花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

今が見頃のもみじは

2012年11月30日 | 写真

薬王院のもみじも見頃になってきた。


桜川市真壁の薬王院のもみじ、今年はオレンジ系ですね
これは道路の階段下から撮影


薬王院の庭から筑波山方面・庭園のもみじも良いので
文化財と共に眺めるのもお薦め。


日立市・玉簾の滝1


玉簾の滝2


玉簾の滝3・滝は薄暗くてイマイチだった


玉簾の滝4・いずれも滝付近で撮影したが、一帯は玉簾寺の
私有地なので、勝手に中には入れないので注意

特にお奨めはこちらのモミジ
福島県いわき市の中釜戸のシダレモミジ


樹種はイロハカエデ、突然変異で枝がしだれた特に珍しい
モミジで、国の特別天然記念物に指定されている。


シダレモミジの説明版


コブだらけの樹形がモミジとは思えない姿だ

大きい方の根本


北側から見ると、また感じが違って豪華だ


南側から撮ったら、曇り空なのに色がいっそう濃くなった。

中釜戸のシダレモミジの住所は
福島県いわき市渡辺町中釜戸字表前117-2
但し駐車場は200メートルほど離れた場所にある。
バスが通るので路肩には駐車しないこと。

詳しい情報は、いわき市観光協会に出ています。

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モミジのシーズンも終わりに近づいたので、しばらくブログを
お休みします。
下草刈りが一段落したら、また再開しますね。

10月に登った前白根山から中曽根コース紹介

2012年11月29日 | 写真

10月13日、足慣らしのため湯元スキー場から前白根山に
登り、五色山を通り国境平分岐から中ッ曽根尾根を降りて
湯元に戻った時の写真を公開します。


登山口は湯元スキー場入口にある登山届けのポスト


湯元スキー場の一番奥に有る登り口付近では、五色沢の
治山工事中で賑やかな音がこだましていた。
毎度の事ながら、白根沢のこのコースは、急登の連続で
足場も悪い。
戸山分岐の先にある天狗平まで2時間半以上もかけて登った
天狗平で一休みしたが、風が冷たくて長居できなかった。


前白根山の尾根から白根山を望む、唐松の紅葉が彩りを添える


同じく前白根山の尾根から白桧尾根の白根隠山方面を見る


前白根山山頂の道標


五色沼と白根山を望む、普通の紅葉はすでに終わり、唐松の
黄葉が美しい


五色山との鞍部から前白根山の斜面と白桧尾根方面


五色山の登りから日光連山を望む


五色山から湯ノ湖と湯元方面


国境平の分岐、左に行けば金精山、右は中ッ曽根尾根を通って
湯元へ


国境平から湯泉ヶ岳の尾根が見える


中ッ曽根コースは、山と高原地図でも紅葉がすばらしいと
書かれている尾根である。
ただ途中から急坂の悪路が待ちかまえているが。




紅葉の間から見える金精道路の上の崩落地が
痛々しい。


真っ赤な紅葉も良いが、このようなグラデーションもまた良い


この立ち枯れの木も、このコースのシンボル的存在なのかも
数年前の登山の時にも見たような気がする。








湯元に降りると、以前はこの場所に「はるにれの湯」という
温泉があり、登山者に親しまれていたが、数年前に取り壊され
今は更地のままである。
湯元に有っては、取り残されたような古びた温泉であったが
いかにも山の温泉という感じが残っていた。

おしまい。

過去の写真から樹氷を紹介します

2012年11月28日 | 写真

2010年の10月、奥日光の五色山にて撮影
一日中山は氷点下だった。


樹氷の五色山から白根山を望む

このときのブログ記事は、左ソデのバックナンバーの所で
2010年の10月をクリックすると見ることができます。

今日も一日 下草刈りをやっていたら、小雨も降って
体が冷えてしまいました。
と言うわけで、本日も手抜きのブログになりました。
ごめん。

筑波山の坊主山を紹介します

2012年11月27日 | 登山

筑波山を明野方面から見ると、右に男体山、その左に見える
ピークが坊主山と呼ばれる710メートルの三角点のある山
国土地理院の地図には名前が載っていない山です。

面白い山の名前なので、何か由来が有るのかもしれませんが
まだ調べていません。

このところ、連日草刈りで疲れ果てているので、今月初めに
薬王院コースから坊主山に登ったコースを紹介することに
します。
女体山まで行って、帰りに坊主山に寄りました。

登山口は、薬王院の門前を通り過ぎて50メートルぐらい
行った左側から登ります。

途中で鬼ヶ作林道を横切って上りますが、その先は
筑波山随一の階段コースが待ちかまえています。

坊主山は、階段を上りきったところから左の桧林の中へ
入ります。

坊主山山頂の様子です。
雑木林の中で展望は有りません。
立木に坊主山のプレートがかかっています。
山頂を示すマークの様な三角岩が有るのが面白い

坊主山付近のコース図拡大


坊主山への入口には道標がない。この写真のように桧の
根本に薬王院への矢印案内が有るだけだ。

男の川コース分岐から男の川コースを下って、鬼ヶ作林道を
周回しても良い

もみじは告発する

2012年11月26日 | ボランティア

下平塚の保健保安林の近くで、不法投棄されたゴミ
せっかく色づいたもみじも台なしだ
豊かさの影で捨てられてゆくゴミ

だが本当に捨てられたのは、捨てた人の心
心を捨てて幸せなのかな

人間も使い捨てにされる時代、心だけは捨てたくないものだ


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お知らせ

堅破山のハイキングコースの工事箇所の地図が
日立市観光協会のホームページに掲載されました


日立市観光協会ホームページはこちらです
掲載場所は、トップページの下部に記載されています。

日立市観光協会の担当者の方からメールで連絡が
有りましたのでお知らせいたします。
問い合わせに素早く対応していただいた観光協会の
担当者の方に感謝いたします。

工事箇所の直前に臨時駐車場所がもうけられているようです

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BSプレミアムで毎週月曜日、夜7時30分から放送されている
「にっぽん百名山」ご覧になってますか。
今夜の放送は「奥穂高岳」でしたが、涸沢の紅葉が凄かったですね

にっぽん百名山」の番組ホームページはこちらです

ところで、地元の「筑波山」も百名山の一つなので
放送される予定です。
放送前なので詳しい事はかけませんが、ガイドは筑波山
ファンクラブの方ならご存じの方です。
毎回、すばらしい映像を見せてくれますが、その秘密は
長期ロケをしている事だとか。
放送は来年1月はじめです。楽しみですね

筑波山の日の出直前






過去の写真から本土寺の紅葉紹介

2012年11月25日 | 写真

窓越しの紅葉
関東のもみじ寺として知る人ぞ知る松戸市の本土寺
この写真は、数年前に撮影に行った時のものです。





紅葉の見頃は毎年11月下旬頃、今年の見頃を電話で
問い合わせると、11月25日頃より見頃との自動応答が
有りました。

本日は、つくばマラソンで交通制限が有るので、過去の
写真での紹介にしました。

本土寺のホームページはこちらです

松戸市観光協会の本土寺紹介のページはこちらです

本土寺周辺の北小金地区周辺のマップもダウンロードできます

注意
ライトアップなどは中止になっているようです。
また混雑時には三脚の使用も禁止になります
お寺に入るのは有料でした。
詳細は本土寺にお問い合わせください



茨城の紅葉風景2

2012年11月23日 | 写真

日立市十王町黒坂付近で見た里山の紅葉

先日、堅破山に登りに行ったら、雨に降られて竜神峡に
行った話はブログに書いた。
数日前、リベンジのつもりで再び出かけていった。
その時に撮った写真が上の写真である。


ところが、この写真の様に、堅破山への車道が工事中で
通行止めであった。
やむなしである。断念して帰ってきた。
工事が終わったら再び登りに行くかもしれない。


これは筑波山の西側にある「つくし湖」から見た筑波山
だんだん秋色に染まってきた。
この人造湖は、筑波山の下にトンネルを掘って導管を埋め
霞ヶ浦の水を引いている。
主に農業用水や工業用水に使われているそうだ。
この湖の脇の山に薬王院があり、山門前のもみじが有名で
11月下旬になると真っ赤に紅葉する。

薬王院の脇から筑波山に登る登山コースがあり、途中から
筑波山随一の階段数があるコースになる。

明日24日は森ボラが有るのでブログはお休みするかも、ごめん。

桜川市観光協会の薬王院の紹介ページ

茨城の紅葉風景

2012年11月22日 | 写真

笠間市佐白山公園の銀杏
あたり一面銀杏の葉とぎんなんが散らばっていた。


同じく佐白山公園の紅葉
人影も少なく午後の日差しが優しい城山である。

撮影中に巡り会った観光客に、何故笠間に赤穂の大石家の
跡が有るのか尋ねられた。
笠間藩は江戸時代にたびたび藩主が替わっているが、赤穂の
浅野家との関わりは、浅野長政の時代にさかのぼる。

豊臣秀吉の盟友であった長政は、最初は若狭国小浜8万石に
任じられ、後に甲斐国府中21万5千石に移封されて東国の
太閤検地などを行う

関ヶ原の時に家康の味方をして、長男幸長に戦功があり
紀伊国和歌山37万石に移封される。
関ヶ原後、長政に常陸国真壁5万石を隠居料として与えられる

長政の死後、三男長重が真岡藩2万石から真壁藩5万石の藩主と
なり跡を継ぐ。(長重はこのとき真岡藩を返上している)
のちに笠間藩に移封され、真壁藩は廃藩となり笠間藩に併合される

この長重が真岡藩の頃、浪人していた大石良勝を小姓として雇った
のが浅野家の家老大石の始まりである。
長重と共に関ヶ原で武功が有った為、大石良勝は1500石を賜り
永代家老の家柄となったのである。

付け加えると長重の子、長直の時に播磨の国赤穂に転封になった
のが赤穂藩の始まりである。

このような事情で、真壁の天目山伝正寺にも浅野家の墓所があり
笠間の佐白山公園近くに大石家の邸宅跡がある

赤穂事件の時の藩主長矩は、初代藩主長直の孫である
また家老大石良雄は、大石良勝の孫に当たる。

また長政の長男幸長に嫡子が無かったため、幸長の死後
長政の次男長晟が備中国足守藩から移って和歌山藩の跡を継いだが
後に安芸国広島藩に加増転封となり、幕末まで続いだ

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以下 おまけ画像 (笑)

月待の滝、滝の裏側から撮影、恨みの滝ではない「裏見の滝」だよ


同じく月待の滝にて撮影した紅葉、(墓地の脇)


同上

何故「月待の滝」と呼ばれるかはこちらをご覧ください。


小雨の竜神峡を歩く

2012年11月20日 | 登山

竜神ダムの放水口を見下ろす

前日の天気予報では、19日は1日晴れの予報であった。

最近ちょっと読みかけている「ふるさと文庫」の
「寺社の縁起と伝説」という本に、堅破山の縁起に
関する叙述があり、再び堅破山に登りたくなった。

で天気も良いというので勇躍出かけて行ったと言う
訳である。
ところが晴れるどころか、常陸太田に着いたら小雨
が降り出した。
空一面雨雲に覆われて、晴れる見込みがなさそうだ。

そこで急遽予定を変更して竜神峡に行ってみた。
平日だし天気も悪いしガラガラに空いているだろうと
たかをくくっていた。
ところがあにはからんや竜神峡大吊橋の第一駐車場は
満車で、空き待ちが並んでいる。第二も満車に近い。

すぐ空きますよと警備員の誘導係の人が言ったが、私は
直ちにUターンして第三駐車場のトイレに寄り
下のダムサイトに行くことにした。


竜神峡付近のハイキングコース図の看板
(竜神峡大吊橋は有料で、渡るには入場券が必要です。
ハイキングコースに降りることは出来ますが、橋には
戻ることが出来ません。
)


竜神峡付近のコースのみトリミングで拡大

注、図の中の「回転扉」と有るのは、大吊橋から
ハイキングコースにおりる道の出口専用の扉
ここから大吊り橋には戻れないので注意
下の拡大図のように、ダムを渡って階段を上ります

一方通行とあるのは、大吊り橋を渡ってハイキングコースを周回する
方の案内で、一般のハイキングの方は亀ヶ淵まで歩けます


大吊り橋周辺図、この「龍亭」という店の前の
駐車場に車を止めた。

尚、茨城県の紅葉の名所案内は、茨城県の観光案内から
紅葉いばらき2012」を参照すると良い。
奥久慈周辺はいずれも見頃となっています。
名所の名前から詳しい案内がたどれます。


ダムに写る吊り橋


ダムから見上げる大吊り橋


モーターパラグライダーが、長い布の様なものを引いて
飛び回っていた。
何かの宣伝なのかな、でも鉄塔などに絡まったら危ないよね


こちらは何も引いていないモーターパラグライダー


渓谷沿いのハイキングコースの風景、以下順不同で写真のみ




写った方の顔にモザイクを施しました。すみません。


人工の崖も長い年月を経て趣が出てき。


記念に植樹したもみじが道に連なり、紅葉の名所になった


縦写真を横にしたものでは有りません
崖から覆い被さるように出ている紅葉を見上げて
倒木も一緒に写って、錯覚しそうな写真になりむました


ぬれた紅葉


途中に東屋が有る、対岸の眺めも良い


竜神ふるさと村への登り口、急な階段が設置してある
本日はパス


コース途中にトイレが有った。


渓谷の紅葉

本日は雨のため亀ヶ淵まで行かず800メートル手前で
引き返した。

私の奥久慈のおすすめは「月待の滝」滝と紅葉が一緒に
見られます。
滝の脇の「もみじ苑」でそばが食べられます。

滝を通り過ぎた奥に農産物直売所がありました。


竜神ダムの管理事務所の住所などはこちらです



筑波山梅林から夕日に染まる山頂

2012年11月18日 | 写真

筑波山梅林中腹から夕日に染まる筑波山を仰ぐ
右下に東屋が写っている。

午後の3時半を過ぎているのに、筑波山の車道は数珠つなぎの
渋滞、日曜で天気も良いからかも知れないが、参ったね。
上から続々下ってくる車の列も半端ではないのに、ちっとも
前に進まない。

本当は宝篋山に行くつもりだったが、あきらめて筑波山梅林に
逃げ込んだ。
下の駐車場は満車状態だったが、右上の駐車場は空いていた。
梅林の上の東屋に向かって登っていったら、筑波山が夕日で赤く
染まっていた。

見ると東屋も人が沢山いるので、谷間の展望台に行った。
やがて夕日が山の端に沈んで、富士山がシルエットになった

富士山のシルエットと上空を飛ぶ飛行機

大駐車場の方から、人が続々詰めかけてくる。
最近はカメラより携帯やタブレット端末で
撮影する人が増えた。


朝日に照らされた筑波山


宝篋山から見る朝の富士山、中腹まで雪化粧している望遠300ミリ


朝もやに霞むスカイツリー、宝篋山で撮影105ミリ









埼玉県・城峯公園の冬桜と紅葉

2012年11月16日 | 写真

城峯公園の冬桜と紅葉の競演

城峯公園の詳しい場所は、こちらをご覧ください
神川町観光協会

カーナビに目的地を入れる場合、下久保ダムの
管理事務所の電話番号を入れると良い。
電話 0274-52-2746

その場合の注意点は、462号線の下久保トンネルの
出口を出たらすぐに左折する


下久保ダムの上を走るときは、対向車に注意すること

ダムを渡りきったら、丁字路で右折して道なりに行く
(ダムの管理事務所は左折した場所に有るのでそちらに
行かないこと)
あとは道なりに城峯公園の案内が有るのでそれに従う

公園に入ったら、期間中のみ一方通行なので、出口は
反対側に下ること。一周して元の丁字路に戻れます








公園内に有る冬桜の説明板




公園内は紅葉も見事で、桜よりもついつい紅葉を撮っていた




下の車道におりて見上げると、ひな壇の様な
冬桜と紅葉が見られる






公園の山頂から見る下久保ダム(神流湖)


下久保ダム駐車場から見る神流湖


公園入口の階段脇に咲き残りのリンドウが一輪

時間があれば、下久保ダムの回りを一周すると良い
城峯の紅葉や湖面の色がすばらしいです。

城峯の冬桜は、八重咲き系なので、ボリューム感が
有って、普通の冬桜よりは華やかさがある。








夕焼けと三日月

2012年11月15日 | 写真

筑波山の大鳥居前の駐車場にて撮影
15日午後5時21分


宝篋山、午後4時26分


宝篋山、午後4時29分


宝篋山、午後4時36分
ヘッドランプを持って行かなかったので、この後
あわてて下山した。
浅間山が影絵のような姿を見せていたが、撮らずに
帰ってきた。桧林の中は暗くて気味が悪いからだ

帰路、夕焼けの富士と月が見えたので筑波山に寄り道して
撮影した。

快晴の尾瀬を歩く・山の鼻から鳩待編

2012年11月15日 | 登山

午後2時36分、山の鼻のビジターセンター前を出発
木道の脇に咲き残りのヤマトリカブトが有った。


この写真を撮った後、先の木道で登山者が集まって
立ち止まっていた。
どうしたのか聞いたら、この先に熊がいるという。

男性の一人が携帯で撮ったという熊の写真を見せて
くれた。
見ると子熊の様であった。
「子熊ですね」と言うと、隣の女性が「子熊なら
母親もいますよね」という。
「熊は一歳前後まで母親と一緒に行動するので、母熊も
いるはずですよ」というと「子熊をつれている母熊は
やばいですよね」心配そうに言う。

「何か音のするもので、音を出せば向こうから逃げて
くれますよ。」と私が言うと、写真を見せてくれた男性が
大声で叫びだした。

一番先頭にいた青年が「子熊が逃げて木の陰に隠れました」
と言う。
「どこどこ」と聞くと「あそこの木の陰」と指さす
そこを見ると、笹の葉が揺れていたが、熊の姿は無かった。

「鳩待峠までの間に、熊よけの鐘が設置してありますから
それを鳴らして行きましょう」と説明すると、皆合点して
歩き出した。
もちろん私は熊よけの鈴を付けていたが、その鐘を思い切り
鳴らして通った事は言うまでもない。


鳩待峠までのコースも、ブナや楓が有って、紅葉が
彩りを添えていた。
先の方でわざわざ戻ってきて撮影している人がいた


そこに行って見ると、こんなボリュームのある紅葉が
広がっていた。


激しいローターの音を響かせながら、護岸工事の
ヘリが資材を運んでいる。
彼方には至仏山がくっきりと見えていた。


至仏山側から西日が差し込み、楓の真っ赤な紅葉が
見事で有る。


が何と言っても、このコースのハイライトはブナであろう
それも斜光線にきらめくブナの黄葉は、いつまでも見て
いたい光景である。

山の鼻から鳩待峠までのコースは、階段の登りが続き
つかれた体にはきついコースだ。
途中のベンチで休みながら登った。


それでも15時38分には鳩待峠に着いた。
結果的には余裕で終バス時刻より早く着いたが
またもや大汗をかいた山登りであった。

(晴天の尾瀬を歩く、最終回)

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サッカーワールドカップ・アジア最終予選
まさかロスタイム直前で逆転するとは、凄すぎる!!

オマーンは、ホーム試合では負け無しだったと言うから
逆転されたら、観客がすぐ帰ったというのは、ショックの
現れなんだろうなー。

得点した選手も凄いけど、お膳立てしたアシスト選手も
スゴイよね。
バテバテの遠藤がゴール前に詰めて流すとはあっぱれ!!
ドリブル突破した酒井も立派!!

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それに比べて
やけくそ解散を決めた野田総理
年寄りいじめの年金減らしとは何事
これから毎年減らし続ける予定とか
何のための消費税だったの

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山に行く途中に、立派な門構えの農家の前で
車いすに乗った老父が落ち葉を掃いていた。
ぎこちない手つきで必死に掃いているその姿に、山に行く私は
何故か後ろめたい気持ちであった。

車いす 乗りて老父の 落ち葉かく
山行く我の 後ろめたさよ



快晴の尾瀬を歩く・尾瀬ヶ原編

2012年11月09日 | 登山

竜宮十字路の道標

今更であるが、これは10月16日に鳩待峠から横田代
アヤメ平と回り、長沢新道を下り、尾瀬ヶ原の竜宮に出て
牛首、山の鼻と周回し、鳩待峠に戻った時の続きです。
前回は、竜宮に降りたところまで書いたので、今回は
その続きであるが、尾瀬ヶ原の事は、大勢の方が書いているので
写真と簡単な説明にとどめる事にします。


竜宮十字路から見る燧ヶ岳、手前に見えるのは、中田代と
下田代の境界になっている沼尻川の拠水林で、林の中に
見えるのが竜宮小屋である。竜宮小屋の近くにはトイレも
有るので、寄り道しても良い。
ベンチの周りにあるブルーシートをかけたものは、尾瀬ヶ原で
使う木道工事の資材だと思う
観光客の少ない晩秋から雪の降る前に工事するようだ。

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補足説明をすると、尾瀬では湿原の事を田代と呼ぶ
尾瀬ヶ原には、大きく分けて三つの湿原があり、山の鼻側から
上田代、中田代、下田代と呼ばれている。
その境界は、いずれも拠水林と呼ばれる林を境にしている
この沼尻川の拠水林は、中田代と下田代の境界であり
また沼尻川は、群馬県と福島県の県境でもある
竜宮から燧ヶ岳を目指して沼尻川を渡ると、そこはもう東北である。
(尚、沼尻川は尾瀬沼から尾瀬ヶ原に流れ出す唯一の川でもある)

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さて竜宮十字路からヨッピつり橋の方を見ると、ちょうど
真正面に見えるのが景鶴山で、山頂の岩が独特の形をしている
この岩峰はニュー岩とか農岩とか呼ばれていて、溶岩の硬い
部分が残ったものだそうです。

上の写真の景鶴山をトリミングして拡大したもの
ちなみにこの山は、所有者が登山禁止にしていて登れないという

また山の名前は、深田久弥の日本百名山の至仏山の項に
「尾瀬ヶ原の北側に景鶴山(けいづるやま)がある。これなども
平鶴山と書いた文献もあるそうだからヘエズルから来たのに
相違ない。ヘエズルは匍いずるの訛ったもので、トラヴァース
の意である。」と記載されている。

(匍いずるを「トラバース」と言う事には抵抗を感ずる私です
どちらかと言うと、滑りやすい急斜面を四つんばい状態で
登るニアンスをもってしまう私です。)

それにしても、このときの一週間の尾瀬の旅で、一人の登山者
にも会わなかったと深田は書いている。うらやましい時代である
注、景鶴山は「けいずるさん」とも読まれているようだ


竜宮から見る至仏山、雲一つ無い青空が広がる
「雲がなさ過ぎて絵になりませんね」と言ったら
ご婦人方に笑われてしまったが、それほどの晴天であった


竜宮近くの池塘も秋色に染まる
尾瀬ヶ原の池塘の数は1800も有るという(尾瀬自然観察ガイド)

ゆっくり休んでいたいが、鳩待峠の終バスの時間までには
帰らなければならない。
ベンチで食事とコーヒーを飲んで、時計を見たら13時13分
だった。
あわてて支度して出発した。休んだ時間は20分少々である。


竜宮十字路からほど近いところで、木道の付け替え工事を
していて、登山者は仮設の木道を歩かされる。
この仮設の木道は、湿原に直に置いたものなので、ぐらぐら
不安定であるし、一本道なのですれ違いも困難だった。
(写真の右側に敷いてあるのが仮設の木道、左側は新しい木道
を付け替えている作業員の方)
奥に見えているのが至仏山


仮設木道を抜けてまもなく、まっすぐな本道から左に分岐して
周回する木道がある。
これが竜宮の名前の由来になった竜宮の入口への道である。


竜宮の入口と呼ばれる地下水路の入口、初夏には回りの流水を
集めて渦を巻き、トウトウと地下に吸い込まれていたが
雨が少なかったのか、水量がなくて渦巻きもあまり見られなかった

竜宮の名前の由来は、この地下水路が伝説の竜宮に続いていると
想像して名付けられたという。
どうしてこの地下水路ができたか、今でも解明されていない
尾瀬ヶ原の謎の一つである。


竜宮入口から見える山麓の林が、秋の装いに輝いていた。

入口から本道に戻り、反対側の右の周回路に入ると、今度は
入口から吸い込まれた水が、再び地上に出てくる竜宮の出口
がある。


竜宮の出口
いかにも深そうな穴から、水がわき出している。


竜宮出口を覗くと、沢山の魚が泳いでいるのが見える
どうやら「アブラハヤ」と呼ばれるものらしい。
最も国立公園の特別保護区なので、釣りなどはできない
ので悪しからず。


竜宮出口から流れ出た水は、再び川となって湿原を
流れていく。

尾瀬ヶ原にはいくつもの川が流れているが、木の生えている
川と、生えていない川があるのに気づくだろう。
その違いは、水源が山の場合、山の土砂を運んで流れるので
川の回りに木が生える条件ができるからだが、一方湿原などから
わき出した水は、運ぶ土砂が無いので木が生えないのだ
こうして水に運ばれた土砂に生える林を拠水林と呼ぶ

尾瀬ヶ原の湿原に何故木が生えないのかは、尾瀬自然観察ガイド
などの本を読んで欲しい。



尾瀬ヶ原の湿原に最近笹が増えてきている。
これは湿原の乾燥化が原因ではないかと密かに心配しているのだが
現在のところは有効な手だてが無い状況なのだろう。
日光の戦場ヶ原や那須の沼原なども乾燥化が進み、湿原が減少している



くさもみじもピークを過ぎて、晩秋の気配が漂う尾瀬ヶ原の湿原
かつて幕末から明治にかけて、イギリスの日本公使を勤めたアーネスト・サトウの
子息「武田久吉」は、日本山岳会の創始者の一人であると同時に
植物学者であり、自然保護の先駆けでもあったが、その武田博士が
「尾瀬再探記」の中で次のように述べている。
「草原も、森林も皆湿気に満ちている。しかしそれでも年と共に雨量は
減少の傾が有ると言うから、湿気も幾分軽減していくわけであるが
地形その他の関係で尾瀬地方が乾燥地に変ずることは近き将来には
あり得ないと思われる。」

これは大正14年発行の「山岳」に掲載された文であるが、将来の
地球温暖化までは流石に予想できなかったで有ろうから無理もない。
その後で次のようにも述べている。
「一言にして言えば、尾瀬は実に得がたき宝庫である。そして一面
その保護を講ずると共に、他面これを研究調査する必要がある。」

その後で武田博士は、尾瀬の保護の手ぬるさを悲憤慷慨しているのだが
その辺のところは、興味のある方は本を読んで欲しい。
現在、平凡社ライブラリーとして文庫本で出版されている「尾瀬と
鬼怒沼」に掲載されているから、中古本としても手に入れやすいと
思います。(私も中古本を買った)

同書には「尾瀬をめぐりて」という館脇操さんの文も載っているが
学術的記録なのだが、紀行文としても優れた表現で、尾瀬に関心が
有れば、心躍る文章である。


この辺の池塘には、浮島状の小島が有ったりする。
ところで、浮島には湖底につながっている固定浮島と呼ばれる
ものが有るという。あるいはこの島がそうなのかもしれないが
しかし湖底とつながっていたら浮島と呼ぶのは??では (笑)


水鳥がのんびり泳いでいたりする。


ヒツジグサも赤く紅葉して水面(みなも)を染めている


さて何と言っても忘れてならないのがこの場所
尾瀬の水芭蕉と至仏山を撮るビューポイントとして有名だ。
ここまで木道が設置されているので、寄り道して欲しい。


後ろを振り返れば、白樺と燧ヶ岳が見える
この場所は、ヤマドリゼンマイが群生している場所なので
秋の初めに来れば、ヤマドリゼンマイの紅葉と燧ヶ岳のコラボも
撮れる場所である。


木道の要所には、その場所を示すネームプレートが貼り付け
られているので、足下にも目を向けてみよう。
橋などには必ずつけてあるので、場所確認ができますよ。


逆さ燧ヶ岳を撮る池塘はあちらこちらに有るが、私が良く
利用する場所はここ
あいにく午後の風が出て今回は無理だったが。


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新規に書かずに前日の文に追加して書き込んだ
この項が終わるまで当分追加して書き込みします




牛首の近くに有るので牛首分岐とか尾瀬ヶ原三叉と呼ばれる
分岐についた。
ここにもベンチが多数設置されていて、一休みできるように
なっている。
ここから右へ行けばヨッピつり橋を通って東電小屋に行けるが
このときは、ヨッピつり橋が工事中で通行止めになっていた。
そのため東電小屋に泊まる予定のグループが、見晴十字路経由で
大回りコースを歩くハメになっていた。


牛首分岐のネームプレートには。次のように書かれている
ここは牛首分岐、竜宮十字路2.2km、見晴3.8km、
ヨッピ吊り橋2.3km、残念ながら山の鼻までの距離が書かれていない
書き添えると 山の鼻2.09kmなのでおよそ2キロと思えばよい
時間にすれば50分ほどである。


牛首分岐から山の鼻に向かうと、左から湿原にせり出したような丘が
見える。丘と言っても木が生えているので小山だが
これが牛の首の様に見えるところから、牛首と呼ばれる由縁だ
伝説によれば、ここに尾瀬大納言の城があったと言われる場所であり
以前はバンガロー村も有ったというが、今は道がないので行くことが
できない。
先ほど、水芭蕉と至仏山のビューポイントとして紹介した下ノ大堀は
尾瀬大納言の城を守るために掘られた堀だという伝説もある。
事実では無いにしろ、伝説はロマンをかき立てるから面白い。



牛首に近くなると、上田代と中田代の境界を果たす拠水林と
至仏山が大きく見えてくる。
よく見れば、至仏山の山肌が赤く見える。
紅葉もあの辺まで下って来たのだろう。


この上ノ大堀川を境にして中田代と上田代が別れている。
橋を渡ればいよいよ上田代である。

(注意、尾瀬には上田代と書く地名が二つある。尾瀬ヶ原の上田代
と燧裏林道に有る上田代である。漢字で書くと同じ上田代だが
それぞれ読み方が違う、尾瀬ヶ原は「かみたしろ」と呼び、燧裏林道は
「うわたしろ」と呼ぶ。面倒だが覚えておきたい読み方である。
私は燧裏林道を初めて歩いたとき、ベテランの登山者に教えていただいた)



ここにもネームプレートが貼ってあり、上ノ大堀川橋と表示
されている。


橋の上から左の山の鼻を見ると、川の畔が紅葉していた。
早くも西に傾いた光を浴びて陰影が濃くなっている。
時に午後の1時57分である。


上田代に入ると、大きな池塘がいくつもあり、その一つに
大勢のカメラマンが屯していた。じゃまにならないように
足早に抜けて、振り返って撮った写真がこれ
池塘の奥に燧ヶ岳、中景には右から山の鼻がせり出している


この辺は池塘のすぐ横を通るのでヒツジグサの紅葉も
近くで撮影できる。


右前方に見える八海山(背中アブリ山)の峰続きの山の頂が
見事に紅葉しているのも見えた。


左には中原山へと続く山の紅葉と池塘が美しい


小さい灌木帯に入ると、真っ赤なズミ(?)と思える実がなっていた。
似たような実をつけるものにカンボクが有るが、それは葉っぱの
先端が三裂すると言うから、カンボクではないし、この木は
切れ込みのある葉と無い葉が混在していた。


こういう風景が私は好きである。
どこか旅情をかき立てる趣が漂っている静かな尾瀬ヶ原の秋である
先行の二人連れの登山者が点景として良い雰囲気だ


やがて原の川上橋と呼ばれる橋を渡れば、山の鼻はもうすぐだ。


ここにもネームプレートが有る
って、自分の靴を写してどうする(苦笑)


ここまで来ると、至仏山の中腹の紅葉が肉眼でもはっきりと判る


橋を渡った先の風景、至仏山が西日で逆光になってしまったが
相変わらず雲一つ無い天気である。


終バスの時間を気にするあまり、私もうっかり忘れるところ
だったが、尾瀬ヶ原の湿原には「ケルミ(凸地)」と「シュレンケ(凹地)」
と呼ばれるしわが有る。

このケルミと呼ばれる帯状の高まりには、一つの方向性を持っていて斜面に
直交する方向、つまり等高線と同じ方向に並んでいる。
ケルミとケルミの間の帯状の窪地をシュレンケと呼び、上空から眺めると
人の指紋の様に見えるところから「指紋状パターン」と呼んでいる。

本当は上田代の別な場所に、もっとよく見える場所が有ったのだが
そのことをすっかり忘れていたのである。
と言うことで間に合わせの写真だが、凸地と凹地では生えている諸物の
違いにより、色の濃さが違い、濃い部分が凹地のシュレンケである。

このしわがどうして出来たのかは、未だ解明されていない尾瀬ヶ原の謎
の部分であるという。
この観察には、春の芽吹きの頃と秋の紅葉の時期が、生えている植物の
色違いでわかりやすいと言われている。

観察の適地として、原の川上橋を渡る前が推薦されている
山の鼻ビジターから行く場合は、原の川上橋を渡った向こう側である(牛首側)
今回は逆コースで歩いてきたので、紛らわしいかもしれないが


山の鼻の案内板の前にようやくたどり着いた。
時間は午後の2時21分であった。


山の鼻のビジターセンターの温度計を見ると15度前後を差していた。
それにもかかわらず私は汗だくだった。
終バスに間に合わせるため、早足で歩いたからである。

センター脇の長いすで一息入れた。目の前にツリバナの赤い実がはじけていた
ようやくバスに間に合う見通しが立って、内心ホッとしていたのである。

おもむろにトイレに行き、顔も洗ってさっぱりした。
もちろんトイレの募金箱に100円を入れた。

これにて「尾瀬ヶ原編」はおしまい。

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今回は寄らなかったが、山の鼻には「尾瀬植物研究見本園」という湿原がある
元々は「山の鼻田代」と呼ばれた湿原だったらしいが、昭和の40年代に、そこへ
尾瀬各地の植物を移植して、広大な自然植物園として開園しものである。

そこは尾瀬ヶ原でもなかなか見ることが少ない「オゼコウホネ」の花を
見ることが出来るというスポットでも有るという。

園内は一周2キロの木道が施設され、およそ500種の植物があり、拠水林も
有って、水芭蕉やリュウキンカの大群落も見ることが出来る。

ここは至仏山の山陰に有るため雪解けが遅く、尾瀬ヶ原ではピーク過ぎでも
ここでは満開という花が有ったりする。

私が斑入りの水芭蕉を見たのもここだった。

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最近話題のPCの遠隔操作に使われている自分の
身元を隠す技術は、元々はアメリカ海軍が開発した技術だという。

世界各地に散らばっているスパイと連絡を取る際、その発信元がばれないように
痕跡を隠すために開発されたらしい。

メールやウエブサイトにアクセスすると、通常はIPアドレスというネット上の住所が
が残り、利用者を特定できる。
そこでアメリカ海軍は、専用ソフトを開発して海外の複数のサーバーをわざと経由
させることで発信元を隠す技術を用いたという。

今では民間レベルでも改良されて、FBIですら捜査に手を焼くという。
この技術は、内部告発などの際、送信元の割れるのを防ぐためにも使われているという

そのソフトの名前は、、、、、いや やめておこう(笑)
自分が被害者になったらたまらんからね。



赤城山に登る、その6

2012年11月07日 | 登山

最初は登ってきた道をビストンして下山するつもりだったが
駒ヶ岳への登り返しが嫌になり、大沼湖畔の登山口に降りる
事にした。
このコースには猫岩と呼ばれる岩尾根の展望地が有るらしい
12時20分過ぎ、大沼・猫岩の道標分岐から下山開始


最初は緩やかな道だが、すぐに勾配のきつい石ゴロの道になる
充分注意していたのだが、急坂で滑って倒れそうになった。
幸い右肘をついただけで、怪我も無くすんだ
以後は用心して、何かにつかまりながら急坂を下りた。
普段はじゃまな笹も、こんな時は役に立つ。


ほとんど葉の散った斜面にも、時折鮮やかな紅葉が有る
陽が隠れているのが残念だが、一枚一枚の葉の形が透けて
しばし空を見上げていた。

こんな急登の道を山ガールが二人、挨拶して登っていった
天気予報では、午後から晴れると言っていたので、それに
合わせて登ってきたのだろうか。
登ってすぐに下山するようだな、などと人の心配までする


やがて岩の多い尾根にでた。
この辺りからツツジが多くなり、彩りも鮮やかさが増してくる


切れ落ちた左斜面を見下ろすと、茶色の木々の間に
薄黄色の木が一本目立っていた。


まもなく大沼の湖面が見え、地蔵岳も霞の中に包まれていた


大岩の連続する尾根になると、左の斜面の展望は一気に
広がる。


湖面に突き出ている赤城神社が見え


左下の斜面の紅葉も見える
雲が流れて、光と影が場所を変えるたびに、色彩が変わるのだった


途中にはこんな岩のところがあり、歩きにくくルートも
よく判らない場所もあった


ようやく猫岩と表示のある道標についた。
猫岩と言うので、猫に似た岩が有るのかと思ったが
どれがそうなのか判らなかった。


猫岩付近の尾根は、こんな岩場の続く尾根で、確かに
左側の展望は良い。


赤城神社の全貌が見える場所で、駐車場の車や
橋の上を歩く人影も見えた。


尾根から離れて斜面を下ると、この道標につく
時間は午後の1時18分だった。


やがて木々の間から大沼の湖面が見え始め、車道を
走る車の音が響いてきた。


午後1時28分、無事に大沼の登山口に降り立った。
湖の周りが紅葉に彩られてきれいだったが、歩いている
人影は少ない。
みんな車で通りすぎてゆく。


車を駐めた赤城ビジターセンターまで戻るために
車道の紅葉を眺めながら歩いていたら、まもなく
右側に黒檜山の登山者用の駐車場が有った。
流石に赤城山は観光地で、各登山口に駐車場が設けられている


途中で赤城神社に寄り道してみた
が参拝客で混んでいたので、お参りはせず、橋の写真を
撮ってみた。


上の写真を撮影した付近からの展望図


橋の反対側(南側)に回って撮影した黒檜山の写真


同所からの展望図


赤城ビジターセンターに戻ったら、温度計が10度を
表示していた。
ビジターセンターに寄って、マップを10円で二枚買った
これは赤城の維持管理に使われる寄付金付きである。

帰りは赤城から沼田に抜ける赤城道路を走ってみた
これが大当たりで、標高千メートルに下がるまで
錦秋のドライブコースであった。
ただ駐車スペースが無いので、写真は撮らなかった。
山の秋は「山装う」と言うそうだが、まさにそれであった。

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突然赤城山に行く気になったのは、前日の夕方NHKの
一都六県で田部井淳子さんが、初心者でも登れる紅葉の山で
赤城山の覚満淵を推薦したからであり、このブログの
ブックマークにも入れている「こつなぎさん」のブログ
ある上州人こつなぎの写真ノート」にもたびたび紹介
されている山だからである。

赤城山は、全体の総称であり、赤城山という個別の山は無い
後で調べたら、展望は長七郎山の方が良いらしい。
いつかまた登りに行きたいと思う。

この前の日曜日に伊達市の霊山に、花友とその家族と一緒に
登りに行った。
その時に被災地支援のつもりでリンゴ(信濃スイート)を買ってきた。
登山口に来ていたリンゴの生産販売者の方から買ったのだが
風評被害の中、わざわざ銘柄指定で買いに来たと、その方に
喜んでもらえたのは何よりだった。
またその時に無かった「アルプスの乙女」という銘柄が
販売店の「トマト」に有ると言うことで、そこまで道案内まで
してくださった。
支援しに行ったつもりで、逆に親切にされてしまった。
霊山町の方に感謝の気持ちとエールをお送りします。
ともに頑張りましょう!!