風の吹くまま

気の向くままに

問題ない

2014-03-27 10:54:58 | Weblog
終活などという言葉におどらされて身辺整理をしているのではないが捨てられないと思っていた本もついに私の回りから図書館から借りてきた本以外のものが一冊もなくなった。捨てられないと思っていた思い込みは何だったのだろうと考えてみるとお金を出して買ったということよりも本一冊も読まないあなた馬鹿ねおバカさんよねとか言われるのが嫌なだけだった気がする。しかも誰かが私の家にきてその誰かにほら私ってこれだけ読んだのよとか言う場面はほぼ皆無なので自慢する場所がないばかりか例えばそんなチャンスが巡ってきてすごいでしょとか自慢してもあなた馬鹿ねおバカさんよねとか思われることに変わりはなくそれならば本とか取っておいてもあまり意味がないことが判明した。この清々しい気持ちは何だろう。人間の頭の中に留めて置けることなどたかだか知れている。こうして頭の中まで空っぽにして読みたい本だけ読んで読み終わって何一つ残っていなくてもその読んでいる時間を楽しめたらそれでいいよ。暇なので図書館でも行ってくることにする。
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ネコの名前

2014-03-20 11:23:52 | Weblog


どうでもいいことだがネコにネコという名前をつけてネコと呼んでいた今はもうこっちにいない小沢昭一さんとの対談ではじまる佐野洋子さんの対談集を読んだ。イヌ派でもネコ派でもない私だがこれを読むと飼っている動物への思い入れは相当なものでその思い入れがある人とない人の人生の違いも相当なものがあるのだと思った。この対談集を読むまでもなく身近に猫好きの真ん中の妹がいるので猫好きのことは何となくわかってはいたのだが猫や犬のいる暮らしは多分飼っていない人にはわからないことが沢山あって飼うことを選んだ人は大変だと思うことよりその動物が好きだということなのだろう。面倒だとか猫の毛が家中に落ちるので嫌だとか言っているようでは猫を飼う資格はなくてその分猫のいる夢(?)のような暮らしを経験することのないもったいない人生を過ごすことになる。

そう考えると色々な場面でもったいない暮らしをしていることになってひょっとして大金持ちだったら夕日の沈む海を眺めながらボーとすることができる家に住むことができたかも知れないのにこうしてあまり陽の差さない家でこんな(どんな?)事をしている事自体がもったいないことになってしまうのであれもほしいこれもほしいと思わないで図書館から借りてきた本でも読んで借りてきた猫のようにおとなしく過ごすことにする。借りてきた猫は本当におとなしいのだろうか。
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いつの間にか

2014-03-15 15:21:11 | Weblog


ああしておけば良かったとかこうしておけば良かったとかがいつの間にか立場が逆転して看取られる側にまわっていることにびっくりする。その看取られる方法がいくら子どもには迷惑をかけたくないと力説してみても人間のことなので明日どうなるかわからない訳でピンピンコロリとあっちにいけたら万々歳だがそうもいかない場合の事を頭に入れてせめてこれこれこうだとか言っておく必要がありそうだ。精神科医である香山リカさんでさえ父親が他界したときの喪失感はこの本を書く時点ではまだ言葉にして書くほど整理ができていなかったとある。

まあ例えば私が認知症とかになったりして子どもの手を煩わせることがあるかも知れないがその時は香山リカさんが言われるように自分の暮らしや生き甲斐を最大限優先してもらいたい。親の願いは子どもが幸せに暮らすことであって自分で介護できないこと等は全く気に病む必要はないと大声で言っておきたい。

などと本当はうばすてやまにほうり出すとか思われているかも知れないので余計なお世話だった。というかお世話した訳ではないけれど香山リカさんの看取りという言葉に反応してしまった私だった。
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なにも置かない

2014-03-09 09:41:48 | Weblog








今日の東京新聞(2014.3.9)三冊の本棚の欄にエッセイストの酒井順子さんが捨てることで負う傷と題して三冊の本を紹介している。捨てるとか捨てられるとかという言葉から色々なことが想像できるがあの大震災3.11からもうすぐ三年が経過しようとしといる。個人の意思とは無関係にどれだけの物が消失したかわからない。あの時繰り返し流された映像が今またテレビで流されている。見ているだけで心臓がドキドキする。

同じ今朝の新聞に近藤麻理恵さんの本の広告が載っていたがその中にバスルームには一切物を置かないと決めると書かれている。娘に借りたコンマリさんの本を読んだ日から私は実行しているので写真を撮影してみた。お風呂から出るとき必ず排水溝の掃除をして使用したシャンプーとかは風呂場の外に出す。習慣にするとこれをやらないと気持ちが落ち着かない。私は捨てることで負う傷よりも心がどんどん軽くなる感覚のほうが大きい。

こうしてタブレットでブログが更新できて写真とかは簡単にアップできるのはいいのだがこのタブレットで撮影した写真を選択してアップできないのがどうしてなのかわからない。
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瞬間って

2014-03-08 09:46:02 | Weblog
輝いていた瞬間とどん底だった瞬間はいつですかとか音楽の事は良くわからないのでどっちがどうなのか全くわからないがこの質問をされて即座に答が出る人がいるのだろうか。人間は対立する事柄には世の中の空気を読みながら大勢の人が味方になっているほうについていたいと思ってしまう習性があるようでいったい私はどっちの味方になれば大勢がそう思う方向で舵取りを誤らないで過ごせるのだろうか。とかあまり興味はないけれど質問者の意図する所が良くわからないので困ってしまった。質問をした質問者に同じ質問をしたら質問者はいったいどう答えるのだろうか。だいたいがどん底だった瞬間はなどと質問されて大勢の人の前でいついつですなんて言える人はそんなにいないと思う。そもそもどん底というイメージにはお金がないというイメージが重なっていて成功者のどん底時代の話を聞いてそんなに貧乏だった時もあったのに今はそんな豪邸に住んでいるんですかというような時に使われていたような気がする。まあどっちでもいいが考えても考えてもその輝いていた瞬間とどん底だった瞬間のそのどっちの瞬間も思い出せないので困ってしまった。
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誕生月の三月

2014-03-06 10:29:45 | Weblog
いつの間にか三月に入っていて生まれた日が近づいてきたと誰も興味のない話題しか書くことがないという暮らしぶりが良いことなのか普通の事なのかわからないが何かに興味を持って暮らしていれば日常が大きく変わるかといえばそうでもないと思うので私はこのままでいい。何かに興味(?)を持って暮らしている人の忙しそうな様子は見ているほうも落ち着かずあなたネコ派イヌ派と聞かれてどっちでもないというとあらあなたとは趣味が違うわねとか言われてさっさと自分の目の前を通り過ぎるばかりではなくこの可愛さがわからないなんてあなた可愛そうねとかまあネコとかイヌとかと限定したことではないが趣味の違いは人間の格の違いでこれわからないあなたばかねと言うことになって趣味を持っていない人間が人生無駄に過ごしているという思い込みにはこっちだってあなたばかねとか言ってやりたいと私は思うのだ。あらまあややこしいことになってきた。何の事はない。忙しそうに動き回っている同居人にタップリの皮肉を込めて書いてみた。趣味が多いだけで豊かな人生がおくれるとかいうのだったら私だってあれこれ趣味を並べれば豊かな人生が保証されるのか。
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