何と言っても「富士屋」です。
ここはラーメン専門店ではなく、
じまんやきやたこ焼きを売っていたのですが、
メニューの中に「学生ラーメン」がありました。
(埼玉県羽生市中央1丁目。羽生駅から北に徒歩3分程度のところに「富士屋」は所在していました)
確か200円台という格安の値段で(1990年代後半)、
中学・高校時代に何度か食べたのです。
この学生ラーメン、どんぶりが“すり鉢”だった以外に、
何の変哲もないラーメンでした。
醤油味で格別美味しかったわけでもなく、
ひどい味だったわけでもありません。
具もわずかなもので、
他店と差異を指摘するとしたら、
どんぶりが“すり鉢”だったことくらいでしょう。
(なぜすり鉢だったのは謎です。深い意味はないと思いますが……)
では学生ラーメンの何が不思議なのかというと、
実は食したあとです。
数十分後、体に異変が起こり始めるのです。
第3の目が開くとか、そういった類のものではありません。
体の内部からコトコトと、何かが押し寄せてくるのです。
痛みというかしこりというか、言葉では表現できない違和感でした。
いまでもそれが何だったのかわかりません。
数回食べて、いずれもその違和感に襲われました。
これはぼくだけだったのでしょうか。
一緒に食べた友人は特に何ともない様子で、
「背骨が痛い」と言ったぼくにゲラゲラ笑いました。
ぼくの体質によるものなのか、学生ラーメンに要因があったのか、
いまでも謎に包まれています。
それから約10年が経ち、
もう1度あのラーメンを食べてみたい気がします。
しかし、「富士屋」はすでに閉店してしまい、店舗は残っているものの
店を仕切っていた老夫婦の姿はもうありません。
食したあとに体に異変が起きるという不思議なラーメンは、
現在のところ富士屋だけです。
前回紹介した「とんちんかん」といい、
羽生にはそんな“記憶”に残るラーメンが、
意外と多いのかもしれませんね。
ここはラーメン専門店ではなく、
じまんやきやたこ焼きを売っていたのですが、
メニューの中に「学生ラーメン」がありました。
(埼玉県羽生市中央1丁目。羽生駅から北に徒歩3分程度のところに「富士屋」は所在していました)
確か200円台という格安の値段で(1990年代後半)、
中学・高校時代に何度か食べたのです。
この学生ラーメン、どんぶりが“すり鉢”だった以外に、
何の変哲もないラーメンでした。
醤油味で格別美味しかったわけでもなく、
ひどい味だったわけでもありません。
具もわずかなもので、
他店と差異を指摘するとしたら、
どんぶりが“すり鉢”だったことくらいでしょう。
(なぜすり鉢だったのは謎です。深い意味はないと思いますが……)
では学生ラーメンの何が不思議なのかというと、
実は食したあとです。
数十分後、体に異変が起こり始めるのです。
第3の目が開くとか、そういった類のものではありません。
体の内部からコトコトと、何かが押し寄せてくるのです。
痛みというかしこりというか、言葉では表現できない違和感でした。
いまでもそれが何だったのかわかりません。
数回食べて、いずれもその違和感に襲われました。
これはぼくだけだったのでしょうか。
一緒に食べた友人は特に何ともない様子で、
「背骨が痛い」と言ったぼくにゲラゲラ笑いました。
ぼくの体質によるものなのか、学生ラーメンに要因があったのか、
いまでも謎に包まれています。
それから約10年が経ち、
もう1度あのラーメンを食べてみたい気がします。
しかし、「富士屋」はすでに閉店してしまい、店舗は残っているものの
店を仕切っていた老夫婦の姿はもうありません。
食したあとに体に異変が起きるという不思議なラーメンは、
現在のところ富士屋だけです。
前回紹介した「とんちんかん」といい、
羽生にはそんな“記憶”に残るラーメンが、
意外と多いのかもしれませんね。
部活帰り、店に行きました。羽実女子に囲まれていた記憶があります。連れの者は「女子」目当てでしたが・・・
頭が痛くなりながら、大きな150円のかき氷。懐かしいです。
すり鉢の学生ラーメンと特盛かき氷。
青春の季節に燦然と輝いています。
店内に掲げられていた相田みつおの詩と共に。