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ニール・ガーシェンフェルド 「ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け」

2008-05-11 21:08:28 | 読書
 先日このブログで取り上げた(こちら)DIYの情報サイトMake:Japanのことをもう少し調べようと思い、トップページに出ているMake:Technology on your timeという雑誌の創刊号サンプル(PDF)をダウンロードして読んでみました。なんともぶっ飛んだ内容といい、出版元がO'Reillyという有名なコンピュータソフト専門の出版社であることといい、なんとなく予測はしていましたが、そこにMITのビット・アンド・アトムズセンター所長のニール・ガーシェンフェルド氏のインタビュー記事が掲載されているのを見つけ、「ああやっぱり」と思いました。

 以前、ガーシェンフェルド氏の 「ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け」(ソフトバンク・クリエイティブ)という本を読んだことがあるのですが、これは印象に残る本でした。
 かつて巨大で一部の特殊な領域でしか使われなかったコンピュータ。これが個人でも所有できるようになり、さらに個人が開発したプログラムやツールが人々に共有されたことで進化していった結果、情報の世界は大きく変貌したわけです。工作機械などの生産設備もこうしたコンピュータと同様の歴史をたどり、個人が欲しいモノを個人自らが設計、生産し、さらに設計や製造の方法もオープンソースで情報を共有するようになる、という「ものづくり革命」をガーシェンフェルド氏は構想し、実際に活動しているのです。Make:Technology on your timeという雑誌も、彼の構想に沿っているようです。

(以下「ものづくり革命」の序章より引用)
 昔は、コンピュータといえば限られた市場しかない高価な機械であり、特殊な技能を持ったオペレーターが特別な部屋で反復作業に使う大型汎用コンピュータと相場が決まっていた。当時のコンピュータの売り上げ予想をいま見ると、その金額の低さに唖然とする。計算機能の実装技術が発達したおかげで、普通の人々がパーソナルコンピュータという道具を介して計算機能にアクセスできるようになった結果、かつてない勢いで新しい仕事や遊びが続々と誕生した。
 しかし、コンピュータ自体(コンピュータに限ったことではないが)をつくる機械は、相変わらず市場の限られた高価な道具であり、特殊な技能を持ったオペレーターが特別な部屋で反復作業に使うものにとどまっている。大型汎用コンピュータがパソコンに代わったのと同様に、やがて世間一般の人々がパーソナルファブリケータ(PF)という道具を介して工作機械の機能にアクセスできるようになるだろう。しかも、この変革によって人々が個人のものにするのは、ビットから構成されるコンピュータのデジタル世界ではなく、原子から構成される物質の世界であるため、その意味はコンピュータの変遷よりもはるかに大きい。
(中略)
 コンピュータの世界と同様に、工業生産の世界でも、これまで長い歳月にわたって、生産手段の所有・非所有が経営者と労働者を分かつ基準となっていた。しかし、工業生産の手段が簡単に入手できるようになり、設計を無償で共有できるようになれば、ハードウェアもソフトウェアと同様に、オープンソースハードウェアは、簡単なものづくりの機能を出発点として、パーソナルファブリケーションのような「オモチャ」に「本物の機械」の肩代わりができるわけがないと高をくくっている会社の足をすくうことになるだろう。両者の境界線はやがて消失し、現在市場と呼ばれているものは進化して、製造者から消費者へと切れ目無く続く連続体になり、一人から十億人までの広範囲にわたる市場にサービスを提供するようになるだろう。
(引用終わり)


 これは日本人からはまず出てこない発想でしょう。すごすぎます。
 ではどのようなものが作られているのか、というと、

 周囲に迷惑をかけずに叫ぶための携帯用パーソナルスペース「スクリームボディ」
 何者かが近づくとヤマアラシのような仕組みで接近を拒む「防御可能ドレス」
 アラーム音を止めるのに苦労する目覚まし時計
 マネの「横たわる裸婦」をモチーフにした自転車
  などなど


 「なんじゃこりゃ」なものが多く、とても技術的に水準が高いものとは思えません。
 しかしながら、自らの興味やニーズを満たすために個人によって開発されたコンピュータソフトがオープンソースによって共有され、多くの個人が開発に参加することによってマイクロソフトのような巨人を脅かすようなソフトウェアになっていった例もあることですし、もしかしたらハードウェアでも同じような変革が将来もたらされるのかもしれません。
 アメリカの知識人の構想のすごさに驚かされる本です。