クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

第10回「篤姫」の紀行は?(2) ―岡田十松―

2008年03月11日 | レビュー部屋
大河ドラマ「篤姫」の第10回で、
最後に放送された徳川斉昭ゆかりの水戸藩。
ドラマとは直接的な関係はありませんが、
埼玉県羽生市には徳川斉昭が詠んだ歌が現存していて、
力強い筆使いからその人柄が窺えます。

同市にはもうひとり、水戸藩からやってきた人物がいます。
その人物の名は立原翠軒(たちはらすいけん)。
水戸の儒学者です。
文化10年(1813)、彼は羽生領砂山村出身の剣豪“岡田十松”と、
この地へ足を踏み入れました。

岡田十松は神道無念流を継承する剣術家です。
江戸に出て剣術を磨き、また全国を旅して修行に励みました。
その後、師から道場を委ねられ、
十松は神田猿楽町に「撃剣館」を建てると、
後進の指導に尽力します。
門弟の数は3000人にも及んだとのこと。
その中には藤田東湖ら水戸藩士もいました。

十松の父“利達”が没したのは、寛政9年(1797)9月6日。
文化10年(1813)、十松は立原翠軒を連れて帰郷します。
そして、父利達の墓碑を建立するのです。
この墓碑に刻された撰文と書は立原翠軒によるもの。
利達と十松、また岡田家先祖の功績をそこに刻しました。

この墓碑は砂山の島山寺(廃寺)に現存しています。
住職たちの墓碑に混ざって、
ひっそりと建っています。
岡田十松は文政3年(1820)に没しました。
立原翠軒は同6年の死去。
岡田家の末裔にあたるお宅には、
いまでも十松と翠軒が砂山村に来たときの宿札が残っているということです。

※画像は岡田十松建立の墓碑です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3月11日生まれの人物は?... | トップ | 羽生を散策しませんか?(3... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

レビュー部屋」カテゴリの最新記事