花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

サッカー・ゼロックス杯の明暗

2010年02月28日 | 登山

(鹿島は選手の写真を無断で使用できない為、一昨年の応援風景で代用・肖像権の為)

27日は、森づくりに参加した為、ゼロックス杯は録画して見たが
Jリーグの中でも、攻撃サッカーを身上とする鹿島とG大阪。
見ていてもなかなか面白い展開であった。

前半20分のPKは、G大阪の菅沼にとっては、不運だったかも知れないが、手を使う反則が
今年から厳しくなって、通達が出たばかりだというから、仕方がない。

菅沼は、スタメンのDFが故障して急遽代役で初出場だというから、ショックだったろう。

でもG大阪も前半のロスタイムに加地の同点ゴールでお返ししたから、お互い様かな。
それも鹿島の小笠原の顔に当たって方向が変わって入ったから、小笠原も悔しかったろう。

ところで、鹿島の内田、いまだに体調が悪いらしくて、試合中ずっとガムをかみっぱなし
だった。
どうもゲロが出ると言うことで、ガムをかんで耐えているらしいのだが、試合後の監督の
談話でも、内田の体調を心配して「試合が増えれば、使い方を考える」と言ったという。

もともと線がが細くて、タフネスさが足りない所へ、日本代表とJ1の過密日程で疲労が
蓄積して体調が崩れてしまったのだろう。

疲労と言えば、G大阪の遠藤もPK戦で枠外に外すなど、信じられない様な失敗であった。
鹿島ファンの私としては、鹿島の勝利は嬉しい。
しかしワールドカップの日本代表に選ばれる可能性がある選手の、体調の不安は
そのまま日本代表の不安でもあるから、サッカー協会の何らかの対策を期待しい。






ひと雨ごとに春の気配が濃くなってきましたね。

筑波山麓水源の森づくり

2010年02月27日 | ボランティア
朝、窓から外を見たら雨がザーザー降っている。
今日の森づくりは中止だなと思っていたが、時間になっても中止の連絡が来ない。

責任者に電話したら、「10時頃になれば雨が止むと言うことなので、11時集合に変更して
森づくりをやります。」との返事。
えーっ やるのー。
こっちは完全に中止のつもりでいたので、あわてて準備する。

草刈り機と混合ガソリンを入れた携帯缶を車に積み込んで、すぐに出発。
途中コンビニに寄って飲み物と昼食のパンと今日のくだもの「大満足ミックス」を買う。

集合時間より早めに着いたので、草刈り機の手入れをしていた。
そのうち雨も上がったが、筑波山の山頂はまだすっぽりと雲に覆われている。

やがてみんなが集まって来たが、雨の影響で参加者が少ない。
早速山に入って「しの竹」刈りの準備をする。

刈り始めようと思ったら、すでに刈ってある「しの竹」が斜面に一杯ある。
ジャマだから片付けてからやりましょうと言うので、全員で「しの竹」を集めて燃やす事に
なった。

この写真の「しの竹」を燃やしている場所は、耕作が放棄されるまで棚田だった所なので
湿地の様にぬかるんでいて、火を燃やすのには安全な場所である。
ここも前回の森づくりで「しの竹」を刈った場所でもある。

片付けは午前中一杯かかってしまったが、仕方が無い。
午後は2時過ぎまで「しの竹」刈りをやった。
その後は後片付けに当てて、残りは次回にやることに。




この時、棚田の管理をやっている方から驚くべき話を聞いた。
棚田から蛙の卵を盗んでいく人がいると言うのだ。

なんでもその卵をタガメなどのエサにするらしい。
それで余った卵は、ネットのオークションなどで販売もしているとか。
オークションの会社に事情を話して、そのようなオークションは受け付けないように
要請もしているそうです。

棚田で生物多様性の調査もしているので、卵を根こそぎ持って行かれたら、大きな痛手に
なることは火を見るより明らかなのです。

これは「アカガエル」の卵

なんでもアカガエルは、産卵の後もう一度冬眠するそうです。
午前中に可愛らしい声で鳴いていたけれど、今頃は冬眠中なのかな?


今日は、もう一カ所で、山の整備を地元の方が中心でやっている所でも煙が上がっています

あの場所で、今度ジャニーズ事務所のニュースとか言うグループが来て、植樹をするらしい
話によると、TV番組だかコマーシャルの撮影のためだそうです。
日にちは3月9日とか言ってましたが、そのため、その前にもう一度山の整備をやるので
手伝って欲しいと頼まれました。
吉永小百合さんでも植樹に来るんなら頑張るんだけれどね。(笑)

トムラウシ遭難事故の最終報告が報道されて思うこと

2010年02月26日 | 日記

(ツアーで行った旭岳の紅葉は、初冠雪で大荒れだった)

2月24日、日本山岳ガイド協会から、北海道大雪山系のトムラウシ山で昨年7月に起きた
登山ツアー客ら8人が凍死した遭難事故で、特別委員会の最終報告書がまとめられたとの
報道が有りました。

報道では概略しか判りませんが、引率したガイド3人の連携やツアー客への対応に問題が
有った上、主催したツアー会社にも天候悪化に対する危機意識が甘かったというような
報告書のようです。

気になるのはガイド3人について「気象状況や参加者の体調、力量などを十分に検討した
形跡がない。3人がバラバラに判断し、パーティとして機能せずビバークの判断が遅く
持参したテントも活用しなかった」ことが惨事を招いたと結論づけています。

しかも移動の途中でツアー客の中に低体温症の兆候が出ていましたが、特段の対応が
取られなかったと指摘しているそうです。

またツアー会社についても、死亡した8人が、59歳から69歳と高齢者で有った事から
悪天候に遭遇した場合、かなりシビアな状況になる事は予測できたのに、そのような危機
対応のシミュレーションをしておらず、危機回避の為の判断基準も無かったと批判して
います。

それに関連してツアー会社がトムラウシ山のツアーは募集をやめたのに、他の山のツアーは
継続しており、それで責任を取った事になるのかという批判も出ているという。(日本山岳協会)

こういった一連の報道を見ていて、私が感じた事は、最近登山が中高年の流行の様に言われ
ていることに腹が立ちます。
山に登る中高年は、流行やブームだから登るのでしょうか。
きっと皆さんは違うと言うことでしょう。私も違います。
流行に乗って登る、軽薄な登山者と思われるのは心外ですよね。
それは登った人にしか判らない喜びなのかも知れませんが。
山頂から眺める雄大な展望は、己の小さい存在を実感し、俗事の悩みを笑える心の豊かさを
もたらすのです。
足下の小さな花達に目を転じれば、この過酷な環境で精一杯生きている花達に、おまえも
頑張れと励まされている気がします。

上の写真は、現役の頃 職場の友人達と大雪山の旭岳に紅葉を見るツアーに参加した時に
撮った写真です。
このとき9月中旬で、前の日に旭岳に初冠雪があり、当日も強風や雨が降ったりして
大荒れの天候でした。

このときは、バス一台の参加者にガイドが一人と添乗員が一人という状況でした。
紅葉で有名な裾合平まで案内されたのですが、風雨が強くなり昼食も立って食べる有様で
直ちに引き返す事になりました。

このとき事件が起きたのです。
一緒に行った友人が、何を思ったか一人で先に引き返してしまったのです。
ガイドは雨合羽に着替えている最中でしたが、「ちょっと待て!」と止めたにもかかわらず
さっさと行ってしまいました。私たちも待ってと止めたのですが。

それで私たち仲間は、「トイレかな」と思っていたのですが、ロープウェイの山頂駅に
戻っても友人がいませんでした。
それからが大変、行方不明という事で大騒ぎになりました。

仲間全員で手分けして探しましたが、バスにも戻って居らず、山頂駅にもいないので
ガイドと私たちで、再びコースを手分けして捜索しましたが、発見出来ませんでした。

ガイド、添乗員を交えて相談した結果、捜索隊に捜索依頼をすることになりました。
山の秋の日暮れは早い、夕方5時を過ぎても見つからず、このまま発見出来ないと
凍死するかヒグマの餌食になるかも知れないと、捜索隊の待合室で待っている時間の
長かったこと。
私はその時、友人の死を覚悟していました。

外が真っ暗になった6時過ぎ、捜索隊から「発見」という無線が有り、次いで
救助したとの報告が来たとき、全員で喜び合いました。

帰ってきた友人は、雨合羽のズボンがボロボロでした。
よほと夢中で藪の中を歩いたに違い有りません。

何故ひとりで先に行ったのか、今でも原因はわかりません。
そのことについて、友人は聞いても答えませんでした。

ただコースにはロープが張ってありましたが、沢スジにはロープが有りませんでした。
どうやらそこで間違えて沢を下ってしまったようです。

その友人も数年前に転勤した広島の職場でガンで亡くなりました。
山で死ななかった奴が、町で死んだねと、友人達と実家の墓参りに行って話したものです。

このときは私もまだ登山の知識が無いときでしが、ツアー登山の危うさを感じていました。
参加者に対してガイドがあまりにも少なく、添乗員にも危機対応の知識が全く無く
いちいち本社に相談する始末。時間ばかり浪費する対応でした。

最近ひとりで歩くようになって、数十人の団体登山を見ると、うんざりしてしまいます。
道を譲って長々と待たされたり、白根山では団体の誰かが落とした落石がありましたが
「ラクー」とか「落石ー」とかの注意も有りません。

最近、登山者の組織の一つ「勤労者山岳連盟」が、個人会員制の導入を検討しているとの
報道が有りました。
今までは山岳会単位でしか入会出来なかったのですが、膨大な組織されていない登山愛好者
に、登山の基礎的な知識と技術を普及させないと、トムラウシ山の遭難事故に見られる
大量遭難を防げないとの意見から検討しているようです。

これは私のような単独登山者にとって、どこかの山岳会に所属しなくても実技を学べる
機会が与えられるチャンスかも知れません。

それはまた、高齢化社会と呼ばれる中で、会員が高齢化して衰退していく山岳会に取っても
大事な事なのかも知れません。

もう一つ、最近山渓の本を買ったら、山渓から遭難救助保険の案内が同封されてました。
年間5千円で300万までの遭難救助の費用が出るそうです。
遭難救助費に限っての保険ですが、どこの山岳会にも所属しない人には、こうい保険が
助かりますよね。

追記、このレスキュー費用保険について詳しく知りたい方は下記のホームページを
ご覧下さい。
日本費用補償少額短期保険


私が花撮影の登山を始めたきっかけは、この旭岳のお花畑を見た事から始まった。


大雪山・旭岳の姿見の池


神秘な水色のオンネトーと阿寒岳










日だまりハイク・つくば市宝篋山 山口コース1

2010年02月24日 | 登山
昨日の午後、つくば市内の宝篋山461メートルに日だまりハイクに出かけました。
ルートはこちらです。
山口コース1のルート

主要ポイントのGPS位置情報は、その写真の説明に書き込んで有ります。


臨時駐車場 北緯36°10′39.12″ 東経140°06′46.42″
ここに車を駐めて、出口から左に行きます。


右に金網で囲まれた山口の第一給水所を見ながら登山口を目指します。
(ここは直進)

右に宝篋山を見ながら田んぼの間を道なりに進みます。


早くも畦にオオイヌノフグリの花が咲き出しています。


登山口 北緯36°10′37.98″ 東経140°07′03.64″
ここが山口コース1の登山口です。
石垣の前から右に入ります。二軒目の人家を過ぎると、後は竹林と桧の林になります。

竹林

フォレストクラブが伐採整備中の林






涼やかな清流の音を聞きながら登ります。


昼でも薄暗い桧林を進む。


山口2コース分岐 北緯36°10′21.49″ 東経140°07′16.26″
山口2コースへの連絡路の分岐です。ここは左に行きます


えぐれた道には落ち葉がたまり、心地よい感触が楽しめます。


静かな杉林の山腹の道を歩き

小さな谷川を渡ると、そこがこのコースの中間点となります。


頂上にも山口にも、それぞれ1.7キロと表示されている。
中間点 北緯36°10′17.58″ 東経140°07′27.08″
  

しばらく登って再び桧林に入り突き当たったら左の斜面を登っていきます。


登って林道に出たら、左に進みます。


やがてこのコースに有る水場「宝篋名水」に出ます。
北緯36°10′20.81″ 東経140°07′31.35″


その先には、手入れされて日当たりの良くなった道があり、スミレの多い所になります。
冬の天気の良い日には富士山が見えたりする。


ベンチの有る曲がり角付近には、クサボケの蕾がついていました。


そしてたった一輪、タチツボスミレも咲いていました。
宝篋山では、3月から4月初めにかけて、11種のスミレが観察出来ます。


再び桧林の間を上り詰めると


左に万博の森に入る階段があり、そこから中にはいると
(中に入らずそのまま歩いても出口で合流するが)


朝日新聞社が全国から寄付を集めて植樹した万博の森のモニュメントが建っています。
北緯36°10′17.17″ 東経140°07′40.65″
展望は無いが、ベンチがあり廻りが林なので風も吹き抜けないから一休みにはもってこい


銅板に刻まれた趣意書


県別に寄付者4万人余の名前が刻まれています。これは東京都の部分


万博の森を抜けると、すぐに分岐が有り、右の尾根を登っていくと400メートルで山頂につく。


青木の多い山道を登っていくと


いきなり窪地に出るが、それが昔ここが小田氏の山城(砦)があり、それを守る空堀の跡だという。
堀を掘って山頂側に掻き上げて、急斜面の山にして防御を固めた名残である。
それ故、登山道も急坂を登る。


この山の各登山コースには、樹木に名札が多数つけられているが、フォレストクラブの
会員が、自腹で材料をそろえてつけてくれたものである。
各樹木に負荷を掛けないように、ヒモの一部がゴム製になっている。


宝篋山461メートルの山頂に有る「宝篋印塔」、この山の山名の由来になっている史跡である。
地元の人は、通称「小田山」と呼んでいる。


宝篋山の山頂から、筑波山を見ると、霞に包まれてけむっていた。
それも又良い眺めである。
ベンチに座り、ガスでコーヒーを湧かして、しばしゆったりと過ごした。


古峰神社から雪の古峰原と三枚石に行く・その三

2010年02月23日 | 登山

カーブを曲がった左に、古峰原峠と書かれた案内標柱とコースガイドの大きい看板が立っていた。


そばには東屋も建っており、目の前には広い雪野原が広がっていた。
どうもそこは湿原の様だった。

湿原の入り口には、関東ふれあいの道の案内板が立っており、まっすぐ湿原の脇を西に行くと
「深山巴の宿(じんぜんともえのしゅく)」を抜けて、わたらせ渓谷鉄道の通洞駅に出るという修験行者の道で、
ここから左の南に行くと、三枚石と方塞山(ほうさいさん)を経由して井戸湿原に至る
およそ5キロの健脚コースであると書いてある。

どこまで行くか決めかねていたが、時間が12時に近かったので、とりあえず昼食タイムにした。
東屋に入って食事をしていたら、三枚石の方から男性の登山者が一人おりてきた。
挨拶をして話を聞いてみると、埼玉から来た人で、あの冬期通行止めのゲート前に駐車して
いた車の持ち主らしい。
通りかかった車に聞いたら、一つ目のゲートよりも中に入っても良いんじゃないと言われて
二つ目のゲートまで来たという。
流石に二つ目のゲートから先は、帰りの時間に閉められていると帰れなくなるので、その前に
駐めたという。

三枚石まで行って来たと言うので、様子を伺うとアイゼン無しでも歩けますよという。
しかもほとんど平坦な道だという。
この平坦という言葉にひかれて三枚石まで行くことにした。

埼玉の人も私と同じ禅頂行者道を歩くつもりであったらしいが、時間的にも無理なので
このまま下山しようかなと言っていた。


食事を始めた男性にお礼を言って、私は三枚石を目指して雪の山道へ登って行った。
ほぼ平坦という話で有ったが、年代の差で有ろうか、私にはとても平坦という感じには思えない。


流石に修験者のかよった道である、鳥居が二つ立っていて、二つ目の鳥居から5分ほど歩いた尾根で
振り返ると木々の間から日光連山が見える。


女峰山


秀麗な男体山と大真名子山


左の奥にはとんがった皇海山まで見えている。

とするとこれは地蔵岳と夕日岳なのだろうか

残念ながら木々にジャマされて、正確に同定することが出来なかった。
もし夕日岳に行けていたら、日光連山が手に取る様に見えた事だろう。

そこから雪に隠れた階段や石の道を登ると、井戸湿原へ4.5キロと書かれた標柱が有り
さらに10分程登ると、大きい石がゴロゴロ散乱している「天狗の庭」に出た。



天狗の庭の大石をすり抜けて、やや緩やかな道に出ると古峰ヶ原の山頂は近い。
どう見ても右の方が標高が高いなと思っていたら、木の枝に赤いテープがまいてあり

右の斜面に足跡が付いている。
私もその足跡をたどって登ってみると、やはりそこは古峰ヶ原の山頂だった。

立木に「栃木百名山43座 古峰ヶ原 1378m」のプレートがつけられている。
このプレートが無ければ、どこが山頂なのかも判らないよう平坦な場所で、しかも展望は無い。

GPSで確認すると、三枚石はもうすぐである。
そうなると現金なもので、俄然元気も出てくる。
雪を蹴散らすように歩くと、目の前に大きな石を重ねたような三枚石に出た。



日光開山の祖として名高い勝道上人が、ここで座禅修行をしてから日光に赴いたらしい。
三枚と三昧をかけことばにして「三枚石」と呼ばれたのかも知れないが、そもそも三昧の
意味が良くわからない
座禅三昧という意味からでたのだろうか。

時間は13時35分であった。これなら何とか日暮れまでには下山出来そうである。
廻りに色々な物が有るので写真で紹介します。

三枚石の隣に有るのがこの夫婦石、なにやら石の割れ目から立木が、、、、、


三枚石に並んで立っている「金剛童子の窟」


弘法大師の像


大白龍神


辨天龍神


勝道上人の史跡


案内標柱には古峰神社に直接下山できるルートも表示されているが、最初のブログで
紹介したように、飛んでも無い急坂のルートで、単独では何があってもどうすることも
出来ないので、安全を考えて来た道を帰る事にした。


古峰ヶ原湿原が良く見える場所まで下山して気がついた。

湿原の脇に休憩小屋のような建物がある。もしかしたらあれが古峰ヶ原ヒュッテなのだろうか
だとしたら、ふきっさらしの東屋よりあっちの方が昼食には良かったかも知れない。

峠に着いたら14時12分であった。
余裕が有ったので、次回の為に行者沼や行者岳に向かうルートの入り口を確認しに行った。

それは車道の40カーブの所にあった。右に入る雪道に車が数台駐まっていた。
GPSでポイントを記録して峠に引き返した。

そして車道の右のガードレールの下に、関東ふれあいの道の表示が立っているのを見つけた。
登りの時は反対側を歩いていたので、気がつかなかったのである。
これで車道歩きも少しは軽減出来る。
私はためらう事無くふれあいの道を下っていった。



沢に沿った道なので、吹きだまりには結構雪が積もっていたり、急な坂があったりしたが
少しも苦にならなかった
人間とは不思議な物である。

場所に寄っては左上を見上げると、そこは車道だったりする。


やがて車道との合流点が近づくと「へつり地蔵」を祭ってある大岩に出る。
江戸時代に深山巴の宿での厳しい修行に耐えきれず、逃げてきた修行僧がこの場所で掴まり
殺されたので、哀れんだ土地の人々が、供養の為にたてたのがこのへつり地蔵だと言われていると書いてある。
そして「へつり」とは「少し削り取られた場所」という意味で、山中や川岸の険しい場所を指すという。

やがて往路に通った第二ケートの車道に出た。
あの埼玉の人は帰ったらしく、車はもう無かった。
再び長い車道を下って行くと、トラックから砂をまきながら登ってくる作業車が来た。
雪を溶かすのと、滑り止めを兼ねてまいているのだろう。

運転している人が、私を見て「人が通るからね」と後ろの作業員に声を掛けた。
「おう」と返事をして、砂をまく作業をやめた。
私が車の脇を急ぎ足で通ると「そんなに急がなくても大丈夫だよ」と声を掛けてくれる。
年寄りが転んだら大変と思ったのだろうか。

砂をまいた県道

古峰神社に無事に下山して、遠回りであったが雪の無い14号線をそのまま走って鹿沼に抜けて帰ってきた。

終わり。

主要GPSポイント追加

古峰神社前の駐車位置 北緯36°39′11.26″東経139°31′40.88″

地蔵岳入り口 北緯36°39′19.49″東経139°31′15.28″

関東ふれあいの道入口 北緯36°39′16.83″東経139°30′33.88″

古峰原峠 北緯36°39′01.58″東経139°30′05.76″

天狗の庭 北緯36°38′29.30″東経139°30′30.71″

古峰ヶ原山頂 北緯36°38′26.32″東経139°30′32.21″

三枚石 北緯36°38′19.29″東経139°30′34.99″

行者沼入り口 36°38′58.47″東経139°29′56.12″

上記のポイントは私のGPSの計測したポイントで、必ずしも正しいとは限らない。
使用には自己責任で御願いします。



古峰神社から雪の古峰原と三枚石に行く・その二

2010年02月22日 | 登山
ルートはルートラボに公開しました。
こちらをご覧下さい

古峰神社から古峰原峠までを、車道を歩くと4.2キロの長い舗装道路を歩くハメになる。
奥日光の女峰山に登ったとき、富士見峠から志津乗越まで長い長い林道を歩いてからと
いうもの、長い林道歩きは嫌いである。
ましてや舗装道路と来ては、山歩きとは言えないであろう。

とはいえ今日は歩くしかない。

左手の巨大な砂防堰を眺めたり、雪山を眺めたりしていくつかカーブを曲がると


長沢新道の入り口に着いた。こちらもゲートが閉まっている。


杉林の中は、残雪もあり凍結もしていて、油断すると滑りそうになる。
所々に禁猟区の赤い看板が立っている。

しかし良く見てみると、下の方に「シカ、イノシシは捕獲出来ます」と書いてある。
奥日光だけではなく、こちらでもシカとイノシシには手を焼いているのだろう。

このつづらおりの道路には、カーブごとの番号が表示されている。
カーブ29と表示されたカーブに行くと、左手に登山道の入り口が有った。




関東ふれあいの道・古峰ヶ原高原1.3キロの表示があり、沢すじを登る道が続いている。
近寄って見ると、下ってきた人の足跡が残っていた。
下山口が判れば、私も帰りはこちらのコースを下って来ようと思う。


このカーブを曲がった先には、右側に駐車スペースが有り、車が1台駐まっていた。
そしてその先にはゲートが有って半分閉められている。

ゲートには、この先冬季通行止めの表示がぶら下がっていた。


カーブをいくつか曲がって振り返ると、平な尾根の上に青空とのどかな雲が浮いていた。


先を見るとまだカーブが続いている。ダラダラの登りも結構疲れる。


日当たりの良い道路で立ち止まり、コカコーラを飲んで一息入れた。
見事な山の造形を見ながら、時計を見ると11時12分であった。
12時までに半分行くコース設定でないと、帰りが遅くなる。
どうやら地蔵岳に行くのは無理である。
何とか古峰原峠までは行きたい。気を取り直して歩き出した。


カーブ38の所に焼山林道入り口があり、やはりゲートが閉まっている。
いったいいくつ目のカーブが峠なのだろうか。


いささかうんざりしながら雪道を歩く。


そして遠くに39番目のカーブ表示が見えて、どうやらあそこの先が古峰ヶ原峠の予感がした。

その三に続く

古峰神社から雪の古峰原と三枚石に行く

2010年02月21日 | 登山
2月20日土曜日、天気予報では一日晴れ
家族の治療と自分の歯医者通いで、しばらく山に登れなかったが、ようやくフリーな一日が
出来た。
昨夜、登山の行き先を検討して、ブログにも書いた「禅頂行者道」の残りの区間を歩くか
日光の清滝から「丹勢山(たんぜやま)」に登るか、日光市の消防署前から「鳴虫山」に登るかにして、地図と資料を準備しておいた。

朝6時過ぎに自宅を出て、日光有料道路を走っていたら、前方に女体山が真っ白に輝いている。


先日の雪がかなり積もっているのだろう。
それで「禅頂行者道」の残りの区間を歩くことにした。
夕日岳に登って日光連山を眺めようと言う魂胆である。

が問題が有る。先日の雪である。鹿沼の山の雪の状態を調べていなかったから、登れるか
どうかは、行って見ないと判らない。
とりあえず6本爪の軽アイゼンは持参した。

今市ICでおりて、県道14号線で鹿沼に向かうと、途中の山越えはガチガチの凍結道路であった。
鹿沼に抜けると道路には雪がない。八岡で右に曲がって古峰神社(ふるみねじんじゃ)に向かう。
が一の鳥居のでかい鳥居の先は、やっぱり雪道に変わっていく。



古峰神社入り口付近の様子

9時40分頃、古峰神社に着いた。神社の駐車場の脇の県道に「通行止め」の案内が出ていて
ケートも半分閉まっている。


お土産屋さんが並ぶ神社の前の反対側に、駐車スペースのような場所があり、何台が車が駐まっている。
念のため、天狗屋と書かれたお店に、駐車しても良いか聞きに行った。
「良いですよ」と言うので、登山の準備をして10時少し前に出発した。

道路の左が神社の駐車場、通行止めのゲートが有る県道、県道の右に古峰神社が有る。

ゲートを越して舗装道路を歩いて行くと、日当たりの良いところは雪が溶けているが
日陰の所には残雪が残っており、場所によっては凍結していた。


右手に「古峯園」の金網の塀を見ながら雪道を歩く。


杉林の多いところは、残雪も多く凍結もしていて滑りやすい、ストックで身体を支えて歩く。
やがて左手の急斜面の山に、三枚石新道入口と書かれた案内板が有った。



古峰原の三枚石に登る登山口なのだろうが、とんでもない急斜面である。
この雪の中では歩きたくない道である。


なにやら工事中の看板が出ている雪道を歩くと


なんて事だい。地蔵岳に登って行く林道が通行止めになっていた。


ゲートに「百メートル先の橋に亀裂」と表示された紙がブラ下がっていた。


看板には「一般の歩行者も許可が無いと歩行禁止」と書かれている。
登山者も許可が必要なのだろうか。
私は許可を貰っていない。

仕方が無いから、このまま県道を歩いて古峰原(こぶがはら)に向かうことにした。

その二に続く

筑波山梅林

2010年02月19日 | 写真
家族の病院への送り迎えをしなければならず、なかなか山に行けないので、近くの筑波山に
登ろうと思って出かけたのだが、雪解けで登山道がぬかるんでいるようなので、あっさり諦めた。

それで帰りがけに筑波山梅林に寄ってみた。
駐車場には紅梅が7分咲きと表示されていたが、先日の雪でかなり散っている。
白梅は咲き始めで、まだまだ見頃には遠い感じがする。






5~6キロ手前から見る筑波山は霞の中だった。でもこうして見ると千メートルも無い山とは
思えない趣がある。



田んぼのそばではモミガラを焼いていた。これも春の風物詩である。




国母くんの腰パンの評価

2010年02月18日 | スポーツ
スノボに出場した国母くんの腰パン事件、国内では大騒ぎだったが、海外メディアの記者の
評価は「単なるだらしのないファッション」という評価だったらしい。

なにも国母くんのみならず、自己主張のつもりで腰パンやっている人は
「だらしのないファッション」と見られていると言うことだろう。
そんな人は大勢いるよね日本には、腰パンには限らず。

だらしのないのを「自己主張」だと思っている日本人が恥ずかしいと
日本人記者が書いていたけど
自己主張も、もう少しスマートさが必要かも。

これは個人の価値観だから、強制は出来ないけれどね。

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禅頂行者道を歩く第二回・2009年4月29日

2010年02月17日 | 登山
昨日のブログで紹介した禅頂行者道を歩くの第二回目のコースの地図はこちらです。
禅頂行者道・細尾峠から薬師岳・夕日岳コース

これに使っている「ルートラボ」というサイトは、「山女子」さんのブログを見て知りました。
山女子さんのブログは、山好きの方にお薦めのブログですよ。


出発地点はここ細尾峠、路肩のスペースに駐車出来ます。
清滝ICでおりて、細尾大谷橋の信号で左折して、国道122号線を足尾方面に向かうと
日足トンネルが有りますが、そのトンネルの少し手前から、左に入る道があり、それが
細尾峠に向かう旧道の入り口です。入ったらすぐ左に曲がります。
期間は判りませんが、足尾側の入り口から細尾峠に向かう道は、現在崩落した箇所などの
修復工事の為、通行止めとなっています。
(道の判る方は、細尾町の信号から旧道に入っても、細尾峠に出られます。)
細尾峠登山口のGPS位置情報
北緯 36°42′38.48″
東経139°30′50.80″ 


明るい落葉樹林の登山道が続きます。


たまにはこんなヤセ尾根も有りますが、厳しくは有りません。


少し時期が早くて、花の数は少なかったのですが、アカヤシオが咲き始めていました。
もう少し遅ければ、花のトンネルを歩けたかも知れません。


明るい日差しと、花が咲いていても、この時期の日光は寒いです。
日陰には霜柱が立っていて、サクサクとガラスの結晶の様に砕け散ります。

木の間から日光の山々が見え隠れしています。


やがて薬師岳の分岐に着きました。


ここから丈の低い笹原の道を登っていきます。


山頂の直前で、狐の死骸を見てしまいました。
まだ皮が残っていたので、この冬に死んだものでしょう。
後で日光自然博物館に聞いたら、非常に珍しい事例だそうです。
でもあまり見たくない光景ですが、死因は何だったんでしょうね。


薬師岳の頂上に着きました。(標高1420メートル)


頂上にはあまり展望が有りませんが、少し先に開けた場所があり、そこからは
日光連山が見えます。






証拠写真を撮りましたがむさ苦しいので小さくしました。(笑)


こちらのコースにも不動明王の祠が有ります。


尾根の途中からも日光連山が見えます。


手前に半月山への車道が見えて、後ろに日光白根山が見えます。


三ツ目の手前にある大岩からの展望も良いです。


いよいよ夕日岳への分岐「三ツ目」に着きました。ここから左の尾根に入ります。




夕日岳の山頂に着きました。ここも日光側の木が払われて日光連山が見えます。
(標高は1526.1メートルこのコースの最高点です。)



残りの道は、今春 古峰神社から地蔵岳経由で夕日岳まで歩く予定です。
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ヒスイカズラ(マメ科)が咲き出しました・筑波実験植物園で17日撮影
まだ咲きはじめで、見頃は今月下旬かな


これは昨年の3月に撮影したもの、このぐらいになれば見頃
フィリピンのルソン島とミンドロ島に自生する。
蛍光のある翡翠色の花を咲かせる。この色はコウモリ、特にフルーツバットに
好まれると言われ、それによって受粉が行われるという。(博物館植物ガイドブックより引用)

登山ルートを公開出来るサイト

2010年02月16日 | 登山
ネットに地図を表示するには、国土地理院の許可をとらなけれならず、写真として公開するなど
面倒な作業をしていたが、最近GPSのルートを表示出来るサイトが有る事を知った。

それは「ルートラボ」というサイトで、カシミールを使っている人なら、ルートの上で
右クリックメニューから「トラック操作」の「ファイルの書き出し」で、ファイルの種類を
GPXを選んで保存する。
その保存したファイルをルートラボの「インポート」で書き込めば良い。
ただしこれをやるには、YahooのIDが必要なので、まだの方は登録すると良いだろう。
試しに私が作ったルートを公開します。

禅頂行者道の明智平から細尾峠まで
残念な事に、ここのgooのブログはスクリプトが使えないので、直接ブログにルートを
貼れないので、URLとして紹介するしかない。
地図と高低表も表示され、再生機能を使うと、歩いたスピードに応じてコース上をアイコンが移動する。
再生する場合は、スピードを50倍とか100倍にすれば短時間で見られる

ルートラボのトップページはこちら
使い方の説明もあるので、詳しくはそちらを参照して欲しい。

紹介した禅頂行者道を歩いたのは、2008年の6月2日であったが、静かな山旅が出来た。
本来なら全コースを縦走したいのだが、マイカー登山の場合、出発地点に戻ってくるしか
無いので、コースを三分割して歩くことにした。
第一回は、明智平から篭石経由で細尾峠まで、第二回は細尾峠から薬師岳経由で夕日岳まで
第三回は、反対の古峰原の古峰神社から地蔵岳経由で夕日岳までを歩く計画です。
第二回は2009年の4月29日に歩きました。
第三回は、今年の春に歩くつもりです。

とりあえず第一回目の明智平から細尾峠までの写真を公開します。


ご存知の明智平のロープウェイ、ここから出発します。
運行時間に制約されるのが難点ですが、いざというときは茶ノ木平経由で下山すれば良い。
但し強風の時は、運行が中止になるので、注意が必要。
また明智平のトンネル脇から登るルートは、ロープウェイの保守用とのことで、一般登山者は
使えませんので注意しましょう。責任は持てませんと言われました。


ロープウェイの山頂駅展望台からも見えますが、そこから山を登ったピークの展望所から
見た華厳の滝、しぶきに虹がかかっていた。


途中の送電線の鉄塔のある笹尾根、男体山の展望が抜群、アカヤシオ、シロヤシオも咲く


笹尾根からの男体山、山容が大きい。


再び樹林帯の登山道を登ると、新緑の気持ちの良い道になる。


途中でこんなハプニングが有った。猿の群れが道を横切っていった。
最近つとに評判が悪い日光の猿たちだが、野生にエサを与えた人間が悪いのでは。


途中で咲き残りのシロヤシオを沢山見ることが出来ました。

途中から霧も出てきて、幻想の道となりましたが、一人ではちょっと寂しい。


ヒメイチゲの花も咲いて


途中の展望台では、霧で何も見えず


茶ノ木平と細尾峠の分岐


不動明王の様な石仏が祭ってあるのは修験道の名残か


つつじも咲いていた道を過ぎるとロボット雨量計があり


細尾峠に着いた。第二回はこの峠のスペースに駐車する。


この日に見た一番の花はこれ、フデリンドウ、行きには咲いていたが、帰りには曇りで閉じていた。
天気が良くないと咲かない花である。

カシミールのGPSの記録再生で地形図のムービー

2010年02月15日 | 登山

初冠雪の白根山 2007年10月 中腹は紅葉であった

登山の歩いた軌跡をGPSからカシミールにダウンロードした後、その軌跡の上で右クリックすると
メニューに「トラックの操作」という項目が出ます。

そこをポイントすると、表示されるメニューに「GPSの再生」というのが出ます。
そこをクリックすると「GPSの記録再生」というダイアログが表示されますので
全てのチェックボックスにチェックを入れて、再生速度を20倍とか30倍に設定します。

その上で、「開始」をクリックすると、カシバードが立ち上がり、進行方向に沿って
移動しながら地形図をムービーの様に表示します。

再生速度を1倍にすると、実際に歩いた速度で移動しますので、時間がかかりすぎます。
表示される地形図は、GPSの向いている方向なので、途中で休んだりした場合、方向が
変わってしまう場合が有ります。

カシバードの描画の設定で「風景の設定」を変えて、季節感を出すことも出来ます。
登山の思い出にお試し下さい。

今なら「雪の季節」や「残雪の山々」に設定して、雪山を楽しむのも良いかも。

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昔、侍は椿を嫌った。花柄がそのまま落ちるため、首が落ちると言って嫌ったという。
サラリーマンなら差し詰め「首が飛ぶ」と言って嫌うかな。
そんなことは無いよね。


緑色の座禅草

サッカー岡田ジャパンの落日

2010年02月14日 | スポーツ

霞ヶ浦から富士山の落日を見る

やはりと言うか、予想通りというか、何ともはや情けない試合運びであった。
これが国内組のベストメンバーだと言うから、これが実力なのかも知れない。

本来なら監督を交代させるような事態なのだろうが、いかんせん時間がない。
この監督と心中覚悟でW杯に行くしかない。
となれば、11日のブログでも書いたが、日本の得意とするパターンを確立しなければ
ならないだろう。

たとえ海外組の中村が加わっても、それが確立していなければ、一次リーグ突破も難しいだろう。
このところ、その中村の調子もイマイチらしいから、尚厳しい。

色々選手を替えてテストする期間が長すぎた為、得意なパターンを確立するコンビネーションが
浸透しきっていないようにも見える。
時間が無いとはいえ、コンビネーションが合わなければ、結果が出ないのだから
それから始めなければならない。

一つ気になるのは、ボールを受ける選手が止まってボールを受けようとする事。
それでたびたびボールを奪われていた。
出すのも受けるのも動きながら、という基本を守って欲しい。

FWの岡崎、国内では通用したが、国際試合では?なのか
鹿島の小笠原は、岡田監督には嫌われているね。

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気分直しに、こんな花はいかが

イチヨウラン(一葉蘭)・(別名ヒトハラン)葉っぱが一枚だけなので一葉蘭
日本の固有種で一属一種・尾瀬・田代山にて撮影

茨城県自然博物館の開館15周年記念特別展示を見に行く

2010年02月13日 | 日記
1月24日の菅生沼(すがおぬま)の野焼きに参加したとき、博物館の小幡先生から
招待券を頂いていたので、坂東市の茨城県自然博物館に特別展示を見に行った。

小雪がちらつく天気にもかかわらず、親子ずれの入場者が沢山来ていた。
どうやら子供達の目当ては、恐竜の展示や動物の展示のらしいが、私はまっすぐ
15周年記念の特別展示室に行った。

今まで15年間で58回の企画展をやっていたのを知ってびっくり。
私は、3分の1も見ていなかったのだ。
まあ 花を追いかけて山歩きばかりしていたからなー。

この15周年の特別展示は今月の21日までなので、会期も残り少ない。
まだの方は、早めに見て欲しい。

特別展示の他に、常設の展示で筑波山周辺の動植物やら鉱物、気象や歴史なども展示
されている。
その中に茨城県の絶滅危惧種に指定されたリストも有り、それを見ていたら、私が撮った
写真の中にも、絶滅危惧種があった。


絶滅危惧種のリスト


これは北見草の花 

北見草の全体写真


ヒメアマナの拡大写真


ヒメアマナの全体写真


ノウルシの花


ノウルシの群落


丁字草の花

絶滅危惧種では無いが、同じ所にアマナの花も有った。





なんたる心の貧しさ

2010年02月12日 | 日記
昨日のブログに書いた栃木県の都賀町にある「花之江の郷」は、山野草を自然に近い状態で
植栽し、有料で一般公開している施設である。
その園内にこんな看板が立っている。

高山植物の盗掘も後を絶たないが、このような施設からも盗掘する者がいるとは、あきれ果ててものが言えない。

日本の山野草の愛好家の団体では、盗掘を防ぐため、実生からの普及に力を入れたり
タネの交換会をしたりしているという。

それにもかかわらず、このような看板が立つと言うことは、一部の愛好家の中に
モラルの全くない心の貧しい人がいるのだろう。
それも、このような施設に来るのは、たいてい大人の人であろうから、一層心の
貧しさが際だつのである。

石川五右衛門ではないが、浜の真砂は尽きるとも、世に盗人のタネは尽きまじ
なのであろうか、天気同様寒々しい一日であった。