとることなど可能だろうか。二日に一回洗濯機を回しているが干した洗濯物をたたむ時に不思議に思うことがある。毎日風呂には入っているはずの同居人の下着が一枚だけしかない。それも下の下着のみで上の方は見当たらない。どうやら毎日取り替える事をしない不潔な習慣を全く不思議にも思ってないようだ。下着でそうなので上に着るものなどほとんど洗濯してないものを着ているようだ。まあ私の事ではないのでいいがそれにしても不潔な人と暮らしている私までが不潔だと思われそうで嫌だ。と話が随分飛んでしまったがひょっとしたら同居人だったらこの一ヶ月500円という電気代も可能ではないかとふと思った。同居人のように不潔な習慣は嫌だがアズマカナコさんのような質素に暮らす生き方は見習うところが沢山あると感心した。
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損か得か

2014-05-03 08:39:55 | Weblog
早起きは三文の徳という言葉は知っていたが徳は損得の得だと何気に思っていた。早起きしたら何だかとても損をしたような気分になって得とは反対の気分になるのはどうしてなのだろうと考えてみた。仕事をしている時は眠くても遅刻は出来ないので目覚ましをかけて分刻みで家を出るまで息つく暇もない。ゆっくりと寝たいだけ寝てゆっくりとお茶を飲んでゆっくりと新聞をペラペラめくってお菓子などをポリポリつまんで食べながらボーと過ごすのが憧れだなどと意味不明の幸福感に浸るのを人生最大の喜びと考えていた節があってそんな自堕落な暮らしを人生の目標に設定して暮らしていたので早く起きることは人生目標と大きくずれてしまうので損をしたと思ってしまうのだなと一応ここまでたどり着いた。それでは本当に早起きは人生の目標と大きくずれているのだろうか。早く起きた日の一日の長いことと言ったら同じ時間かと思う程だ。まあああでもないこうでもないと色々考えてみたが結論は好きな時間に起きて好きな時間に寝ることができる生活が1番で早く起きてもあまり得した気分にはならないがやりたい事がある人には早起きはおすすめでたっぷり時間が取れることは間違いない事が判明した。
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