埼玉県加須市のビバモール加須の北側に、“青毛堀川”が流れている。
そこからほんの少し上流へ向かうと、
北青毛堀川と南青毛堀川が合流している地点がある。
ここが青毛堀川の起点である。
合流地点には白い石碑が建っている。
小さな石碑だが、妙に存在感を放っている。
その石碑の東面には「境界 準用河川青毛堀川起点」とあり、
西面には「青毛堀用悪水路土地改良区」の銘が確認できる。
合流地点と石碑は、青毛堀川に架かる橋からよく見える。
石碑自体は小さいが、車内からも目にすることができるだろう。
ただ、車から降りてわざわざ見に行くには、いささか負担に感じるかもしれない。
距離としては大したことないが、交通量の多さが二の足を踏んでしまう。
左岸には新興住宅が軒を連ね、そこから北へ抜ければ加須南小学校がある。
住宅も学校も新しく、ビバモール加須も工業団地も古参ではない。
さらに少し川を上れば、完成して間もない埼玉県済生会加須病院がそびえたっている。
「開発」の象徴のような景観かもしれない。
田んぼの中を広い道路が通り、今後徐々に民家も増えていくのではないだろうか。
2本の川の合流と、ポツンと建つ石碑。
その橋を通るたび、つい目を向けてしまう。
特殊な景観というわけではないが、惹かれるものがある。
ちなみに、この川の名称は青毛村(旧太田村・現久喜市)に由来するという。
かつて、阿佐間村(旧大利根町)を流れているから利根川の一部が浅間川と呼ばれていたのと似ている。
なお、収穫にはまだ早い作物を刈り取るところに「青毛」の由来があるらしい。
ただ、これは説の一つとして留めておくのが無難だろう。
青毛村には、亡くなった義母の実家がある。
同村には河畔砂丘が所在することもあり、何度か足を運んだことがあった。
義母の嫁ぎ先は、青毛堀川の上流にあたる。
住まいから近く、嫁いでから何度も川を目にしたはずである。
川から実家を連想しただろうか。
その水面に、遠い過去を写すこともあったかもしれない。
東武伊勢崎線の電車の中からも目にすることのできる青毛堀川。
今日もたくさんの人生を水面に映して川は流れている。
そこからほんの少し上流へ向かうと、
北青毛堀川と南青毛堀川が合流している地点がある。
ここが青毛堀川の起点である。
合流地点には白い石碑が建っている。
小さな石碑だが、妙に存在感を放っている。
その石碑の東面には「境界 準用河川青毛堀川起点」とあり、
西面には「青毛堀用悪水路土地改良区」の銘が確認できる。
合流地点と石碑は、青毛堀川に架かる橋からよく見える。
石碑自体は小さいが、車内からも目にすることができるだろう。
ただ、車から降りてわざわざ見に行くには、いささか負担に感じるかもしれない。
距離としては大したことないが、交通量の多さが二の足を踏んでしまう。
左岸には新興住宅が軒を連ね、そこから北へ抜ければ加須南小学校がある。
住宅も学校も新しく、ビバモール加須も工業団地も古参ではない。
さらに少し川を上れば、完成して間もない埼玉県済生会加須病院がそびえたっている。
「開発」の象徴のような景観かもしれない。
田んぼの中を広い道路が通り、今後徐々に民家も増えていくのではないだろうか。
2本の川の合流と、ポツンと建つ石碑。
その橋を通るたび、つい目を向けてしまう。
特殊な景観というわけではないが、惹かれるものがある。
ちなみに、この川の名称は青毛村(旧太田村・現久喜市)に由来するという。
かつて、阿佐間村(旧大利根町)を流れているから利根川の一部が浅間川と呼ばれていたのと似ている。
なお、収穫にはまだ早い作物を刈り取るところに「青毛」の由来があるらしい。
ただ、これは説の一つとして留めておくのが無難だろう。
青毛村には、亡くなった義母の実家がある。
同村には河畔砂丘が所在することもあり、何度か足を運んだことがあった。
義母の嫁ぎ先は、青毛堀川の上流にあたる。
住まいから近く、嫁いでから何度も川を目にしたはずである。
川から実家を連想しただろうか。
その水面に、遠い過去を写すこともあったかもしれない。
東武伊勢崎線の電車の中からも目にすることのできる青毛堀川。
今日もたくさんの人生を水面に映して川は流れている。