花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

映画「沈まぬ太陽」で涙ボロボロ

2009年12月31日 | 日記
大晦日になって、やっと念願の映画「沈まぬ太陽」を見て来ました。

高度経済成長の時代に、共に組合活動をした二人が、やがて会社側の切り崩しで
一人は左遷されてアフリカへ、一人は出世の為に組合を分裂させて重役の道へ。

やがて利益追求をするあまり、安全無視の運行が行われて、あの御巣鷹山への
ジャンボ機墜落という大惨事を引き起こします。

まさに人間の生き様が問われる物語でした。
同じ時代に組合活動で職場委員をやっていた経験もあり、人ごとは思えない
物語でした。

まるでこの映画さながらに、組合の切り崩しが行われ、多くの仲間が第二組合に
移っていった。
地方出身者が多かった職場では、田舎に転勤したい希望者が多く、第二組合に
入らないと転勤させないとか、昇級で差をつけるとか、ありとあらゆる手段で
分裂させられたのです。
その中で、己の信念を貫くのは至難のわざと言えるかも知れません。

定年退職するときに、その過酷な結果を突きつけられました。
他の職員と退職金の額が顔が青ざめる程違っていたのです。

ですからこの映画を見ていると、まるで自分の事のように感じてしまい。
涙が止まりませんでした。

一つ反省が有るとすれば、会社に逆らえば「差別されてもしょうがない」という
思いが自分の中にも有り、結果的には差別を容認してしまったことです。

差別は人を傷つけるばかりか、人そのものを否定する行為だと、差別
された経験者として感じます。
やはりあの時、もっと差別そのものを問題にすべきだったと思っています。

封建制の強かった明治時代に、福沢諭吉は言いました「人の上に人をつくらず」
民主主義と言われる今日でさえ、それは未だに夢物語です。
弱者切り捨ての福祉、ネットにあふれる個人攻撃、勝ち組、負け組と言われる
差別化、根底に有るのは人を人として認めない貧しい精神
競争社会では平等などというのは死語に近い。
黙っていれば、それを容認したことになってしまうから、私は折に触れて声を
上げてゆきたい。たとえ蟷螂の斧とて言われようと。


皆様、今年はどんな一年だったでしょうか。
私にとっては、激動の一年でした。
あわや実家が破産という危機も経験しました。

来るべき新年は、平和な年で有るように願っています。
皆様も健康で良い年をお迎え下さいね。

尚、連載の「思い出の登山・思い出の花・尾瀬」は、ボチボチ書いていく予定です。


ミドリムシクッキーを食べました

2009年12月30日 | 日記
筑波山のブナ調査に参加した人達の打ち上げ会があり、その際に出されたのが
最近テレビで取り上げられて話題になった、ミドリムシのクッキー。
早速私も試食してみました。
変な匂いも癖もなく、サクサクしたおいしいクッキーでした。


パンフの上の緑色の丸いクッキーが「ミドリムシクッキー」の実物

お知らせ
筑波実験植物園で公開講座が開かれます。
2010年1月16日(土)「講演と初冬の樹木観察」
詳しくは植物園のホームページをご覧下さい。

宝篋山に登山される方へ
つくば市内の宝篋山(通称小田山)に登られる方は、ただいまイノシシの狩猟が解禁
されていますので、充分注意されるように御願いします。
銃による狩猟のみならず、ワナによる狩猟も行われており、脇道や獣道に入りこむ
と重大な事故につながる危険が有ります。

ワナの設置場所にはプレートを貼る事になってますが、貼らずに設置する密猟者
もいるかも知れません。プレートの有る場所には絶対入らないようにしましょう。

またイノシシと間違われないように、出来るだけ目立つ服装でお出かけ下さるように
御願いします。
(つくば環境フォーラムに関係者から要請が有ったとの事です。)

思い出の登山・思い出の花・尾瀬その三

2009年12月29日 | 登山
2009年6月8日 御池駐車場→燧裏林道→段吉新道→平滑の滝→三条の滝
→うさぎ田代→燧裏林道→御池駐車場と廻って見て来た戸隠ショウマと尾瀬の花々の記録その三



クロベの木を抜けて上田代に出ると、広い湿原にまっすぐな木道が続き、途中に
ベンチも有る。
木道のすぐ脇から、ミネザクラの若木が枝を伸ばして、花を木道の上に咲かせていた。


ミネザクラ・別名タカネザクラとも言う。葉と同時に花を開く。
那須の日の出平は、ミネザクラの群生地として有名で、何度も見に行ったが
このような湿原に一本だけ咲いているのもまた良いものである。


右の林の上に平ヶ岳が覗いている。地図で見れば北側になるのだが、自分の頭の中
では西の方向に感じてしまうのは何故なのだろう。


行く手の山の上に、ほんの少しだけ頭を覗かせているのは、燧ヶ岳に違いない。


もう少し先に進むと平ヶ岳の眺めの良い場所に出た。
雪を頂いた山ほど美しく見えるものはない。しばらく立ち止まって見とれていた。


その先で、木道の脇に仲良く並んで咲いているショウジョウバカマが有った
柔らかい朝の陽に包まれて、精一杯咲いている。


まもなく御池から1.5キロの標注が有った。
その先には、池塘が数多く散らばっている。
あるいは、この辺が横田代なのかも知れない。


池塘に咲く水芭蕉


横田代とおぼしき湿原の様子


まるで湿原に開いた窓のような池塘、静まりかえった水面に朝の青空を写している。


近くの林には、オオカメノキ(別名ムシカリ)の白い花が浮かびあがっていた。


残雪の沢を見ながら木道を行くと


ミズバショウの群生する木道があり、林を抜けて行く


やがてノメリ田代という湿原に出たが、傾斜している小さい湿原で、その先の林の縁にはやはり水芭蕉の群落が有った。


まるで一家の様に寄り添って咲く水芭蕉


御池から2キロの標柱を過ぎると


青空が広がる抜群の景色が待っていた


林の縁に、しおれた花のように垂れ下がっているのは、タムシバに違いない。
残念な事に、ピークを過ぎてしまったのだろうか。


そしてまたもやイワナシの花が有った。
時計を見たら6時43分であった。

お詫び 写真と説明の順番に誤りが有りましたので訂正いたしました

その四に続く

その一はこちら
その二はこちら

思い出の登山・思い出の花・尾瀬その二

2009年12月28日 | 登山
2009年6月8日 御池駐車場→燧裏林道→段吉新道→平滑の滝→三条の滝
→うさぎ田代→燧裏林道→御池駐車場と廻って見て来た戸隠ショウマと尾瀬の花々の記録その二

燧裏林道には、数多くの湿原が連続する。
惜しむらくは、いくつかの湿原に名前を示す案内板が無くて、地図にも名前が
載ってないものもある。
山渓の尾瀬ブック2009年版でも、地図には西田代の名前がない。
いくつか資料を調べて判明した湿原の名前を記載すると次のようになる。
御池田代→姫田代→上田代→横田代→ノメリ田代→西田代→天神田代である。


御池田代の古い木道の脇にショウジョウバカマの花がひっそりと咲いていた。
廻りの草の葉が雪解けの泥に汚れて、何となくみすぼらしく見える。


これはエンレイソウの花であるが、場所によって花の色が微妙に違うので、後で比べてみると面白い。


この花、サンカヨウは私の大好きな花である。数年前、信州の小谷村の栂池湿原で
撮影して以来、再び撮影したいと日光や那須の山を探し回ったが、時期が合わず
撮影出来なかった花である。こんな事ならもっと早く尾瀬に来るのだった。
この花は、面白いことに大小二つの葉っぱが有るのに、何故か小さい葉っぱの上に花が咲く。考えると眠れなくなりそうだ


この花、イワナシも私の大好きな花で、前日に尾瀬の田代山に登ったのも、この花を撮りたいからであった。
田代山ではすでにピークを過ぎていたが、尾瀬では今がピークである。
乙女の恥じらいのようなピンクの花の可憐さはどうだ。

階段状の木道を緩やかに登ると、次の湿原「姫田代」についた。

ここには「姫田代」と書かれた標柱が立っている。


ここは小さい湿原だが、秋の草もみじが美しいという。


湿原と林の境目に水芭蕉の群落が続いている。
小振りな水芭蕉のなかには、まだまだ見頃の花も沢山有った。


三脚を据えて撮った水芭蕉、汚れのない白さが目にしみる。

ここでかなり高齢の男性カメラマンに出逢い、色々尾瀬のお話を伺った。
尾瀬の道は、全て歩き尽くしたという。
戸隠ショウマの咲き具合はどうかと尋ねると、今が丁度見頃だよという。
何でも山小屋の一つが、ホームページで花情報を発信しているらしい。
それからおもむろにザックから交換レンズを取り出して、このレンズは二つの
絞りがついていて、ボケのおもしろい写真が撮れるという解説を始めるのだった。

そのカメラマンによると、この先に上田代のシンボルと言える様な「クロベ」の
木が有り、そこが上田代の入り口だよと教えてくれた。


どうやらこの「クロベ」の木が上田代の入り口らしい。木の向こうに小さく
写っている人がそのカメラマンである。
その人と比べれば、このクロベの大きさが判るであろう。

その三に続く

その1はこちら

里山づくりで保健保安林の手入れ

2009年12月27日 | ボランティア
12月26日土曜日
今にも降りそうな空模様であったが、天気予報では午後から晴れると言うので
つくば環境フォーラム主催の里山作りに参加して来ました。

集合場所は、つくばエクスプレスの研究学園駅からほど近い下平塚、今日はそこから
歩いて20分くらいの保健保安林の桧林の手入れで、参加者は20数名
最近単位修得の為、大学生達がこういった活動に参加している。
決められた日数を参加すると、授業の単位が修得出来るという。
今日は大学生が8人ほど来ていたが、二人の女子学生は今回が最終日、新たに3人の
男子学生が参加してきた。

最初に森林などの手入れをやっているベテランが、除伐する桧に赤いテープを巻いて
伐採する桧を剪定する。


その間に、大学生たちは越冬している「オオムラサキ」の幼虫を探して観察する事に
4頭の幼虫を観察したという。
どうやら数年前に放蝶した「オオムラサキ」が、この付近の森にも住みついたようである。


これは今年6月下旬に保護飼育ゲージ内で、会員の腕にとまったオオムラサキ

(オオムラサキは、食草となるエノキが無いと住みつく事が出来ないので、エノキの植林も必要)

そのうち「里山こどもワンダーランド作戦」に参加している子供達も来て
オオムラサキの幼虫探しと観察をした後、森の奥で秘密基地を作ったり、落ち葉の
堆肥を作ったりして、元気な声を響かせている。

「切った桧で杭に使えそうな物は、3mに切って下さい」と言うので「3mって
どのくらいかなー」と何気なく聞いたら「3mは、3mぐらいだよ」と一人が
まぜっかえしたので、廻りは大爆笑!!
チェッ やられたぜ。










思い出の登山・思い出の花・尾瀬その一

2009年12月25日 | 登山
今年6月8日、尾瀬の御池に前夜から車中泊して、段吉新道の大橇沢に咲くという
トガクシショウマを見に行った。
前の日は、尾瀬の田代山の山開きに花友達と参加して、イワナシの花を見に行った後
自宅に帰る花友達と別れて、檜枝岐村の御池駐車場まで突っ走ったのである。


6月初旬の尾瀬は、まだ残雪があるくらいなので、夜になると冷え込みが厳しい。
最初は毛布をかぶって寝ていたが、あまりの寒さに夜中に目が覚めた。
隣の車は、エンジンをかけて暖をとっているのか、エンジンのうなる音がした。
御池ロッジの隣のトイレに行き、車に戻る時には身体が冷え切ってしまい、ふるえが止まらない。
これはヤバイ、あわててポットのお湯でコーヒーを作り、身体を温める。
トランクから寝袋を取り出し、防寒着を着込んで潜り込んだ。

窓から空を見上げると、満天の星空が見えたが、寒々しい感じがするのだった。
時折、夜中に走ってきた登山客のライトが、まぶしく差し込んでくる。

ガヤガヤという人の話し声で目が覚めた。
どうやらいつの間にか眠ったらしい。時計を見ると4時半である。
外を見ると、すでにしたくを終えた登山客が歩き始めている。

私も身支度を済ませ、コーヒーとパンの朝食を食べ、バナナ一本流し込んで顔を洗いに行った。
外は相変わらず寒く、ピーンと張り詰めたような冷気がある。
しかし昨日の田代山とは違って、青空が広がり始めていた。
まもなく陽が昇るのだろうか、空の一部がオレンジに染まっている。

カメラを三脚にセットして、駐車場の一番奥にある登山口に向かう。
広い木道を行くと、すぐに燧ヶ岳の登山道と別れ御池田代の湿原に着いた。

御池田代湿原、リュウキンカと水芭蕉が咲いていたがピークは過ぎている。


リュウキンカの花、ピークは過ぎているが黄金色に光っていた。


ミズバショウも時期的にはピーク過ぎで、傷んで巨大化した物が多いが、中には
こんな清楚な花も有る。


広い木道が続く御池田代、この辺までは車いすでも入れるかも。


しかしこのような花の多い場所は、いきなり一本道の古い木道になってしまう。


尾瀬と言っても、人気が有る尾瀬ヶ原とは違って、燧裏林道は静かな木道歩きが楽しめる。
じっくり花を眺めながら、花友達を連れてきたなら、どんなに喜んだ事だろうと思う。

その二に続く


宝篋山の山口臨時駐車場の位置

2009年12月24日 | 登山

上の地図の四角い印のある曲がり角が臨時駐車場です。
駐車場の奥は、工事用の車両などが駐めて有りますから、その出入りの
ジャマにならない様に駐車して下さいね。
山口臨時駐車場の緯度・経度
N 36°10′39″
E 140°06′46″

また登山道に行く道は、山口第一給水所の所から入って、道なりに歩きます。

臨時駐車場入り口、カーブミラーの右側です。左は民家の入り口


地図有る山口第一給水所は、右の金網に囲まれた建物、この前から入って行きます。


登山道の入り口までは、このような道を通ります、道なりです。


登山道入り口、この家の前から右に入ります。
その後は桧林の林の中を登ります。


やがてこの二股分岐に出たら左に行きます。右は山口2コース


小さい渓流を渡った所が中間点で、山頂へ1.7キロの表示がある


この道を登るとやがて道は行き止まりになるが、そこから左に桧林を登ります。


この桧林の踏み跡を登ると、林道風の道に出る


この林道風の道を左に行きます。


やがて「宝篋名水」と書かれた水場に出ます。


つづらおれの道を登っていくと、やがて右側が伐採されて展望の良い道になり
(このときは、遠く浅間山が見えた)。


途中にこのようなベンチが二ヶ所有り、そこを過ぎるとやがて万博の森の広場が有る。


やがて案内板は無いが、このような左に登る階段状の道が有るので、そこを登ります。


登るとこのようなモニュメントがあり、ちょっとした広場になっていてベンチも有る。
万博の森と呼ばれる所で、85年のつくば万博と国際森林年を記念して、新聞社の
提唱で全国4万人余の寄付金で作られたもの。
このモニュメントには、全国の寄付をした人達の名前が刻まれている。


万博記念の森を出ると、すぐに山頂への案内板が出ているので、そこから右に入ります


このような青木の多い登山道を登り


いきなり窪地に出たら、そこは昔、小田氏の山城の防衛の為、空堀を掘った跡である。
掘った土を山頂側に掻き上げて、急斜面にし敵の攻撃を鈍らせたのであろう。
だからその先は滑りやすい急登となっている。


急登を登り切ると、まもなく県の重要文化財に指定されている「宝篋印塔」の建つ
山頂にたどり着く。

標高461mの山頂は、北から南にかけて日光連山から丹沢山塊まで遠望出来る
展望地で、特に冬場の空気の澄み切ったシーズンは抜群である。

宝篋山(小田山)から浅間山が見えた!!

2009年12月23日 | 登山

雪の浅間山を遠望

12月22日、つくば市内の宝篋山(通称小田山)461mに登ったら、珍しく
雪を頂いた浅間山が見えた。

もちろん目の前には、盟主の筑波山がドンと鎮座している。

中央が筑波山、右奥が加波山などの山々、ベンチと山名が見えるのが撮影地の宝篋山

この筑波山の左端から遠景に見えるのが日光連山で、特に冬場の晴れた日は、八ヶ岳の
赤岳も見えるという展望地で、もちろん富士山も見えて「富士百景」の一つとなっている。


これは200mmでとらえた女峰山


同じく200mmでとらえた左から男体山、小太山、大真名子山、小真名子山、女峰山
男体山と小太山の暗部にかすかに顔を覗かせているのが山王帽子山
また女峰山の左前にかすかに、山頂部の左がへこんで見えるのが鳴虫山らしい

今回、私が登ったのは、山口コース1と呼ばれる宝篋山の西から登るルートです。
このほかにも主要なコースが5つほど有ります。
宝篋山のハイキングマップは、つくば市のホームページからもダウンロード出来ます。
http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/

ここから「観光・イベント」→「観光情報のレクリエーション」と開くと、レクリエーションのページに
「宝篋山登山コース」があり、そこのPDFファイルを開いて印刷すればOKです。

富士山を眺めに矢倉岳(南足柄市)その二

2009年12月20日 | 登山
山頂は、山渓の「神奈川県の山」で紹介されているように、カヤトの原が
広がり、少しへこんだ所に矢倉明神の石の祠があり、木製の展望台も設置
されていた。
展望は360度と言いたい所だが、北側の展望は林に阻まれてよく見えない。
何と言っても西に聳える富士山が、遮る物もなく見えると言うのが凄い。

ちょっとズームアップしてみよう

下側の暗い尾根は、登山口の有る足柄万葉公園の尾根である。

さらに左に目を向けると

手前左が金時山、その奥に小さく見えるのが愛鷹山である。

さらに左に目を向けると

明神ヶ岳と神山

さらに左に目を向けると、相模湾から東京湾、そして遙かに房総半島まで見えた
房総半島は、なかなか見ることが難しいと他の登山者が話していた。


この写真の大きさでは房総半島を確認するのは難しいかも知れないが
水平線とおぼしき当たりが、水平ではないのが判ると思う
手前の突き出している半島は三浦半島

後は丹沢方面なのだが、立木にジャマされて写真が撮れなかった

写真を撮り終えたので、私もカヤトの原にシートを広げてお弁当にした。
うーんやっぱりガスで暖かいコーヒーが入れたかったナー。
休んでいる内に、風が冷たくなってきて手が冷えきった。

隣近所なのだろうか、子連れの夫婦が数組コンロを囲んでいた。
その子供達は、父親と鬼ごっこに夢中でカヤトの原を駆け回っている。
富士山をバックに鬼ごっことは、何と素晴らしい事ではないか。
楽しそうな子供達の甲高い笑い声が何時までも響いていた。

私は最後にもう一度富士山の写真を撮って、矢倉岳に別れを告げた。



距離は片道2.95Km
登りは1時間少々、下りは55分ほどであった
駐車場に戻ったら午後の2時であった。

注1、愛鷹山(あしたかやま)について補足

本文中では説明不足だったので、補足します。
愛鷹山は静岡県の富士山の南に有る山で、愛鷹山自体は
標高1,188mの山です。
ただこの山を含めて9つの峰からなる愛鷹連峰を総称として
愛鷹山と呼ぶ場合も有り、紛らわしい。
愛鷹連峰に含まれる山々の名称と標高、(最高峰は越前岳)
黒岳 標高 1,087m
越前岳 標高 1,504m
呼子岳 標高 1,310m
鋸岳 標高 1,296m
位牌岳 標高 1,458m
前岳 標高 1,336m
袴腰岳 標高 1,248m
大岳 標高 1,262m
愛鷹山 標高 1,188m

注2、展望図の方位について
展望図の方位は、地図上の方位で、コンパスで計る方位ではない。
コンパスの場合は、ほぼ6.5度から7度度前後西に偏っているので
修正が必要です。
この偏差は、地域によって異なりますので、正確な偏差を知りたい
方は専門書で調べて下さいね。

 



富士山を眺めに矢倉岳(南足柄市)

2009年12月19日 | 登山
高速道路の千円効果で土日の渋滞は半端ではない。
今日はその効果を痛いと言う程味わった。
6時に自宅を出て、南足柄市の万葉公園に着いたのは11時近かった。
予定では10時に登り始めるつもりだったが、1時間も予定が狂って
11時に登り始める事になった。

本当は山梨県と長野県の県境にある「横尾山」に登るつもりで計画を
していたのだが、とんでもない寒波の襲来で計画を断念した。
長野は雪、山梨は曇り、これでは好展望を望めないから、天気が良くて
富士山が見える山を探したのである。
関東では神奈川県が一日晴れマークで、しかも富士山が見える山がある。

と言うわけで矢倉岳に白羽の矢を立てた。
が首都高である、高速とは名ばかりでカメ足高速でちっとも前に進まない。
その上、東名でも渋滞にぶつかり、踏んだりけったりとはこの事だろう。

足柄峠にある足柄万葉公園に着いたら、駐車場に運良く一台分の空きがあった。
駐車場の脇から富士山が見えた。



うん? 雲が富士山に雲がかかり始めている。
これは不味いぞ、早く登らねば。
そこで重たい荷物は置いていく事にした。
ガスもポットも着替えも全部車において、雨具とカメラと食事のみを持った

矢倉岳、標高870メートル
ルートはいくつかあるが、駐車場が判らなかったので、確実な足柄万葉公園
にした。
一見、尾根上を歩いているように見えるが、実際は尾根の下の山腹を歩く
コースになっている


登山道の入り口は、駐車場から少し戻ったカーブの所に有る。そこから左に登山道に入る。
しばらくは万葉公園の一角で、万葉の歌碑がいくつも建ち並んでいるが、本日は
出遅れのため、読んでいる余裕が無い。


登山道には霜柱が延々と続いている。帰りにも溶けずに残っていた。
寒くて手がかじかむようだった

桧や雑木林の間をしばらく歩くと、右手の開けた場所でこれから登る矢倉岳の
全容が見えた。遠くから見ると、おむすびの様な形に見えていた山である

誰にも会わないから、登山者が少ないのかと思ったら、6~7人の男性グループ
がおりてきた。


途中から昼でも薄暗い桧林が続く。
そこを抜け出した頃、中高年のツアーとおぼしき団体がぞろぞろとおりてきた。
山側に寄って道を譲ると「30人もいますよ」という。
「急ぎませんからどうぞ」と言うと、一人一人挨拶して通り過ぎていった。

公社造林地の看板を見ていたら、大学生くらいの年齢の若者達が5~6人
明るい声で話しながらおりてくる。
ちょっと可愛らしい女の子も何人かいて、昔の山女子とはかなり違うナーと
少々羨ましくなった。
気さくに「こんにちは。」と挨拶する彼らに、なんだか救われた気持ちだった。

地蔵堂からのコースと分岐する三叉路を過ぎると、すぐに山伏平の分岐があり
そこから矢倉岳に登るコースは、明るい登山道となり左側に低い金網が張ってあった。


そこの先はジクザクの登山道で、カヤとバラが生えている。
左手の雑木林は、手入れの最中なのか、かなり伐採されていた。
そして後ろを振り向くと、カヤと木の枝の間から雄大な富士山が見えた。

ガーン 富士山の頂上が見えない !!
やっぱり山は早朝に登らなければダメである。
判ってはいたんだが、無念さは隠せない。
この青空で山頂まで見えたらどんなに良いことか。

気を取り直して山頂を目指す。
やがて山頂が見えたら、登山客が少ないどころか、大勢の人影が見える。


続く