クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

スキャンダルな素材 -詩人のゼミ(1) 幸田文『姦声』-

2006年07月25日 | ブンガク部屋
人にはものを“書く人”と“書かない人”の2種類がいます。
おおよそ、ものを書く人は“書く”という行為によって自己表現し、
己のアイデンティティーを満たそうとします。
そこには何らかのカタルシスも含まれているでしょう。

人を書くという行為に走らせるのは、
大なり小なり“動機”があるものです。
少なくとも、ぼくがこれまで出会った書く人に、
動機のない人はひとりもいませんでした。
ある人は失語症に陥ったため詩を書き始め、
ある人はトラウマに近いコンプレックスを癒すべく、
ペンを執っていました。
もちろん、そんなマイナス要素からの出発ではなく、
好きな作家や作品から影響を受けて書き始めた人もいます。
形はどうであれ、物語を求める行為が
すでにカタルシスに含まれているという意味において、
やはりそこには何らかの動機が存在しているのは確かです。

一方、書かない人はそんな動機がないかというと、
決してそんなことはありません。
人は何らかの方法で自己表現をするものです。
ある人は絵で、ある人は音楽で、ある人はおしゃべりでというように、
たまたま文字ではなかっただけのことです。
どの表現方法を選ぶかは、人それぞれの素質と言うほかありません。
中にはどんなものもこなしてしまう人間もいますが、
「三つ子の魂百まで」と言うように、
幼い頃に形作られるのがほとんだと思います。

ところで、書くという行為は、
ほかのジャンルではなかなか真似のできない特色があります。
それは“マイナスをプラスに転換する”ことです。
どんなに辛く嫌な出来事でも、
それを書くことによって精算・浄化することができるのです。
物事を客観視し、冷静に位置づけられるからでしょうか。
一般的にそれは“書かずにいられない”ことに入り、
特に日本の小説に顕著だと思いますが、
執筆で気持ちを揺さぶってならない対象と決着をつけた作家は、
数多くいることでしょう。

7月24日の正津勉先生のゼミこと「詩人のゼミ」で取り上げた『姦声』(幸田文作)も、
対象との決着をつけるべくして書かれた作品と思われます。
すなわち、その対象とは「男に襲われたこと」です。
『姦声』は、元使用人に強姦されかかった事件を描いた小説です。
幸田文の年譜と照らし合わせてみると、
実体験をモデルにして書いた小説である節があります。
小説で書かれたものが全て真実ではないにしても、
100%の虚構というわけでもないでしょう。
もしこれを実体験とするならば、
21年前に起きた事件を書いたことになります。
ちなみに、『姦声』は昭和24年6月に「思索」で発表され、
昭和22年のデビューからまだ間もない時期に書かれた作品でした。
幸田文はペンを執り始めて日の浅いときに、
21年前の事件を素材に選んだのです。

彼女にとってその事件は、どんなに歳月が流れても
決着のつかないものだったのかもしれません。
思い出すたびに怒りがこみ上げ、
記憶を葬り去ることなどできなかったのでしょう。
彼女はペンを執り、『姦声』を書きます。
換言すれば、それは過去の記憶の浄化と、
その対象に対する己の感情の精算でした。
章立てもなく、1行空きもなく、
最初から最後まで一気にペンを進めているその文面は、
彼女の対象への感情そのものを表しているかのようです。

『姦声』を書き上げたとき、
幸田文の胸中はどのようなものだったのでしょう。
また、書く行為の力によって、それまでマイナスだったその記憶は、
どんな変貌を遂げていたのか……
彼女の胸中を探るひとつの史料として、
『姦声』の書かれた生原稿を見てみたい気がします。
(「詩人のゼミ(2)」に続く)

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