今回のコース図、沼原の駐車場を起点にして、JAふれあいの森、白笹山
南月山、日の出平と一週するコースとした。
地図によっては、JAふれあいの森から、日の出平分岐に抜けられるような
コースを書いてあるものも有るが、
実際は抜けられないので注意
カシミールのグラフ機能で、コースの高低と距離を表示する。
但し距離は、戻った距離も加算されるので、コースの距離とは一致しない
あくまでも歩いた距離である。GPSの距離は、たとえば10メートル進んで
5メートル戻れば、10メートルから5メートルが引かれる訳ではなく
加算されるので、この場合15メートルになる。
「 この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)
数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)
数値地図50mメッシュ(標高) 及び数値地図10mメッシュ(火山標高) を使用した。
(承認番号 平22業使、第446号) 」
沼原の駐車場には、一台の車もなく、朝の光が降り注いでいた。
入口近くの空き地に、キャンピングカーが一台、駐まっていて
静かに朝のひとときをテーブルで楽しんで居るようだった。
白笹山の登山道から、JAふれあいの森へ抜ける道は、草が
のび放題で、藪こぎをすると朝露でズボンがびしょ濡れになった。
ふれあいの森に咲くヤマハハコ
奥に入ると小さい水たまりの池が有り、大倉山が影を
落としていた。
このふれあいの森は、
私の以前のブログで紹介した沼原の調整池を作るとき、掘った土を運んでできた平地に
JAが植林などをして作った草原の広がる森である。
場所は、昭文社の「山と高原地図」の「那須・塩原」の地図にも
載っている。
ウツボグサ(空穂草)・シソ科ウツボグサ属 別名夏枯草
昔、矢を雨で濡らさない為に、木や竹で筒を作り、その中に
矢を入れた武具の靫(うつぼ)に、花後の姿が似ていることに
より空穂という名前がついたと言われる。
近くの流石山には、タテヤマウツボグサが咲くという。
ヨツバヒヨドリの花で吸蜜するアサギマダラ
白笹山の登山道では、食草のヨツバヒヨドリで吸蜜する
アサギマダラが沢山群がっていた。
望遠に交換する暇が無かったので、標準レンズで撮影し
トリミングで拡大したジャコウアゲハ(たぶん)、白笹山登山道
途中にある橋、パイプを建てて板を渡した簡易なもの
手すりにつかまって渡る方が無難。
白笹山の登山道は、ほとんど樹林帯の中なので、涼しい
かと思ったら、とんでもない蒸し暑さで参った。
やがて作業道と交差する分岐になる。
木につけられた目印プレート
あとわずか1Kmと思うのだが、暑さでバテテいる身には
地獄の登り道であった。
そこかしこに、ホツツジの花が咲いていたが、写真を撮る
意欲もなくなっていた。
白笹山から南月山にかけて、至る所に咲いている「ツルリンドウ」
ツルリンドウには、「天狗の小槌」と呼ばれる変種が有るという
それを探すつもりだったが、もはや気力が萎えていた。
ずいぶん登ったつもりだったのに、まだ500メートルも
残っている。
ザックを降ろして、行動食のバナナとウイダーインのエネルギーを
2本も飲んだ。
それでも足りなくて、ポットに詰めてきた冷たいコーヒーを飲んだ
汗が体中から噴き出した。
防臭加工のタオルが汗臭くなるほどだった。
後ろを振り向くと、いつの間にか霧と雲が日の出平の尾根を
覆うように広がっていた。
何年か前も、このコースを歩き、雷で逃げ帰った記憶がよみがえった
やばい、疲れた体にムチ打って、歩いては立ち止まり、歩いては
立ち止まりして、ジグザグの道を登った。
ようやく白笹山の頂上に近づくと、満開のホツツジの花が有った
白笹山の山頂、まるで山頂の感じがない山頂で、樹木に囲まれて
展望はない。
石の上にザックを降ろして、昼食にした。
まだ10時46分だったが、疲れていたのと、雷に備えて
早めの昼食とした。
日曜日だと言うのに、ふれあいの森で会った人以外
誰にも会わないコースだった。
やはり那須は、放射能汚染の影響で、来る人が少ないの
だろうか。
ゴーツと音がしたので、ビクッとしたが、上空を飛ぶ
ジェット機の音だった。
ポットのコーヒーを飲み干して気がついた。
残りの飲み物は、アクエリアスが2本あるだけだった。
コンビニで買ってきたキュウリの浅漬けがうまい。
汗を流した塩分補給に持ってこいである。
誰に気兼ねすることなくバリバリ食べた。
白笹山から南月山に続く尾根道は、笹原に覆われた
尾根が続き、緩やかに下ってまた登り返す道が続く
右前方に見えるはずの黒尾谷岳は、霧に隠れて見ることもできない
白笹山からの下り道に、根っこごと倒れている木があった
根の厚みが無い、地層が薄いのか、岩盤が固くて根が張れないのか
豪雪と風の強さに支えきれなかったのだろう。
那須は強風の通り道で知られている。
倒れた笹の茎に、何かのサナギだろうか、丸々として
しっかりと茎についていた。
笹とツツジのトンネルを抜けると、ようやく南月山の山頂に出た
南月山は、茶臼岳が別名「月山」と呼ばれるので、その南に
連なる山と言うことで「南月山」と呼ばれると言う。
おそらく出羽三山の山岳信仰の影響だろうという。
ザックを降ろして祠に頭を下げた。
祠の向こうに、登山者が3人、休んでいるのが見えた。
自分の体が汗臭いのが判っているから、近寄るのはやめた。
近くに南月山の三角点があるが、笹に埋もれて見えなくなりそうだ
残っていたあんパンと、ウイダーインのマルチビタミンを飲んで
喉の渇きを潤した。
どこかで名も知らぬ小鳥がさえずっている。
休んでいる3人に挨拶して、日の出平の分岐を目指す。
黒い火山礫の多い南月山の一角に、姥神みたいな石像が
まつられている。
以前は、この辺にコマクサを植えた石の花壇が有ったが
いつの間にか無くなった。
元々無いものを植えるのは、外来種を持ち込むようなもので
在来種を脅かす愚かな行為である。
すでにピークは過ぎかかっていたが、コキンレイカが
沢山咲いている。
私の今日のお目当ての一つであった。
コキンレイカを撮っていると、山頂で休んでいた登山者の
ご婦人が降りてきた。
何とかパトロールという腕章をつけている。
花の話しや放射能汚染の話しをすると、放射能汚染の勉強と
計測もやっているという。地元の方のようだった。
短時間の登山では、影響は出ないと言って笑っていた。
飲み水は、延命水の様なわき水なら大丈夫よと言われる。
まだ蕾のイワインチン
コキンレイカが咲き終わる頃、このイワインチンの花が
火山礫の裾を彩る。
さながら黄色い花のリレーで有る。
南月山のもう一つの特徴は、標高が低いのにハイマツが
有る事である。
普通ハイマツ帯は高山帯と言われる場所なのだが、南月山は
高山帯には入らない標高なのだからおもしろい。
トモエシオガマの咲く尾根道を日の出平の分岐を
目指して歩く。
相変わらずどんよりと雲は立ちこめ、那須岳は霧の中であった。
日の出平に続く尾根も霧が流れて幻想の世界だった
日の出平の分岐に着いたら、若い二人連れが休んでいた。
見ると傍らにオヤマリンドウの蕾が有った。
カメラを三脚にセットして、静かに撮る。
このあたりは、6月始めに峰桜が一面に咲く花園である。
峰桜などの灌木の間を沼原目指して歩く。
この道は、草刈りが施されて、以外と歩きやすいが
滅多に人に会わない寂しい道である。
熊鈴をつけて歩いた。
尾根の先端までは、ほとんど平坦な道だせが、残念なことに
展望がない。
この笹の先が尾根の先端で、南月山や白笹の展望がある。
惜しむらくは霧で遮られている事だ。
南月山に連なる尾根の砂礫地に人影が見えた
もしかしたら、先ほど日の出平分岐でお会いした二人かもしれない。
手を振って見たが、果たして気がついたろうか。
尾根の先端からは、山腹の笹原を下って、登り返して
隣の尾根を超えていく道である。
沢を越えたところで、いきなり声をかけられて驚いた。
見ると、先ほど話しをしたご婦人だった。
このコースに、何か花があるかと思って寄り道したという。
これから日の出平まで戻って、峠の茶屋の駐車場に下るという
たくましい女性パワーに圧倒されそうだった。
ずいぶん歩いたと思ったのに、沼原まで3Kmのプレートが有った
残り少なくなったアクエリアスを飲んで気を取り直す。
揺るかな坂道をしばらく歩むと
畏敬池と傍らの木にプレートの下がった小池がある。
小枝がジャマではっきり見えないが「畏敬池」と書いてあるようだ
なんて読むのか判らない。「イケイイケ」?
行け行けと言っているのか(笑)
その先は樹林帯の中を延々と下る道で、薄暗い樹林帯の中を
熊鈴の音だけが響き渡り、寂しいことこの上ない。
時折、ツルリンドウの花が、私の足を引き留めた。
沼原と姥ヶ平を結ぶ登山道に合流する分岐にようやく着いた時は
やれやれ今日も無事だったとホットした。
ここまで来れば、後はほとんど平坦な道である。
途中で左に分岐すれば、駐車場への道である。
終わり
写真追加、日の出平の尾根の小池の名前プレート
トリミングして拡大表示、漢字の意味はおそれ うやまう いけ
と言う意味なのですが、読み方は不明です