クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

世界を変える“本”が空から落ちてくる? ―利根川図志Ⅲ―

2010年08月19日 | 利根川・荒川の部屋
本との出会いは、ときどき人生を左右する。
『利根川図志』は、高田馬場駅前の書店に並んでいた。
復刻版として刊行されたばかりで、
平台に乗っていたのを覚えている。

ぼくはちょうど利根川熱に浮かされていたときで、
タイミングとしては的のど真ん中だったと思う。

江戸時代に書かれた書物というだけあって、
文字をすらすら追える代物ではない。
漢文で記された史料をそのまま引用した、
漢字だらけのページも少なくなかった。

『利根川図志』の著者は“赤松宗旦”。
下総の布川で町医師を務めながらこの書物を著したという。
初めて見る名前だったが、
新しい世界の始まりを感じた。
さながら、空からシータ(「天空の城ラピュタ」)が落ちてきたようなものである。

『利根川図志』を買い、しばらく電車の中で読んでいた。
対岸のヨシノさんに再会したのもその頃である。

高田馬場で出会った『利根川図志』は、
明らかにぼくの日常を変えた。
週末は図書館で受験生に交ざって利根川について調べたり、
利根川に関する本や写真集、漫画本を買い集めるようになった。

ときめいていた。
恋みたいなものである。
図書館で調べたあとに見る利根川は、全然違って見えた。
飛行石がラピュタを指し示す石ならば、
『利根川図志』は道しるべみたいなものだったと思う。

『利根川図志』の著者“赤松宗旦”は、
文化3年(1806)に布川で生まれた。
父も町医師であり、宗旦は幼い頃より医術を学んだ。
そして、20歳のときに独立。

26歳から各地を遊歴したが、33歳のときに布川に移住した。
以来、文久2年に没すまで、この地で暮らしたという。

同地では、宗旦の生家跡が復元されている。
閑静な佇まいで、目の前には利根川の高い土手が迫っていた。
宗旦が幼い頃は、家から利根川が望めたのかもしれない。
川を揺りかごに育ったからこそ、
その源流と川の果て、そして沿岸に残る寺社や伝説などに関心を持つのは、
自然の流れだったのだろう。

“柳田國男”は幼い頃に体験した飢饉が、
のちの民俗学創始に大きく影響しているが、
宗旦もまた大きな時代のうねりの中で、
思うものがあったのかもしれない。

何気なく入った書店で、そんな世界との出会いがあるかもしれない。
手に取る本は、現在の自分の心を映し出す鏡のようなものである。
いま何に関心が強く、何を求めているのか……

したがって、本を貸すときは強引であってはならない。
その人にとっては心に響く本でも、
相手が現在抱えているテーマは全く別のものかもしれない。
本を貸したところで、心に響くどころか、迷惑になる可能性がある。
そのとき、その瞬間でしか読めない本はあるのだ。

だから、本は紹介するだけに留めて、
それを読むか否かは相手の判断に委ねたい。
もし高田馬場で出会う半年前に、誰かに『利根川図志』を渡されていたら、
心の琴線には引っ掛からなかったと思う。

布川は閑静な町である。
『利根川図志』に見える布川の景観は変わった。
高い土手がそびえ立ち、その上を車が通り過ぎている。

しかし、利根川はいまも悠々と流れている。
そんな利根の流れのごとく、
『利根川図志』によって新しい世界に飲み込まれていく読者は、
今日もどこかにいるかもしれない。



赤松宗旦生家跡の復元(茨城県利根町布川)



同上




コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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心情は良く分かります。 ( ドンキホーテ)
2010-08-19 01:47:53
そうですね。人間の出会いにしても、本の出会いにしても、その時の心の状態、飢餓とか、喜びとかにより大きく変化いたします。
 貴方のブログに出会った時は、私は久しぶりに岩瀬に友の墓を詣でた時で、無意識にあなたのブログのようなものを、実は求めていた。
 今まで、御迷惑も顧みず投稿したりしたのに、何かとコメントしていただきありがとうございました。
 お邪魔しすぎたので、申し訳なく思っています。そのため、実は、ブログを立ち上げました。何時か、見て下さい。
 
 
 
 、
返信する
ドンキホーテさんへ (クニ)
2010-08-19 23:20:18
おお、ブログを始めたのですか。
できれば、アドレスを教えてください。
出会いはどこでどう繋がるかわからないですよね。
それに出会いは人間とは限らない。
本だったり、埋もれた遺跡だったりする。
書き手はいい作品にも影響を受けますよね。
いまという瞬間は、過去の事跡が積み重なった上にあるようなもの。
改めていまを見ると、『利根川図志』との出会いをはじめ、
いろいろな縁が重なりあっているなぁと、ちょっとだけしみじみします。
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