花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

内視鏡検査終了

2010年11月29日 | 日記

霞ヶ浦の日の出、宝篋山の尾根から

このところ胃腸の調子が悪かったので、先日、内科の診察を受けたところ、内視鏡の検査と超音波の検査を
する事になり、今日その検査を受けてきました。
検査の為、朝食抜きなのに、検査が昼頃だったので、疲れました。
その上、内視鏡を入れやすくするため、喉の麻酔を掛けたので、麻酔が切れるまで、水も食べ物も禁止され
朝食を食べたのは、午後の2時半過ぎでした。

麻酔が効いている時に食べると、気管に誤飲する可能性が有って危険なのだそうです。

検査結果は、重大な病気は無いとの事で、とりあえずホットしました。
自分では、癌を疑っていたので、また山に行けると思うと嬉しいです。
それでも、依然として胃腸の調子が良くないので、手放しでは喜べない気分です。


霞ヶ浦の日の出、上の写真から15分後、太陽が上の雲に隠れ、廻りが黄金色に染まった。


朝日峠から見るスカイツリー、完成すると宝篋山よりも高いのが気に入らない(笑)


同じ朝日峠から牛久大仏、朝靄の中に立っている姿は、風の谷のナウシカに出てくる巨神兵のようだ。


子授け地蔵の駐車場から富士山、肉眼でははっきり見えても、写真で撮ると霞んでしまうね

注・牛久大仏は、高さ120メートルのギネス認定の大仏
詳しくは、こちらをご覧下さい 牛久浄苑

市民がまもる生物多様性フォーラムが開催されます

2010年11月25日 | ボランティア
高知県でマーキングされた「アサギマダラ」が、台湾の島で捕獲・確認され、1700キロも
渡りをした事が証明されました。
長距離の渡りをする蝶として知られる「アサギマダラ」でしたが、あの身体のどこにそんな
エネルギーがあるのでしょうか。しかも何の為に渡るのか、興味が尽きませんね。
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ところで今度、埼玉と東京で「市民がまもる生物多様性フォーラム」が開かれる事になり
参加者を募集しています。

12月4日 (土) 埼玉会場 ~仲間の集め方・活動の伝え方~

12月15日 (水) 東京会場 ~市民団体と企業の連携について~

主催は、「関東地方環境事務所」

詳しくはこちらをご覧下さい
日本生態系協会


やったぜ!!男子サッカー金メダル

2010年11月25日 | スポーツ

風返し峠から筑波山

DF實藤が値千金の決勝ゴール
A代表が一人もいないという雑草軍団が奇蹟の金メダル!

試合は、UAEにボールを支配され、相手シュートがバーを叩くという幸運にも恵まれ
0対0のまま後半へ、後半28分、コーナーキックを得て、ショートコーナーを使って
東から水沼へ、水沼が右にふってペナルティエリアへ、走り込んだDFの實藤がゴールの
左すみに豪快にけり込んだ。

解説の金田さんも我を忘れて思わず絶叫するという見事なゴールでした。

これで日本は、男女共金メダルという史上初の快挙を成し遂げました。
見ていない方は、今夜NHKで夜中に放映するので是非見てください。
興奮間違いなし !!
BSのTBSはおいしい試合を放送したね。


ゴルフ場の森


筑波山麓の里景色

筑波山周辺の紅葉

2010年11月24日 | 写真

つくば市上菅間の桜川の土手から筑波山・午後2時40分
山麓まで色づきが始まった。



以前にも紹介した薬王院のもみじ・もうすぐピークになりそう。


裏から見上げる薬王院のもみじ


(薬王院の下にある)つくし湖と筑波山・午後3時15分


真壁町の地蔵橋の先から筑波山

関東のもみじ寺「本土寺」を紹介します

2010年11月21日 | 登山

関東にも京都に負けない「もみじ寺」が有ります。

カメラマンの間で有名な松戸市の本土寺です。
本土寺の紅葉情報は、本土寺のホームページに掲載されます。
今年も今日から掲載が始まりました。
ホームページはこちらです。本土寺


ここに掲載の写真は2008年に撮影したものです。









夜にはライトアップも有りますが、昼の部から通しで居る事は出来ません。
昼の部が終わったら一旦全員外に出されます。
夜の部は、改めて利用料金を払います。
また早朝以外は、三脚の使用が禁止されていましたので、本土寺のホームページで確認されるようにお薦めします。
以下の写真は、ライトアップを手持ち撮影したものですが、みんな手ブレでした。(苦笑)
お薦めは池に写る「逆さもみじ」なのですが、混みます。







今週は天気イマイチなので、晴れた日は混むかも。

筑波山へのパイパス完成

2010年11月19日 | 登山

夕日を浴びる筑波山・洞下にて19日撮影、手前が男体山、奥が女体山(右奥)

筑波山周辺の渋滞緩和の為、かねてから工事中だったバイパスが11月1日に完成しました。
パイパスは、国道125号線の田中の交差点までだった、国道408号線を延長する形で
筑波山口に抜ける県道214号線まで延長されたもので、国道408号線を125号線の田中
の交差点そのまま直進すれば、県道214号線に突き当たり、そこを右折すれば数百メートル
で筑波山口に到着します。
つまり、県道214号線に突き当たったら、右折して直進すれば筑波山の神社まで行けると
言うことです。

つくば市内を走っている二つの大通り、西大通り(国道408号線)と東大通り(県道55号線)
を筑波山に向かって走ると、やがて二つの大通りは市原病院の前で交差します。
この西大通り入り口交差点で、西大通りを来た人は左折、東大通りを来た人はそのまま直進
すれば、国道125号線の田中の交差点に抜けます。
この田中の交差点から県道214号線までの区間が、新しく出来たバイパスで、右に筑波山を
眺めながら直進すれば、中菅間の交差点に突き当たり、右折して桜川の橋を渡れば筑波山です。
125号線から筑波山に行く場合でも、このバイパスを利用した方が早いかも。

詳しくは、茨城県土浦土木事務所のホームぺージをご覧下さい。

茨城県土浦土木事務所のHP

追記 記事中に一部誤りが有りました。
県道214号線を、県道14号線と記載してしまいました。
お詫びして訂正いたします。

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紅葉した筑波山が夕日を浴びて真っ赤になり、さながら赤筑波山でした。2002年11月26日午後4時19分撮影。
その後、このような筑波山を見た事が有りません。少し不気味でした。

このところ体調不良で山に行けません。
歯医者に行ったり、内科に行ったりのへたれ爺になってしまいました。
今日はとうとう女医さんにエコーと内視鏡検査の検査をするように宣告されました。
雪が降る前に、あと一つか二つ山に登りたいなー。

筑波山麓・霞ヶ浦水源の森づくりに参加して

2010年11月13日 | ボランティア
今日は、筑波山麓の霞ヶ浦水源の森づくりにさんかしてきました。
腰痛もだいぶ良くなったので、刈り払い機を持参して参加しました。

先月100名を越える参加者で、稲刈りをした棚田の脇の山が、今日の作業場所です。


作業小屋に着くと、すでに大勢の参加者が集まっていました。
今日は子供たちの行事も同時進行で行われるので、親子で参加している方もいて、賑やかな
声が響いていました。

何故か、「田舎暮らし」の雑誌を出している出版社から、記者とカメラマンの方が取材に見えていて
作業風景を撮ったり、昼の休みに参加者にインタビューをしていました。
どんな内容か判りませんが、そのうち「田舎暮らし」の雑誌に載るかも知れません。

山の斜面に入り、手刈りの部隊と、刈り払い機の部隊に別れて、密生した笹藪を刈る作業が始まり
私も、刈り払い機で参加しました。
始める前は、腰痛の事が心配でしたが、何とか痛みもなく作業が出来たので、ホットしましたよ。

昼ご飯には、自分たちで植えた椎茸がたっぷり入った豚汁が振る舞われ、ゆずの刻みを薬味で入れると
ゆずの香りが食欲をそそります。
思わず何杯もおかわりする参加者もいて、日だまりの野外で食べる幸せを感じていました。

参加していただいた皆様、おかげさまで綺麗になりました。
主催者に成り代わってお礼申し上げます。(笑)


作業小屋と筑波山


作業風景


作業風景2



下刈りした笹や木を集めて燃やす人達


食草のクワの木を刈られて、キボシカミキリも困惑の様子です。
と言っても、切ったのは今日では有りませんからね。
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腰痛で静養中

2010年11月11日 | 日記

つくば市 科学万博記念公園にて、落日の木漏れ日


先日の霊山の登山で、腰痛を発症!して、痛みをこらえて歩き、何とか無事に帰って来ましたが
痛みが取れないため、月曜日に病院に行き、整形外科の診察を受けました。
レントゲンでは骨の異常が無く、筋肉の伸びによる腰痛だろうとのことで、痛み止めと湿布薬を
貰って、ようやく歩けるようになりました。

まだ歩くと痛いのですが、元来じっとしているのが大嫌いなので、近くの万博記念公園に行って
銀杏の黄葉を眺めてきました。
歩けるって幸せですね。


夕暮れの散歩道 科学万博記念公園の銀杏並木1


最近買った古本

一つは昭和18年2月発行の「川崎隆章」編の「尾瀬と檜枝岐」の初版の分厚い本。
もう一つは、尾瀬の植物学の父、「武田久吉博士」著の「原色日本高山植物図鑑」のⅠとⅡ
こちらは昭和52年11月と54年10月発行の増補改訂版。

今更なんでそんな古い本を買ったかというと、自分が尾瀬保護財団の友の会に入っているせいも
有りますが、尾瀬の年表を見ていると、武田久吉博士が尾瀬の自然保護を訴え始めた著名人の
一人でもあり、その略歴を見ると実に興味深い生い立ちでもあったからです。

武田博士の父は、幕末のイギリスの外交官「アーネスト・サトウ」で、明治中期の日本滞在中に
日本女性の武田兼を内妻として、三人の子供をもうけ、武田久吉は次男であった。
入籍はしなかったものの、認知と援助は惜しまず、特に久吉はロンドンに呼び寄せ、植物学者として
育て上げた。
アーネスト・サトウは、公式的には生涯独身で有ったが、晩年は孤独に耐えかね、家族のいる
日本に移住しようとしたが、病に倒れて果たせなかったという。

ちなみに、「サトウ」というのは、日本名ではなく、スラブ系の希少姓で、彼の父デーヴィットが
当時スウェーデン領生まれのドイツ人だった事による。
(以上 フリー百科事典「ウィキペディア」から抜粋引用と加筆)

私が中学生の頃、このアーネスト・サトウを日系人だとばかり思っていた。
まさか外国にも「サトウ」という名字が有るなんて、想像もしなかったから。
当時、ジョン万次郎漂流記とかも有ったしね。

武田久吉 略歴
東京都生まれ、1883年~1972年
1912年、ロンドン王立理工科大学卒 植物学専攻、理学博士
日本自然保護協会理事、日本植物学会名誉会員を歴任
尚、日本山岳会の設立にも尽力し、第6代目の会長も務めた。



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イベントのお知らせ

10月26日の日記でも紹介した「筑波山麓・霞ヶ浦水源の森づくり」が今週末の13日(土)に開かれます。
参加を申し込まれた方、お待ちしていますね。

環境地域づくりフォーラムがつくば市で開かれます。

地球環境パートナーシッププラザ(GEOC)主催の 広域関東圏環境ミーティング「環境地域づくりフォーラム」が開かれます。
現地見学&ワークショップがつくば市で開かれる事になり、つくば環境フォーラムの活動が取り上げられ
現地見学とワークショップで代表の田中さんが発表する予定です。

詳しくはこちらにお問い合わせ下さい
環境パートナーシップ

詳しい資料はこちらをご覧下さい。
環境地域づくりフォーラムのチラシ

腰痛発症で伊達市・霊山(りょうぜん)に登る

2010年11月06日 | 登山
今日は、花友と福島県伊達市にある霊山に紅葉を見に行きましたが、何と言うこと
登山靴を履くときに、腰をひねって腰痛になってしまいました。
もともと持病だったのですが、こんな時に発症するなんて最悪です。
脂汗を流しながらの紅葉登山となりました。


というわけで、写真を少々にします。駐車場から見上げる霊山の午後

霊山は古い歴史に彩られた岩山である。
南北朝時代に、北畠顕家が伊達氏の霊山城にこもり、後醍醐天皇の命により、足利軍を攻撃するため
建武4年(西暦1337年)8月11日に出陣するまで、半年間もいた場所である。
翌年、戦いに敗れて和泉の国で戦死したとき、顕家は21歳の若さであった。

もともと北畠は村上源氏の流れで、貴族であったが、顕家の父の親房は大納言であった。
後醍醐天皇は、わずか16歳の顕家を陸奥守として多賀城に派遣し、父親の親房を補佐役とした。
一時期は、陸奥守として京に上り、足利軍に大勝利した時期もあったが、陸奥の豪族の反乱が続き
多賀城から霊山に移ったのであった。

時は移り変わり、霊山の城跡はわずかに礎石を残すのみで、昔日の面影もない。
梢を揺らす風の音のみが山々にこだまし、もののふの涙のごとく枯れ葉がちるのであった。


弁天岩からの眺望・午前中は曇り空だったが、午後になると晴れて輝きを増した紅葉


西物見岩から眺める紫明峰、天気が良ければ背後に磐梯山が見える。さらにその左には
以東岳や大朝日岳がみえるときもある。


駐車場から見上げる奇岩の多い霊山の紅葉


車道から見上げる霊山

伊達市霊山についてはこちらをご覧下さい
伊達市の観光ポータルサイト だてめがね

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独眼竜正宗と呼ばれた伊達政宗のルーツは、ここ伊達市にある。
もとは常陸の国の中村一族が、源頼朝の奥州征伐に従い、戦いの功により頼朝から伊達郡を賜った。
後に氏を中村から伊達と称するようになったのが始まりである。

人間の究極の幸せとは

2010年11月05日 | 日記


何気なく読んだ本に、心に響く言葉がある。
2009年5月、娘の嫁ぎ先に行くために、新幹線に乗った。
その時に暇つぶしに買った「週刊ダイヤモンド」に、今こそ大切にしたい会社という特集が有り
三つの会社が紹介されていた。
そのうちの一つに「日本理化学工業」の記事があり、同社は社員47人のうち7割に当たる
33人が知的障害者であり、しかも6割が重度の障害を抱えているという。


(菅沼)

そもそも同社は、最初から障害者を採用していた訳ではない。
事の始まりは、1959年の秋、近くの養護学校の教師が、春に卒業を控えている二人の少女の
採用を御願いに来たことに始まる。
知的障害者では無理だと思った大山会長は、断った。
しかし、その教師は、またやってきた。
二度目も再び断った。そして3度目にやってきた教師は、雇ってくれとはいわずに、次のように言った。
「この子達は、卒業したら施設に入る。すると一生、働くという事を知らないまま、この世を
去ることになる。一週間で良いから、就業体験をさせてやって欲しい。」と
そのくらいならと大山は、二人の少女を受け入れた。

それから一週間、二人の少女は幸せそうに、一心不乱に仕事をしたという。
昼休みのベルが鳴っても手を休めようとはしなかった。

約束の一週間が過ぎる頃、そんな様子を見てきた社員達が、全員で大山を囲んで言った。
「彼女たちを正社員として採用してやって欲しい、彼女たちが出来ない部分は、我々がカバーするから」
二人の働きぶりを見て、心を動かされていただけに、大山も採用を決めた。
だがあくまでも同情に過ぎなかった。たった二人ならという思いがあったからである。


(白根山)

だが大山は不思議だった。施設に入れば、身の回りの世話をしてもらえて、一生のんびり暮らせる筈だ。
苦労して毎日休まず工場に通い、仕事をしたがるのは何故なのかと。

有る法事の席で、隣にお坊さんが座ったとき、大山はなんの気なしにそんな疑問を口にした。
お坊さんはこう答えた。
人間の究極の幸せとは、人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、人に必要とされることの四つです。
施設が人を幸せにすることは無い。企業だから彼女たちを幸せに出来るのです」と。

工場で働くということは、社会で必要とされているという幸せを実感出来る行為だったのだ。
そう気付いた大山はその後、積極的に障害者を雇用するようになっていった。

(以上週刊ダイヤモンドの記事から引用加筆した)

その後についてこう書かれている。
これまで一人も辞めたものはいない。そして、最初の二人の少女を含め、三人が65歳の定年を迎え
仕事人生を全うしている。
(記事全文を読みたい方は、バックナンバーを購入してね)

さてそれでは仕事をしている人達は、幸せを感じているのだろうか。
能率と利益しか追求しない会社では、過労死さえ起きているし、思想や信条で差別すねる会社もある。
そんな会社は、大切にしたいとは思わないだろう。

もう一度四つの条件をかみしめたい。
どれか一つで良いのだから。


(瀬戸合峡)

大真名子山の写真点描

2010年11月04日 | 写真

山頂から見る三角点の有る場所・右の尾根の上に黄色の印を入れたあたりである。
背景は、手前から太郎山、山王帽子山、三岳が並ぶ、麓を唐松の黄葉が染める


大真名子山の三角点、廻りがうっすらと雪に包まれている。


登山口から登って唐松林を過ぎると、樹林帯の中に最初の神像、八海山神像が有る。
大きな倒木が、わずかに神像から外れて倒れかかっている。これも神の力か。


荒れた登山道の急登が続く、廻りはコメツガなどの樹林帯で展望はあまりない。


やがて右前方に大きい岩が見えてくる。つららが無数に下がっていた。


久しぶりに大きなつららを見た。
昔、田舎の山では、喉が渇いたとき、つららを折って口にしたものだが


大岩を左に迂回して登ると、第一のクサリ場が有る。右下の根元にクサリが見えると思う。
ここを上の岩まで登ると、やや平坦な尾根になる。


再び樹林帯に入り、又山腹を登るようになると、昨日紹介した三笠神像の場所につく。


三笠神像の後ろから見る男体山、山頂の雲が取れ白い樹氷が見える。


三笠神像から再び急登の連続になり、その先に最後の難所「千鳥返し」が待っている。
この写真は千鳥返しの上半分に当たる場所で、上の岩の間から千鳥返しの札が下がっている。
上から覗くと、ほとんど垂直に見える勾配である。

(注) 昨日書いた「日光三険」を調べたところ、一つはこの「千鳥返し」で、あとの二つは
女峰山の山頂から帝釈山に掛けてのやせ尾根の「馬の背渡り」と、太郎山の登山道の一つ
「新薙」のガレ場だと言う。
「千鳥返し」と「馬の背渡り」は歩いたから、残りは新薙のガレばである。
いつかは歩きたいものだ。


千鳥返しを登り切ると、左側が切れ落ちた崖の上に出る。そこから明智平方面が展望出来る
右の暗い山裾が男体山で、その山裾の奥に白い建物の影が映っているのが明智平
明智平の真後ろが薬師岳で、峰続きで左奥に見えるのが夕日岳、
高所恐怖症の私は、恐くて崖下を覗くことが出来なかった。
この写真は、右側の石に腰掛けて撮ったもの。千鳥返しより、こっちの方が恐かった。


山頂から見る女峰山、左のピークが帝釈山、右のピークが女峰山、間のやせ尾根が「馬の背渡り」
この馬の背渡りには、地図には載っていない山名が書かれた小ピークが有る。


2008年の7月中旬、馬の背渡りで見た山名「専女山」と書かれた表示があった。
設置者もいわれも判らない山名である。


こちらは、ご存知小真名子山、大真名子山とセットで語られる事が多い山である。
先日登った五色山から山頂の反射板が光って見えた。
私は、いまだに登っていない山なので、詳しくは知らないが、電波の反射板が有るという。
何の電波をどこへ反射しているのだろうか。


光徳周辺の唐松の紅葉が一面に広がって。

大真名子山は冬だった

2010年11月03日 | 登山
前回、大真名子山に登ったときは、体調が悪く山頂を極めただけで下山した。
今回は、三角点を探す目的で、再び大真名子山に行った。
朝の5時半に光徳に着き、林道に入ったらいきなり倒木が有ってびっくりした。
何とか移動しようとしたが、びくともしない。
やむを得ず、脇をなんとかすり抜けた。
志津林道に入ると、粉雪が舞い、道は凍り付いている。
6時頃、志津乗越に着いたが、すでに先客で駐車スペースがない。
少し戻って道路脇のスペースに止めた。

見上げると男体山の上は、雪雲がかかって吹雪いている気配だった。


雪と氷の志津林道。


見晴らしの良い尾根にある三笠神像

最初はうっすらと粉雪のつもった唐松と笹原の登山道を登ると、最初に八海山神像がある。
そこからはコメツガなどの針葉樹の樹林帯になり、悪路の急登が連続する。
いい加減登った頃に、見晴らしの良い尾根があり、そこに祭られているのが上の三笠神像である。


三笠神像の後に廻ると、雄大な展望が開ける。
右手前は光徳方面、左前方は戦場ヶ原、奥は白根山を盟主とする山々だが、雪雲がかかって
かなり荒れ模様に見える。


頂上には、衣冠束帯の蔵王権現が祭られている。左に見えるのは太郎山

頂上の手前に、日光三険の一つと呼ばれる難所がある。
後の二つがどこなのか知らないが、クサリとハシゴの険しい崖を登る。
ご丁寧に「千鳥返し」などと名札が下げてある。
前回はそれ程でも無かったが、雪で滑る今回は、下りに難儀した。

途中で温度計を見ると氷点下6度であった。
寒い訳である。
頂上に着いたら、ひゅーひゅーと風も鳴って、体感温度は一気に下がった。
相変わらず粉雪がチラチラと舞っている。
しばらく休むつもりだったが、寒くてとても休んでいられない。

早速GPSを取り出して三角点を探した。
どうやら蔵王権現の前から、岩を乗り越えて太郎山に近い尾根上に有るようだ。
確かに、かすかな踏み跡が続いている。
だが、石楠花などの木々が覆い被さり、藪こぎを強いられた。
あげくに石の間には、ポッカリと穴が開いていたりする。
雪が積もったらこれはヤバイルートになる。

やっと三角点にたどり着いた。
三角点と、廻りの景色を写真に納めて、早々と引き上げた。
神社の前に戻ると、風も幾分弱まったので、暖かいコーヒーを入れた。
何気なく南東方向を見ると、なんと影絵のような筑波山が霞の中に浮いていた。

山頂で記念写真を撮り、長居は無用とばかりに下山した。
下山の途中で単独の男性に会った。
今日、大真名子山に登ったのは、おそらく足跡のあった一人を含めて、3人だけだったろう。
志津乗越に着いたら、12時頃だったが、朝よりも車が沢山有った。
林道の雪も溶けていた。
光徳に下っていくと、唐松の落ち葉が道を染め、唐松の影が尾を引いていた。



追記 地名に誤りが有りました。光徳を古徳と書いていましたので訂正いたしました。
   申し訳ありません。