クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

上杉謙信の命令で羽生にやってきた武将の一族は?

2011年07月26日 | ふるさと歴史探訪の部屋
羽生市井泉地区には“長光寺”というお寺が建っている。
『新編武蔵風土記稿』によると、“斎藤内左衛門”が開基したという。

内左衛門は今泉村の名主で、父に“盛秋”(もりあき)、
弟に“喜右衛門”がいる。
実は、この父斎藤盛秋は“上杉謙信”に仕えていた。
不安定な関東の情勢を懸念して、
盛秋を羽生城に派遣したのである。

その後、羽生城は勢力伸長を図る後北条氏によって維持が不可能となる。
そして、天正2年(1574)閏11月に自落した。
城兵は謙信に引き取られたが、
盛秋は羽生を去らなかったらしい。

羽生領は忍城主成田氏の支配するところとなった。
しかし、成田氏も天正18年の豊臣秀吉の小田原城攻めによって没落してしまう。

斎藤家はその後帰農したらしい。
内左衛門は前述のとおり、今泉村の名主となり、長光寺を開基した。
そして弟は新田を開発。
その場所を“喜右衛門新田”と呼ぶのはそのためである。

斎藤家の屋敷は、『羽生城と木戸氏』(冨田勝治著、戎光祥出版)によると、
小字「戸の内」を比定している。
これは「殿内」と考えられ、
長光寺を含んだ一帯が屋敷=支城であったのだろうと、冨田氏は述べている。

※最初の画像は戸の内(外の内)の遠景

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