花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

叔母の訃報が来ました

2010年07月27日 | 登山

会津駒ヶ岳のハクサンコザクラ

会津駒ヶ岳に一泊二日で登って、暑さに負けてバテてしまいました。
それで昨日は、一日休養に充てて疲れをとりました。

今日は、北軽井沢のN先輩と行った湯ノ丸高原の、池ノ平で見た花を
載せようと準備していたら、叔母の訃報が入ってしまいました。
と言うわけで、またもやしばらくブログをお休みします。
閲覧に来られた方には申し訳ありません。

池ノ平の写真を数枚だけ載せておきますね。


雲上の丘より見下ろす池ノ平湿原 


アヤメ群落と烏帽子岳


見晴岳への登山口付近にある倒木、倒れてもなお枝を伸ばし、枝の林を作っている。
これこそ根性の木。先輩と二人で感動!!
右手前の黒く見えるのが根っこ

本白根山に咲くコマクサ

2010年07月23日 | 写真
19日北軽井沢の先輩に誘われて、草津の本白根山に咲くコマクサを見に行った。
その時に撮った写真のいくつかを紹介します。

北軽井沢に行く途中で寄った白糸の滝


北軽井沢のキャベツ畑から「寝釈迦」と呼ばれる浅間連峰の山容・ちょっとメタボかな


先輩Nさんの車で、草津白根山の白根レストハウス前の駐車場に行き、Nさんの案内で逢ノ峰と弓池の間を
本白根ゲレンデリフトを目指して歩いた。本当の話は無料のシャトルバスに乗り遅れて歩いただけだが
その時に見た弓池の湖面と遙かに見える雪山が印象的だった。


スキー用のリフトに乗って、本白根山のコマクサ群生地に案内された。目の前には中央火口の巨大な窪地
流石に連休最終日とあって、火口に延びる登山道は観光客で数珠つなぎ状態で、撮影もままならない。
ようやく撮ったコマクサがこれ。
しかしとうにピークは過ぎて、花が傷んでいる。
雨続きでこれなかった事が残念だ。


火口壁を回り込んで本白根山の展望所に行くと、目の前には浅間山を初めとする山々が見えた。


ここは白いコマクサが咲く所として有名らしく、Nさんが尋ねるとすぐに教えてくれるカメラマンがいた。
だがやっぱり花が傷んでいて、アップでお見せできないのが残念だ。

この時「別な場所にも咲いている。」と教えてくれた中年の女性、撮影を終えて振り返ったら、なっ何と
ロープの中に入って、白いコマクサをまたぐような格好で撮影している。
いくら近くで撮りたいといっても、それはやり過ぎだろう。
しかも大勢の観光客の視線の前で、先輩のNさんに言うと「おまえ何で注意しないんだ。」と言う。

以前、注意したら「おまえに何の資格がある」と逆ネジを食らった話をすると「資格ではなくモラルだよな」
と先輩も嘆いていた。


よく見れば傷んでいるのだが、比較的よさそうなコマクサのアップ
一休みした場所で、お隣のグループのカメラマンと「来るのが遅すぎましたね」と嘆くと、「観光協会に
電話したら、まだまだ見られますよと言われて来たんだよ。」と残念がっている。

先輩のNさんも観光協会に電話して、見頃と言われたのは10日も前だから無理もないのだが
雨続きでみんな来れなかったのだ。


途中に咲いていた「ヒメシャジン」


こちらはまだまだ蕾の多い「ハクサンオミナエシ」、別名コキンレイカ。


これはイモリ池というのか断定出来ないが、本白根山ゲレンデリフトの乗り場近くの池。
廻りの景色が見事に写りこんで、どちらが本当なのか判らないくらいであった。


リフト近くのシャトルバス乗り場付近で見たワタスゲの群生。

帰りにNさんの案内で、大露天風呂へ、日焼けした腕がひりひりするので、初めて日焼けに気付いた。
見ると何故か肘の所だけが赤い ??
Nさんの北軽井沢の別荘に戻り、畳の上で夕食まで3時間も爆睡。
冷房なしでも涼しいから気持ちが良い。
早くもヒグラシが鳴いて、カラマツに夕日が落ちて行く。


ヒナザクラ咲く西吾妻山へ・その5

2010年07月18日 | 登山

大凹の水場から、きつい岩場の坂を登り切ると、石を敷き詰めた様な傾斜の緩い
いろは沼の入り口に着く。


池塘の散らばるいろは沼の間を、木道や石を敷き詰めた登山道があり、前方の梵天岩を
目指して緩やかに登っていく。


突然、花友の一人が足を止めて声を上げた。
「ミネズオウが残っていた!」
見るとツツジ科の小さい花、ミネズオウが数輪、登山道の脇に草に埋もれるようにして
咲いていた。

ここに来ることになったとき、私が見たいと言った花である。
通常は岩礫地や岩壁に咲く花で、西吾妻では天狗岩に多いと言われている。
ただ花期は6月なので、この時期まで残っていることは珍しいかも。

花友が、私の為に注意深く探していてくれたのだろう。
良くこんな小さい花に気がついたと感心する。


アカモノも木道の脇に点々と咲いている。



いろは沼は傾斜した所に池塘が点在する湿原で、木道からは全体が見渡せないが
陽が当たると綺麗なワタスゲの池塘が見えたりする。






梵天岩の標柱の立つ頂上部は、大岩の積み重なった様な部分と石の多い平坦地とからに
出来ている。


端の大岩の上に立つと、いろは沼の全景が見渡せる。天気の良い日に見たら
さぞかし絶景であろう。


岩の上から見渡す西吾妻山方面、ナナカマドやハクサンシャクナゲも所々に見える。
だが立ち上るガスがみるみる山腹を隠して行った。

地元の登山者に、「西吾妻は百名山だから一度は登らないとね」と薦められたのだが
どうやら今回も時間的に無理である。

とりあえず天狗岩まで行って、昼食にする事になった。
梵天岩と天狗岩は峰続きの山なので、石ころとハクサンシャクナゲの道を10数分
歩けば、吾妻神社の建つ天狗岩に着く。


天狗岩も石の多い所で、その一角に石で囲んだ吾妻神社が建っている。
市民トレッキングのあるこの日は、神社の参拝登山の日でもあるのか、お参りした人には
御神酒が振る舞われた。
但しこの写真は昨年のもので、プライバシー保護のためぼかしを入れました。
今年の写真は、あまりにも顔がまともに写っているので、掲載出来ませんのであしからず。

神社のお参りを済ませ、段々風が強くなってきたので、風をよけられる石垣の側に
行って昼食にしました。
この石垣が何のために作られたのか判りませんが、石垣で風が当たらないせいか
脇の草が勢いよく伸びています。

食事も済んで、暖かいコーヒーを入れで一息ついていたら、空模様が怪しくなって
霧が激しく流れ始めました。

急いで支度をして引き返すことしました。
だが、梵天岩まで戻ると、ポツリポツリと雨が落ちてきてしまいました。
あわててカメラにカバーを掛け、全員雨合羽に着替えました。

やがて本格的な雨が降り始め、いろは沼から大凹に降りる急坂を下るのは大変で
油断すると石で滑ってしまいそうでした。

大凹を過ぎて、中大嶺のかもしか展望台に向かう登りになったら、雨が止み
ました。


やがて人形石の分岐で、だいぶ先を歩いていた二人が立ち止まっています。
「もしかして人形石に行くつもり?」と私が尋ねると「行きましょう」という。
あれほどまっすぐ帰ろうと言ったのに、雨が止んだらもうこれです。

「時間は?」と聞いたら「リフトの最終便まで2時間30分も有るから
大丈夫」と言います。
と言うことで、とうとう3人で人形石まで行くハメになりました。


雨に濡れたワタスゲが、霧の湿原に佇んでいます。


花友もその幻想的な姿を納めようとカメラと格闘しています。



那須・隠居倉の花畑

2010年07月18日 | 登山

やっと梅雨が明けたので、那須の隠居倉のお花畑に行きました。
見えているのは、テガタチドリの群生。


おりからの霧をバックにテガタチドリを撮って見ました。


同じ場所にニョホウチドリも咲いていますが、こちらはピークが過ぎてました。
例年7月の上旬が見頃なので、先週の雨が恨めしい。
名前からも判るように、日光の女峰山で発見されたランですが、こちらの方が
簡単に見られる場所なので、例年こちらに来てしまいます。


オニアザミも咲いていました。


オノエランも一株咲いていました。
唇弁にWの模様が入っているので、早稲田大学の先輩ですかね。(笑)


嬉しかったのはこれ、ウサギギク、昨年流石山てはピークが過ぎていてちゃんと
撮れなかった。


ミヤマシャジンは咲きはじめです。
萼片に鋸歯があるものは、ヒメシャジンとして区別しています。


イワオトギリも咲きはじめです。

本日は孫娘が来るので、花の写真だけ撮ってさっさと引き上げましたが、暑すぎて
日射病になりそうでした。
アクエリアス3本でも足らず、参りました。


テガタチドリと那須岳のコラボ写真


私の大好きな笹原の緑、風でなびくと銀色に光ってウェーブして行く。
またもやあの詩を思い浮かべます。

「海だべがどおら思たれば、やっぱり光る山だぢゃい。
ほう髪毛 風吹けば 鹿踊りだぢゃい」

賢治が種山高原の草原をうたった歌ですが、私は那須の笹原を見るたびに
思い出します。
若いとき、あの草原でフォークダンスをしていたナー。


山の上では、無数のトンボが避暑で飛び回っています。


空の黒い点々は、ゴミではなくトンボですってば。


もうピークが過ぎて、散り始めているコメツツジ


対照的な山肌、自然の力には勝てないのかも。


朝の朝日岳方面、峠の茶屋駐車場から撮影
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西吾妻の続きは、後日に書くつもりです。

元の職場の先輩からお誘いを受けたので、軽井沢の方に19日に行くことに
なりました。
先輩のセカンドハウスに泊まって、草津白根のコマクサを見に行く予定です。
その間、ブログはお休みします。ごめんなさい。


ヒナザクラ咲く西吾妻山へ・その4

2010年07月15日 | 登山

風にそよぐワタスゲと言いたい所だが、生憎のガス空では、何故か寂しい。


しかし木道の脇には、色々な花が咲いている。
この花は、葉がイチョウの葉に似て、岩場に咲くので「イワイチョウ」と名付けられた
と言うが、実際には岩場では無く、湿地に咲く事が多いので、「ミズイチョウ」と言う
別名を持っている。
同じミツガシワ科なので、ミツガシワの花と似ているが、ミツガシワの花弁に毛が
密生するのに対して、こちらには毛がないので見分けやすい。


こちらは食虫植物で有名な「モウセンゴケ」、花はまだ咲いていない。
葉に紅紫色の腺毛が多数あり、粘着性の消化液を出す。
トンボくらいの大きさの昆虫なら、逃げることが出来ないほど強力である。


これは何かと言えば「ワタスゲの綿毛」の写真、絞りを思い切って絞り込み、撮って
見たら、周辺の光量が落ちて暗くなり、綿毛だけが浮かび上がった。
誰かの白髪頭にそっくりだなんて、言っちゃーダメだよ(笑)


木道が登りになり、やがて下りの道になると、途中に人形石への分岐がある。
この分岐から左に行くと人形石で、そのまま直進すると大凹の花畑になる。


階段状の木道を降りて行くと、腹ばいで花を撮っているご夫婦がいた。
私たちが、ツマトリソウの名前の由来である、花弁の端に赤い模様の入った花を
探していると、「何の花ですか?」と尋ねてきた人がいた。

花友がツマトリソウの由来を説明して「そのツマの模様が無い、ツマナシばかりなの」
と言ったら、先ほどのご夫婦の奥様が、「やもめなのね。」と言う。

この機知に富んだ言いように思わず「その言い方、ブログのネタに貰います。」と
言うと、にっこりほほえまれた。

それにしても「やもめ」等という言い方を聞くのも久しぶりであった。


霧に覆われた梵天岩の有る山を見ながら、なおも下ると前方に少しだけ残雪のある
湿原「大凹」が見えてくる。
名前の様にこのコースの一番の低地で、ヒナザクラの群生地でもある。


ここは大凹の直前にある旧人形石との分岐で、現在は植生保護のため立ち入り禁止に
なっている。
前に掲載した俯瞰図の「007」の番号の所である。


大凹に入ると、賑やかな花畑となる。
チングルマ、イワイチョウ、イワカガミなどが色とりどりに咲いている。


イワカガミの群生


ヒナザクラの小さく可憐な花が慎ましく


木道のすぐ脇にアオノツガザクラが群生して見事だ。



ピークが過ぎかかっていたが、まだまだ見頃のチングルマ。


残雪の消えた後に、一面に咲くヒナザクラ


斜面の上部に残る残雪、お会いした観察指導員の方によると、このところの暑さと雨で
あっという間に消えて少なくなったという。
わずか4~5日前は、倍以上の残雪が有ったと言う。
そう言う意味では、私たちは運が良かったかも知れない。
なぜならヒナザクラの見頃は、雪解け直後が良いからである。
あと一週間遅かったら、見頃を過ぎていたかも知れないから。


木道の左側には池塘が多く、ワタスゲが彩りを添えている。




これは昨年の大凹の様子、えー右のモデルは、言わぬが花と言うことで(笑)


大凹の一番奥に水場がある。


樋が粗末だが水はおいしい、ここで水の補給をしておこう。
コップが一個おいてあった。


黄色いスミレが咲いていた。
たぶん「キバナノコマノツメ」というスミレだと思う。
と言うのは、佐藤光雄さんの書かれた「ふるさと吾妻山の植物」には記載が無かったが
日野東さんと葛西英明さんの共著した「フラワートレッキング吾妻連峰」という
本の中に、ウスバスミレの解説があり、その中で吾妻には「キバナノコマノツメ」が
産すると文献にあると書かれているからだ。

そして嬉しいことに、その「ウスバスミレ」ではないかと思う菫も見つけた。

先ほどの佐藤光雄さんの本によれば、西吾妻山や西大嶺の林床や林縁の少し湿った
所を好んで生える多年草である。
茎は短く根元から3~6枚の根生葉をだす。
葉身は円形で長さ2~3cm、葉縁に鋸歯がある。花期は6~7月頃で、花柄を伸ばして
白花をつける。
花弁の長さは7~10mm、唇弁には紫色の筋がついている。
とあり、特徴もあっているからだ。

大凹からいろは沼に向けては、大岩のゴロゴロした急登になる。
遙かに離れた藪の中に、キヌガサソウが咲いている。
藪の隙間から望遠で撮ってみた。


この写真は、花の部分のみをトリミングして拡大しものなので、流石にピントは
ずれているが、キヌガサソウと判ると思う。
以前は登山道の脇に咲いていたというが、盗掘と踏みつけによって激減したという。
どこに行っても盗掘の話が出る。
いつから日本人の心がそれ程貧しくなったのだろうか。残念である。
次回の登山でも、無事にけなげな花に会いたいと思うのだ。

続く

ヒナザクラ咲く西吾妻山へ・その3

2010年07月14日 | 登山

北望台で、市民トレッキングの参加者が打ち合わせで集まっている横をすり抜けて
中大嶺のかもしか展望台を目指して登山道に入る。
梅雨時とあって、登山道はぬかるみ、階段状の石の多い道を登って行く。


この区間で多いのは、トゲを密生しているハリブキで、緑白色の花を円錐状に咲かせている
うかつに触ろうものなら、痛い目にあうのは必須である。

「あった!」花友の一人が声を上げる。
「何々」とのぞき込むと「オオバタケシマラン」の花が咲いていた。
この花をじっくり撮りたいと言っていた花友には、念願の花である。



以前、尾瀬の笠ヶ岳に行くときに、私も見つけて喜んだ記憶がある。
花友は「タコちゃんウインナー」そっくりだと言って、「タコちゃん、タコちゃん」
と言っている。

この花の特徴を以前調べていたので、知ったかぶりで説明した。
「この花の特徴は、花柄が稲妻のようにねじ曲がっているんだよ」


こちらの写真は、中心部をトリミングして拡大したもの
花茎がくの字に曲がっているのが判るだろうか。

「あっ本当だ!」覗きこんだ花友が、その特徴を写真に捉えようと、色々な角度から
悪戦苦闘しだした。
しばらくして「撮れた!」と嬉しそうな声を上げた。


こんな調子で撮影しているから、あっという間に市民トレッキングの参加者に追いつかれた
ガイドの方が私たちの撮影している花を見て「タケシマランが咲いてますよ」と
説明している。
花友が、「タケシマランの花は、一括してタケシマランで説明しているんだ」と違いを
説明しない事に不満そうである。

山に登るトレッキングの参加者には、それで良いのかも知れない。
それぞれ目的が違うから、それぞれの楽しみがあっても良いのだろう。


吾妻連峰には、ユキザサの仲間が三種ある。
これはたぶん「ヒロハユキザサ」ではないかと思う。
断定しないのは、その違いをうかつにも忘れていたから、同定出来なかったのである。
後で調べたら、ヒロハユキザサには茎に稜が二つあると書かれている。

後の二つは、普通の「ユキザサ」と「ミドリユキザサ(別名オオバユキザサ)」である
普通のユキザサは花が白いので間違う事は無い。
問題はミドリユキザサとヒロハユキザサの違いで、ミドリユキザサには稜が無いと言う。
つまり茎に触って角が有るかどうか確かめなければならなかったのだ。

しかもこの花は雌雄異株で、雄株と雌株では花の形が違うのだ。
雄花は円錐状に多数つき、雌花は総状または基部が分枝した花序に付く と説明
されている。
それから言えば、写真のものは雄花であろう。


マイズルソウ、コヨウラクツツジ、コバイケイソウなどの花を撮りながら登ると
やがて中大嶺(山頂は1963.6m)の尾根の一角「かもしか展望台1940m」に着く。


付近は石が無数に露出した広場で、コケモモやコゼンタチバナ、ハクサンシャクナゲ
ツマトリソウなどが咲き誇っている。
天気が良ければ飯豊山なども眺められる絶好の休憩場所かも知れない。


かもしか展望台を越えると緩やかな下りとなり、やがて木道の敷かれた平坦地となる。


木道の両側に多いのが、ガクウラジロヨウラクと呼ばれるツツジ科の花で、ただの
ウラジロヨウラクに対して、萼が長いので「萼の長いウラジロヨウラク」という
意味で呼ばれている。

この花は、花色の変化が多く、比べてみるとかなり面白い。




いずれもガクウラジロヨウラクなのだが、どの花が一番昆虫を呼び寄せるのか興味が
湧いてくる。
漢字で書くと「萼裏白瓔珞」で、裏白とは葉っぱの裏が緑白色で有る故である。
ちなみに瓔珞とは、仏像に飾る珠玉の事で、花冠を珠玉に見立てたものと言われている。


真っ赤な実をつけている低木があった。
花友に聞くと「アカミノイヌツゲ」の実であると言う。
漢字で書くと「赤実ノ犬黄楊」だそうである。
言うなれば「赤い実のなる役に立たない黄楊に似た木」とでも言うのか。

後で調べた本によると、「ツゲ」とは「次ぐ」の変化したもので、葉が枝に次々と
ついていることから名付けられたとある。
なるほど写真を見れば、葉が密についている。


すでに花も終わり、綿毛の付いた実が雨に濡れてみすぼらしいワタスゲが有る。

つづく

ヒナザクラ咲く西吾妻山へ・その2

2010年07月12日 | 登山

天元台の駐車場は、ロープウェイの湯元駅のすぐ上に有ります。


天元台高原ロープウェイ湯元駅 窓口に行って往復3200円の切符を買うと
ロープウェイとリフトの券がセットになった一枚の切符を渡されます。
無くすと帰りに乗れませんので、手帳のカバーに差し込んで保管しました。


ロープウェイで上がった天元台高原駅には、トイレがありアイスなども売っている。


高原駅前に有る神社と水場、大凹にも水場は有るが、気温の高い日はここで補充して
出かけた方がよい。


リフト乗り場まで少し下ります。
前方には、市民トレッキングのイベントに参加した人達が、大勢歩いています。


天元台高原から北望台までは、3本のリフトを乗り継いで登ります。
もともとスキー用のリフトなので、重いザックを背負って乗るのは大変です。
しかし2本目のリフトに乗ると、リフトの下が高山植物のお花畑になっていて
登山道で見られない花が咲いていたりします。


リフトから見るハクサンチドリの群生地、他にはノビネチドリ、ゴゼンタチバナ
ツマトリソウ、などが咲いている。

後でお会いした観察指導員の方に聞くと、この場所を観察して歩くイベントも
やっているそうです。


リフトから見下ろすハクサンシャクナゲ、地元米沢の人が「吾妻なのにアズマシャクナゲ
が少ない」とダジャレを飛ばす花である。


北望台に着くと、脇に「安全の鐘」なるものがあり、鐘を鳴らして登山の安全を祈る
それにしても3本のリフトを乗り継ぐと、30分もかかるから北望台に着くとホッとする

また北望台には、近くに五名峰展望台なるものが設置されていて、そこに登ると
飯豊、朝日、月山、鳥海、蔵王の五つの百名山が見渡せると言われているが、なにぶん
曇り空ではパスするしかない。

北望台とかもしか展望台と人形石は、中大嶺の山頂を取り囲む
様な位置に有る。
また西吾妻山は、百名山の一つなのだが、私達はいまだに山頂に登っていない。
毎回、花の観察で時間切れになってしまうのだ。
今回も天狗岩で時間切れとなってしまった。
俯瞰図の中に「007」という番号の所は、大凹と人形石を結ぶ旧道の分岐で
現在、ここから人形石までの区間は、植生保護のため通行止めになっている。
この道は、木道が無く、直接地面を歩いていたため、踏み跡が荒れて野草に
大きなダメージを与えてしまった為である。

ここから人形石に行くには、かもしか展望台の方に少し登ると、木道の設置された
登山道があるので、そちらから行くと良い。

つづく

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オランダはタコの呪いに負けたのか
いやーワールドカップの決勝は凄かったね。
結局 タコの予言が当たって、オランダは勝てなかった。

アムステルダムの広場に集まった12万人のサポーターが号泣したという。
あのロッペンのシュートが、GKの足に当たったのもタコのせいだろうか。
スペインに支配された歴史を持つオランダ、因縁の試合だなー

タコの寿命は3年ぐらいだそうだから、次の大会では呪いも解けるよ。
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つくば市の宝篋山(小田山)に咲く コクラン(黒蘭) ラン科クモキリソウ属
ピントはぼけるし、クモの糸は付いてるし、下見だから許してね。


同じく宝篋山に咲く、オオバノトンボソウ ラン科ツレサギソウ属
雷が恐いから三脚を持って行かなかったら、やっぱりボケた。




ヒナザクラ咲く西吾妻山へ

2010年07月11日 | 登山
7月4日(日曜日)、花友二人とヒナザクラが咲く西吾妻連峰に出かけた。
常磐、磐越と高速を走り、裏磐梯から白布峠を越えて、米沢市の天元台
ロープウェイに向かう。
片道4時間近い走りである。

早朝4時、花友の家に車を止め、もう一人の花友が運転する車に同乗して
いざ米沢へ。
こんなに早くては、店も開いていないので高速に乗る前にコンビニに寄って
食料を調達、高速のPA等で休憩を兼ねて朝食をする。

梅雨時の怪しい空模様を見ながら、郡山に近づいたら青空も出てきた。
桧原湖の側を走り、白布峠にさしかかったら、何とサルが道路で遊んでいる。
なんだか最近あちらこちらでサルが増えているような。

8時前にロープウェイの湯元駅についた。
普段は、8時20分が始発なのだが、4日は市民トレッキングが有るので、早朝
運転が有り、早めに出発することが出来た。
ロープウェイと3本のリフトを乗り継いで、中大嶺の中腹 北望台まで行く。
でも往復3200円は年金者には痛いなー。

さて、詳しい紀行文は後ほど書くとして、お目当てのヒナザクラを紹介します。

ヒナザクラ (サクラソウ科サクラソウ属 基準標本は鳥海山) 西吾妻の大凹で撮影

東北地方の八甲田山から吾妻連峰の、亜高山帯から高山帯の雪田や融雪地のやや湿った
草地に生える多年草。

根生葉はやや肉厚で、長さ2~4センチ、幅0.5~1.5センチの倒卵形、上半部に
5~9個の歯牙があり、基部は細く葉柄状になる。

花茎は高さ7~15センチで 2~8個の白い花をつける
苞は線形、花冠は直径約1センチで5裂し、やや斜めに開く 裂片は2中裂する。
萼は鐘形で5深裂する。花期 7~8月 日本固有 以上山渓の「日本の高山植物」
から引用した

同じ吾妻連峰でも、西吾妻地域に生育し、東吾妻には生育しない。
しかも西吾妻は、ヒナザクラの南限と言われ、これより南には生育しない。
西吾妻では、雪解けの始まる6月下旬から7月上旬が見頃になる

東北には、白い花をつけるサクラソウの仲間に「ヒメコザクラ」という
早池峰山特産の花があり、その早池峰山には「トチナイソウ」というやはり
白い花をつけるサクラソウが有り、ややこしい。
トチナイソウは、別名チシマコザクラと呼ばれ、主に北海道の礼文島や
ポロヌプリ山やキリギシ山に咲く

他にはテシオコザクラという北海道の天塩地方に咲く花もある。


西吾妻の大凹に咲くヒナザクラの群生、雪解け後に一面に咲く


同じ大凹に多いのがこれ「アオノツガザクラ」
壺型の可愛らしい花が無数に咲く様は圧巻!


こちらは「かもしか展望台」から大凹に向かう木道の脇に咲いていた「ツルコケモモ」
あまりにも小さいので、気付かない人が多い。
湿原に咲くので、廻りの草にジャマされて、なかなかいい写真が撮れない花。
別な角度の写真が判り良いかも。


花だけでなく、蕾もなかなか可愛い。

尚、同じ仲間に「ヒメツルコケモモ」というもっと小さい花があり
見分け方は、「花柄に毛が有るかないか」で見分ける。
ヒメツルコケモモには毛が無い。


西吾妻山の花情報や、ロープウェイの詳しい情報は 
天元台ロープウェイ
をご覧下さい

展望の山・日光男体山へ・その6

2010年07月10日 | 登山

折角望遠に取り替えたので、300mmで尾瀬の燧ヶ岳をとらえてみた。


山頂から降りて振り返ると、鉄の宝剣がまっすぐに天を差し、鳥居と祈念碑が
信仰の山を物語っている。


櫓に鐘が下がっており、何だろうと思ったら「良縁の鐘」と書かれていた。
もう良縁を求める年でも無いのだが、一応鳴らしてみるのは日本人のサガか(笑)
清んだ音色が梅雨空に吸い込まれて行った。


表登山道から登ってくると、正面の鳥居の奥に有るのが日光二荒山神社奥宮で
こじんまりしたお社が建っている。

その西側には、二荒山大神と書かれた神像が立っている。



その昔、日光権現と赤城大明神が、湖水の境を巡って神戦を繰り返したという
伝説がある。
それによれば、日光権現は大蛇になり、赤城大明神は大蜈蚣(おおむかで)になって
激闘したという。

半刻ばかりのち、日光権現の加勢に来ていた無双の弓取り、小野猿丸が
矢を放って大蜈蚣の両眼を射たため、赤城大明神は撤退したという。

実際の文献を見たわけではないので、真贋の程は判らないが、戦いのあった
場所が「戦場ヶ原」であり、勝敗が付いた場所が菖蒲ヶ浜(勝負ヶ浜)だと
聞いたことがある。
何ともはや嘘くさい話だが、物語としては面白い。

その上、勝利を祝って宴を開いた場所が「歌ヶ浜」と言うに至っては
出来過ぎと言うものである。
再度おことわりするが、これは伝聞なので正しいとは限らない。
興味の有る方は、文献に当たって欲しい。

神像から話が脱線したが、神像の前からさらに西に進むと、ザレの歩きにくい
尾根を下る様になる。
左右に崩落を防ぐためか、カバーを掛けた復元作業と思われる地帯が有る。




なおも進と、巨大な岩の前に小さいお社が建っている場所が見えてくる。


そこが日光二荒山神社・太郎山神社のお社で、後ろに聳える太郎山の神社も兼ねている
のであろうか。
登山の安全を祈願してぬかずいた。

神社の先の大岩にはロープが張られて、その先には入れないようになっている。
昔は、この尾根から三本松に抜ける登山道があったらしいが、今は廃道となり
歩くことは出来ない。

この尾根のもっと先に、2398mの三角点が有るのだが、どうやって行っているのか
不思議である。

ここからの風景で、最も美しいのはやはり中禅寺湖であろう。


立体的な景観は、いつまで見ていても飽きることは無い。

6月の梅雨の晴れ間をねらった登山だったが、我ながら大成功だったと思う。
書いた後で、新たに判った事も有る。
それは六合目の上の、左斜面の崩落地が、「鼻毛ノ薙」と呼ばれる薙の突き上げ
だった事などである。

展望の山・日光男体山へ・終わり

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男体山は、中禅寺湖の眺めが最高だが、戦場ヶ原の眺めが最高なのは
大真名子山ではないかと思う。


大真名子山から戦場ヶ原の展望 2009年10月
橙色に見えるのはカラマツの紅葉である。
正面に聳えるのは日光白根山、 誠に雄大な眺めであった。

ちなみに、男体山の登山道の俯瞰図に相当する写真はこちらです。

但し、俯瞰図は上空3500mから描いているのに対して、こちらは山頂からとった
ものなので、目線の高さが違います。

展望の山・日光男体山へ・その5

2010年07月10日 | 登山
日光男体山は、南側の中禅寺湖側から眺めると、秀麗な富士山型の山である。
だが、北側の大真名子山側から見ると、山の上部は荒々しい爆裂火口を思わせる
アルファベットの「C」の字の様に、北に開いた尾根に囲まれ、大崩落地が
口を開けている。

志津から登る登山道は、その「C」の字の東の尾根を登る道で、湾曲の頂点で有る
南側で、二荒山神社から登る表登山道と合流する。
そこに二荒山神社奥宮有る。そもそも山自体がご神体なので、お社も質素なのであろう

さらに尾根は湾曲しながら西に延びて、その途中に「太郎山神社」のお社が建て
られている。
登山者が行けるのはそこまでで、その先は嶮岨な岩場に阻まれた断崖があり
通行止めのロープが張られている。


さて、志津口から登った九合目の展望は、何と言っても金精山と五色山の間に、尾瀬の
至仏山が見えることが、私の心を躍らせる。
私が尾瀬保護財団の友の会に入っている事もあるが、自分が登った山が見えると言うのは
何よりも嬉しいものだ。
山の鼻から、蛇紋岩の登山道を4時間近くかけて、至仏山の頂きに登った記憶が昨日の
様に思い起こされる。

とうに花の季節は終わっていたが、タカネトウチソウだけが風になびいていた。
私が初めて目にした蛇紋岩残存植物であった。


こちらは下旬に登る予定の会津駒ヶ岳の写真、太郎山の左後方に雄大な尾根が続く
山名の由来は、雪形とか尾根が馬の背に似ているからとか言われているようだが
私は馬の背説をとりたい。

あの尾根の木道を歩けば、誰もが馬の背を思うであろう。
数年前の夏、私はハクサンコザクラに彩られた木道を、中門岳を目指して歩いた。
あんなに高い山に、無数のトンボが飛び交って、短い夏を惜しんでいた。


振り返ると女峰山がガスに覆われて、帝釈山の頂きの一部がかろうじて見えていた。
流れる雲が、青い空に模様を描き、それだけでも充分美しい絵のようである。


石楠花や


笹藪にヒメイチゲの咲く登山道を尚も登ると、前方がやや開けた尾根になり


前方左の中禅寺湖側から、ガスが勢いよく吹き上げ、左側の展望は無い。


尾根の途中に、古い建物の基礎が残っていた。
コンクリートの基礎だから、それ程の昔ではない。


やっと平らな場所につき、少し進と男体山の一等三角点に着いた。
三角点の標高は、2484.4mで、すぐ隣の宝剣が天をついている岩の上が山頂なのだろう。
山頂の標高は、2486mである。


三角点の脇から、爆裂火口の跡をのぞき込むと、いまだに崩落が続く薙が無数にある。


中禅寺湖側のガスが、いっそう激しさを増している。
時計を見たら12時を過ぎていた。
腹が減った訳である。
ザックを降ろして弁当を取り出し、一口食べたところで思い出した。
雲の上に富士山が見えると教えて貰った事である。

あわてて岩の上に登って富士山を探した。


よくよく目をこらして探したら、雲の上にうっすらと頭を出している富士山が有りました
この写真では判りにくいかも知れませんが、鳥居の右端の上、横にたなびく雲の上に
ひとかたまりの雲が有りますが、その間にかすかに富士山が写っています。


こちらは300mmの望遠でとらえた富士山、霞んでいますが、残雪の様子もわかりました。

ひとまず続く

展望の山・日光男体山へ・その4

2010年07月07日 | 登山

6合目から8合目にかけて、イワカガミが多いとは聞いていたが、これほど有るとは
思っていなかった。
やっぱり自分の足で歩いて見るものである。


廻りの木々の若葉も、甘い香りと共に目に優しい。
私の最も大好きな葉の色である。


勝道上人によって782年に開山されたと言うこの山は、信仰の山であり
歴史の山である。
幾多の修験者や登山者が、この道を歩いた事であろうか。
木々の梢を揺らす風が、先人のささやきに聞こえる道である。


この花を見たときは、ただのコンロンソウだと思って、スナップ写真のつもりで
撮ったのだったが、帰って小杉国夫さんの「日光の花」を見て驚いた。
どうやら、男体山と白根山に見られる「イワハタザオ」にそっくりである。
しまった!こんな事ならちゃんと写真を撮るのだった。


やがてロープが張ってある急斜面に出た。
片手にカメラをセットした三脚を持っているので、こんな時は不便である。
右手一本だけでロープをたぐって一歩一歩登った。


急斜面を登り切ったすぐ上に八合目の標柱が立っていた。
廻りはミヤマハンノキの若木が覆っていて、独特の甘い香りを放っている。


固い蕾のシャクナゲが多くなり、笹の中にヒメイチゲが咲いていた。


歩きにくい立木の道を抜けると。


素晴らしい展望が目に飛び込んで来た。


やや左に目を向けると先日登った白根山が聳えており、湯の湖が点景になって見えている


少し登って振り返ると、白骨林の向こうに大真名子山とその後ろの女峰山が
立ち上る霧に、覆われようとしていた。

行く手の左側には中禅寺湖がある為だろうか、左側の斜面は真っ白なガスがモウモウと
吹き上がり、左側の展望を閉ざしている。

その時、上からおりてきた中年のグループが「富士山が雲の上に見えましたよ」と
教えてくれた。
「でもこのガスでは、これから登っても見えなくなりますね。」と私が言うと
「いや、雲の上に見えてましたから、見えると思いますよ。」という。
「ありがとう こざいます。 お気をつけて!」お礼を言って別れた。


厳しい寒さのせいか、あるいは良く言われる酸性雨のせいか、白骨化した樹林の
尾根道を登って


草付きの岩が、崩れ落ちかけている尾根道は、ザレの様で踏ん張りがきかないが
もうすぐ頂上が近いと思うと、心が弾む。我ながら現金である。


少し開けた尾根に出たと思ったら、そこが九合目だった。
ここも右側の展望が抜群で、私は花を探すのも忘れて風景写真を撮っていた。
だが、時計を見ると11時40分を過ぎている。

続く

展望の山・日光男体山へ・その3

2010年07月05日 | 登山

根っこのむき出した倒木の下をくぐり、再び樹林帯の登山道を登って行く。


先ほどまで聞こえていた、群馬の三人組の声は遠くに消え、自分の荒い息づかいだけが
聞こえる。
雲が切れたときの日差しが、やけにまぶしかったり、急に光りがかげったり
梅雨時の晴れ間は、廻りの景色を刻々と変えて行く。


やがて、やたらと倒木の多い場所に出たと思ったら、そこは先ほどとは反対の
右の斜面が崩落した尾根で、崩落した斜面につけられた踏み跡のような登山道を
渡って行く。


崩れ残った斜面には、日差しを一杯に浴びたイワカガミの群生が咲き誇っていた。
この先、この花達が崩れて無くなる日が来るかも知れない。


崩れて展望の良くなった尾根から、右を見ると先ほど越えてきた左斜面の崩落した
尾根越しに太郎山が見えた。


少しズームアップしてとらえた尾瀬の燧ヶ岳


湯元方面の金精山から湯泉ヶ岳方面の写真

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昨日、花友と山形県の米沢市にある天元台から、西吾妻山方面に行って
東北の名花ヒナザクラを見て来ました。
その時の写真は、後日載せたいと思います。

今月下旬は、花友と会津駒ヶ岳に登る予定です。
もちろん狙いはハクサンコザクラ
またまた檜枝岐におじゃまします。

展望の山・日光男体山へ・その2

2010年07月02日 | 登山

相変わらずえぐれた登山道が続く、時折倒木があったりして、下をくぐるため
腰をかがめて抜けたら、ザックがつかえてよろめいた。
その弾みに腰にギクッと痛みが走った。
持病の腰痛が起きはしないかと、一瞬ドキリとしたが何とか歩けそうだ。


ミツバオウレンの写真を撮ったりして、ようやく四合目に着いたのは9時52分であった。


えぐれた登山道は、たまには良いことも有る。
背の低いタケシマランの花が目の高さに見えたりする。


雲の切れ間に太陽が顔を出したのか、樹林帯の中も明るさを増して、新緑の若葉が
チラチラと光りを投げかけている。


登山道の脇の土手に、イワカガミの花がだんだん多くなり、私の立ち止まる回数も
増えて、なかなか五合目にたどり着けないのだ。

その時、一眼デジとおぼしきカメラを持った年配の男性がおりてきた。
素早く私のカメラに目をとめて「今年のイワカガミを撮るには、少し早すぎたね」という。
何でも花がまだ小さいという。
「本当に今年は、花の時期が読めませんね。」と私も応じた。
5月になっても数回雪が降るという変な気候で、場所によって開花が早かったり
遅かったり、カメラマン泣かせの年である。


10時16分、ようやく五合目に着いた。
やれやれ やっと半分かと思いながらも、初めて歩く志津登山道の印象は悪くない。
石だらけの表側の登山道に比べたら、確かにこちらは楽かも知れない。

そう言えば表の五合目で私を追い越して行った、若い女性がいたが、いでたちが
ふるっていた。
なんと帽子ではなく、手ぬぐいで頬かぶりをしていたのだ。
日焼け防止のつもりだったのだろうか。しかし身のこなしは軽々としていた。
私がようやく八合目に着いた頃、早くもその女性が下山してきたから驚いた。
挨拶もそこそこに、飛ぶようにしておりていった>

表登山道の思い出に浸っていたら、群馬から来たという3人の登山者が登ってきた。
彼らはいつもこの裏男体から登っていて、表は登った事が無いという。
どこからというので茨城というと、筑波山にも登ったよと言う。


きらめくミツバオウレン


色が濃いという男体山のイワカガミ


やがて六合目の標柱を過ぎて、イワカガミの多い尾根を少し下ると


尾根の左斜面が崩落した鞍部に出る。


のぞき込むと、目の回るような断崖である。


崖の上から左後方を振り返ると、大真名子山の後ろに女峰山の山並みが
霧に覆われそうになっていた。

つづく