花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

赤城山に登る、その4

2012年10月31日 | 登山

駒ヶ岳からの下りは、まるでハードルのような階段道
を降りる。
別にこれは赤城山に限らず、このような階段を作った
山では、たいてい土が流されてハードル状になっている。


半分も降りないうちに道標が立っていた。
黒檜山1.1kmの表示がある。


前方の黒檜山は、すっかり晩秋の装いで、木の葉が落ちている
山の上には、白い雲が広がり、日がかげり始めていた。


やがて駒ヶ岳と黒檜山の鞍部に到着すると、そこには
「大タルミ」と書かれた道標が立っていた。
黒檜山0.8kmの表示がされている。
笹原の鞍部から、降りてきた駒ヶ岳を振り返ると、雲の影が
黒く山肌を覆い、おむすび型の山容が浮かんでいた。


大タルミからの登りは、またしても笹と階段の道である
10時26分、喉を潤し汗を拭いてゆっくり登っていった。


笹の中に真っ赤な実を鈴なりにつけた木があった。
枝には鋭い棘があり、残った葉っぱを見ると丸形で
しゃもじのような柄がついている。
このときは判らなかったが、後で調べたら「メギ」の木
であった。
このメギの同属の「マルバメギ」を、私は至仏山で見ている
見たのは7月の花の時期であったから、実は見ていない。

面白いことに、赤城山の「メギ」は、別名「コトリトマラズ」と言い
至仏山の「マルバメギ」は、別名「マルバヘビノボラズ」と言う
どちらも鋭い棘がたくさんあるので、小鳥もとまれず蛇も登れない
だろうと言うことで名付けられたらしい。
蛇足で付け加えるなら、この棘は葉っぱの変形したものだと言う

このメギの花は、雄しべ先端に蓋がついていて、雄しべが成熟すると
蓋が開いて花粉を出すそうである。
(補足説明、雄しべの先端は、やや左右に膨らみ、それぞれに蓋が
ついている形となっています。一本に2個の蓋がついている形です)

開花中の花糸の根元にふれると、急激に雌しべの方に近づき、葯は
柱頭について自花受精をして、数分で元の位置に戻るという。
(これを傾震運動と言う・・・・植物観察辞典から引用)

尚、至仏山のマルバメギは、群馬県特産の蛇紋岩変形植物で、至仏山
谷川連峰、尾瀬の笠ヶ岳などの蛇紋岩地帯に生育する
母種のヒロハヘビノボラズが立っているのに対して、マルバメギは
匍匐しているのが特徴

蓋のついた雄しべをマクロで撮れたら面白いけれど、私のカメラでは
無理だなー。
ソニーのフルサイズ一眼とカールツァイスレンズなら撮れるかも
もっとも逆立ちしても手が出ないけれど、、、、(泣)

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訪問者の方に、いつになったら山頂に着くのかとしかられそうだが
実は今日、定期の検診で病院に出かけていた。
予約していたにもかかわらず、1時間半も待たされて、すっかり
くたびれ果ててしまった。
昨日は歯医者に行っていたし、連日なにやら忙しいし、草刈り機が
故障して部品を取り寄せたら、1万3千円も取られたのに、始動
したら、別な場所の故障が見つかった。
そんなら新しいのを買った方が良かったんじゃないと家内に言われるし
踏んだり蹴ったりである。
と言うことで、さっぱり筆が進まない。もうふて寝するわ。
お詫びに最近撮影した筑波山の花をどうぞ

センブリ


センブリ、しまった蕾も可愛いね


これはおなじみコウヤボウキ、高野山でこの木の枝で
箒を作ったことが由来




赤城山に登る、その3

2012年10月30日 | 登山

笹の多い尾根を登ると、「赤城山の夏」という案内板が
立っている。


その少し先で東の谷を見下ろすと、カスミがかかって
桐生や鳴神山の位置がどこなのか、皆目見当もつかない
有様だった。


笹尾根の階段の上を見上げると、なにやら雲がかかって
怪しい雰囲気になっていた。


道標・駒ヶ岳0.2kmの表示がある。何とか山頂も近いぞと
力がわいてくるのだった。


左前方に黒檜山が見え、尾根道の先に見えるのが駒ヶ岳
爽快な尾根歩きである。


山頂直前の登り道を行くと、右上に柵が張ってある。
踏み跡が有ったので柵まで近寄ってみると、そこは
崩れ落ちた谷の上だった。


覗くと、遙かに谷底まで続く崩落地で、目が回りそうだった。


少し上に登って谷を見下ろすと、谷の近くが紅葉している。
すでに紅葉は山を下りてしまったのだった。
この谷は、流れ下って渡良瀬川に注ぐ、そして最後は
利根川となって茨城県南を流れてゆく水源の一つである。


ようやく山頂らしい、最後の登りを頑張ると
そこはやっぱり山頂だった


駒ヶ岳山頂1685mの表示がある道標
この山は三角点が無いので、どこが一番高い山頂なのか
よくわからない山だった。


少し奥に進むと、駒ヶ岳というプレートをかけた
木が有ったが、そこも山頂とは特定できない場所だった
まあ良い、この辺一帯が山頂なのだろう。


道標のある登山道に戻ると、赤城山の成立史とでも
言うような説明版が立っていた。
同じ群馬県に属しながらも、赤城山は谷川岳よりも
南に位置する。
それ故か、赤城山の最高峰である黒檜山を始め、この
駒ヶ岳も山頂まで木が生えている。


駒ヶ岳の山頂付近から、木の間ごしの大沼の展望

上の写真とだいたい合わせた展望図、但し作図距離は
50Kmとしたので、遠方の山は描かれていない近距離専用とした

「 この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)
数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)
数値地図50mメッシュ(標高) 及び数値地図10mメッシュ(火山標高) を使用した。
(承認番号 平22業使、第446号) 」



赤城山に登る、その2

2012年10月29日 | 登山

今回歩いた赤城山のコースと鳥瞰図、大沼に半島の様に
突き出ているのは、地図の地名が重なった部分です

10月25日前橋市の天気予報は午前中は曇り、午後からは
晴れの予報だった。
早朝自宅を飛び出して国道50号線にのり、前橋まで突っ走る
赤城山は初めてなので、カーナビに赤城ビジターセンターを
目的地に設定して走る。
赤城温泉郷を通り、大胡赤城線と呼ばれる山道を走ると、延々と
カープが続き、急カーブに番号がつけられていた。
ビジターセンターに着くまでに、その数は90を超えた。

8時過ぎにビジターセンターの駐車場に着いたら、先着の車は
10台前後で、ガラガラだった。
ビジターはまだ開いていない。
予報に反して雲が多いながらも赤城は晴れている。

トイレと支度を済ませて、目の前の覚満淵の入口に向かう
鹿よけの網をくぐって覚満淵に行ったら、紅葉のピークは過ぎて
山の中腹から上は葉が落ちて、湖岸の紅葉も少し寂しいものだった
(この辺は初回の「赤城山に登る」をご覧ください)


覚満淵の遊歩道


湖畔に赤く見える木が有るので近寄って見るとマユミの実だった
この木は丈夫でよくしなる為、昔は弓の材料に使われた木だそうで
それが名前の元になっているという。


覚満淵から早々に引き上げ、覚満川を渡って県道251号線に出て
右に歩いてゆくと200メートルばかりで、駒ヶ岳・黒桧山登山口
駐車場が道路左側にあり、道路の反対側には登山口が有った。
何のことは無い、最初からここに駐めれば良かったのだ。
まあ良い。足慣らしだし、周囲の状況を知るには歩くのが一番だ



駒ヶ岳・黒桧山登山口
8時48分登山開始、最初は石ころの多い登山道で慎重に歩く


葉が落ちて明るい山道だが、石に躓かないように足下に
注意して歩く。


やがてこの登山道が階段の多い道だと思い知らされる。
しかも地面と階段の登り口の段差が大きいので、足を大きく
あげなければならない。
そのせいか、階段の少し上まで、脇に踏み跡がついていた
私も少し脇を登ってから階段に上がった。


登山道脇の土砂が崩れないように、板が張り巡らして有ったが
自然の力にはかなわず、板が倒れているところもあった。


やっと一つ目の道標に到着、登山口からおよそ500メートル
なんだまだそんな距離しか登ってないのか。がっかり。


ジグザグの曲がり角に、黒桧山まで1時間30分の
案内板が有った。時計は9時38分である。
まあ私はそんな標準時間では歩けない
数人の青年達が元気よく挨拶して、すいすい追い越していった


その上に行くと、今度は鉄製の階段が待ち受けていた。
手すりにつかまってトボトボと登ってゆく


少し登って右下を覗くと、先ほど歩いてきた覚満淵が
見下ろせたりする。
多少木々の紅葉が残っていて、得した気分になった。



だがそれもつかの間、またしても鉄製の階段が待ちかまえていた
だが、その上が妙に明るい。もしかして頂上が近い。


階段を上りきると、笹原の広がる尾根の上で、道標の前には
ベンチが二つ並んでいて、先ほど追い越して行った若者達が
一休みしながら地図を見ていた。
聞いてみると、大沼(おのと読む)の売店で10円で買ったと言う
赤城山ウォーキングマップだった。
私が汗を拭いて喉を潤していると「お先に」と若者達が先発して
行った。


最初は歩きやすい土の道だったが、すぐに木製の階段になった
空は晴れていたが、カスミがかかって遠くの山並みは霞んでいた


振り返ると小沼の湖面が光っている。
小沼と書いて「この」と読むらしい。
何で「この」なんだ、このっ なんて親父ギャグを言いながら
登ってゆく(笑)

画像を追加します。上の写真とほぼ同じ尾根からの展望図

山と高原地図にも、駒ヶ岳から富士山が見えると書いてあるが
カスミで遠方の山は見えなかった。
展望図で描かれていても、実際には樹木などの障害で見えない
山も有ります。

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minoさんの知ったかぶり講座

桧の名前の由来

その昔、この木をこすり合わせて火をおこしていたいたので
火の木」と呼ばれていたという

木と木をこすり合わせていたから「木」が「会う」と書いて
「桧」になったかどうかは不明である。オイッこら
いい加減な事を書くなよ(笑)

漢字の表記はともかくとして、由来は正しいよ
筑波山の湯袋峠からキャンプ場に登るルートに
看板が立っているからね。

ほらね、環境省と茨城県のお墨付きだよ
何「庁」になっているって「省」が無いねー

赤城山に登る

2012年10月26日 | 登山

赤城山の湿原を保持する「覚満淵」
着いてすぐ撮った写真がこれ、多少湖面に写り込みで
紅葉も写っていたが、すぐに風で波立ってしまった

波立つ湖面と紅葉、山の上は葉が落ちて、全山紅葉とは
言えない状態だった。


覚満淵の由来、比叡山の高僧の名前が覚満だったのね
たしか奥日光にも覚満淵が有ったような?!
後日調べたら、奥日光は「覚満淵」ではなく「含満ヶ淵」だった
記憶違いでした。ごめん

(含満ヶ淵は、並び地蔵と言われるお地蔵様がずらりと
並んで奉られている。
そのお地蔵様の数が何度数えても合わないため化け地蔵とも
言われる
鳴虫山の帰りに一休みして帰った場所である)

赤城山と言えば、私には国定忠治である。
「赤城の山も今夜限り、生まれ故郷の国定村や
縄張りを捨て、国を捨て、可愛いこぶんのてめえ
たちとも、別れ別れになる首途だ」

「男心に男が惚れーて」とか「泣くなーよしよし
ねんねしーなー」とか、このときの情景を歌った
歌も流行った。
最もこの二番目の「赤城の子守歌」は事実では無いという

それはともかくとして、上の写真は25日に赤城山に
登りに行って撮った写真である。
24日から25日にかけて、北関東の2千メートルを越す
山には初冠雪があったという。

尾瀬の至仏山も燧ヶ岳も、日光の男体山や白根山も雪が
降ったという。
赤城の黒桧山に登れば、その雪山が見えると期待して
登っていった。

(今日は筑波山の関東ふれあいの道を少し歩いたら、疲れ果て
もう眠くて眠くてかけません。ごめん)




快晴の尾瀬を歩く・長沢新道編

2012年10月23日 | 登山

長沢新道コース図
地図からも判るように、長沢新道は、右に長沢、左にセン沢という
沢にはさまれた尾根の上を歩くコースで、途中に三ヶ所の道標が
立っている。
等高線を見れば、中間の長沢頭の道標から、長沢の道標にかけて
等高線が密になっていて、このコース最大の悪路と言っても良い

しかも、ほとんどが樹林帯の中のため、日陰の湿った環境で、木道に
ヌルがついていて、雨の日や朝露がついたりすると、間違いなく
滑る道である。
前回の時には、数回滑って転び、尾てい骨を打撲して、数ヶ月間
痛さとあざが消えなかった。
特に「土場」までの木道は、傾斜緩いので、油断してしまうが
そう言うところほど滑るからやっかいである。

が、流石に今回は滑らなかった。高温で雨の少ない日が続いて、木道も
乾燥していたからである。

そうしたマイナス面ばかりではなく、長沢新道には、中間点より
下側に、見事なブナ林が広がっている事でも有名なのである。
時期はまさにピッタリである。黄葉に期待して下っていこう。


滑りやすい木道に注意の看板を尻目に、緩やかに木道下っていく
どういう訳か鳥も鳴かず、静かな森の中に熊鈴の音色だけが響く


時折、鮮やかな黄葉が木道を飾っている。
この辺は豪雪地帯でも有るので、細い木は雪の重みに耐えるように
しなやかに育っている
試しにすがりつくと、あっという間に倒れて体を支えてくれない
急斜面などで、体を支えようとしがみつくときは注意が必要だ
あっという間に谷側に倒れるので、逆に転がり落ちる危険がある


明るい日差しの中で、すれ違ったのは一組のアベックだけで
アヤメ平とは打って変わって静かな道だった。
帰りのバスの最終便は4時半である。
それに間に合うには、コースタイムの通りに歩かなければ
ならない。
いつもの のんびりペースから急ぎ足のペースに変えて、ひたすら
先を急ぐ。


が平坦な木道ばかりではない、途中には荒れた道や、写真のような
階段も待ち受けている。


やっとベンチある道標が見えてきた。


最初の道標「土場」竜宮までまだ2.9kmもある
時計を見たら11時46分である。
ザックからウイダーインとビスケットを出してエネルギーの
補給をした。
なにやら賑やかな声がすると思ったら、下から数人の登山者が
登ってきていた。


一本しか無い木道ですれ違うのは大変である。
たまたま有った古い切り株に片足を載せて道を譲る。
こもごも挨拶しながら通り過ぎていくベテラン登山家達
面白いのは中年のアベック、こちらが挨拶すると、たいていの
ご婦人は挨拶を返してくれるが、男性はしらんふりする人もいる
なんだ、焼き餅を焼いているのかな(笑)
輝く黄葉が笑っているよ。


倒木に見事に並んだ白いキノコや


眼を引く紅葉に見とれつつ先を急ぐと


道標「長沢頭」についた。
ここは、このコースの中間点で、どちらにも2.1kmの
距離である。
がここから先が難問で、岩だらけの急坂をジグザグに下る
しかも段差がある悪路である。


長沢頭を出発し急坂を下っているとき、下から登ってきた
年配のグルーブに出会った。
「後どのくらいですか?」と聞かれたので、もう少し登ると
中間点ですよと答えると「えーっ まだ中間点なの」と年配の
ご婦人が辟易している。
別なご婦人が「お父さん頑張りますね」という。
お父さんと言われて喜んで良いのかどうか、70になった事だし
まあ良いか。(苦笑)
時折木の間から尾瀬ヶ原が見えるので、もうすぐかなと喜ぶと
これが意外と遠いのだ。


岩ゴロの道を下り


ブナにみとれ


歩きづらい階段道を下る


ブナの多い林の階段道を下り


道標「長沢」につくと、竜宮まであと1kmの表示がある。
時計は12時28分であった。
どうもお腹が減ったと思ったら、もうそんな時間であった
しかしこれで何とかバスに間に合いそうだと思った。
竜宮についたら食事にするぞ、八ヶ岳で出会ったガイドのKさんが
「シャリバテは、登山では最悪である」と言っていたし、何が何でも
食事を摂らなければ。


道標を過ぎてすぐ、木道の橋を渡ると割と平坦なブナ林の道で
ブナの黄葉と楓の赤が続く錦秋の道に変わる。









以下24日写真追加

この左の木の先で尾瀬ヶ原が見渡せる


尾瀬ヶ原の脇に出た木道からの眺め、くさもみじは
ピークを過ぎていたが、青空と至仏山が見えてホッとする
瞬間だった。


木道の右脇はブナの林の紅葉が見事


川にはカエデが浮かび


振り返ると青空に映える真っ赤な紅葉が有った
正面には竜宮十字路のベンチが見えていた。

急坂を下るとき、膝の後ろに違和感が有ったから
密かに難所を乗り切った安堵感がわいていた。

長沢新道編終わり。


快晴の尾瀬を歩く・鳩待通り編4

2012年10月22日 | 登山

中原山の山頂から、オオシラビソなどの、まばらな樹林帯を
下って、少し登り返すと、そこは広大な山頂湿原が広がる
アヤメ平の入口である。

アヤメ平の入口から見上げる湿原


アヤメ平周辺図
この地図を見ると、1900メートルの等高線から数えると
アヤメ平という地名表示の下に1970メートルの等高線で
囲まれた一角がある。
そこがこの湿原の一番の高所で、アヤメ平の道標のあるベンチ
のところには、1969メートルの表示が有る。

一口メモ ------------------------------------------------
尾瀬ヶ原を囲む山の中で、最も歴史の古いのは至仏山で、中生代と
呼ばれる2億4000万年前から2億3000万年前に隆起して
できたと言われている。

その後で500万年前から200万年前にかけて、火山活動が
始まり。真っ先に爆発したのが景鶴山だと言われている。

それに次いで爆発したのがアヤメ平や皿伏山と言われている
アヤメ平は、粘りけの少ない溶岩が流れ出してできた盾状火山と
言われていて、皿伏山と共に平坦な山容を見せている。

坂口 豊教授の書かれた「尾瀬ヶ原の自然史」に寄れば、この
火山の安山岩の溶岩は厚さ200メートルで、鳩待峠の西から
富士見峠の東までの間と、火山の南を流れる赤沢の谷を隔てた
大行山に分布していると書かれている。

そして最後に爆発したのが燧ヶ岳で、およそ35万年前と推定
されている。
燧ヶ岳は、その後も爆発を繰り返したので、山頂部は5つの
峰を作り出し、複雑な形をしている。

アヤメ平の広大な湿原を歩くとき、ここがかつて火山で有った
という事が信じられない風景である。
だが初期の頃は、登山者が自由に歩き回れたので、湿原は
踏み荒らされ、まるで泥田の様な状態になったという。

昭和40年代から始まった植生回復事業は、40年近い歳月を
経て、やっと現在のような状態になったと言われている
しかし天上の楽園と言われた昔日の姿に戻った訳ではない
自然保護という言葉は、言うは易く行うは難しの見本である

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湿原の高所を越えると、木道の彼方に燧ヶ岳の姿が青空の中に
浮かび上がる。
先ほど追い越していったグループが、ベンチに向かって歩いている


池塘の彼方に燧ヶ岳が見える場所にさしかかれば、その左側に
平ヶ岳や景鶴山も見えている

中央左後ろが平ヶ岳、中央右前が景鶴山

参考にこの付近の展望図を掲載します。


さらに左には、至仏山が池塘の向こうに見えている。
所々に見えている立て札は、植生回復事業の証である。


アヤメ平の道標、標高に注目、最高所ではない
道標まえのベンチは、先客とザックでふさがっていた。
少し休むつもりだったが仕方がない、GPSの記録と写真を
撮って先に急ぐ。

アヤメ平の道標から富士見田代を目指して下ってゆくと
急峻な崖のそばの木道になる、


特にこのような右に張り出した角では、戸倉方面の
展望が良い好展望地である


下を覗くと紅葉の始まった谷の斜面が見える


振り返れば、紅葉しているアヤメ平の斜面が美しい


奥に武尊の山と右手前にアヤメ平の斜面の紅葉


戸倉方面の写真


戸倉方面の展望図


日光方面の山並み

日光方面の展望図


富士見田代の道標
ようやく富士見田代の分岐に着いた、時間は11時26分だった
尾瀬ヶ原の竜宮に抜けるには、1時間40分ほどの
辛い下り坂を下りなければならない。


傍らに富士見小屋に行きたくなるような誘惑文が立っていた


分岐のすぐそばに富士見田代の美しい池塘とベンチがある


池塘と燧ヶ岳のコラボ写真ほねらってみる
あまりにも雲がなさ過ぎる青空だった



快晴の尾瀬を歩く・鳩待通り編3

2012年10月20日 | 登山

横田代湿原の二つ目のベンチを過ぎた辺りから
至仏山とその右に連なる山々を見ることができる
写真とそれに対応する展望図を載せますので
山名の同定にどうぞ










この写真の撮影位置と展望図の作成位置は下記の地図の
カメラアイコンで示す場所です
等高線の1890mと1900mの中間くらいのところ

ちなみに、この地図からも判るとおり、横田代の湿原は
1850mの等高線付近から始まり1939mの標高地点まで続いている
標高差でおよそ80mの登りである。

さて話を進めて、その1939mの横田代湿原の最高所にはベンチ
が設置されていて、一休みにはもってこいの場所である。

このベンチの先は木道の続く下りになっていて、少し下ると


左に燧ヶ岳の雄姿を見ることもできるし


尾瀬ヶ原の西にそびえる景鶴山などの山も見える場所がある


再び登りになり、三角点のある中原山の山頂を目指すと
樹林帯を抜け出て中原山の湿原に出る

湿原の道標、鳩待峠4.1km 富士見峠2.2km と書いてある
このベンチの少し上から右方向を振り返ると赤城山が見えていた
そしてその右には、うっすらと雲の上に富士山が見えていた




と言っても上の写真では判らないだろうから、富士山の写っている
部分をトリミングで切り出した写真を掲載する

雲の上に出ている頭の三角形が判ると思う


さらに右に武尊山や笠ヶ岳や小笠が続く
参考のためにその付近の展望図も掲載します

この展望図に笠ヶ岳の名前が表示されてないが、水晶岳の前の
山がそれである。写真の方では小笠の部分までで、その右は
木に隠れている。
なまじ遠景の山を入れたのが失敗だったかも。

湿原の展望を楽しんだら、もう一踏ん張りで中原山の山頂である

1968mの山頂に立つ道標、鳩待峠4.3km 富士見峠2.0kmの
表示がある


中原山の三角点、ひっそりと鎮座している
ここまで来ればアヤメ平は目と鼻の先である


元の職場の旅仲間と会食

2012年10月19日 | 日記
今日は、定年まで働いていた職場の旅仲間と上野で待ち合わせ
一年数ヶ月ぶりで旧交を温めた。
元々は7人だった仲間も、二人が病で亡くなり、一人は足が
弱くなって参加できない。

お互いに知っている同僚の消息を聞くと、鬼籍に入った人が
増えている。
その中で、持病を持っている私が生き延びているのは、本当に
儲けものなのかもしれない。

そんな事情で、鳩待通りの続編を書く時間が無くなった
続編は後日と言うことでお許しください。


尾瀬の富士見田代から見る燧ヶ岳


無理矢理池塘に写る燧ヶ岳を入れて、富士見田代


NHKのニュースで、奥日光の戦場ヶ原で茨城の筑西市の
男性が熊におそわれて頭を噛まれたとか言っていた。
尾瀬も奥日光も、元々は熊の生息地域、歩くときは
熊鈴などの音のするものを持って行きましょうね

上の熊の人身事故の為、戦場ヶ原の遊歩道の一部が
通行止めになっています
詳しくはこちらをご覧ください

通行止め区間は、赤沼分岐から小田代分岐(泉門池の手前)までを
22日月曜日まで通行止めだそうです。ご注意ください



瀬戸合峡の紅葉情報ならこちら




快晴の尾瀬を歩く・鳩待通り編2

2012年10月18日 | 登山

鳩待峠を基点とする鳩待通りは、東北東に向かっていると
言っても良い。
それ故に朝の時間は、紅葉した木々の葉を光が透かして
いっそう輝いて見える。


笹が多い道だが、オオシラビソの樹林帯を通るところもあり
緩やかに登りながら、変化に富んだ雰囲気が味わえる。


東京電力管轄内の木道は、一本一本にテプコのマークと
施設年が刻印されている。木道を施設する費用は、1メートル
につき12万円の費用がかかるという話は前にも書いたが
福島の原発事故で、東電が尾瀬から手を引くかもしれないという
話が伝わったとき、今後の施設負担をどうするのか心配したが
今年の夏、東電から環境省に以前と同様の管理をするという申し入れが
有ったと言うから、とりあえずはホッとした


空を見上げると、相変わらずハケで掃いたような雲が
秋の気配を漂わせていた。


二つ目の道標に到着した。
鳩待峠から2.3km 富士見峠まで4.0km である。
時計は9時52分をさしていた。
前回の記憶からすると、横田代の湿原はもうすぐだなと
思って、少し元気が出た。


前方の曲がり角に、先ほど追い越して行ったグループの
人影が見えた。
どこかで一休みしていたのかもしれない。


確かこの辺に有った筈と見回すと、やっぱり有りました
コゼンタチバナの赤い実が露に光っていた。
この辺は適地なのか群れるようにして実をつけている。


明るい黄葉が木道に覆い被さるようにして色づいている
その奥が何となく明るい。
湿原が近いなと思ったら、やっぱりそうだった。


両側の木の間を抜けると、遙かに続く湿原の上に
延々と続く木道が空に吸い込まれていた。
まるでトンネルから抜け出したような明るさだった。


横田代湿原の道標に到着した。
鳩待峠から3.0km 富士見峠まで3.3km と書かれている
時間は10時7分である。
ここは傾斜湿原で、木道は湿原の最高点を目指して
登っていく。
以下は横田代でスナップ撮影した写真です。
説明なしで写真のみ掲載する













オオシラビソの樹林に混じって燃える紅葉や、湿原の窓の様に
空を写す池塘、わずかに生き残りの蝶がひらひらと風に舞う

私は湿原の中程に有る二つ目のベンチで一休みした。
持参のバナナと柿を食べ、ウイダーインのエネルギーを飲んだ


振り返ると樹林帯の間から至仏山がくっきりと姿を見せている
すばらしい展望だ
アヤメ平からの燧ヶ岳と至仏山の展望が楽しみになってきた

横田代の傾斜湿原を登っていくと、だんだん展望の範囲が
広がっていく。

よく見ると至仏山の中腹が赤く見えるので、ズームレンズを
いっぱいにのばして撮影したのがこの写真
至仏山も中腹以下が紅葉しているのだった。


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今週末は、北関東の紅葉の名所が一斉に見頃を迎え
どこもかしこも大渋滞だろうな。

それにしても、戦場ヶ原の国道に車を駐めて、撮影している
カメラマンの多いこと。
駐車場が近くにないならまだしも、赤沼も三本松も駐車場がある
これではカメラマンの評判が悪くなるのも当然ですね。
10月2日のブログ「最低なカメラマンはどんな人」を
読んで欲しいな


快晴の尾瀬を歩く・鳩待通り編

2012年10月17日 | 登山

鳩待峠、(個人情報保護のためモザイクを入れました)
さわやかな秋空が広がる鳩待峠、乗り合いタクシーの
運転手の方は、「昨日は寒かったが今日はちょうど良いね
今日は一日晴れの予報だから、良かったね。」そして
バスの最終便は4時半だから、それまでには帰ってきてね」
と念をおされた。

今回の一周コースは、鳩待峠までマイカーで来るつもりで
計画したので、帰りの時間は気にしていなかった。
やばいな、ゆっくり歩いている暇はなさそうだ。
だいたいのコースタイムが頭の中を駆けめぐる。

時計を見たら9時少し前である。


アヤメ平に向かう鳩待通りは、鳩待山荘の脇が入口である
入口のポストに登山届けを入れて出発


最初は色づいた木々の間を、根っこと石を避けながら
登ってゆく。


落ち葉の散り敷く登山道は、前回は滑りやすかったが
今回は、すっかり乾いていて歩きやすい。


黄葉した明るい木々の間を歩くのは、気持ちも明るく
してくれる。
このコースは、木道が有ったり無かったりと、とびとびに
施設されている
新しいものは。平成22年のマークが入っている。
と思えば、ぼろぼろの古いものも有ったりする。


真っ赤なカエデの葉が道を埋め尽くして、思わずカメラを
向けた。
ネマガリダケやダケカンバの林の中に、真っ赤に紅葉した
カエデがところどころにあり、近寄れないのが残念だ


紅葉した樹林の上に、高くて薄い雲が広がる鳩待通りの空


時々、樹林の間から至仏山が顔を見せてくれる


やっと一つ目の道標にたどり着いた。
鳩待峠から1.2Kmの表示があった。
GPSで記録を取っていたら、数人の中高年グループが
追い越していった。


今回歩いたコースの軌跡図、画面に入りきらない為二万5千図を
二分の一に縮小してあります。
山の鼻でトイレに入ったので、GPSの軌跡が乱れていますが
他はほぼ正常です。

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      お知らせ
  熊に注意!!

山の鼻から鳩待峠に帰るとき、5~6人が立ち止まっているので
どうしたのか聞いてみたら
この先に熊がいる」と言うのです。
一人の男性が、携帯で撮った熊の写真を見せてくれました
「子供の熊ですね」 と言うと 「子供がいれば親もいますよね」と
そばの女性が言う。
「そうですね、1歳になるまで母親がそばにいるはずです」と
答えると 「母親がそばにいたらやばいですよね」と不安そうだ
「音を立てて歩けば、向こうから逃げてくれますよ」 私は言った
すると男性が大声で叫びをあげた
先頭にいた若者が「あの木の陰に逃げましたよ」と指さす
笹が揺れていたが熊は見えなかった。

この時期は、冬眠を前にして、熊が活発に動く時期です。
尾瀬を歩くときは、熊鈴などをつけて歩きましょう。


ヨッピつり橋はただいま工事中につき通行止めになっています
東電小屋や三条の滝に行かれる方は、見晴十字路経由で回りましょう
工事は10月30日までの予定です

また、竜宮十字路から竜宮の間で、木道の付け替え工事をしています
その間は、仮の木道が湿原に直接敷いて有るため、不安定です
通行には充分注意しましょうね。

山の鼻から鳩待峠にかけても、数カ所で護岸工事をしています
そのため、ヘリで資材運搬をしているため、騒音がします




快晴の尾瀬を歩く

2012年10月16日 | 登山

横田代から至仏山


横田代から富士山、中央にうっすらと頭の部分が
見えている。


アヤメ平から至仏山


アヤメ平から燧ヶ岳


長沢新道の紅葉、尾瀬ヶ原の竜宮十字路に抜ける木道の
脇の斜面が、紅葉が多くて赤く染まっていた。

天気がよさそうだったので、尾瀬に足慣らしに行った
戸倉に8時頃に着いたら、鳩待峠の駐車場が満車で
戸倉第一駐車場に止める事になってしまった。平日なのに。
バスだと帰りの時間が制限されて嫌なのだが、これでは
しょうがない。

乗り合いタクシーで9時近くに鳩待峠に着いて
横田代→アヤメ平→富士見田代→長沢新道
→竜宮十字路→牛首分岐→山の鼻→鳩待峠の
一周コースを歩いた。

横田代を過ぎたら、雲一つ無い快晴になり、鳩待峠に戻るまで
雲が出ないという奇跡ような天候だった。






筑波山の秋の花・サラシナショウマ

2012年10月12日 | 写真

筑波山の林道に咲くサラシナショウマ(晒菜升麻)
キンポウゲ科サラシナショウマ属、多年草、花期8月~10月
その昔、この草の若葉を採ったら、流水に1~2日ほど
晒してゆでて食べていたという事から晒菜(さらしな)が付き
根を乾かして升麻という生薬を作っていた事による名前


茎の上部で枝分かれし、白色の長いブラシの様な
花の集団になる。
花の穂の長さは10~30センチ。
1つの花の内、白色の花弁状の萼と、萼より小さい花弁は
開花すると落ちてしまう
残るのは多数の雄しべ。花には柄があるので白いブラシは
太く見える。
雄しべの長さは長さは5~6ミリ。へら形で先の方が
太くなっている。
雄しべの数は多数。雌しべの数は 2~8個。
花後に実(袋果)をつける

サラシナショウマのアップ


フユイチゴの花


ミズタマソウ


オオナルコユリの実


実についた水滴に写るものは


キンミズヒキノ葉が紅葉していた


アケボノソウと蟻、何故アリが来るかというと、緑色の斑紋は
蜜腺溝と言い蜜を分泌する
(2013年9月説明を追加した)


アケボノソウの立体的横顔











Windows 8 の予約が始まりましたね

2012年10月12日 | 日記
各PCショップや通販で一斉に Windows 8 の予約が
始まりましたね。
特に、今回の目玉は、現行のOSからアップグレードできる
アップグレード日本語版、価格が5千円台から6千円台まで
ショップによってバラケているので、安くて良いものを買いましょう

Windows XP、Windows Vista、Windows 7を、Windows 8 Pro
アップグレードすることができるそうです。

ちなみにヨドバシカメラさんでは特価6080円

ビックカメラさんも同じだね

ロジテックさんは6千円を切っているね、興味のある人は
検索してみてね。

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日光白根山の五色沼の紅葉は終わった。後は雪を待つばかり。
これから日光の山に登る人は、防寒対策が必要です。
風が吹くと震え上がる寒さです。戦場ヶ原でも氷点下を記録してます

竜頭の滝の見頃は、来週前半かな
早朝は大混雑するし、日もあたらないので撮影時間は
考えた方が良いですよ。


私のお薦めは、ミズナラの黄葉、色づきが始まったので
もうすぐ見頃になる
見頃の期間は短い、あっという間に散ってしまうから
見逃さないようにしましょう。

中禅寺湖周辺の紅葉は、まだ色づきが始まったばかりです
このブログのブックマークに入れてある、日光湯元ビジターセンターや
日光自然博物館に紅葉情報が出ています。

福島県の観光有料道路の紅葉情報はこちら
浄土平や磐梯山の紅葉情報も出ています。
申し込み用紙に書いて申し込めば、最新の紅葉情報PDFがメールで
配信されます。

速報に未掲載の那須の紅葉

2012年10月11日 | 写真
10月9日の「速報、那須・姥ヶ平の紅葉」に未掲載の
写真を公開します


ひょうたん池の木道から那須岳


姥ヶ平の紅葉

以下の写真は、牛ヶ首に登る途中で撮影したもの
日がかげっていたが、赤色がきれいなので掲載する







ほぼ同じ位置から、日が当たったものと、あたらないもの



左の砂地の(木の無い)ところが姥ヶ平である

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      紅葉情報

奥日光の竜頭の滝がほぼ見頃との事です



奥日光の五色沼の絶景目前で撤退、その5

2012年10月10日 | 登山

国境平の分岐から五色山に向かうルートは、以前のルートが
雨で流され深くえぐれてしまった為、新たに笹を刈り込んだ
土手道を歩く。
しかもかなりの急登である。
またもや、あえぎあえぎ登って行くと、若いカップルや中年の
カップルが降りてきた。

疲れて休みたかったので、道を譲ったら「登り優先だから
お先にどうぞ。」譲られてしまった。
そう言われては登らざるを得ない。息切れを気づかれない
ように小走りで登った。(ああしんど)


このピークを超えて進むと、小さく開けた場所に出る
毎回ここで小休止をする。
アクエリアスを飲むと、どっと汗が噴き出した。

再び樹林帯を越えて尾根道を登って行く
やがて湯元側の展望が良くなると、笹原の緑の向こうに
鮮やかな紅葉が見えてきた

日当たりの部分を、雲の影の部分が引き立て役のように
沈んでいる。

広い笹原の上を登ると、五色山山頂のすぐしたの尾根に
出る。
そこから右の道を上ると、ようやく五色山の表示が出ている
山頂に着いた

五色山山頂、2379メートル 三角点は無い


目の前には、紅葉した日光白根山がそびえている。
そこから座禅山の方に延びる尾根に進むと


遙か彼方に燧ヶ岳の双耳峰のように見える山容が
小さく見えた

五色沼の方を見下ろすと、斜光線を浴びて紅葉した
木の形が浮かび上がっていた。





五色沼の水の色


五色山と前白根山の鞍部の紅葉


五色沼避難小屋周辺の紅葉

山頂の石に腰掛けて遅い昼食を摂った
流れる雲が白根山に影を落として移動していく
時計を見るともう午後の2時に近かった

秋の日はつるべ落としというように、日が暮れるのは早い
フルーツゼリーを流し込んで立ち上がったが
思い直してコーヒーを入れた。
疲れているときに、暖かいコーヒーは心身をすっきり
させてくれる。
難所を越えて下るには、ボケた状態では危険だからだ

後から登ってきた数人の登山者に「お先に」と声を
かけて、五色山から下山した。

がやっぱりあの金精山の難所の下りでは冷や汗を
かいたのだった
金精トンネル前の駐車場に着いたら、もう4時過ぎていた
満車だった車で、残っていたのは2~3台である
もうそこまで夕闇が迫っていた。
 
おしまい。