クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“城橋”を渡ると桜はもっと綺麗になる?

2011年04月11日 | ふるさと歴史探訪の部屋
毎年春になると、
羽生の葛西用水路は桜の花で彩られる。
震災の影響で「さくらまつり」は中止になったが、
桜が咲かないわけではない。

例年通り、桜は満開に花を咲かせる。
今年も春がやってきたことを告げている。

葛西用水路沿いに並ぶ桜は、
書店近くが起点だ。
そこから川を下ってのんびり桜を眺める人は多いだろう。

しかし、その起点から逆に川を遡ると、
“城橋”と呼ばれる橋にぶつかる。
市内では知名度の高い橋ではないだろうか。

辺りを見渡しても「城」らしきものはない。
なのに「城橋」の名前がついている……。
疑問に思う人は少なくないと思う。
この「城」は戦国時代から江戸時代初期にかけて存在した“羽生城”を指す。

かつては“上杉謙信”と“後北条氏”の戦いに巻き込まれ、
江戸時代には“大久保忠隣”の持ち城になった。
慶長19年(1614)に廃城になってから、
時代の流れとともに消滅し、
いまは遺構が全く残っていない。

「城橋」の名前はそんな幻の羽生城の言葉の遺構と言えるかもしれない。
しかし、城が存在していた頃に葛西用水路はなく、
その呼び名が使われたのはずっとあとのことだ。

『新編武蔵風土記稿』には「大手の城ありし所を云ふ」とある。
大手門はもっと南にあったと考えられ、
これも後世の人による推測だろう。
ただ、付近の「士辺」は侍屋敷があった場所と同書は伝えており、
城の名残を感じさせるかもしれない。

「東谷の絵図」(幕末に成立か)に描かれた城橋は木橋である。
欄干があり、傍らには大きな木が描かれている。
利根川から直接取水していた川の水は、
町のどんな景色と人々を映し出していたのだろう。

現在の城橋は近代的で、車の交通量も激しい。
近くには信号が立ち、新興住宅が林立している。
そんな時代の流れを受けてきた城橋に足を運び、
歴史に想いを馳せれば、
満開に咲く桜は儚くも美しく見えるかもしれない。


城橋(埼玉県羽生市)

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