毎年春になると、
羽生の葛西用水路は桜の花で彩られる。
震災の影響で「さくらまつり」は中止になったが、
桜が咲かないわけではない。
例年通り、桜は満開に花を咲かせる。
今年も春がやってきたことを告げている。
葛西用水路沿いに並ぶ桜は、
書店近くが起点だ。
そこから川を下ってのんびり桜を眺める人は多いだろう。
しかし、その起点から逆に川を遡ると、
“城橋”と呼ばれる橋にぶつかる。
市内では知名度の高い橋ではないだろうか。
辺りを見渡しても「城」らしきものはない。
なのに「城橋」の名前がついている……。
疑問に思う人は少なくないと思う。
この「城」は戦国時代から江戸時代初期にかけて存在した“羽生城”を指す。
かつては“上杉謙信”と“後北条氏”の戦いに巻き込まれ、
江戸時代には“大久保忠隣”の持ち城になった。
慶長19年(1614)に廃城になってから、
時代の流れとともに消滅し、
いまは遺構が全く残っていない。
「城橋」の名前はそんな幻の羽生城の言葉の遺構と言えるかもしれない。
しかし、城が存在していた頃に葛西用水路はなく、
その呼び名が使われたのはずっとあとのことだ。
『新編武蔵風土記稿』には「大手の城ありし所を云ふ」とある。
大手門はもっと南にあったと考えられ、
これも後世の人による推測だろう。
ただ、付近の「士辺」は侍屋敷があった場所と同書は伝えており、
城の名残を感じさせるかもしれない。
「東谷の絵図」(幕末に成立か)に描かれた城橋は木橋である。
欄干があり、傍らには大きな木が描かれている。
利根川から直接取水していた川の水は、
町のどんな景色と人々を映し出していたのだろう。
現在の城橋は近代的で、車の交通量も激しい。
近くには信号が立ち、新興住宅が林立している。
そんな時代の流れを受けてきた城橋に足を運び、
歴史に想いを馳せれば、
満開に咲く桜は儚くも美しく見えるかもしれない。
城橋(埼玉県羽生市)
羽生の葛西用水路は桜の花で彩られる。
震災の影響で「さくらまつり」は中止になったが、
桜が咲かないわけではない。
例年通り、桜は満開に花を咲かせる。
今年も春がやってきたことを告げている。
葛西用水路沿いに並ぶ桜は、
書店近くが起点だ。
そこから川を下ってのんびり桜を眺める人は多いだろう。
しかし、その起点から逆に川を遡ると、
“城橋”と呼ばれる橋にぶつかる。
市内では知名度の高い橋ではないだろうか。
辺りを見渡しても「城」らしきものはない。
なのに「城橋」の名前がついている……。
疑問に思う人は少なくないと思う。
この「城」は戦国時代から江戸時代初期にかけて存在した“羽生城”を指す。
かつては“上杉謙信”と“後北条氏”の戦いに巻き込まれ、
江戸時代には“大久保忠隣”の持ち城になった。
慶長19年(1614)に廃城になってから、
時代の流れとともに消滅し、
いまは遺構が全く残っていない。
「城橋」の名前はそんな幻の羽生城の言葉の遺構と言えるかもしれない。
しかし、城が存在していた頃に葛西用水路はなく、
その呼び名が使われたのはずっとあとのことだ。
『新編武蔵風土記稿』には「大手の城ありし所を云ふ」とある。
大手門はもっと南にあったと考えられ、
これも後世の人による推測だろう。
ただ、付近の「士辺」は侍屋敷があった場所と同書は伝えており、
城の名残を感じさせるかもしれない。
「東谷の絵図」(幕末に成立か)に描かれた城橋は木橋である。
欄干があり、傍らには大きな木が描かれている。
利根川から直接取水していた川の水は、
町のどんな景色と人々を映し出していたのだろう。
現在の城橋は近代的で、車の交通量も激しい。
近くには信号が立ち、新興住宅が林立している。
そんな時代の流れを受けてきた城橋に足を運び、
歴史に想いを馳せれば、
満開に咲く桜は儚くも美しく見えるかもしれない。
城橋(埼玉県羽生市)
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