クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生市で最大の古墳は? -永明寺古墳-

2006年09月03日 | 考古の部屋
埼玉県羽生市下村君の永明寺(ようめいじ)本堂の裏には、
羽生市最大の古墳が横たわっています。
「永明寺古墳」と呼ばれるこの古墳は、
かねてから近郷の歴史家たちに熱く注目されてきました。
昭和36年に市の文化財に指定されましたが、
それ以前にすでに調査はされています。

永明寺古墳は全長73m、高さ7mの前方後円墳です。
前方部に「文珠堂」(もんじゅどう)、後円部に「薬師堂」が建っており、
主体部は「薬師堂」の下に、荒川系の河原石と緑泥片岩を用いた
竪穴式の石槨があると推定されています。
かつては古墳の周りに堀があったと考えられていますが、
現在は完全に埋め立てられ、ときどき埴輪の破片も発見されるそうです。
昭和6年8月に永明寺の住職が試掘をしたところ、
数々の副葬品が出土しています。
それは、直刀二振・金環・挂甲小札(けいこうこざね)
鉄鋸・馬具類・衝角付冑などで、
最後の「衝角付冑」は現在羽生郷土資料館で展示されています。
(「最新出土品展-地中からのメッセージ-」2006年9月25日(月)まで)

群馬県太田市に東日本最大の前方後円墳「太田天神山古墳」があることから、
羽生・さきたま古墳群地域は川を挟んで戦いの最前線だったという説もあります。
衝角付冑はその戦いのときに使われていたものでしょうか?
利根川沿いに位置するこの永明寺古墳は、
様々な空想を喚起させてくれるでしょう。
なお、永明寺古墳をはじめとする「村君古墳群」と、
「村君」という地名との関係を想像してみるのも面白いかもしれません。
「村君」の地名の由来説はいろいろありますが、
『羽生市史』に記されたものをここに載せたいと思います。

 古代国造・県主・邑君・村長をおいて
 各自大小の邑土を治めたことは史上明らかなことである。
 「神武紀」に「邑に君有り、村に長あり」というのはこれである。
 よって村君とは邑君で、もともと古代村落の首長をさしたものとみられる。
 古代大和国家の形成は、この村君たちを統轄する形で進行したのであった。

参考文献
羽生市史編集委員会『羽生市史 上』
羽生市教育委員会『羽生市の文化財』

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