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工藤幸雄「ぼくの翻訳人生」(中公新書)

2008-05-29 21:12:34 | 読書
 工藤幸雄「ぼくの翻訳人生」(中公新書)を読みました。

(以下Amazonの「内容紹介」より引用)
翻訳を手がけて半世紀。著者はポーランド語翻訳の第一人者であり、ロシア語、英語、仏語からも名訳を世に送り出してきた。満洲での外国語との出会い、占領下の民間検閲局やA級戦犯裁判での仕事、外信部記者時代の思い出。翻訳とは、落とし穴だらけの厄介な作業だという。本書は、言葉を偏愛する翻訳者の自分史であると同時に、ひとりの日本人の外国語体験の記録でもある。トリビア横溢の「うるさすぎる言葉談義」を付した。
(引用終わり)


 昔、ミロラド・パヴィッチというセルビアの作家が書いた「ハザール事典」という小説を読んだことがあります。かつて中央アジアに存在したハザール王国というユダヤ教徒の国について、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の3者の立場から書かれた文献をもとに編纂された事典を復刻した、というスタイルを取った非常に変わった小説です。それだけでも十分に奇書の資格があるこの小説は内容も難解で、中東、東欧の地理、歴史についてある程度知識がなければ読み進めることはつらいと思います。
 ただし、翻訳の日本語は非常にこなれており、翻訳本にありがちな読みづらさはありません。こんな世にも風変わりな小説を見事に翻訳した(セルビア語からではなくフランス語訳からの重訳)のが、本書の著者、工藤幸雄氏です。

 工藤幸雄氏は我が国におけるポーランド語翻訳の第一人者であり、英語、フランス語、ロシア語もこなすという、私のような語学ダメ人間から見れば雲の上の人のような存在です。そんな工藤氏の翻訳家人生を綴った本書はなかなか興味深いです。
 工藤氏が少年期を過ごした満州国奉天のインターナショナルな雰囲気、英訳のアルバイトをしたGHQ、冷戦下のポーランドをはじめとする東欧の文学者を取り巻く状況などの描写は、一つの時代の証言として貴重な記録でしょう。梶山季之や島尾敏雄など、有名な文学者との交流も盛んであったこともうかがえます。

 なお、「ちょっとうるさい爺さんだなあ」と思わずにはいられない発言が本書の随所に見受けられます。これをやや不快に感じる読者もいらっしゃるかもしれませんが、私は面白く読みました。特に外国語学習と日本語へのこだわりについての彼の主張には、確かにうなづける点が結構あります。

 「外国語を身につけようとするには大変な労力が必要だが、見返りは小さい。それでもやりたい人間が挑むべし」
 「翻訳大国の日本では無理に原書を読まなければならない場面は少ない。外国語を学ぶ他に人生でやるべきことは多い」
 「『所以』、『不撓不屈』も読めない者は外国語を学ぶ資格はない。まずはしっかり正しい日本語を学ぶべし」
 「最近のNHKの語学番組は、楽しく遊びながら外国語が身につくかのような作りになっているが、それは大きな間違い」
 …などなど。

 いや確かにごもっとも。しかし、かつて私はポーランドで「ジェイン・ドブリィ」(こんにちは)と挨拶したところ、相手が「おお!お前は東洋人なのにポーランド語を知っているのか!」といったような反応を示し、(その後は通訳を介したとはいえ)打ち解けて話ができた、という嬉しい経験をしたことがあります。工藤氏のように外国語を完全にマスターできなくとも、「こんにちは」と「ありがとう」に相当する外国語を話せるだけでも、自分の世界が広がることは結構あるわけで、人生のほんの一部の時間を使って中途半端な外国語学習に費やすのは悪くはない、と思います。